臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

結成5周年記念講演会の報告

2016-02-11 22:58:18 | 集会・学習会の報告

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク 結成5周年記念講演会の報告

 

 2015年10月25日に東京大学駒場キャンパス内のファカルティハウスで行いました市民ネットワーク結成5周年記念講演会の報告を致します。講師は武蔵野大学教授の小松美彦さん。講演タイトルは<“いのち”を考えるー科学的生命観と人生論的生命観>。参加者は約60名。講演では、前半に古代ギリシャ時代からの今日に至る科学的生命観の歴史的流れを、後半に、『あしたのジョー』と『それから』を題材にした人生論的生命観とは何かが興味深く語られました。講演概要を講師の小松さんご自身に執筆して頂きました。大変読み応えのある小論文になっています。ぜひお読みください。(k)

 

《いのち》を考える
科学的生命観と人生論的生命観

小松美彦(武蔵野大学)

はじめに
 本講演では、脳死・臓器移植の根底に横たわる生命観の問題、つまり、「そもそも生命・いのちとは何か」について考察した。洋の東西を問わず、文明の誕生とともに人間が追究してきた一大問題である。
 講演の前半では、ギリシア時代から科学や医学の中で「生命・いのち」がどのようにとらえられて今日に至るかをお話しした。いわば科学的生命観の歴史的な検討である。だが、生命・いのちは科学や医学だけによって探究されてきたわけではない。文芸、絵画、音楽などの中でも描かれてきたのである。例えば、「人間は一本の葦にすぎない。ただし考える葦である」(ブレーズ・パスカル)、「命短し恋せよ乙女」(吉井勇・松井須磨子)、今日のAKBの歌、といった具合にである。そのような生命観のことを、私の恩師・中村禎里のひそみにならって「人生論的生命観」と呼ぶ。
 そこで科学的生命観の問題性を総括した上で、講演の後半では、人生論的生命観について、高森朝雄(梶原一騎)・ちばてつやの『あしたのジョー』と、夏目漱石の『それから』の解釈を通じて考えた。『あしたのジョー』とは、1967年12月に『少年マガジン』で連載が開始され、1973年4月に主人公の矢吹丈が真っ白に燃えつきた場面で終わる、不朽の劇画である。他方の『それから』は、『三四郎』と『門』との間に位置する漱石三部作の要であり、森田芳光監督の映画版(1985年)では、松田優作、藤谷美和子、小林薫が三人の中心人物を演じ、ご存じの方も少なくないと思われる。

 

1 科学は生命をどう捉えてきたのか————科学的生命観の歴史
 まず、紀元前4世紀に活躍したアリストテレスの生命観について概説した。アリストテレスとは、古代ギリシアの最大の哲学者・科学者であり、話の要点は次である。アリストテレスは、生長や呼吸や消化や精神活動などのさまざまな生命現象を生み出す根本原因・原理を「霊魂(プシュケー)」と把握し、霊魂を何種類かに分類して各生命現象に関係づけた。ただし、着目すべきはその議論を支える基本的発想である。すなわち、人間の五感(視・聴・嗅・味・触)で知覚できる生命現象の背後には、人間の五感では知覚できないが、生命現象を生み出す「隠れた根本原理」が存在するはずであり、その「隠れた根本原理」を探究すべきだとする、基本的発想である。
 このように、生命の根源を隠れた原理ととらえ、それを探究するアリストテレス的生命観は、驚くことに18世紀終盤のフランス革命の頃まで続いた。少なくとも紀元前4世紀から2000年以上にわたって、西欧の科学思想の中で行われたのは、「隠れた根本原理」を霊魂から自然(ピュシス)、精気、熱、生命特性、生命力などへと置き換えたことにすぎず、生命観の基本的枠組は連綿と維持されたのである。
 しかし、18世紀終盤から、生命観はアリストテレス的なものから新たなものへと大きく様変わりする。つまり、「隠れた根本原理」の探究という基本姿勢を捨て去り、既に発展を遂げていた物理学と化学の「科学の目」も導入しつつ、人間に知覚できる「現象」に限定して生命を探究する、という基本姿勢に様変わりした。問題意識がいわば“Why”から“How”へと一変したのである。
 こうして登場した新たな生命観は、次の三種類に大別できる。1,生命現象を物質の性質や物質現象に帰着させる「唯物論的生命観」。2,生命現象を熱力学の理論に還元する「力学的生命観」。3,生命現象を身体の有機的構造(organization)の現れとして把握する「現象論的生命観」。この三種類である。あらためて注意すべきは、もはや霊魂や生命力などの「隠れた根本原理」の探究には関心が向かっていないということである。
 以降、約200年かけて、これら三種の生命観が相互に影響し合い、今日の科学的生命観に至った。主なものはやはり三種類ある。ⓐ人間の生命現象のうち特に精神現象に着目して、それをコンピューターの演算システムになぞらえる「人間=コンピューター論」、ⓑすべての生命現象は遺伝子によって運命づけられているとする「遺伝子決定論」、ⓒあらゆる生命現象を脳の働きに帰着させる「脳還元論」、である。脳死を死(の基準)とする今日の問題は、これらの現代的な科学的生命観のうち、ⓒ「脳還元論」に基づいているのである。講演では、例えばⓒの生命観は長期脳死者の存在によって論理的に破綻しているなど、一見説得的な三種類の生命観のおかしさを具体的に明らかにしたが、ここでは割愛する。

