臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第19回市民講座講演録(2024年2月3日) 2-2 「わたしはここにいます」~“超重症児”のわたしらしい生き方の実現のために~

2024-06-24 16:32:54 | 集会・学習会の報告

前ページ2-1はこちら

 

第19回市民講座講演録(2024年2月3日) 2-2

 

(ト書き、2021年6月、医療的ケア児支援法が成立。医療的ケア児や家族の負担軽減、サービス拡充が期待された。しかし今、現在も西村家が抱える問題の解決には至っていない)
 医療的ケア児支援法ができて、学校でも安心して看護師さんが医ケア担ってくれるとか、いろんなことが進んできているんですけど、やっぱりイメージができるわけですよね。多くの人の、その大多数の「医療的ケア児」ってこういう子だって。それで「いや、うちはそこからちょっと違うイメージなんですよ」って言っても、そういうイメージが出来上がると「いや、こういうケアがあって」とか、「こういう子なんで・・・」って説明しても、医療の人でさえ、「そんなことってあるの?」とか、「そんなケア本当に必要なの?」とかって帆花の実態がどんどん通じにくくなるっていうことが起きちゃって、まずその実態を理解してもらうところの努力をしないと、その先の支援を望むステージまで行かないんですよね。でも、その知ってもらう努力って、結局こっち発信で、ケアで大変な生活して知ってもらう努力もして、で知ってもらって、やっと同じ土俵に立てるってやっぱりちょっと歪んでると思うんですよね。世界としては。もう一つ私がすごく心配してるのは、帆花が漏れているのが制度とか・・・からだけじゃなくて、このコミュニティの中からも漏れちゃうっていうこと。今後、学校を卒業して・・・ってなった時に、やっぱり外に出ていくっていうことが難しいので「わたしここにいます」っていうことをこっちからアピールして行かないと、本当に無いものにされちゃうし、ちょっと具体的なビジョンというのは、さっきも言ったけど、その学び続けられる「何か」っていうことしか思い浮かんでないので、やっぱり「ここにいるよ」っていうことを言っていかないといけない。

(ト書き、2022年映画「帆花」が公開。一般の方に広く知ってもらう機会となる。一方で映画を見た人の中には「どう受け止めれば良いか分からない」という意見もあった)
 なんかその・・・見た時に、自分の中に湧いた感情と向き合う時に、大事なのって「帆花を受け入れるかどうか」ではないと思うんですよ。だってもうそこに生きてるんだから。他のマイノリティの人だって、「何だろう、この感情・・・」と思った人と同じ命を生きているんだから、その人たちをジャッジする立場じゃないと思う。その感情が湧いた自分とどう向き合うかっていうことだと思うので、そこを履き違えると「無理」「受け入れられない」「そういう命はない」とかっていう判断・・・ジャッジになっちゃう。画面通してみたりすると、実際に生きてるっていう感情湧かないかもしれないけど、だって自分と同じ家族の中にいる一人の子供なんだから、想像してその子をジャッジするっていうことが本当にしていいことなのか、とか。

(ト書き、2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で無差別殺傷事件が発生、入所者19名の命が奪われた。理佐さんは事件が起きた時、大きな衝撃を受けた。それは「ついに起きてしまった」という感情と事件を「他人事」のように受け止める社会にたいする衝撃だった)

 ああいうあからさまな差別とか、障害者に対する敵意とかっていうことが、実際に殺人事件になっちゃったっていう衝撃はもちろん大きかったんですけど、その他に事件の受け止め方、世の中の人たちの見方っていうのがやっぱりすごく怖くて、障害のある人たちが住んでた施設の中で起きたこと、自分たちとそれこそ地続きのところで起きた事件じゃないみたいな「可哀そうだったね・・・」で終わる感じ。世の中の多くの人は、そんな自分の中に差別とかはないって思ってる。だから、その自分の中でそういう気持ちがあるってことに気づかないからこそ、関係ないことだってなっちゃってるっていうことが、あの事件で明るみに出て、まあ薄々そうだなって私が思ってたことがこう明るみに出ちゃったので、すごく衝撃的で。

 あの事件っていろんな問題が明るみに出たはずだと思ってたんですよね、私は。やっぱりその障害ある人たちが、ああいう山奥の施設にこう・・・閉じ込められた訳では無いですけど、あそこが生活の場としてあそこしかないというか。あとはなんか、親たちがやっぱり自分の家に障害のある子がいるっていうことを、あまり人に言えないとか。それはまあ、わが子が可愛くないわけじゃなくて、愛情はあったとしても世の中の人に知られたくない・・・みたいな感情とか。自分では差別とかって思ってないけど、無意識の中にある自分の中の差別の感覚っていうんですかね・・・なんじゃないかなと思って。それは何か私の中にももちろんあって、それは私は帆花が生まれた時に、もうすごく思い知ったんですよね。

 私はその、障害がある子供が自分のところに生まれてくるっていうことを夢にも思ってなくて、たぶん、自分の中にも差別っていうよりは「関係ない」みたいな、同じ人間なのに同じ命なのにっていうところで、私は生まれた帆花が生まれた時に、それと向き合わざるを得なくなって、すごく辛かったんですけど・・・別の障害のこととかをわかんなかったりして無知だったら、無意識に差別的な考えが浮かんだりもするから、全てのことが分かってるわけじゃないので、まずはその実態を知る・・・すごくたくさんあるわけじゃないですかマイノリティの問題って、でもそれを全部をみんなが知るっていうことは難しい。だけど世の中にいろんな人がいて、みんな一緒なんだっていう前提にまず立てばいい・・・だけの話って言ったら、そこは難しいですけど「みんな違うんだ」っていう気持ちでいろんな問題を見たら、関係なくないんだってなると思うんですよ。同じ世界にいる人たちの話だから、自分は関係ないってならない。で、今まで自分とは関係ないと思って聞いてたニュースとかを「え、何だろう?」ってそういう気持ちで聞いたら「あ、そうだったんだ」って知れる機会がたくさんあると思うし・・・。

