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臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第6回市民講座の報告(3-2)

2015-03-16 11:42:42 | 集会・学習会の報告

第6回市民講座の報告(講演録)

【MOTOKOさんのお話】

 

■看護と尊厳 ―その人らしく生きることを支える―

Ⅰ.「脳死」と説明された方の看取りに関わって
 はじめまして。看護師のMOTOKOと申します。今日は、『看護と尊厳―その人らしく生きることを支える―』というテーマでお話しさせていただきます。前半は、私が脳死臓器移植のドナーとなる患者さんとかかわった経験をお話させていただきます。後半は、その経験から患者さんに尊厳をもって関わるということはどういうことなのか、ということについてお話したいと思います。

1.ドナーとなる患者さんの看取りにかかわって受けた衝撃
 まず臓器摘出に至った患者さんの経過を、簡単にお話します。臨床的な脳死であると医師の説明を聞いたご家族は、ドナーカードを持参され、話し合いのすえ、患者さんの臓器摘出に同意されました。一回目の脳死判定が開始されてから、臓器摘出のために手術室に向かうまでの時間は、わずか40時間にも満たない「あわただしい時間」でした。
 ドナーとなる患者さんの看取りにかかわって、私はこれまでにない衝撃を感じました。臓器摘出から病室に戻ってこられた患者さんの遺体と対面して、「死なはった」、「死んではらへんかった」、そして結果的には「この人を殺してしまったんちゃうやろか」、と感じたのです。なぜそう感じたのか。自分は看護したといえるのか。落ち度が無ければそれでよしとしていいのか。そういったことをずっと問われていると感じています。

2.臓器提供によって患者の死に意味を見出すことと、その死を悲しむこととは、同時に可能か?
 2013年、5月25日の朝日新聞によりますと、『脳死での臓器提供を家族が承諾する理由最多は、「誰かの役に立ちたい」などの「社会貢献」』とありました。一方、本人の提供意思が書面で残っていた事例では、すべての家族が「本人の意思だから」と答えたそうです。(今年6月末、法改正後の脳死臓器摘出189例中、家族が判断したケースは142例)
 ここで一つの疑問が生じます。まず、大切な家族の死を前にして、残された時間は患者と家族の為にあります。それは、亡くなっていかれる悲しみを悲しむ時間でもあります。家族の承諾によってドナーとなる患者さんとそのご家族にとっても、残された時間は共に生きる最後の時間です。「看取り」とは、「残された生を共に生きること、やがて鼓動を止めて冷たくなっていくいのちの傍で、見守り悲しむいとなみ」でもあります。しかし、報道が示すように社会貢献のために臓器提供をし、そのことによって患者の死に意味を見出すことと、その死を悲しむこととは、本当に同時に可能なのでしょうか。
 私がかかえている「しんどさ」は、「いのち」の看取りと脳死臓器移植のはざまで生じた葛藤だと考えています。看護師が「いのちと向き合う」、とか「いのちに寄り添う」と言うときの「いのち」とは、どういう意味で使っているのでしょうか。

3.関わりの中で生き続ける存在:「いのち」の看取り
 看護師は、病をもちながら生き、生活する人と関わります。そこにはその方の人生の歩みも見つめる目があります。ですから、看護師は病気の人とその人を取り巻く人々や環境にも眼差しを向けています。さらに、看護師でなくとも、亡くなられた方に想いを馳せるとき、私たちは死者とも会話出来るときがあると思うのです。このように、「世界の中で人々と共にさまざまな関わりをもちながら生活し、他者の記憶の中にも生き続け会話することもできる存在」を、私は「いのち」と呼びたいと思います。
 さて、「いのち」がこのような意味なのだとすると、人がこの世で生き切ろうとするのを看取ることと、その方に臓器摘出に向けた様々な処置やバイタルサインの調整を行うことは、異なった次元にあることになります。およそ操作できるとかできないとかいう次元にはない「いのち」の看取りと、操作そのものである臓器摘出術前の処置の対象としての身体。両者のはざまには、絶対的な断絶があります。私のかかえた「しんどさ」とは、この絶対的な断絶がある二つのことを、一人の人間に対して同時に行わなくてはならなかったことと関係していると考えています。
 誰かを「看取る」ということは、共に生きることだと言いました。そこでは、看護師も看取りの当事者の一人として関わります。私は看取ることは、「看取りの医療」を提供することと同義ではない と考えています。看護師は、患者と家族の傍らで、彼らの思い、語りを聴き取り、自らできることを考え家族と共に患者のケアを実践します。
 私は、臨床的な脳死状態と説明された方の看取りにも関わってきました。そのなかの印象的な患者さんの看取りについて、いくつかお話したいと思います。
 ある方のご家族は本人も希望していたので人工呼吸器をはずして欲しいと希望されました。医師、看護師、ご家族とで話し合いをし、必要最小限の呼吸と循環を確保しながら看取ろうということになりました。ご家族や恋人とできる限り自由に一緒に過ごしながらゆっくりと、静かで濃密な時間を過ごされてその方は逝かれました。
 また、出産後間もない女性の実のおかあさんは、一週間ほど面会に来ることが出来ませんでした。しかし、お母さんが娘さんのところに来ることが出来たのは、「娘は私に会いたがっているにちがいない」と思えるようになったからだったのではないかと思います。それからはずっと娘の傍で過ごされました。お母さんが娘さんと過ごしておられるのを、看護師は見守り、顔を拭くなどのケアに一緒に参加していただきました。
 青年のご家族は、微かでもいいから奇跡が起きて欲しいと、ずっと身体をさすり、声をかけておられました。医学的には「聞こえていない」「意識がない」「脳死状態である」といわれる人に、家族も看護師も声をかけます。それは人として当たり前の態度です。そして、声かけに何か返事を返してくれているような反応や変化を聴き取ろうとする行為でもあります。
 ある小学生のお子さんは、医師の手で人工呼吸をしながら、機械音の無い病室で母親の腕に抱かれて亡くなりました。また乳児の患者さんは、二ヶ月以上をICUで過ごし、1歳のお誕生会をしました。
 彼らに共通していたのは、様々な処置や検査、説明や自己決定をすることなどの、死に逝くことの外にある事柄に急かされることのない、家族だけの濃密な時間の過ごし方があったということです。こうした看取りにおいて、その人が最後の時間において社会貢献の行為をしたかどうかで、その生に価値のあるなしを見いだすような視線を向けることは、あたかも「いのちの値踏み」とさえ呼びうるものに陥りかねないのではないでしょうか。やはり、社会貢献とか死に意味を見出すことは、「いのち」を看取ることとは別の次元にあるのではないでしょうか。