 

2 小括
 以上のように展開した科学的生命観を批判的に総括すると、次のことがいえるのではないだろうか。
 まず第1に、科学的生命観は18世紀の終盤から抜本的に変容したように見受けられるが、本質は全く変わっていないということである。つまり、探究の対象は、ギリシア時代から18世紀終盤までは人間の知覚には届かぬ「隠れた根本原理」であったのに対して、それ以降は近代的な物理学と化学の目をも擁した「人間の知覚で把握できる現象」に一変したのであるが、しかし、「隠れた何か」を探究するという点では同様であり、両者の違いは隠れた何かが「原理」か「現象」かにほかならない。探究の対象が「もの」から「こと」に移ったにすぎないのである。
 第2は、20世紀後半の世界的な哲学者ミシェル・フーコーが、「科学の役割は見えないものを見えるようにすることであり、それに対して、哲学の役割は見えているはずのものを見えるようにすることだ」と述べた点に関係する。たしかに、フーコーの名言どおり、ギリシア時代からこのかた、科学は見えないものを見えるようにしてきた。今日におけるⓐ〜ⓒの科学的生命観もそうだといえよう。しかし、例えば、私たちの喜怒哀楽が脳の中のこれこれの神経繊維の電気的な興奮や弛緩によることが明らかになって(脳還元主義)、喜怒哀楽をめぐる何か本質が実感をもって解ったのだろうか。ひいては、私たちが生きていることそれ自体をめぐる諸々の疑問や謎が、科学によって氷解したといえるのだろうか。すなわち、フーコーの格言に照らすなら、科学によって見えるようになったはずの事態を真に見えるようにする哲学の眼差しが必要なのではあるまいか。
 そして第3は、第2の点となかば重なるが、私たちが日常的に感じている生命・いのちの把握と科学による把握とが乖離(かいり)していることである。例えば、西欧の古代・中世社会において、人々は霊魂(魂)を支えに生きていた。それゆえ、科学・医学で霊魂を中心に論じられる生命観と、人々の日常的な生命観とは基本が共通するため、前者の生命観は一般の人々にも受け入れられやすいものだったはずである。ところが、科学が進展して議論がより専門的になるにつれて、科学が論じる生命把握は一般人の日常感覚からは次第に乖離してきたのではないだろうか。
 かくして、人生という視点からの生命把握、すなわち、人生論的生命観を考察する必要があるだろう。

 