 ここで暮らし始めて10年以上経って、地域の中でも帆花のことを知ってくれる人とかが徐々に増えてきてくれてはいるんだけれども、「大変そうだから大丈夫?」っていう関係・・・。それだと本当の意味の「隣人」じゃなくて、帆花も誰かの「隣人」になれる人・・・なはずなので具体的に何かって言われたらわからないですけど、あそこのマンションのあそこにほのちゃん住んでいて、ほのちゃん頑張って生きてるっていうことが、多くの人の心の中にあってくれたら、それこそ「隣人」だなぁと思うんですけど、ちょっと抽象的ですけど、あの子が誰かの人生に関わる主体っていう、だから他の人と同じなんだよっていう、お互いに関係をもてる存在だということを分かってほしいなと思って。

 なんか「帆花の意思を大事にしてやってますね」って言っていただくのはすごい嬉しいんですけど、別にそれはどこの家でも一緒っていうか、子どもの意見っていうか、どうしたいのかを聞くっていうのはたぶん当たり前のことなので、ただやっぱ言葉で言えないので、気をつけなきゃいけないのは思い込み、こういう風に帆花は思ってるんじゃないかな・・・って思ってしまう。具体的にわかるわけじゃないので、やっぱり小さかった時は想像通りだったことが成長とともに分かんなくなってきて、本人が違う・・・感じになってくることだって当然あるので、そこは大事にみんなで「どう思ってるのかね?」っていうことを、まあ確認っていうと何か大袈裟になりますけど、それは今まで通りやっていきたいし、それをあの大事にやってくれる人たちに恵まれてるかなと思います。

 

 

「いのちは大切である」というテーゼ

 去年の我が家の様子でしたが、帆花がだいぶ大きくなっているのが見ていただけたかなと思います。ここで体重をバラしたりすると怒られますけど、30キロになっています。なので、私ひとりでなかなか持ち上げることが難しくなっています。
 映画のときの私は、帆花のケアのことで悩んでいたり、医学的知見と目の前の帆花とのギャップに苦しんでいたのですが、母親として、子育てとしてやっていっていいんだと、だんだん分かってきました。元気に過ごさせてあげることができるようになってきて、その辺は自信が出てきたところで、私の中のメインのテーマが変わってきました。それが何かというと、私自身の価値観のところです。

 「いのちは大切である」というテーゼ例えば、いのちは大切であるというテーゼがあります。これに対しての明確な答えというのは、聞いたことがなくて、「かけがえがないから」とか、いのちって限りがあるから今を大切に生きなきゃいけないんだよということで「死」との関係の中からいのちの大切さを言われたりとか、あるいはどうやって生きるか、よりよく生きるか、生きる意味みたいな事に関連付けて、いのちが大切であることを説いたり、というような回答、そういうのが多いと思っています。
 この問いに対しての明確な答えを私も持っていたわけではないのですが、帆花と16年暮らしてくる中で思う大きなことは、「そこに在ること」=存在、いのちそのものが大事だということです。「そこに在ることが大事だ」ということを申しますと、いてくれて嬉しい、可愛い子供だから、どんな状態であってもそこにいてくれる事が嬉しいんだというような感情論に受け取られがちですが、そういう意味ではなくて、もちろんそこにいてくれることはうれしいし大事なんですけど、もっと物理的な話なんです。
 先程から、具合悪くなっても、うちでのケアだけで元気にしてると話してきましたけど、去年の11月に私も帆花もインフルエンザにかかってしまい、帆花はいのちに関わるような状態になりました。その時、「あれ帆花はもう、このままちょっと無理なのかな」と思いながら、私自身もインフルエンザにかかりながら必死にケアしていたんですけれども、ちょっと離れた所にいても帆花の人工呼吸器のその呼吸に合わせて、ゴッゴッという痰が上がってる音が聞こえるほど、痰がすごい状態になってしまったんですね。そんな音がしてるのに、吸引しても一切引けてこなくて、肺が炎症を起こして、いっぱい痰があるのに上げてこられず、呼吸器つけてるのに呼吸ができない状態で、どうしたらいいのか?と。
 病院に行ったらもっとパワーがあって細かい設定ができる呼吸器につなぎ変えられるけれども入院させられない。じゃあどうするか? 先ほどお話しました手動のシュポシュポ押して空気を送ってあげるバギングにしようと、酸素ボンベをバギングにつないで一晩中バギングしながら同時に肺を絞るんです。呼吸を助けてあげながら、痰を上げて吸引するっていうことを一晩中主人とやりました。
 その時に、そんなにすごい音がしていてもなかなか痰が引けないのに、私が呼吸に合わせて帆花の肺を絞ってあげると、本人も“何とか出さなきゃ”って思ってくれてるんですよ。だから私のこの手に合わせて本人も「ゴホッ」て、咳ができるわけじゃないはずなのに痰を出してくれるんです。私は母親として、もうここで帆花を失ってしまうかもしれないという危機に直面して心配で潰れそうになっていましたけれども、私のその介助に合わせて帆花が痰を出そうとしていることに、「なんていのちってすごいんだろう」と心底感じていました。「生きようとしている」というか、その「いのちの力強さ」というか。具合が悪くなると、いのちが生きてる、物理的に生きてることが、どんなにすごいことなのかということを、いつも私は思い知らされています。可愛いとか大切とか、そういう感情の話ではなくて、「そこにいのちが在って生きている」ということがいかに尊いのかということを実感しております。私たちは、普通に暮らしていると自分のいのちが生きてる、心臓が動いている、今日も歩くことができる、みたいなことに感謝することはなかなかないんですけれども、帆花がいのちの危機に瀕してる時に、それだけ頑張って生きようとしているということを体験すると、本当に「そこにいのちが在る」ことの素晴らしさをいつも実感しています。

 