4.「死へのカウントダウン」と悲しみの忘却
 人が死を迎えるとき、「予定時間が決まっている」死はありません。ドナーとなる患者さんと関わるなかで、この「予定時間が決まっている」ことを「死へのカウントダウン」と表現した看護師がいました。人が亡くなる場に居合わせ、「いのち」を看取るとき、そこには「あと何分で」とか、「何時頃には」とか、あらかじめ決まっている時間に向かって待つことができるような時間は流れていません。たとえその死を待っている人がいたとしても、その時間がどれだけあるのかは誰にも待てないもの、待つことがその人の生をないがしろにするように感じるものではないでしょうか。
 ところが脳死臓器移植のドナーとなる方の看取りは、幾重にも宣告がなされる過程が重ねられていきます。まず、法的脳死判定が終了し死亡時間が確定するとき、次に温かい身体で人工呼吸器の助けで息をしながら手術室に臓器摘出に向かうとき、そして摘出手術を終えて冷たく軽いご遺体となってご家族に再会されるとき、その都度、ご家族は患者さんの死に立ち会うことになるのです。そして、三回ともその予定時刻があらかじめ立てられているのです。
 看護師は身体ケアを通じて患者と語らいます。声をかけ、手を動かしながら、身体の向きを変え、家族や患者と語らいながら、家族のケアへの参加を促します。そのときに、家族は患者との思い出を聞かせてくださったり、心情を打ち明けてくださったりします。看護師は、患者と家族だけの静かな時間と空間を出来るだけ見守り、その時空に満ちている空気を共有します。看護師も彼らの「いのち」と共鳴し、悲しみ、泣き、つらいと感じます。それは、人が「生きてあること、死んでいくこと」への学びを深め、「いのち」のかけがえのなさを学ばせてもらう経験でもあります。
 臓器摘出を待つ患者とその家族の看護は、脳死状態に陥った人たちの看取りとは異なる決定的な困難をかかえます。一方では臓器摘出に向けての指示されたバイタルサインの維持管理、他方では家族と患者の時間を大切にし、家族と共に身体ケアを考え実践する。そこには「死体body」のバイタルサインの管理と、「いのち」に寄り添うこととの両方が求められます。
 私が臓器移植のドナーとなった患者の看取りに関わってショックを受けたときの、同僚看護師たちの言葉です。ある看護師は自らが抱く「思いや疑問なんて、患者やその家族から見たら関係ない」と否認し、「患者と家族が望むことを一生懸命やるだけ。それは他の患者家族と何ら変わりはないと結論を出し、私の想いは封じ込めることにした」と述べています。
 あるいは別の看護師は、「患者の意思を尊重する思いと、命を決めてしまうことに対する抵抗感」の間で「辛さ」を感じつつも、レシピエントが移植を待っていることに目をむけそれをのり越えようとします。ここでは、看護師自身が自らの辛さ、思い、疑問を棚上げにし、ドナーとなる患者と家族の意思や、レシピエントが待っていることに思いを向けて、「微妙な薬剤の調整」や「他の患者と何ら変わらない」看取りのケアを同時にやり遂げようとする姿が浮かんできます。
 私は管理者として、臓器摘出に向けての諸々の処置から退院されるまでのタイムテーブルを作って担当看護師たちに示す一方で、家族が患者との残された時間を悔いなく過ごせるように看取りのケアも出来る限りしていこうと、スタッフと共に自分もケアに参加しました。
 そのタイムテーブルを作り指示した私自身が、「予定時間の決まっている死」を迎えて病室に戻ってこられた患者さんを見て、大きな衝撃を受けました。「悲しみを悲しむこと」を棚上げし、いわば本来の看取りの重要な意味をあえて忘却したのです。そうすることなしに、死へのタイムテーブルは実行できなかったのです。
 バイタルサインを示す脳死の患者を、看護師は「死体」とみることは出来ません。ドナーとなる患者は、今、ここで、病をかかえながら家族と病院で生活している人です。操作の一対象ではなく、一ドナーでもなく、一人の生活者、ある人の子や父母や妻や夫です。その一人の人を、人工呼吸器を作動させながら臓器摘出に送り出さなくてはならない時、それまでにいくら「看取りの看護」を実践しても、「いのち」を操作しているという「疑問」や「抵抗感」はなくなりません。しかしこうした「疑問」や「抵抗感」を押し殺し、いわば意図的に忘却することなしには、手術に送り出すことはできません。
 手術室に向かう時間となったとき、看護師は家族にどのように声かけしていいかわからずにいました。ご家族の、「もういいです」に促され臓器摘出に向かいました。それがたとえば頭蓋内圧を下げるための手術であったなら、「さあ、行きましょう。がんばってね」と声をかけて送り出すこともできたでしょう。 しかし、この時担当した看護師はその言葉をかけられなかったのです。ある看護師は、「ごめんね」と「心の中で」患者に語りかけてケアしたと述べていました。

5.「問いかけ」に応えるために
 あのときから年数がたちました。今私は、患者さんは私に「問いかけていた」のだと受け取っています。 私が尊重したその方の「意志」は本当に「あの時の患者の意志」だったのか。それはもうこの世では確認できないことです。私は「いのち」に向き合ったつもりで「いのちの操作」を指示し、またそうしていただけなのではないか。あるいは、私が行ってきたこれまでの各種看護実践は単なるメニューの適用にすぎなかったのではないのか。看護とは何か、看護ではないものは何か。今も、そしてこれからも問い続けなくてはならない と思っています。それがあの「問いかけに応えること」だと思うのです。

 

 