3 私たちは《いのち》をどう感じているのか————人生論的生命観の多層
 そこで人生論的生命観を考えるにあたって、まず『あしたのジョー』を解読した。
 この物語は、地図にない実在の街・東京の山谷というドヤ街に流れ着いた不良少年の矢吹丈が、やがてプロボクサーとなり、ライバルたちと死闘を繰り広げ、最後に史上最強のチャンピオンのホセ・メンドーサに判定負けを喫するものの、かつての予告どおりに「真っ白」な姿になって幕を閉じるという、一見スポ根ものである。ただし、それは表層的な読みにすぎず、実体は「生命・いのちとは何か」を徹底的なまでに描き出した作品だといえる。ここでも詳細は割愛せざるをえないが、ライバルたちはそれぞれ人生における象徴的な意味を有しているのである。力石徹=真の友人、ハリマオ=野生、ホセ・メンドーサ=日常性という最大権力、等々である。
 こうしてジョーは、真の友人に、○○○に、△△△に、野生に、次々と挑み、そしてそれらを乗り越え、最後に日常性という最大権力に対して判定負けまでにもちこんだ。すなわち、生命・いのちとは、科学が追い求めてきたような生命現象の隠れた根本原理ではなく、生理現象でもない。「何かに向かって走りつづける過程」にほかならない。しかも、その核心は、「何か」にたどり着くことそれ自体ではなく、たどり着こうと走りつづける過程、つまりベクトルである。このベクトルのことを、私たちは生命・いのちと呼んできたのである。このように『あしたのジョー』は、生命・いのちの“正体”を一人の不良少年の半生を通じて解き明かしたのである。
 しかしながら、誰しもがジョーのようには格好よく生きられるわけではない。例えば、脳死者や尊厳死の対象者たち、「ただ生きているだけ」と見なされがちな人々である。たしかに、彼/彼女らはジョーのようにはいかないのだろう。だが、たとえそうではあっても、「自分の速さ」で走りつづけていることには相違ない。自己を圧倒せんとする死に日々抗して、そのつどの自己を乗り越えつづけているのである。ただし、この「自己」とは、はたして何か。そこで紐解くべきが、夏目漱石の『それから』である。
 『それから』は明治中期の日本を舞台とした物語であり、代助、三千代、平岡の三角関係を軸に話は展開する。代助は帝国大学(後の東京帝国大学)を出たものの、定職に就かず、日々気ままな生活に興じ、封建制を脱したはずの自由を謳歌して生きている。父親や兄に説教されても、真には聞く耳を持たない。だが、そのように自由に生きてはいても、言いしれぬ重圧感に日々さいなまれているのであった。そんな中、親友の平岡が事業に失敗して妻の三千代とともに東京に戻ってくる。実は、代助と三千代はかつて相思相愛の仲にあったが、代助は結婚という伝統制度を否定し自由に生きるべく、また平岡への友情から、三千代を平岡に譲ったのであった。
 かくて代助は、三千代の懇願を受け、二人の生活の工面に日夜奔走する。そしてある時、ふと気づく。いくら払拭しようとしても払拭できなかった重圧感が、自由に生きようとすればするほどのしかかる重圧感が、三千代のために奔走する渦中で消えているのである。代助はその意味を見つめ、ついに三千代に告白する。「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」、と。三千代は動揺の末、その言葉を受け入れる。こうして親友を裏切り不義をはたらいた代助は、父に勘当され、兄にも絶縁され、四面楚歌の身となり、炎天下の街に仕事を求めてさまよい出て行くところで物語は終わる。
 通常、この話は、イギリス留学で「自己本位」という理念を獲得して真に封建社会を脱した漱石が、その開明の感動を代助の生き様に託して描いたもの、と解釈される。いかに不義をはたらき四面楚歌になろうとも、自己本位を貫くことを賞讃する作品だと。しかし、決してそうではあるまい。そもそも代助は自己本位を貫こうとすればするほど重圧感にさいなまれていたのであり、三千代という他者のために生きた時、はじめて重圧感が消えていたのである。つまりは、自己本位の「自己」とは他者との関係によってしか成り立っておらず、そのことを置いて自己本位を貫徹しようとしても人は底なしの深みへ沈んで行く。人間はあらかじめそのようにできてしまっている。漱石はこの人間存在の大いなる理(ことわり)にただ代助を従わせたのである。だからこそ、代助の告白もいたって単純だったのだ。「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」。