これまで生きてきた“世界の不確かさ”
 そう思うと、私がこれまで帆花を授かるまで生きてきた「世界の不確かさ」ということを思うようになってきました。
「よりよく生きる」というようなことを考えてきたけれども、もちろんよりよく生きた方が良いけれども、いのちの素晴らしさに気づいてしまうと、なんかすごく陳腐なこと、偉そうなことを考えて生きてきたんだなあって思ったりもしました。“我、思うゆえに我あり”という言葉もありますけど、本当にそうなのかと思ったり、いろんなことが不確かになってきました。
そして自分が普通に生きてこられたことの特権性に気づいてしまったのです。特権性というのは、いろんな障壁を見ずに済む立場にいられるという意味での特権性ですけれども、そういうことに今まで気づかなかったのです。だから普通でいられることが、いかにその地盤が緩いかということに気づかされてきました。

 

「固定観念」の内在化、「内なる優生思想」への気づき
 自分はなるべく差別とか偏見とかがないようにと思いながら過ごしてきたはずなのに、やっぱり固定観念みたいなものが自分の中にも内在化されていて、気づかないけど、そういうことに支配されていた、自分の中にあったということに気づいています。
 子どもが元気に生まれてきて当たり前と思っていた、帆花みたいな子どもを育てる可能性は充分あったわけだけれども、しかも帆花みたいな子どもを、私が知らなかっただけでこれまでにもいたはずなのに、自分がなんかすごい世界に来てしまったみたいに思ってしまったこと。本当は地続きのところで起きていることで前からあったことなのに、と。
 そして、障害を健康な状態とか健常な状態からのマイナスという風に思っていた。でも帆花を見てたら、別に健常・健康からマイナスした状態が帆花だなんて思わないわけですね。帆花は帆花で存在していて帆花っていう子だから、障害がどうとかという風に思わない。
 「内なる優生思想」と書きましたけれども、我が子の障害を受け入れるとか、受け止めるみたいな考え方すらちょっと違うんじゃないかと思い始めています。障害を受け入れるというと、それこそマイナスなものを受け入れるみたいな形です。そうじゃなくて、それがありのままであるなら、それはそういう人だということです。こういう疑問を持ち始めてきたということです。
自分の中にも、誰かの生き方とかいろんないのちに対してジャッジするところがあったんじゃないか、ということに気づかされました。その矢印の向く方向は、誰か別のいのちに対してではなくて、そういうふうに思ってしまう自分の方に向くべきじゃないかというふうに思い始めています。

 

「意思疎通が難しい」といわれる帆花の意思とコミュニケーション
 そんな風に価値観が変容してきました。帆花は言葉をしゃべらず帆花独自のコミュニケーションの方法で私たちと生活しているわけですが、どんな方法かといいますと、リーク音(映画の予告編の中では「うーんっ」て言ってましたが、今は喉のところの状態でリーク音は出なくなってしまったのですが)、その他にも表情と顔色、あと眼の動きとか、ずっとつけているサチュレーションモニターのアラームを自分で自在に鳴らしてくれるということがあります。それが帆花の表出です。帆花が何か言ってるかと言われたら、医学的に証明できる訳ではないのですが、それでやり取りしながらこれまでやってきたことが、もうすでにコミュニケーションとして成立していると、私たちは思っています。
 これがコミュニケーションとして認められるかどうかですが、ここに書きましたが障害者権利条約では意思決定支援ということが言われていて、「必要としうる支援の水準や形態にかかわらず、すべての障害者の自律、意思および選好を尊重する支援を受けて意思決定をする仕組みを設置」しなさいと言われています。そしてそのコミュニケーションの方法は問わないと。「それができないとコミュニケーションできないから意思決定できないよ」ということではなくて、その人に合わせた支援をしなさい、それでコミュニケーションをとりなさいと、言われております。例えば表情とか顔色ということもコミュニケーションの方法なんだと具体的なところまで、国際的には言われ始めています。
 ですから私たちは一番気をつけているのは、勝手に「この子は思ってる」っていうふうに決めつけるのではなくて、「今、何か帆花言ってるけどなんだろう、こうなの?こうなの?」って聞いて、はっきりとした返事があるわけじゃないけれども「何かを思ってるね、こうなのかな、こうなのかな」って、みんなで言い合いながら帆花がどう思ってるのかを、探りながら本人に問いながら、答えが出なくても、繰り返して積み重ねて過ごしているというところです。

帆花自身が主体
 医療とか介護、障害、福祉サービス、いろんな問題がありますが、これから帆花が学校を卒業して、社会を生きる一人として生きていくということを考えると、一番大事なことは、帆花自身が帆花の「人生を生きる主体」として生きていくことだと思っています。障害を持った人が、その自分の人生を主体的に生きるとはどういうことなのかと言うと、障害者権利条約では、「チョイス アンド コントロール」が大事と言われております。自分の人生を生きて行く上で、「平等に選択できる機会が保障されていなくてはいけない」と。地域の中で生活する権利があって、意味のある生活を送ることを保障されているべきで、自分の人生を自分がコントロールしていると思えるように生活できるように支援しなさいと、言われています。
 鮮明な答えが返ってこないとしても、「こういうことができるよ。こういう方法もあるよ」と提示して、帆花が自分の人生をコントロールできるように、環境を整えてあげることを、今後も大事にしながらやって行きたいと思っています。

 

“わたしらしい生き方”とは
 帆花がどんな生き方を自分らしいと思って生きていけるかと考えたときに、大きく三つあるかなと思っています。ずっとお話ししていますが、とにかく帆花はおうちが好きで、「お家で暮らしたい」と今後も願っているのではないかと思っています。
 「在宅での支援が足りない」ことを、役所にもずっと訴えてきました。「そんなに足りないなら入所させなさい」などと言われたりもしましたが、それは全くおかしな話です。本人がお家で暮らしたいと願っているのなら、それを保証しなくてはいけないわけです。「支援が足りないなら入所させればいい」なんてとんでもない話で、障害者権利条約の19条にも書かれており、根拠があることです。