Ⅱ.看護師の仕事
 それでは、後半はこうした経験を元に看護師にとって「尊厳」とはどういうことかについて私が考えていることをお話したいと思います。患者さんの尊厳を傷つけるようなことに、看護師は黙っていてはならないし、そういったことに無頓着に看護しているというのでは、それは看護とはいえないからです。
 最近新聞でも「尊厳死」が取り上げられていたのですが、この「尊厳」ということについて看護の立場から考えてみたいと思います。看護の現場では「尊厳」という言葉をほとんど使いません。看護師が患者さんの「尊厳」を意味することを語るときには、「尊厳が傷つけられる」危惧や、その状況が生じたときに、その危惧や状況を生じさせるものにたいして、危惧を回避したり状況を変化させたりするために何ができるかを考えるときではないかと思います。こうした場合に、よく用いる言葉は、「人間らしく」や、「その人らしさ」という言葉です。「尊厳」という言葉は抽象的で、これを発言する人、また受け取る人によって意味が異なるものではないでしょうか。今日は、「尊厳」に代わる言葉として「その人らしさ」について考えてみたいと思います。
 「その人らしさ」を大切にしてケアすることについて話し合うとき、その方が何を必要とされているのか、「その人らしく」生きる上でどのようなケアがふさわしいのか、病を抱えたその方がその病をどのように乗り越えて下さることを期待するのか等を、参加者が考えます。「その人らしさ」という言葉を使うことによって、より具体的に患者さん個々人をめぐって何をどのようにしたら良いかを、考えることができるように思います。そして、「その人らしさ」と他人が呼ぶものは、その人本人にとっては「自分らしさ」と同じではありませんが、「その人らしさ」を巡って話し合うときには、本人が「自分らしい」と感じて下さることをめざします。こうして話し合われたケアがされるとき、本人さんが、「自分が自分であっていいのだ」という自己肯定感へとつながることを期待します。
 日本看護協会の看護業務基準には「看護とは、対象の生涯を通してその最後まで、その人らしく生を全うできるように支援を行うこと」
と、かかれています。

1.初めて患者さんと接したときのこと
 私は看護教育を受けるまで、「看護師は注射したり、脈拍を測ったり、薬を飲ませたりする人」だと思っていました。看護学校に入学して1年目、前期の学科試験が終わると見学実習がありました。ナースキャップももらっていない高校卒業したてで、当時は見学とはいえいきなり臨床実習がありました。
 私が初めて患者さんに援助に行かせてもらったのは、忘れもしない高齢女性のベッド上排尿援助でした。ナースコールがあって、臨床実習指導者に「あなた行って来なさい」といわれ、病室に行くと「あんただれ?あっちいって」とおっしゃいました。患者さんにしてみれば、援助が必要だからコールしたのに、来たのはナースキャップもかぶっていない見ず知らずの女の子、しかも自己紹介もせずに、「あの・・何ですか?」と聞かれても、役に立たない見知らぬ子がきたと思われたことでしょう。私は患者さんという方に初めて接し、しかもその方から「あっちいって」といわれて、打ちひしがれて指導者の下へ帰り報告しました。そして指導者の方から、「なぜそういわれたのかわかる?あなたが患者さんの立場だったら、今のあなたの態度や言葉かけをされたらどう感じる?」と聞かれました。実は患者さんは排尿したくて、しかもそれをベッド上でしなくてはならなかったのでナースコールを押されたのでした。
 このことをきっかけに、同じ実習グループのメンバーで排尿にいたる動作と心理状況について夜を徹して話し合い考えました。
 たとえば、排尿についてです。尿意を感じる⇒排尿はトイレですることがわかる⇒トイレの場所を知っている⇒トイレでの作法を知っている⇒音を立てない・聞かれたくない(当時は音姫などありません)⇒臭いを消したい(当時は便座に消臭機能はありません)⇒拭く(当時はウォシュレットなどありません)⇒流す(さすがに水洗はありました)
 そして、トイレで排尿するという健康な人にはごく当たり前の行動が、実は社会的で心理的で、肉体的で、何より自尊心に関わる行動なのだということがわかったのです。このことは現代の高度で多機能な便器を思い起こせばなるほどと思われます。排尿という基本的な生理的欲求も、他者との関係で音や臭いが気になり、その行為を丸ごと他人に委ねなくてはならないとき、そこで生じる屈辱感や羞恥心、申し訳なさがおきます。そうした思いを抱いている方を共感的に受けとめられるような配慮が、看護には求められているのだということを、私たち看護学生は最初の実習で患者さんから学ばせていただいたのでした。
 私がこの経験を忘れないのは、初めてでしかも拒絶された経験ということもありますが、看護師が生活の援助をすることの核になる意味を教えていただいたからだと思います。

2.病とともに生きる人への援助
 看護師の業務を定めた保健師助産師看護師法、通称「保助看法」には看護師の仕事がさだめられています。レジュメをご参照ください。
 「療養上の世話」と「診療の補助」が看護師の業務、仕事であると定められています。「療養上の世話」は、たとえば、食事や排泄、身体の清潔、環境の調整など日常生活行動の援助や、患者や家族の悩みを聞き、相談に乗ること、他職種との連携調整などがあります。「診療の補助」は、注射や採血、診察や手術、処置の介助などがあります。しかし、この療養上の世話と診療の補助は、実は明確に切り分けることはできません。それは、同じ一人の人に関わることだからです。人は、あるときは療養上の世話を必要としているが、別の時には診療の補助を必要としているというように区切りをつけて生きているわけではありません。
 たとえば、食事療法。あるいは理学療法、作業療法。また、モーニングケアからイブニングケアまで。排泄の援助、清潔の援助。体位変換。安眠への援助。すべては、患者さんの生活そのものであり、またそれらが整えられるからこそ、治療の効果も高まるものです。
 療養上の世話と診療の補助は、実際一人の人において容易に分けられないところがあります。
 また、意識のない人にとって、すべては他者の支えがなくては生活できないのですが、そういったコミュニケーションのとれない人の代弁をすることが看護師に求められています。たった一筋のシーツのシワが痛みや違和感を自分で訴えることのできない人にとっては、褥瘡の元となったりします。
 一人の、生きて生活する人が病を抱えて治療を受けておられ、したくてもできない、できるけれどもしてはいけない、自分の苦痛や希望を他者に訴えることができない、という状況におかれてしまうのですから、看護師は病に対する知識だけでなくその方がこれまで生きてこられた歴史的背景や大切にしてこられたものを知って、その方にとって必要な援助がその人にとって適切な仕方で受けられるように援助しなくてはなりません。
 看護の主役はこうした病という状況に投げ込まれ、家族をはじめ他者とともに人生を紡いでこられたたった一人の「生活する人」なのです。

