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臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

新臓器移植法を問うシンポジウム(2010年1月31日)の報告

2010-03-07 08:26:52 | 集会・学習会の報告

2010年1月31日、新臓器移植法を問うシンポジウムを開催

 

 1月31日「新臓器移植法を問うシンポジウム-子どもの救命と脳死と移植-」を開催しました。改定臓器移植法の7月施行まで半年、休日にもかかわらず約130名の方が参加され、脳死と移植をめぐるさまざまな角度からの問題提起に耳を傾けました。
 当日は川田龍平参議院議員が出席され、小児脳死判定基準や小児の虐待の問題、親族優先提供の矛盾、知的障害者をドナーの対象としていいかなど、国会でも具体的に問題にしていきたいとの挨拶がありました。メッセージを寄せていただいたのは阿部知子(社民党衆議院議員・秘書が出席)、円より子・白眞勲(民主党参議院議員)、北神圭朗・郡和子・初鹿明博・川口浩・辻恵(民主党衆議院議員)、阿部俊子(自民党衆議院議員)の各議員です。笠浩史衆議院議員(民主党)からは当日電報をいただきました。
 パネラーは発言順に岩澤倫彦(ジャーナリスト/ニュースジャパン調査報道班・専属ディレクター)、植田育也(静岡こども病院小児集中治療センター長)、永瀬哲也(脳死に近い状態と診断された子の父親)、近藤孝(南労会・紀和病院院長)の各氏で、司会は東京海洋大学の小松美彦氏(科学史/生命倫理学)。
 以下にパネラーの方のお話の要約を掲載します。

 

 「救急と移植の医療現場を取材して」 ジャーナリスト岩澤倫彦(いわさわみちひこ)さんのお話
 C型肝炎特集の取材中、夫が妻に生体肝移植で臓器提供を求める場面に立会いました。“生きる欲望”とはいえ、臓器を求めることは究極のエゴイズムだと感じました。
 子どもの渡航移植については、報道によって募金が集まり、渡航が実現したことを単純に喜び、「日本でも小児の臓器移植を可能にすべき」という立場をとりました。しかし、その後にドナー家族を取材して、温かい体にメスを入れて動いている心臓を取り出す行為にも疑問を抱きました。 臓器移植の報道に大きく迷いを感じながら、新たな特集をスタート。渡航移植の募金に来た親子連れに、自分の子供をドナーにできるか?インタビューすると「難しい」「想像したことはなかった」という反応でした。つまり、脳死移植の現実をリアルに想像した人は少なかったのです。
 市立札幌病院の鹿野医師は、『脳低温療法と人工心肺装置』によって数多くの患者を救ってきました。彼は、日本トップレベルの治療をした上で、脳死に至った患者の家族に対しては臓器提供の選択肢を説明しています。その姿勢には共感を覚えました。
 いっぽう、沖縄県立中部病院のNICU責任者・小浜医師は、「一度フラットになった子供の脳波が戻ることがあった。僕は、脳死=死ではないと思う」と証言しています。
 臓器移植法改正に向けて、「脳死=人の死」という気運が国会の中で形成される中で、長期脳死の「みづほくん」という子どもの存在を報道しました。1歳のときに突然、脳症になり、昨年の秋(10歳)まで生き抜いたお子さんです。こうした報道に対して、移植医のグループは、「長期脳死は臓器移植のドナーとなる脳死とは違い、誤解を招く」として、BPO(放送倫理・番組向上機構)に訴えると宣言していましたが、その後は音沙汰ありません。改正案が成立した今、報道が何をすべきか考えています。

 

小松:1月17日から親族優先提供が始まり、親子と夫婦の間で指定できることになりました。本丸は7月から施行で、臓器移植法の枠内で脳死を一律に人の死と規定し、その上で臓器提供は本人が拒否の意思を示していない限り、家族の承諾だけでいいということになる。この方法によって、子どもからの心臓移植も可能になるわけです。脳死者は大半の場合、救命救急の医療現場で発生します。そこで、静岡こども病院集中治療センターの植田育也さんに、特に小児の救命救急医療現場はどういうものか、お話していただきたいと思います。

 