 ニつ目の本人の願いは、「信頼関係のある人と生きていきたい」、「信頼関係を築くことのできる人の支援を受けたい」と思っている。なぜそういうふうに私たちが推測しているかと申しますと、看護師さんやヘルパーさん、色んな方が支援して下さり、その全部を私は見てるわけですが、いろんな方と接している帆花を見ていると、やっぱり相手によって接し方が違うんです。「この人が来るとすごいアラームを鳴らすけど、この人が来るとアラームを鳴らさずになんか顔色を赤くする」とか、表出の方法が変わったりするんです。すごく甘えた感じになるとか、ちょっとつんとした顔をするとか、相手によって違う。それは誰が嫌い、とか信頼していない、ということではなくて、そうやって信頼関係をそれぞれの方に対して築いてるということです。自分のことに置き換えて考えても何か助けてもらいながら生きていくとしたら、やっぱり信頼を寄せられる人と生きていきたいと、そう思ってるんだろうと、そういうふうに感じています。
 そしてもう一つは、学校を卒業しても「新しいことを学んだり経験したい」ということです。色んな人と出会って、自分がその人達と関係性を築いて生きていきたいと願っているんじゃないかと思っています。それは学校の授業で見ていると、先生と新しい学びをしている時は、さっきまですごく吸引の頻回だったのに、集中したら、もう吸引が一切なくなったとかいう変化もありました。いろんな人と接して、帆花を見ていると、やっぱり認識してるんだなとわかるので、いろんな人と出会いたいんだろうと思っております。
 教育については障害者権利条約で保障されていて、「生涯教育」についても確保すると明記されていますので、学校卒業後も学びが保障される、されなければいけないと思っています。

 

“わたしらしい生き方”とは
 まとめに入ります。帆花が望んでいる新しいわたしらしい生き方を考えると、私たちは今後も思い込みに陥らないように、彼女が何を言いたいのか、なぜそういう表出をしているのかを探りながら、これを介助付き意思決定支援と言いますが、いつも「帆花どうなの?こうなの?」って言いながら、やっていきたいということです。 そして、意思決定支援をしてくださる、信頼を帆花が寄せることができる、一緒に生きてくれる支援者の方をどんどん増やしていきたい。いつか私たち両親は年をとってできなくなるかもしれないという意味でも、一人でも多くのそういう支援者を増やしていきたい。

 

法人の理念
 そうして学びと新しい人との出会い、地域でつながりを増やしていくという意味では、私は(帆花が)学校を卒業した後は、それが今の状況では保証できないと考えて、去年の7月に法人を立ち上げました。訪問カレッジ「Be Prau(ビー プラウ)」という名前です。特別支援学校高等部を卒業した帆花のように外出が難しい方々を対象に、先生がお宅を訪問し授業をする、生涯にわたって学べる訪問カレッジというものを作ろうと、準備しているところです。
 こちらがその法人の宣伝になってしまいますけれどもチラシでございまして、一般社団法人「ケアの方舟」、意味としては誰一人とりこぼさず乗せて、そして浮いているだけではなく大海原に漕ぎ出して、その人らしい人生を送れるようにという願いを込めております。

Be Prau 訪問カレッジ
 こちらが訪問カレッジ、今度の4月に開講予定で準備しているところです。帆花のように常時ケアが必要で、重度の障害をお持ちで、学校卒業後に学ぶこととか人とのつながりが薄れてしまう、という方が対象です。障害福祉サービスにしても「通う」ことが前提になっていて、通所できない人が取り残されている現状があります。その人のお身体の状態、ケアの中身によって「訪問する」というスタイルが必要です。障害福祉サービスなどは、大多数の人のために作られるので、いつも「通う」ことができる人のサービスが先で、通うことができない人は後まわし、あるいは「取り残される」ことになってしまいます。待っていられない、ということで始めようと思っております。

 

わたしはここにいます
 ここまでお話しを聞いていただきましたが、帆花が「わたしはここにいます」と言っている声が皆様に届きましたでしょうか?私が代弁する形になりましたけれども、少しでも帆花の声が、何かしらが届いたら嬉しく思います。ありがとうございました。

 


質疑

 

司会)本日は阿部知子衆議院議員と木村英子参議院議員がオンラインでご参加いただいています。お時間がないということで阿部議員からお話頂きます。


阿部知子衆議院議員)途中からしか聞かせていただけなくて申し訳ありません。そしてまたすぐでなければならないので、恐縮ですが、今伺った範囲で皆さんにお伝えをしようかなと思います。

 生きているという当たり前すぎるほど当たり前のことが、実は誰かのために死ぬ事を要求された死が、脳死なんだと思います。私は小児科医です。この問題のきっかけは30年以上小児病院に勤めていて、重度の脳障害、脳の機能不全という患者さんを幾人も幾人も診てきましたが、その患者さんを診て、亡くなっていると思ったことは一度たりともありません。ところがあるときから死んだことにしてくれと。その裏にはこの臓器を使いたい。それも、生きている臓器を使いたい。だから頭がだめなんだから、死んだことにしてくれって、あくまでも、そうしたニーズが作り出した死です。そこにある子供は重度の脳機能不全ということだけです。昔は「長期脳死」なんて言わなかったんですよね。だって10日ほどで死んじゃうと言われてたでしょう。心臓が止まると。でも止まらない。そしたら今度なんて言い出したかというと、その診断は充分じゃなかったからだと。無呼吸テストしてないからだと。いろんなこと言いましたが、結局どんなに充分だという診断をしたとしても、重度の脳機能の障害で、脳死と呼ばれている子供たちは生きているんだと思います。やはりいろんなお母さんたちがそのお子さん達に寄り添って、その存在を支えて一緒に生きていくことが、本当に素晴らしいことだと思います。私も西村さん以外のお母さんからもお話を聞いてきました。とにかく臓器をなるべく新しいうちにほしいですから、国会では、最初はいわゆる脳死は死ではないと言っていたのを、一方的に脳死を死として扱える案が出されたり、加えて本人同意なるものもどっかに吹っ飛んでしまったりしましたが、死が、生きることが根本的根源的に問われる時代ですので、西村さんたちが声を発し続けてくださっていること、帆花さんがそこに居続けてくださることを心から大事と思いますので、全部聞けなくて申し訳ないのですが、メッセージとさせて頂きます。ありがとうございます。