3.看護・世話・ケアcare
 「看護」を辞書で引くと、「世話すること」という意味が出てきます。
 次に「世話」を引いてみると、面倒をみること、取り持つこと、厄介であることなどあまりいい意味ではありません。同じ行為でも、「お世話になりました」と感謝されることもあれば、「大きなお世話や」と叱られることもあります。看護師の行為が看護であるかそうでないかは、看護師と患者さん(家族や周囲の環境)との相互関係に依存しているといえます。看護師だけが「私は看護している」と言っていても、患者さんや家族がそれを認めて下さらない限りは看護とは言えません。看護とは看護するものとその対象となる人との相互関係によって成り立ちます。
 ケアcareという言葉には、看護が相互関係によって成り立つことを、日本語よりもうまく表現しているように思います。careを辞書で引くと「気づかう」「心配する」「関心がある」という意味がのっています。他者のことを気づかうこと、先ほどの実習の話のように、排尿するというプライベートで基本的な生理的行為を他人に委ねなければならない人への配慮こそケアであり、それこそ看護における倫理そのものといえます。
 そして、看護の「看」という字。字義は、「手をかざして見る」とあります。看護の看は「手」と「目」でできているのです。看護は病気ではなくその患者さんをよく見ること、つまり観察と、そして援助の必要を満たすために手をさしのべること、つまり生活援助とでできているのだといえます。

 

 

Ⅲ.看護と尊厳
1.職業倫理に規定されている「尊厳」
 日本看護協会の『看護師の倫理綱領』には看護師の職業倫理が規定されています。レジュメをご参照ください。
 前文では、人々の「人間としての尊厳の維持と、健康、幸福」へのニーズは普遍的であること。看護師の使命はそれに応えて健康な生活の実現に貢献すること。さらに、看護の目的は「その人らしく生を全うできるように援助を行うこと」であること。最後に看護に求められるのは人権の尊重であると謳われています。
 条文では、「看護者の行動の基本は生命、尊厳、権利の尊重」と謳われています。つまり、人は看護師から生命、尊厳、権利を尊重されて援助されなくてはならない、ということです。「あなたのおむつを替えてあげる」ではなく、「私におむつを替えさせてください」という態度です。

2.受動態、完了形としての尊厳:「傷つけられ」「奪われた」ものとしての尊厳
 この文章には尊厳について二つの解釈ができるように見えます。一つは、人には尊厳があってそれが保障されなくてはならない、という意味。もう一つは、人には尊厳があるが、そのことを保障するのは他者(看護師)の尊厳を尊重した態度である、という意味です。前者の解釈の場合、どの人も尊厳を持っていることが前提です。
 ところで、私たちは日々「私には尊厳が備わっている」と自覚しながら生活しているでしょうか。「保障されなくてはならない」尊厳とは、保障する他人がいて初めて成立つことではないでしょうか。この尊厳が保障されなかったときには、尊厳は存在していないというよりもむしろ「尊厳が踏みにじられた」という思いを抱くのではないでしょうか。したがって、看護師の倫理綱領の言おうとしているところは、後者の意味での尊厳であるといえるでしょう。すなわち、尊厳とは「私は尊厳を持っている」というよりもむしろ、「私は尊厳を尊重されている」というように、受動態・完了形として備わっているのではないでしょうか。
 私たちは、普段自分の尊厳がどうであるか、守られているか、今日も尊厳をもって生活した、などと思って日々を生きていません。尊厳とは、今あると確認できるものではなく、むしろ他者によって「踏みにじられた」「辱められた」と感じるときに、尊厳が「傷つけられた」「奪われた」、と感じられるもの、常に他者によって尊重されてあるものなのではないでしょうか。

3.未来形としての尊厳:「尊厳」の反転
 では、このような場合はどうでしょう。「尊厳は現に備わっており、それが奪われる前に尊厳を確保しようとする」場合です。これは、現在「誰々の尊厳は傷つけられ、奪われている」と感じる状況にあって、「その状況で生き続けるくらいなら死んだほうがマシ」という本人以外の者の判断により、死に至らせるという場合が当てはまるのではないでしょうか。
 私が30年ほど前に看護師になったばかりの頃には、まだ従軍看護の経験のある方々が現役で働いておられました。その方の話によると、「満州から引き上げるときには、重症患者に青酸カリを飲ませておいてきたらしい」ということでした。当時は半信半疑だったのですが、最近ネット検索してみると同じような証言がありました。レジュメに参照例をのせていますが、
 ・重症患者に青酸カリを飲ませてソ連侵攻からのがれた看護師。
 ・婦長の指示で毒入りミルクを配られた患者たち、の証言をしたひめゆり隊の生き残り。
 
・ハリケーン・カトリーナのときのメモリアル病院での安楽死事件では、「もしも置き去りにするのなら、死なせてやるのが人間的」という判断のもとで死ぬまでモルヒネを投与した看護師。

 戦争や災害時には、見捨てるに忍びなく、人間的処置と称して、「死なせる」ことが尊厳を守る方法として選択されてきました。そこには、「傷つけられる前に殺す」ことによって守られる「尊厳」なるものが考えられているのではないでしょうか。殺人によって守られる「尊厳」などないと思いますが、歴史を振り返ると、「尊厳」という言葉は、周りの状況によっては生かせて守る「尊厳」から、死なせて守る「尊厳」という意味へと、容易に反転してしまうことがわかります。安藤泰至さんは現代医療に混在する「二つの方向性」、「不死のベクトル」と「死なせるベクトル」と述べておられますが、尊厳の意味が反転してしまうのは、この二つのベクトルのどちらにも、「尊厳」を対象化して、人為による「操作」が可能であるという視線が注がれているのではないでしょうか。しかし、「尊厳」とは、そのように扱うものの見方によっていかようにも操れるものではないはずです。そこには、かけがえのない現在を「生きていることの尊厳」はありません。

 

 