 さて、私は先に、脳死者や尊厳死の対象者などの「ただ生きているだけ」と見なされがちな人々は、矢吹丈のようには格好よく生きてはいないだろうが、「自己を圧倒せんとする死に日々抗して、そのつどの自己を乗り越えつづけている」と述べた。しかし、『それから』の解釈から判るように、こうした人々の「自己」もまた、周囲の人々との関係ではじめて成立している。見つめる人々と見つめられる人々との間で、見つめられる人々の「自己」なるものは成り立っているのである。一切の他者を抜きにした「自己」などはありえないのだ。ちなみに、この大いなる理を省みずに人間の絆を引き裂く装置——「生きるに値する者/生きるに値しない者」を弁別する装置——が、アメリカ由来の「自己決定権」にほかならないだろう。
 話をもう少々進めよう。今述べてきたような人間存在の何たるかを突きとめようとした哲学者に、マルティン・ハイデガーがいる。第2次世界大戦までの前期ハイデガーが探究したことは、私見をまとめると、人間が存在することと、動物が存在することと、石が存在すること、これらの違いである。そのさいハイデガーは、死を基礎に三者の存在の仕方の違いを考えた。すなわち、石はそもそも死なず、動物は己の死すべき運命を自覚しない。それに対して人間だけは、決して他人に代わってもらうことのできない己の死を、己自身が覚悟し引き受けて生きることができる存在者である。換言するなら、人間が存在するとは、つまり「いる」とは、「いなくなる」をあらかじめ含んだ事態なのである。そして、このような存在の根本を了解できるところにこそ「人間の尊厳」がある、とハイデガーは考えたのである。
 だが、しかし、人間存在の深遠に迫ったハイデガーには、他者の存在が考慮されているとはいえまい。たしかにハイデガーは、「いる」には「いなくなる」が前提とされていることを突きとめた。だが、それは一人ひとりの「自己」にとってのことでしかない。そこで代助=漱石を顧みれば、その「自己」とは他者との関係によってはじめて成り立っていた。つまり、「いる/いなくなる」は常に他者との関係をめぐっているのである。
 かくして、ハイデガーの把握を推し進めるなら、実のところ「人間の尊厳」とは、「ただ生きているだけ」という事態をめぐって、その事態を眼差す者と眼差される者との間に成立する事柄のことだといえる。「人間の尊厳」とは、人間にもともと備わっているものではない。そうではなく、他者と「私」との間に浮かび上がる関係性にほかならない。尊厳とは、この関係性としての「ただ生きているだけ」の別名、すなわち、関係性としての《いのち》の別名なのである。そしてさらには、この別名は、人間に対してのみならず、一匹の動物、一個の石に対しても、あてがうことができるように思われるのである。
 以上、科学的生命観と人生論的生命観についてお話しした。しかし、私の話は、本当は皆さんには見えていることを、とりわけ脳死状態や植物状態の患者と共に生きている方々には見えていることを、単に言葉化したにすぎないのではないだろうか。

 

4 参考文献
 小松美彦『生権力の歴史——脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって』(青土社、2012年)。
 ————『《いのち》は科学では分からない(仮)』(2016年刊行予定)。
 高森朝雄・ちばてつや『あしたのジョー』(講談社、1983—1986年)。
 瀧澤克己『瀧澤克己著作集』(法蔵館、1973—1981年)。
 中島みゆき『中島みゆき全歌集 1987—2003』(朝日文庫、2015年)。
 夏目漱石『それから』(新潮文庫、1948年)。
 ハイデガー、マルティン『形而上学の根本諸概念——世界—有限性—孤独』(『ハイデッガー
     全集 第29/30巻』)、川原栄峰/セヴェリン・ミュラー訳(創文社、1998年)。
 ————『存在と時間』、熊野純彦訳(岩波文庫、2013年)。
 フーコー、ミシェル・渡辺守章『哲学の舞台』(朝日出版社、1978年)。

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