司会)質問がある方お願いします。
質問1)BMI ブレイン・マシン・インターフェース というのをご存知でしょうか?脳の中にチップを入れるとある程度の会話とか、発信を受け取ることができるっていうんですよ。例えば目の網膜が電子信号で読めたりできるという技術が。そういう情報だけを受けるか受けないかは別として、防衛大学のシノミヤ先生が研究していると聞いています。参考までと思い・・・。
司会)よくわからないのですが、わかる方いらっしゃいますか?私は、実際にコミュニケーションを取ってケアをする中で、感じることがあると思うのです。だから、機械で読みとれるということもあるのかもしれませんが、まずはやはり人の手が大事なんじゃないかと私は思いますね。

 

質問2)西村さんのお話の中で、帆花さんが医療の世界では意識がないと言われていても、運動会のことを話したら、興奮して痰を多く出すというお話。だから、生きている人からの脳死移植なんてそういう人権を無視する医療はやめなきゃいけないですよ。それからご両親ね、帆花さんの面倒を見るのは大変だと思うんだけども、本当に尊敬します。学校卒業しても友達と会えるような社会を作らないといけないけれど、西村さんのお話の中にあった訪問カレッジについて、もうちょっと聞いてみたいんだけども。
西村)訪問カレッジのことを充分説明できてなかったのですが、私たちは4月に開校しようと準備しています。訪問カレッジという取り組みが全国に広がり始めていまして、主に、元特別支援学校の先生方にご協力いただいたり、地域の大学生のボランティアの方とか、地域で一芸に秀でている高齢者の方とかに、おうちを訪問していただいて、そこで一緒に学んで授業していただくというものです。直に人と触れあって学ぶことが大事ですので、そういった形で準備しているところです。


質問)帆花さんは、先生ばかりじゃなくて、友達といたりすることが好きなんじゃないですか?そういう人たちの訪問とかはないのですか。
西村)そうですね。やっぱりお友達と会う機会はすごく大事ですけれども、外出が難しいというところが、本人の特性でして。今も先生に来て頂いてる状況なんですね。

 

質問3)お話ありがとうございました。大変なご苦労をされているようで、特にレスパイトのことなど、小さい頃どこも受け入れられなかったということですが、現在はどうなっているのでしょうか。インフルエンザの時は何とかご自宅で看られたそうですが、やはり重病の時に入院できる入院先がないとすごく苦しいと思うんですね。そういうレスパイト先、入院先については現在どうなんでしょうか。
西村)受け入れて頂けないというよりは、本人のいのちを守るために必要なケアが、自宅以外では保証できないというところなんです。プラス本人がお家で過ごしたいということなので、レスパイトは一切利用しておりません。で、入院に関しましては、いくら自宅で頑張るといっても、入院しなければ出来ない治療はあり、その時どうするかということです。

 実は3年前、帆花が中学2年生のときに、輸血みたいなものが必要な状態になってしまいました。当時、コロナで世の中混乱している状況で、面会ができないとか、付き添いができないとか、そういう医療の現場になっていたところに、入院しなくてはできない治療が必要な状態になってしまったわけです。入院すると、例えば針刺すとか、検査する、レントゲン撮るということは、看護師さんや先生がやるけれども、それ以外はすべて親がやらなきゃいけないわけです。そうなると自宅に居る時、帆花が元気な状態の時でも、いろんな人が代わるがわる、両親と交代してケアをしてくれてやっと24時間365日を回しているけれども、入院した途端、お母さん全部やってね、になるんです。そうなると24時間休みなく入院期間中のケアを私が一人でやるとなると、とても私も生きていられないし、私が生きていられないとなると、帆花も生きていられないということになってしまって。でも輸血しなかったら死んでしまうという状況だったんですね。私たちも非常に悩みまして、コロナで一切例外なく付き添いがダメと言われてた時だったので、主人と本当に悩んで、今までこれだけ手をかけて育ててきたのに、入院させて、輸血はできたけどケアが行き届かなくて死んでしまったとなったら、最期に会えないことになってしまう。かと言って、このままおうちでケアしても輸血できなくて死んでしまう。
 じゃぁどうするか?まず何をしたかというと、帆花に聞いたわけです。「 まだ帆花は生きたいのか」、「 まだ頑張れるのか」ということを尋ねたら、どうも諦めてる様子がない。となると、イチかバチか、病棟にお預けして輸血をお願いするしかないと思って。意を決して入院の準備をして連れていったんです。家ではこういうふうにやってますと私が作ったケアのマニュアルを添えて、救急外来の先生に見せたら、「 いや、普段元気な状態でこれだけのケアをやっているお子さんを今のこの状態でお預かりしますとは言えない。お母さん申し訳ないけど付き添ってもらえますか」って言ってくれたので、これは首の皮一枚繋がったと、私が付き添って入院することになったのです。入院になるまでの間、帆花の具合が悪い状態がかなりの期間続いていて、帆花のケアで私もほとんど寝ていない状態で付き添うことになりました。それで入院させたその日は、もちろん一睡もできず、それどころか一切座ることもできず、家から連れてきた帆花を病棟のベッドに寝かしでからずっとケアしたので、夜中に私も倒れそうになっちゃったんですね。そしたら病棟の師長さんが、「 お母さんだけでは無理だ」と言って、 「お父さんの付き添いも許可します」となりました。結局12日間入院させたんですけど、私と、仕事に通いながらの主人が2人で、36時間交代でケアをしました。主人は仕事行って、私は36時間帆花のところで一睡もせず。2日後夜に、主人が仕事が終わったら来て、私と交代して、寝ずにケアして翌日の朝、私と交代する。このサイクルの36時間交代をやったんです。病院の悪口という意味ではないんですけれども、ケアが難しいからといっても、もうちょっと助けてもらうこともできたんじゃないかというところももちろんあります。ただ、入院するとそういうことになってしまうのです。