Ⅳ.現在としての尊厳:今ここで生きている人の「その人らしさ」を大切にする
 では、「尊厳」がそのように人為によって操れるようなものではないとしたら、私の尊厳が自分も含めて誰によっても損なわれてはならないものとしてみるなら、どのようにとらえたらいいのでしょう。看護師が患者さんの尊厳を守る、尊重するということはどういうことなのでしょう。

1. その人の「もてる力」への信頼
 ナイチンゲールは、一般的に「病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力のあらわれであり」、「回復過程」であると考えました。それゆえ、「看護とは(…)患者の生命力の消耗を最小にするように」内的あるいは外的な環境を整えることであると述べています。彼女は、看護することを不可能にしているものに対して調整を図ることは、看護の技術であると述べています。
 ナイチンゲールが病気は「回復過程」であると述べていたことは、今日いわれる「自然治癒力」や「免疫力」という生命に備わる力すなわち、患者さんの「もてる力」への信頼があったということです。
 患者さんの「もてる力」を信頼し、その消耗を最小にし、それが最大限に発揮されるように働きかける。このことが看護の目的であり、その結果、患者さんが「その人らしく」生活できる力を取り戻されたとき、看護師はそのような活動に関わり、変化の過程に寄り添わせてもらえたことに幸福を感じることができるのです。

2.「生きること」の「かけがえのなさ」=QOL
 次に一般的には「生活の質」とか「生命の質」とも訳されるQOLについて看護の立場から考えてみたいと思います。
 まず看護師の大事な仕事である「生活援助」という言葉の「生活」にもかかわるlifeの意味です。辞書で調べるとlifeには主として三つの意味が書かれています。
 一つ目は「生活」、二つ目は「人生」、三つ目は「生命」という意味でのlifeです。
 ここで、医療者が大切にしている「その人らしさ」の内容について調査した研究をみてみますと、その人らしさとは、レジュメにありますような6つの意味で捉えられているのだという分析がなされていました。
 この研究で捉えられている「その人らしさ」も、その方が生きてこられた「人生」において築いてこられた「生活」のスタイル、嗜好、行動パターン、人生観や周囲の人との関係、役割、そしてその「生活」「人生」の土台となる「生命」の意味を含んでいるといえます。そして言い換えるなら、「その人らしさ」とは、その方の「もてる力」ということになるのではないでしょうか。「その人らしさ」がその人固有の「歴史を背負って病を生きている人」のそれである以上、一般的な言葉で言いつくせない「固有性」いいかえるなら「かけがえのなさ」としてとらえられなくてはなりません。このことが、「その人らしく生を全うすることを支援する」看護の使命だと考えます。
 「歴史を背負って病を生きている人」のlifeという意味で「life」を捉えるなら、lifeを「生きること」と訳してはどうかと考えます。そして、QOLのQ、すなわちQualityは「質」ではなく、その人の今を生きていることの固有性を表わす「かけがえのなさ」と訳したいと思います。QOLとは「生きることの」「かけがえのなさ」のことで、決して生活の質の「ものさし」ではないと思います。
 QOLを「ものさし」としての「生活の質」ととらえてしまうと、尊厳のように反転が起こってしまいます。たとえば、人工的な栄養補給を行えば体力が回復し、最終的には口から食事を摂ることができるかもしれないのに、そのような姿はみじめだ、尊厳がそこなわれるのではないかという声が聞かれます。「アンナンなってまで生きていたくないわ」とおっしゃる方もおられます。このようにおっしゃる方は、他人の姿をみて、そこに自分を重ねておられるのですが、実際に「胃瘻」や鼻腔栄養をされておられる方にとっては、周りの人が「かわいそうに」というほどには自分のことを「かわいそうだ」とは感じておられないのではないかと思います。それよりも、消化管を使うことによって、免疫力が保たれ、必要な栄養が摂取できることによって体力が増し、嚥下訓練に取り組めるようになり、生きる意欲につながっていく方々がたくさんおられます。
 一方では救命医療、移植医療といった高度な医療処置によって、「死なせない」医療がすすめられ、また一方では、回復期、慢性期における侵襲の少ない生命維持に欠かせない処置は「尊厳を損なう」「単なる延命処置」とみなし、尊厳を守るためにはそれらを拒否・中止して「死なせる」医療がすすめられようとしています。まさに「死」さえも「操作」の対象にされるのです。
 「その人らしく生きることのかけがえのなさ」を大切にしようという視点で考えたとき、そこには、これまでの生き方や周囲の人々の思いを大切にして、その方が生きていくためには何をどのように整えていくのが良いかを考える視点が生まれるのではないでしょうか。その方が、ただ生きていてくれただけで、私は励まされたという方のお話を聞きます。言語的に会話が成り立たなくても、ただ顔をみて話しかけるだけで、聞いてもらっていると感じることのできる家族の間柄があります。そのときその方たちの間には、互いにその方たちにとってのかけがえのない場が共有されているのだと思います。
 私は、「尊厳」を保つこと、QOLを高めることは大切なことであると思います。でも、「今生きているその人」を飛び越えて、何か一般的な価値や真理としての「尊厳」や「QOL」があるとは思いません。尊厳とは今を生きる人に固有に見出されるべきものであり、QOLとは、「生きること」の「かけがえのなさ」という見方でとらえられるべきものだと思います。

 

 

Ⅴ.看護師が尊厳をもって看護するということ
1.「生きることのかけがえのなさ」を大事にする
 人にはその人固有の身体状況があります。「病や障害をもって生きる」人にとって、時に人工呼吸器はその方の鼻であり気管であり肺そのものです。胃ろうから食事を摂っておられる方にとって、胃瘻は食道であり、心臓ペースメーカーはその方の心臓の刺激伝道系です。人工呼吸器や胃瘻や心臓ペースメーカーは、その方の生きるための機能を担っている身体の一部、というより身体そのものです。ところが、身体を様々な機能の集合体ととらえると、その人が病や障害を持ちながら一人の人として生きていることが見えなくなり、いつのまにか喪失された機能にだけ目が行き、そこに、「生活の質」「生命の質」という「ものさし」をあてがうような、偏狭な見方に陥ってしまいます。尊厳死をめぐる議論はそういったことだと思います。