 「小児救命救急医療の現状と課題」 静岡こども病院集中治療センター長の植田育也(うえたいくや)さんのお話
 こんにちは。植田と申します。私は小児集中治療医学、PICUの専門医です。NICUは新生児の集中治療、ICUは15歳以上の大人の集中治療をおこなう場所ですが、PICUは新生児から15歳までが対象です。私はアメリカで4年間研修後帰国し、長野こども病院、その後静岡こども病院でPICUを作って運営しています。
 この集中治療医学の対象はその場で治療しないと生命の危険のある患者です。成人のICUの歴史は1950年代にスウェーデンで初めて作られ、日本では70年代に作られました。PICUはアメリカでは1967年に発足し、日本は未だ未整備、40年遅れています。PICUはさまざまな所から搬送されるどの患者にも人工呼吸器や強心剤を使うなど、常に集中治療を行なう場所です。
 日本の1歳から4歳までの死亡率は主要先進国中ワースト2位です。0歳の死亡率は先進国平均値の60%、大人は80%と低いのに、1歳から4歳までの死亡率は先進国の平均値の120%と高いのです。1~4歳の死亡率のワースト1位は米国ですが、米国は他殺が多いので、それを除くと日本が一番高いのです。その内訳は4割が不慮の事故で6割が病気です。この原因にはいろいろな説がありますが私はPICUの未整備の結果であると考えています。
 そもそも救急医療はどんな患者にも対応しなくてはいけないので、臓器専門の近代医療の中では底が浅いとされてきました。その中で成人中心のICU、新生児のNICUがようやく整備されてきました。現状では子どもの救命救急医療を専門に行う病院はほとんどなく、そのような命の危険にさらされた小児も頻度が低いので、その様な実態が市民に知られていません。現状では重症の子どもの治療には大人の救急医や集中治療医があたるか、小児科の医師が通常診療の合間に診るかであり、厚生労働省の医療カテゴリーでも小児の救命救急は成人と一緒でよいということになっていました。1~4歳の死亡率の高さはその結果だと考えられます。
 静岡こども病院PICUは、現在12床で医師は13名、看護師は32名、年間500人を診療し、うち救命救急患者は200名。その3分の1は事故、3分の2が病気で、ドクターヘリで広範囲から搬送されています。氷が張っている池に落ち30分間心肺停止状態でドクターヘリが収容搬送し回復した例もあります。過去3年間に溺水患者16名中14名を回復させました。今年度は、40名の新型インフルエンザ重症患者がヘリで搬送され、一人の死亡者も出さず救命しました。PICUを作ってから静岡県の子どもで当院にたどり着かないで亡くなる子どもの数は20%減少しました。
 最後に、小児の脳死を考えるにあたって、まずは小児の救命救急医療の整備を訴えたい。小児の重症患者を迅速に運び、最高レベルの救命医療が尽くされるべきで、実際はそれが出来ていない現状があります。すべての小児に最高レベルの救命医療を担保する、脳死にさせない医療を提供することが前提です。もちろん救命を尽くしても亡くなる患者さんはいます。当院PICUでも年間500名中10名くらいは亡くなります。看取りをどうするか、家族へのケアーをどうするか、それらは長いプロセスの中にあり、最後に脳死判定・臓器移植があります。脳死・臓器移植は、まずは、しっかりとした救命医療の担保なしには成り立たないでしょう。臓器移植法の施行は7月ですが、小児の救命救急医療の整備を急がなくてはいけない。チャイルドシートなどの予防も大事ですが最後の砦はPICUです。

 

 小松:以前に救急の医師に「1ヶ月に何度家に帰れるのですか」と伺ったことがあり、その答えはたった1回ということでした。植田さんが仰ったように救命医療を拡充し尽くしても脳死状態のお子さんは出る、しかし我々が言葉で知っている脳死者と実際の脳死者とは乖離しているのではないか。そこで脳死に近い状態と診断されているお子さんのお父さんである永瀬さんにお話していただきます。

 

