助手として研究所に就職したとき,別な研究室に佐藤照幸先生がおられた.佐藤先生にとっては,こちらはもっぱら遊び要員だったようで,家族ぐるみで (と言ってもこちらは二人だけれど) 猪を食べに行ったり,スキーに行ったりした.生意気な口をきいても,おもしろがって聞いてくださった.
定年を岩手大学で迎えられたが,その前に夫婦で官舎に押しかけて泊めていただき,ご馳走になり,宮沢賢治ゆかりの地を案内していただいた.ゆっくりお話しできたのはこのときが最後だった.
Research Gate で見たら,連名の論文が幾つかあった.自分の場合,仕事のことは記憶に残らないらしい.
佐藤先生は,自分史
「遠い記憶をたどって - サハリンとイーハトーヴで育った少年」
を 2001 年にお子さん達・お孫さん達のために自費出版されていた.2010 年にお亡くなりになった後「佐藤照幸先生を偲ぶ会」によってこの本の再刊が計画され,この度実現した.ビロードの触感がある濃紺に銀で文字が配置された美しい本である.
「偲ぶ会会員」向けに同封された文書によれば,編集作業中に幹事の具合が悪くなったり,複数の会員が逝去したり...
佐藤先生の戦争体験への興味で,後の 2/3 ほどを先に読んでしまった.「戦争法案」の影響だろう.
「流れる星は生きている」に比べれば全然たいしたことはないとおっしゃるが,樺太からの危機一髪の引き揚げ逃避行はスリリングだ.終戦後,信じていたものがあっという間に崩壊しても大人達はそれを平気で受け入れるという現実を目の当たりにして,すなわち教科書に墨を塗るという行為の意味を肌で感じて,これをやらされた世代はご自身のあたりにシャープな分布があると書いておられる.
この自分史は高校卒業で終わってしまうが,その文章は,晩年の佐藤先生ではなく,高校生くらいの照幸少年が子供の頃を回顧して書いたという印象だ.
自分史を書くというのは,充実した人生を送られたということだろうか.
自分を顧りみると,過去の記録をたどるのは好きではない.思い出すのは思い出したくないことばかりである.
しかしこの本を読むと,幼年時代に住んでいた家の隣には誰が住んでいて,近所にはどんな子がいて,何をして遊んだ...ということを,いやでも思い出してしまうのだった.
この週末には名古屋で出版記念会がある.参加を呼びかける文章 (名文!) のなかに、「この本を携えて、なめとこやまの熊のごとくて集まろう」というフレーズがあった.熊ばかりでなく,蜘蛛やなめくじや狸も集まると思うので,小生も出席の予定.
冒頭の動画はこの本で言及されている 1940 年制作の映画「風の又三郎」の一場面.小学生のときに観たが,光源が弱い白黒画面がけっこう怖かった.