2.「尊厳ある死」への疑問
 私は、「尊厳」とは、「その人らしく生きることのかけがえのなさ」を自分からも他人からも大切にされることによって尊厳が尊厳として守られていくものだと思っています。自分が今あるままに生きていていいのだという自己肯定と、そうして生きるありのままのその人の生のかけがえのなさを周囲の人だけではなく社会の在り方として大切にされること、このいわば内と外からの肯定によって、たった一人のその人のかけがえのなさ、尊厳が尊重されていくものなのだと思います。
 安楽死・尊厳死についてホスピス医の山崎医師が述べておられることです。彼は、「間接的安楽死(消極的安楽死と同義)という用語や概念は不要」としたうえで、レジュメにあるように述べておられます。
 ここで述べておられるように、今ここで病とともに生きている人の苦痛を緩和し、よりその人らしい生を支援する適切な医療がなされるのであれば、尊厳ある生への努力はあっても、尊厳ある死を意図的にもたらすことなど、考えなくてもよいことなのです。尊厳ある生はあっても、尊厳ある死などありません。

3.「きいてください」の声に、声なき人の声に応えること
 最後に次の詩を、ご紹介します。

 「きいてください看護婦さん」  ルース・ジョンストン

ひもじくても、わたしは、自分で食事ができません。
あなたは、手の届かぬ床頭台の上に、わたしのお盆を置いたまま、去りました。
その上、看護のカンファレンスで、わたしの栄養不足を、議論したのです。
  
のどがカラカラで、困っていました。
でも、あなたは忘れていました。
付き添いさんに頼んで、水差しをみたしておくことを。
あとで、あなたは記録につけました。わたしが流動物を拒んでいます、と。 
  
わたしは、さびしくて、こわいのです。
でも、あなたは、わたしをひとりぼっちにして、去りました。
わたしが、とても協力的で、まったくなにも尋ねないものだから。 
  
わたしは、お金に困っていました。
あなたの心のなかで、わたしは、厄介ものになりました。 
  
わたしは、1件の看護的問題だったのです。
あなたが議論したのは、わたしの病気の理論的根拠です。
そして、わたしをみようとさえなさらずに。
  
わたしは死にそうだと思われていました。
わたしの耳が聞こえないと思って、あなたはしゃべりました。
今晩のデートの前に美容院を予約したので、 勤務のあいだに、死んでほしくはない、と。
  
あなたは、教育があり、りっぱに話し、純白のぴんとした白衣をまとって、ほんとにきちんとしています。わたしが話すと、聞いてくださるようですが、耳を傾けてはいないのです。 
  
助けてください。
わたしにおきていることを、心配してください。
わたしは、疲れきって、さびしくて、ほんとうにこわいのです。
  
話しかけてください。
手をさしのべて、わたしの手をとってください。
わたしにおきていることを、あなたにも、大事な問題にしてください。
どうか、聞いてください。看護婦さん。

 

 この声、声なき声にも耳を傾け、聞き取る努力、応える努力を、私はこれからも続けようと思います。


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第6回市民講座の報告(3-3)

2015-03-16 11:15:02 | 集会・学習会の報告

第6回市民講座の報告(講演録)

【質疑応答】
 

質問:田中さんに、今回は主に意識不明の方の尊厳をどう考えるかというお話だったと思いますが、当事者の事前指示書や尊厳死協会への登録で尊厳死を求めていることはどう考えたらいいか。また尊厳という言葉で語られる幅はもっと広いと思うが、尊厳について、ごっちゃに言われていることを整理していただけたらと思います。

 MOTOKOさんに、ドナーとされた方が臓器提供後に帰られて、脳死判定時は「死んでなかった」と思われたのは具体的にドナーの方のどういう身体状態を見て感じたのか。それからMOTOKOさんが看取りに葛藤を持たれたのは、脳死判定基準を満たしても生きていることを分かっているが、社会としてはそうではない。看護師さんの生命観では、体の温かい人を死と思っていないのではと思うのですがご意見を。

 

田中:事前指示書によって過去のある時点でその人はそう意思表示をしたのだから、その人がたとえば実際に意識不明になってしまった今この場面で、あらためてその人がどう考えるかはわからないけれども、過去の事前指示書がある以上それを使うことは許されるのだ、というロジック自体を考え直した方がいいでしょう。そういう視点で今日はお話ししたつもりです。意識のない人についてだけ話したわけではありません。死者の話をしたのも、究極の「他者」として考えた場合という意味です。他人との関係の中に「他者性」を見出す必要があるのです。同時に、一人一人の人間の中にも、言ってみればさまざまな「他者」がいます。自分のことは必ずしも自分が一番わかっているわけではない。そうすると、意思表示や事前指示という形で表明された「私の意思」は、はたしてどこまで「私の意思」と言えるのか。そうしたことについて、私たちはもっと丁寧に考えた方がよいのではないでしょうか。

 それから、尊厳の幅はもっと広い、整理せよとのことですが、今日お話ししましたように、尊厳というものを厳密に定義しようとした途端に始まる議論の進み方があると思うんです。そうして私たちは、理性の有無とか意識の有無とかいった形で、判定基準の議論へと引きずり込まれてしまう。定義をすることによって何をやっているのか、あるいは何を失っているのかに関して、あまりにも無頓着なまま議論が進んでいることについても、一度立ち止まって考えた方がよいのではないでしょうか。

 他方で、誰しもに尊厳を認めたら経済が成り立たないという話も出てくるでしょう。でもそこが考えどころのはずなのです。「いのちの灯が消えるのを待つこと」ができる社会にすることで、なるほど、かつてのような経済成長は望めなくなるだろうけれども、しかし、そういう社会の方がよほど人間的でいいじゃないか。そういう考えだってありです。たしかに医療なしにはいられないとしても、それを人間的なものにしていこうとするなら、経済優先の今の社会のありかた自体を変えなければならないのではないか。そういう話にだってなるでしょう。何を目指して来るべき社会のあり方を考えていくのか。私からしますと、そういったヴィジョンをめぐる議論が欠けていることも、また一つの問題であるように思われます。