 それで、これまでもずっと役所に訴えて、入院中も在宅で見てくれている支援者の人のケアを受けられるようにしてほしいと言ってきました。さいたま市に住んでいますが、最寄りの区役所は分かってる、どうにかしなくてはと思ってくださっていて、さいたま市本庁に一緒に行って訴えようと、ケアの様子を動画にとって市庁を尋ねました。こういうケアが必要だからどうにかしてもらえませんかと言ったら、「必要な事はわかりました。でも、それは国の制度だから、入院中の看護は病院がやるのが仕事、だからヘルパーさん入れたり訪問看護入れたりはできない、決まりだからさいたま市としてはできませんよ」と言われました。これまで何年も訴えてきてこの状況で止まっていたんですが、この入院のあと、一歩前進したかなと思うことがありました。それは、今までも厚労省に電話で問い合わせてくれたことはありましたが、電話で問い合わせても、帆花がどんな子かは電話先の人はわからないから、「無理です、そんな話あるわけないです」と言われて終わっていたのですが、さいたま市の方が、厚労省と新しくできた子ども家庭庁の医療ケアの部署の人と面会して、私から伝え聞いたたことを直接話してくれたんです。市の担当者も医療や看護の専門家ではありませんし、私から話を聞いているといっても、伝言ゲームみたいになって、どこまで理解して伝えていただいたかはわかりません。厚労省としてもこども家庭庁としても、「話はよく分かりました。だけど今のところちょっと難しいですね」と。現在もこのような状態が続いております。だからまた、この先いつ帆花が入院治療が必要な事態になるかわかりませんが、その時にどうするかという問題は、今も続いているという状況です。

 

司会)木村英子議員がお話頂けるということです。木村議員お願いします。
木村英子参議院議員)こんにちは。はじめまして。木村です。議員としてのご挨拶はご遠慮したいと思っていたのですけれども、お話を聞いて、思い出したことがありまして、一言感想を言わせていただきます。私は1,2歳ぐらいから施設で生活していたんですけれども、その時に周りはみんな障害者の人ばかりだったんですね。その中に、帆花ちゃんと同じような、寝たきりで意思疎通が難しい方もたくさんいたました。私の友達はそういう人たちが多かったんです。で、目線で自分の意思を伝えたり、あるいは指先で伝えたり、そういう人たちが多かったので、そのころの思いがよみがえってきて、帆花さんに会いたいなって思いました。まあ、機会がありましたらぜひお会いしたいと思いますので、その時はよろしくお願いします。
西村)ありがとうございます。会っていただきたいと思いました。木村さんのお友達がそういう人が多かったという、普通のお話なんだけれども、お友達と言ってくれたことが、すっごく嬉しかったです。ありがとうございます。
木村議員)ありがとうございました。失礼します。

 

司会)入院とかレスパイト、それができないというのは、そういうケアをこちらの要望する慣れた人のケアを許さないというところで入院できないのですか。
西村)例えば、いろいろと難しいケアがあるんです。気管切開部からカテーテルを入れて痰を吸引するケアがあって、普通はここに入っている部品のなかしか入れちゃいけないんだけれども、帆花はそれを通過して、気管支が左右に分かれていますが、気管支分岐の先まで入れて、右、左、と入れ分けないといけないんですね。それは、看護師さんの資格を持っていてもすぐにできない。だからうちに新しく訪問看護師さんが来てくれるとなった時には、だいたい3ヶ月くらい訓練しないといけないのです。それも本当に稀なやり方なんですけれども、私がそこまでやらないと取れない子だっていうことを帆花から聞いてしまい、その練習の仕方なども私が確立したのです。入れ分けるっていう方法。それを安全に行うためにペットボトルで模型を作って、こうやると右に出るよ、こうやると左に出るよ、というように。まずそれで訓練していただいてできるようになったら、今度は本人で練習して。だいたい3ヶ月くらいは練習が必要なので、入院するとそれができる看護師さんがいないということ、その他にもいろいろ難しいことがあります。
質問者)実際、重度の障害を持っているご家族は非常に困るので、病院でレスパイトを受けてくれるようなところがあって、普段から看護師さんが慣れてくれると、いざという時も受けてくれるので、そういうところが近くにあれば一番なんですけれども、なかなか厳しいんだろうと思います。本当にご苦労されているのがよく分かりました。
司会)同じような重度の障害を持って帆花さんとほぼ同じ状態ですと言われた方もオンラインで参加されていますが、ご感想なり、ご自分のお子さんの様子なり、お話して下さる方いないでしょうか。いかがですか?守田さんからチャットにご意見が届いていますね。


守田)感想です。チャットに書いた通りですが、インフルエンザにお2人が感染された時に、理佐さんが看護されるのに帆花さんが反応されたという話に感動しました。もう一つ質問の冒頭で、脳に電極を埋めてはという話が出ましたが、帆花さんは周囲を認知されているように思うんです。ですから、体性感覚誘発電位検査という脳や神経の反応を測定する検査ですが、検査したら何らかの機能の有無が確認できるかもしれないなあと思いました。もちろんそういう検査に反応があるなしに関わらず、この方の意識があるということ、いのちに価値があるということは変わりありません。これ、感想です。

 

奥山)チャットに寄せられている質問を読み上げさせていただきます。「日本福祉大学の○○です。いろいろソーシャルアクションされていて、素晴らしいと思います。その原動力はどこから湧き出てきますか?」というご質問ですね。
西村)原動力、そうですね。原動力があるというよりは、帆花に後ろから操られているみたいな感じです。でも、やっぱり、我が子のためにとか、私と主人の生活、家族の生活を守るためにということはもちろんあって、それも原動力ですけれども、同じいのちを生きている、私たちと同じいのちを生きている子が、ただ生きるためだけにこんなに苦労する世の中にしているのは、私もその社会を作っている大人の一人として、自分の責任でもあると思ってます。誰かのせいとか、制度が悪いとか、そういうことではなくて、そういう世の中を作ってきてしまったのは、私の責任でもあります。それをなんとかしなきゃいけない。それが我が子のためにもなるというところが大きいかなと思います。 