「人工呼吸器をつけた娘と暮らして思うこと」-娘が脳死に近い状態と診断されている永瀬哲也(ながせてつや)さんのお話
 2007年5月に生まれた娘 遙は「13トリソミー(13番目の染色体が3本の異常)」という障害を持って生まれました。この病気は予後が悪いので治療の必要があるかとも言われてきた病気ですが、医師にもいろんな考え方があり、見直しの動きもあります。最初にかかった日本を代表する小児科専門病院では「人工呼吸器使用などの積極的な治療を希望するなら他の病院へ行ってほしい」といわれ、別の病院で出産しました。
 心室中隔欠損で手術をするかどうかの説明を医師から受けたことがあります。それは正確で誠意ある説明で、あとで患者家族が後悔しないように医学的にわかることとわからないことをきちんと伝えてくれました。結局迷っていた生後2ヶ月のとき、在宅への移行準備中の試験的な自宅外泊時に、ミルクを戻し心肺停止に陥りました。医師にできることは現状維持といわれ、脳死に近い状態であることを理解しました。医師団の懸命の努力で安定し、1歳前に退院、以後自宅で療養しています。この1年8ヶ月間は訪問看護の方々の暖かいサポートを得て穏やかに暮らしています。今の娘の状況は脳死なのかどうかはわかりません。CTは真っ白で意識なく、体温を調整できない状況です。脳死判定は受けていませんし、今後も本当に命を失いかねない危険な無呼吸テストをさせるつもりもありません。
 脳死の状況に近い遙の状況を聞き、親としては考えなければならないことはすべて考えなくてはいけないと思う過程のなかで無知なまま「脳死=臓器提供」ということも一度は頭に浮かびましたが、乳児でしたのでその対象にならないことをすぐに知りました。娘と家族3人穏やかに暮らしていたとき、脳死・臓器移植の報道があり、特に子どもからも脳死下臓器提供が可能になりそうと聞き、一方で動いている臓器を取り出すなどということは一体どんな理由があると許される行為なのかと思い、調べてみると、脳死を死とすることの基本的な考えや脳死判定基準は科学的ではないことがわかりました。国会における移植推進派の方の意見を聞いても、巧妙に議論のすり替えが行なわれており、疑問が怒りに変わりました。既に科学的根拠のないとされている「脳死=人の死」が、臓器の自給自足とか、「役に立たない命は役に立つ命のために使われるべき」という意見で正当化されており、功利主義・効率主義がここまできてしまったのかと思いました。
 人工呼吸器をつけて動くこともできない状態を痛々しい、自分はそうなりたくないという考えはどこから出てくるのでしょうか。そういう状況の患者を見て痛々しいというのであれば痛々しくないケアというのはどういうものかということを求めるべきでしょう。訪問看護師の方は「遙ちゃんに会うと元気が出るわね」といってくれる。遙を見て自分もがんばらなくてはならないという人がいればこんな子でも社会貢献しているのかなと、もっと親ばかを言えば、経済効果も少しはあるのかなと思います。
 私は医師は科学者だと信じている。科学者であるなら「脳死=人の死」の非科学的要素をきちんと一般人に正確に伝えてほしい。正確な情報提供がない中で脳死のとき臓器提供しますかという判断を素人にさせるのは無責任な行為である。情報提供するべき報道もニュートラルではない。「脳死=死」の考えが科学的根拠を失っている事実を報道してほしい。今後日本は経済的に衰退していくと思うが、経済合理性で人間の価値に優先順位を付けるのではなく、何を大切にしていくのかを忘れると私たちは失うものが多いのではないでしょうか。

 

小松:はたして、脳死は死と言えるのか、言えないのか。最後に、この最も肝腎な点について、紀和病院院長の近藤孝さんにお話していただきます。

 

 「脳死判定は非科学的であり危険である」 紀和病院院長長の近藤孝(こんどうたかし)さんのお話
 近藤といいます。高野山の麓の病院から来ました。日本救急医学会、脳神経外科学会は脳死からの臓器提供を推進しておりますので、私の意見は主流ではありません。私は40年医者をやっていますが、人工呼吸器をつけていても生きている限り権利も義務もあり投票用紙も届くと、患者から教えられました。
 世界で初めての心臓移植がグラビアに掲載された1968年『ライフ』誌。その後心臓移植が世界中に広がり、和田移植は30例目でした。68年のアメリカ医学会雑誌が「不可逆性昏睡」のハーバード基準を発表しましたが、それは脊髄反射もないというものでした。日本では日本脳波学会が1968年に「脳死とは回復不可能な脳機能の喪失である。脳機能には大脳半球のみでなく脳幹も含まれる」と定義して、74年に初めての脳死判定基準を作り、6項目の基準を決めましたが、その第4項目は「急激な血圧低下とそれに引き続く低血圧」で、この6項目基準は必要十分条件であると結論していました。必要十分条件ということはひとつでも抜けると必要十分条件でなくなるということなのに、1985年の厚生省研究班・竹内基準ではこの項目が外されたのです。
 そしてこの時も「脳死状態は絶対に慢性化することはない。通常、脳機能停止から1~5日以内に心機能も停止する」と規定して、しかし「本指針では脳死をもって人の死と定めていない」と結語しました。そして子どもは回復する場合が多いので「6歳以下は外す」としたのです。それが92年の「脳死臨調」でまた定義が変わり、「脳死とは脳固有の機能と身体各部を統合する機能が不可逆的に失われたことを意味し・・」とされました。このように「脳死」の定義と判定基準は、次第にあいまいになるように変更されてきました。特に小児においては24時間以降に脳波が回復する例や自発呼吸が回復する例もあり、決して科学的な根拠があるわけではありません。今回「脳死」者の犠牲の上に立つと、今度は「移植をしなくては延命できない状態の人」が犠牲になるのではないか、と危惧しています。

(後半のパネルディスカッションの要旨は次ページに掲載)

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