 現実問題として、これ以上はもう生かし続けることができなくて、苦渋の選択をする局面はあるだろうと推察はします。そのこと自体を責めるわけにもいかないとも思います。ただ、そのときに誰かがそれを引き受けないといけない。つまり、一つのいのちを諦める、終らせる、そのことの罪深さ――この言葉はちょっと酷かもしれませんが――を引き受ける。法律や国に引き受けさせるのではなくて、「人間」として誰かがそれを引き受けないと、もはや「人間」的な社会とは言えなくなってしまう。この話は、突きつめれば宗教の話にもなるでしょう。ところが近代社会は、宗教の話が通じない社会になっている。そこにもう一つの問題がある。とりわけ医学・医療も生命倫理も、宗教とは切れた形で議論されている。ではどういう形でつなげばいいのか、というのはたしかに難問です。その問題は、いわゆる近代化、世俗化によって宗教との接点を失ったこの社会において、人間の尊厳をどう語ったらいいのかということに帰着するのではないかと思います。

 

MOTOKO:どういう身体状況を見て「死んでいない」と感じたか、ということですね。まず一つは、ドナーの方のご遺体は、普通に亡くなった人のご遺体とは違うということです。普通亡くなるとすぐに体の下の方に血が沈殿して紫斑になって出てきますが、それがないのです。本当に紙切れのようなご遺体で、しかも臓器はすべてごっそりないので、とても軽い。多分中には綿とかが詰めてあると思いますが、本当に軽いご遺体なんですね。先ほども言いましたが、私はタイムテーブルをこなすのに必死だったのです。この時間帯にはこうなって、次のときには移植医が診察して、どういう経路を通って手術室に運び、ご遺体が帰ってきたときには家族にどういうふうに会ってもらうかとか、そういうことをスタッフに指示することに必死でした。で、最終的にご遺体に会ったときに、「あっ、こんなことになってしまった。」と、本当に衝撃だったんです。それはもう、冷たいんですね。もちろん亡くなっているから冷たいんですが、その冷たさが尋常ではないのです。色は蒼白にもならない、真っ白けです。軽い軽いご遺体で、本当に、ああ亡くなってしまったんだって思ったんです。

 そこから思い起こしてみると、2回目の脳死判定後、法律的にはご遺体になってしまいますが、看護師にとっては全然違っていました。具体的なケアはたくさんしました。ご家族の方にシャンプーや散髪をしてもらったり、その方が好きだったジャズの音楽をかけながら、ビールもよう飲んでいたというので綿にビールを浸して口の中に湿らせてあげたりとか、そういう発想は、自分たちが亡くなっていかれる人をどう見送ろうかという、それまでの経験の中から出てきたのですが、そういうことが、白々しくなってしまって。結局私らは殺してしまったんじゃないのか。そういう思いがバーっとご遺体に対面したときに起こってきたのです。

 私は〔手術室に〕行く前と帰ってきた時だけ見てるのですが、手術室の看護師はとんでもないショックを受けていました。手術室の看護師は、普段はその患者さんを治すために手術の介助につくのに、まず心臓を取るために大動脈をクランプし、クランプするやいなや、心臓に血流が行かなくなるので心停止になる。で、チョキチョキっと切って持っていってしまう。心臓チームさようなら。腎臓チーム〔臓器を〕とった。さようなら。という感じで。それを目の当たりにした手術室の看護師は大変なショックを受けていました。その方は、レシピエントのことを救いにする以外には、自分を立ち直らせられないと言っていました。

 脳死体と法的には定義されたといっても、やっぱりそこで生きて生活する人なんです。朝になったら「おはよう」と言って部屋に電気をつけて顔を拭いたりしますし、寝る前には「おやすみ」と言って電気をちょっと薄暗くしたり、全くふつうに接していました。ですから手術室から〔患者を連れてくるように〕呼出しがあったときには、みんなどう言っていいか分からないという気持ちになったのです。

 

質問:田中さんの話を共感しながら聞きました。人間は共に人間として生きていると。そこをひっくり返して、生き物同志の関係、つまり、人が人らしく生きるという言い方ではなくて、人が生き物同志として生きるという受け止め方はどうだろうか。このことを田中さんと一緒に考えてみたいと思いました。

 それから、MOTOKOさんに2つ伺いたい。僕は心筋梗塞で入院したときの体験を思い出しながら聞いていました。看護とは、相互的なものだと、そうだと共感しつつ一方で、ニヤニヤして聞いたところがあるんです。〔病状の変化に応じて〕手でつかむ食事、その次は箸を使う食事に変わるのですが、それが一向に変わらない。それを看護婦さんに訴える。看護婦さんは分かりましたと言うけど変わらない。どうもコンピューターの指示がずれていたそうです。看護する関係は、実はかなり複雑な構造をもっているのではということについてご意見を伺いたい。

 それからもう一つ、病気をどのように考えるのかということです。医療は、いつも元気になること、健康になることに全力を注ぐ。そういう生かす医療の徹底という言い方を僕自身も発言してきましたが、病み老いていくわが身を肌身で体験している昨今、医療の真の目的は違うんのではと、僕自身考え続けているのです。

 

田中:尊厳の話を私のような形で組み立てていったときに、人間以外の生き物はどうなるのかということは当然出てくるわけですね。私自身は、それは同じように成り立つのではないかと考えています。とはいえ人間は他の生き物を食べないと生きていけないわけで、その意味では、殺生しないといのちを繋げないというある種の原罪みたいなものがあるわけです。そのことを倫理においてどう考えるというのが、一つの大きなポイントだと思っています。人間と他の動物との間では人間を優先せざるをえない。それはやむをえないことだとしても、だからといって他の生き物のいのちを人間が勝手にしていいのだ、ということではない。だからこそ昔の人たちは、生きるために奪った他のいのちに対して、食べるときには「いただきます」と感謝し、あるいは塚を立てて殺生を悔いる、いのちを悼むということをやってきた。それは迷信でもなければただのしきたりでもなく、たんなる感情の問題でもなく、まさに「人間の知恵」としてあったと思うんですね。そしてそれがあればこそ、人間同士の間ではそこまではできない、やってはならないという話にもなってくる。