 

司会)ありがとうございました。お話を聞きながら、帆花さんが成長したことをすごく感じました。私も一度だけですが、小さいときに、西村さんのお宅を訪問させて頂いて帆花ちゃんに会ったことがあります。そのときはまだ3歳か4歳前くらいで、ほんとに可愛い、色が白くて、柔らかくて、ピンク色の肌をしていてかわいいお子さんでしたね。意識がないとか、脳の機能不全と言うんですか、脳の機能が失われている状態でもコミュニケーションが取れないわけではない、一緒に暮らせないわけじゃない、伝わってくるものがあるんですよね。そこにいのちが在るということ、帆花さんの存在を通して、お母さん自身の価値観が変わったと言われたこと、帆花さんから教えられたということが本当にすごいと思うんです。私は、帆花さんだけではなく、脳死と診断されたお子さんにお会いしたことがありますが、背中に手を入れると何か感じるものがあるとか、入浴させると気分が良い顔になるというような、ご家族が感じ取れる何かがあり、長い間のケアから見つけておられるその子のケアの方法もあると、本日、西村さんのお話をお聞きしてさらにそう思いました。帆花さんの「私はここにいます」という声を聴く、自分たちの社会の一員として、私たちがその存在をいのちをともに認識することが大切だと思います。
 そういう思いで私たちは、現在、厚労省が進めている脳死からの臓器提供、生体移植も含めてですが、進められている臓器移植を拡大する政策に反対する活動をしています。私たちが作った冊子を受付で配布しましたが、そこに書かれている政策が現在進められています。21年の暮れに出したものですが、この内容を厚労省は、現在さらにスピードをアップして進めています。この報告を事務局の古賀さんから話していただきます。

 

古賀)市民ネットの事務局の古賀からお話しさせていただきます。厚労省の担当官とこの前話をした時に、長期脳死とされるお子さんとか、帆花さんのような人について、医系技官の人でしょうか、「終末期」っていうんですよ。医学的には終末期と呼ぶと言うんです。そういう感覚で物事が進められていくと非常に危ないと思いました。

 ところで、脳死と言うと、臓器移植法の運用に関する指針に書いてありますが、法的脳死判定までは救命に努めて、脳死と判定された段階で移植の手続きに移ると、僕らは思ってきたし、厚生労働省の運用指針、マニュアルにも、そう書いてあるんですよ。ところが、今、厚生労働省の、脳死と臓器移植に関する扱い方は、もっと前倒しして、判定以前に死んだことにして進めようとしているんです。臓器提供の選択肢を提示された患者を、どこまで救命をつくし、どこからは臓器保存に変えるか、ということが一つあります。「脳死判定をしたならば脳死とされうる状態」つまり、無呼吸テスト以外の法的脳死判定の検査をやった状態で、まだ法的脳死と判定されていない、その状態で、臓器保存術に変える。脳死判定をうまくできない施設の患者は、どこかに移送して脳死判定をさせる。ここでも、やはり判定したら脳死と判断される段階で、移送して判定するということをやっている。また、脳死になる可能性がある人の患者情報を各地域の拠点病院に集める、あるいは臓器移植の斡旋をしている日本臓器移植ネットワークに流すことを厚労省は検討するなどしています。「脳死とされうる状態」の診断後に、家族の同意を得た上で患者情報を流すという言い方を厚労省はしています。

 だから、法的脳死判定以前に、すでに死んだことにして取り扱っていこう、そういうことを厚生労働省は進めているのです。非常に危険な動きだと思います。で、審議会の議事録の中には、さらに前倒ししかねない意見も出ています。つまり、新鮮な臓器を取る、そうすれば移植の成績が上がるから。こういうことを一旦始めると、どんどんどんどん死を前倒しにして死んだことにする、さっき衆議院議員の阿部さんも言われましたけれども、死んだことにしてしまう、そういうことをやろうとしています。

 それから、「臓器提供を誇りに思える教育をする」ことが出されています。義務教育の中で。私たちが、(長期脳死と呼ばれた)重度の脳不全状態で生きる子どもたちの映像なども教材に取り上げて欲しいと言った時に、あの子達は無呼吸テストはしてないようだから、という。でも、厚生労働省の人たちは、無呼吸テストをしていないで脳死とされると診断すれば、その状態で、死んだものとして取り扱おうとしている、それは、長期脳死の人とどこが違うんだというふうに言うと黙ります。このような形でいのちの切り捨てを進めていこうとしています。

 他方、臓器移植法の運用に関する指針では、唯一の臓器あっせん機関である日本臓器移植ネットワークを通さない移植は、海外での移植だろうといけないとしています。厚労省の調査でも、海外の25カ国で、日本人543人が臓器移植していたという結果を公表していますが、中には無許可団体による斡旋があったはずなのに、ちゃんと取り締ろうともしない。厚生労働省の不誠実さと危険性が、明らかになったと感じております。

司会)ありがとうございました。あの、現在推進されている臓器移植拡大のための政策への質問と厚労省の回答ということで、本日の資料に要約の形でまとめていますので、後でお読みください。本日は西村さんありがとうございました。最後に一言ありましたらお話し下さい。

西村)そうですね。今日、川見さんからお声がけ頂くまで、当時あんなに苦しめられていたその脳死という言葉とか、その中身とか、を忘れていたわけではないですし、だけどちょっとその呪縛が解けたのかなと思っていました。けれども、やっぱり世の中の動きを考えると、まったくそうではないですね。帆花が当時脳死に近い状態だって言われたからこそ現在こういう風に元気に楽しく暮らして、苦労もあるけれどもというところを、もっと声をあげていかなきゃいけないと思いつつも、彼女自身はそれを証明するために人生を送っているわけでもないですし、長期脳死って呼ばれることも、非常に不満だと思います。「長期脳死」ということば、脳死がそもそも臓器提供に係る概念だとしたら、「長期脳死」とは、ちょっと意味がわからないですから。世の中、いのちを切り捨てようというさまざまな動きがありますけれども、この子らはそんなことに負けないで力強く、生きて行くと思いますので、私はそこに学びながら、今後も元気に頑張っていこうと思います。本日はどうもありがとうございました。 

 


寄せられた感想


1、大変貴重な講演会でした。私は帆花さんの映画や西村さんご家族のことを何も存じ上げないまま、参加を申し込んだのですが、本当に大切なメッセージを頂いたと思っています。私事ですが、最近は「脳死」や臓器移植について考えることが、ほとんどありませんでした。私には“ふつう”に生きてこられたことの「特権性」があるのだと思います。「特権性」ゆえに気づかないことが沢山あり、そのような私に対して、帆花さんが「わたしはここにいます」と声をかけてくれた気がしています。また、「“いのちは大切である”というテーゼ」に関して、「生きようとするいのちのすごさ」「生きてること自体がとうとい」という理佐さんの言葉も胸に響きました。訪問カレッジのような活動のご計画も、素晴らしいと思います。配布資料に掲載されていた厚労省政策のことも私は知らなかったので、まだまだ勉強不足です。まずは、帆花さんの「わたしはここにいます」という声を忘れずにいたいです。せっかく声をかけてくださったのだから。今日の出逢いに心より感謝します。

2、講師の西村様のこれまでの子育ての経緯、考え方や気持ちの移り変わり、今後の活動の計画など、とても丁寧に伝えていただいて、医療的ケアの必要なお子さんをもつご家族の暮し、置かれた環境、問題点、ご家族の気持ち、とても理解が深まりました。
 私自身は、まだ発達障害への理解がない時期に、問題を抱えた娘の子育てに右往左往してきた経験を持ちます。
 西村様が、最初は医療に頼る気持ちだったが、自分の子育てとしてとらえるようになったとお話をされました。医療や福祉が一番困っている所に届かないような、もどかしいような、怒りのような、ぶつけようのない気持ち。それならば私が動くしかないと、踏み出してみて、少しずつ前に進み、仲間をチームを作ってこられたこと。
 私も、西村様の経験された大変な思いには全く及ばないのですが、同じような気持ちを感じて、これまで前に進んできました。そこからの、いのちの大切さや、障がい者の人権の考え方に繋がっていくお話も、とても共感するものがありました。私は今、障がいをもつ方の作業所で支援員の仕事をしています。今日お聞きしましたお話をしっかり心に持って、毎日の仕事に向き合っていこうと思います。今日は貴重なお話しをありがとうございました。西村様、どうかお体を大切にされてください。これからも、帆花さんの暮しを一緒に見守る機会がありましたら、幸いです。

3、今 最初の30分を視聴しました。明日があるので 残りは改めて視聴します。が、「脳死」という言葉の理解のところで まずガツンと 衝撃。30分すべて 初めて知ること。命を知る 考える 機会をくださり感謝いたします。


4、後日配信で拝聴させていただきました。貴重なお話をありがとうございます。
 自分の子どもは臓器移植法改正の翌年に帆花さんに近い超重症児の状態で産まれました。超重症児の子育ての情報が欲しくて、家族の会などに入会もしましたが、自分の心身の不調から臓器移植に関する会報誌などに目を通すこともできず、初めて貴ネットワークの講座や臓器移植に関する情報をお聞きする機会になりました。
 脳に重い障害があっても今ここに生きているいのちと、ニーズとして進化している臓器移植という相反する世界のお話でしたが、私にとってどちらも改めて深く考えていくための機会ともなりました。お互いを知るためのこのような機会は必要なことだと思います。
 西村さんのお話は、自分の子ども、親としての自分たち夫婦の、これまで、現在位置、今後を思い直すこと、いろいろと思い出し、共感させられることも多かったです。
在宅生活が始まり、「天井ばかりを見つめる一生を送るのか」と塞いでいた頃に、子どもの入院先でお世話になった看護師さんが大学院に進み、その実習で我が家に来られたことがありました。その方はとても緊張されていたのですが、子どもとコミュニケーションするうちに表情が緩み、帰りは笑顔で帰ってくれたことがありました。その場には他にも訪問看護師さんなど3名がおりましたが、実習に来られた看護師さんを笑顔にしたのはうちの子どもだけでした。物も言えない、ほとんど表情もない子どもにこんな不思議な力があるのだと感動し、これまで様々な奇跡を見てくることができました。
 日々のケアは本人にとってはとても苦痛だろう、ケアをこのまま続けていくことが本当にこの子にとって良いことなのかと苦悩することもありますが、驚くほどの頑張りを見せてくれて、学校の授業や様々な方との出会い、経験の中で命の尊さを実感する日々です。
 私は、私たちはここにいるのだと発信することは本当に力がいります。でも帆花さんのために法人まで立ち上げて、未来を切り開こうとされている西村さんのお話にとても感銘を受けました。自分もマイペースですが、この世界にいる以上は微力ですが頑張っていきたいと思います。参加させていただきありがとうございました。

5、私がこの講座に参加しようと思ったのは、以前から映画等で帆花さんの存在を知っていたこと、『いのち』について、最近考えることが多くなったということです。話がそれるようですが、昨今の国際情勢、特にパレスチナのガザへの激しい空爆等で沢山の人々が命を落としている現状をテレビ等で見ていると、軽々と失われていく『いのち』の存在。『いのち』とは、いったい何なのか。どんなに健康に生まれてきても、障害を持って生まれてきても、我々は平等に『死』へ向かっていく。死の対極として、生があるとすれば、すべての『いのち』は等しく尊重すべき存在であると、わたしは思います。
 宮沢賢治の『マリヴロンと少女』という作品に、「すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人は、いつでもいっしょにいるのです」というセリフがあります。すべての『いのち』を大切にする社会こそが、私たちの目指す豊かな社会ではないでしょうか。帆花さんのような存在が、未来を灯す希望でありますように。
今後もまた機会がありましたら、参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

 

以上

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第20回市民講座 【座談会】 ... | トップ | 第19回市民講座講演録(2024... »
最新の画像もっと見る

集会・学習会の報告」カテゴリの最新記事