 けれども今日では、他のいのちを奪うことの罪深さのような感覚が希薄になってきているように思われます。そのことと、「人間同士の間でなぜここまでのことができてしまうのか」ということとは、実は根っこで繋がっているのかもしれません。たとえば福島の農家の方が、原発事故で放射能を浴びた「売れない」牛たちでもこのまま死なせるのは何とも忍びないので、放射能に汚染された干し草でいいから送ってくれと呼びかけていました。ところがそういう汚染された飼料を移動させること自体、政府が禁じてしまったので、牛たちに食べさせるものがなくなっていく。農家の方は途方にくれておられた。その方にとっては、もはや「商品」としての価値がなくなったから生かす必要はない、とは考えられなかった。私はそういう話を聞いて、むしろそれこそが私たちのあるべき姿ではないのかと思ったりします。

 しかるに鳥インフルエンザにかかった鳥を何十万羽も殺処分する話を、私たちは酷いと感じる感覚をもたなくなってきている。そのことと人間の社会での出来事とはどこかで繋がっているようにも思われます。実際、日本のハンセン病患者に対する絶滅政策のことを医学生に話して、学生の感想に引き合いに出される例が、鳥インフルエンザに罹って殺処分される鳥だったりするのです。つまり、ハンセン病に関する医学的な知識がなかった時代に患者を強制隔離したのは、社会を守るためには必要なこと、やむをえないことだったというのです。そこには、殺処分される鳥に対しても、絶滅政策にさらされた患者に対しても、等しくひどく醒めた視点があります。そして、そういう視点に自分が立てる、立ってよいのだという前提があります。そのような前提や視点を、当たり前のこととして疑わないというのではなく、反省的に考えられるようにするにはどうしたらよいのか。そのための一つの道として、他のいのちを奪わなければ生きていけないという原罪のようなものを考えていかなければならないと、そう考えています。

 言葉とはそもそも「分ける」ものですから、私たちが言葉を使って思考する以上は、いろんなものを「分けて」考えるようにならざるをえません。その意味では、尊厳についての問いが今日お話ししたような仕組みをもってしまうのにも、いわば仕方のない面があります。しかしながら、言葉のもつそうした危うさをきちんと押さえた上でものを考えていかないと、私たちの思考は「分けて」出てきたものが世界の真実だという錯誤に陥る。そこを何とか踏みとどまりたい。たとえば赤ん坊の場合はどうか。赤ん坊と一緒に生きようとすると、赤ん坊が生きる時間やリズムに合わせてこちらが生きざるをえなくなります。そうすると、実社会の時間やリズムがいかに異様かということに気づかされます。それがいかに偏っていて、いかに効率中心に組み立てられていて、いかにいのちの時間に抗う形で組織化されているかということが見えてきます。おそらく、そういうものとは違う時間の流れが、本来のいのちの時間の流れなのでしょう。

 ただ、社会が社会として成り立つためには、まさにそういういのちの時間を排除する形でないと成り立たない仕組みになっているのかもしれませんし、それがかなりの程度まで進んできてしまっているのが現代社会なのでしょう。もちろん実社会の時間やリズムを全部否定するわけにはいかない。でもその一方で、やはりどこかでそれを押しとどめる必要がある。私たちが当たり前のこととしている時間のありようが、いのちの時間からすれば非常に歪んだものなのだと自覚したうえで、それをできる限りしつらえ直していかなければいけない。ですから医学・医療や生命倫理の話というのは、突きつめていくと、そういう今の社会の制度化された時間の組み換えをも迫るものにならざるをえないと思います。

 

MOTOKO:心筋梗塞で入院された時の食事の形態に行き違いがあったというお話を聞いて思ったのですが、今、日本中の病院がコンピューターシステム化されてきていますね。で、看護師が患者さんを見て食事を判断せず、コンピューターのオーダーを見て判断してしまう。患者さんを見ないでシステムを見て看護をした気になっているのです。そういうことって多々あると思いました。看護師は、医療機器を使いこなせるようになったり、病態の説明ができるようになったりすると、看護師としての格が上がったような気がしてしまうのです。でも、実際は、そういう看護師に看護されている人が、ちょっとここが痛い、腰の位置をずらしてほしいと思っても、人工呼吸器に繋がれているから言えない。そういうところに目がいかなくなってしまうのです。それはもう看護じゃないというか、ダメですよね。

 今は医療の新技術がものすごいスピードで入ってきています。それに、医療費の改定の度に病院の利益を保つための対応をさせられます。だから、看護管理者には、看護の管理と病院が損をしない管理という両方が求められるのです。その中で弱い者にしわ寄せがいく。そういうことが起こらないようにしないといけないと思いました。

 病気と医療についてですが、確かにナイチンゲールの回復過程とか、よくなってくれたら自分も幸せになるという話をしました。一方で、病院での死がほとんどを占めている今、死を考えることは欠かせないことです。看護師自身が自分や家族の死も含めて捉えていかないと、他人の死、患者さんの死は、なかなか考えにくいというのはあります。とはいえ、私自身も、病院で患者さんの死に出会うまでは、身近な人の死に接したことはありませんでした。看護学生や医学生になる方も、たとえ身近な人の死を経験したとしても、家でだんだん衰えていく人を看取ったというより、病院に入院して亡くなったところに呼ばれていった経験の方が多いんじゃないかと推測します。

 それから、死ぬことは生まれることとセットになっていて、両方揃って初めて命について考えることになると思います。昔は自宅でお産があったりしましたが、今は殆どありません。そういう意味では、命がどうやって生まれ、人が衰えてどうなっていくのかを、人の一生として通して見つめることができなくなっている。病院の中でしか見られないからこそ、そういう体験をさせてもらえるのが、やっぱり医療を務める者だと思います。ですから、答えが出ないことではありますが、個々の方々が生きてきたことについて、ご家族とその方のお話をしたりして一緒に考えていかなければいけないことかなと思っています。

 

田中:医療と「元気になること」に関して簡単に二つだけ申し上げます。一つは、今の医学自体が、近代国家が人間を国力の基礎とみなして、それをコントロールするために医学を制度化してきたという歴史と表裏一体になっている点です。おそらくはそのために、傷ついた兵士を治してまた前線へ送り返すという発想から脱しきれていないところがあるのでしょう。日本でしたら1960年代頃には、医者は市場経済で傷ついて病んだ人間(患者)を治して、また資本主義市場に送り返すことだけをやっていればいいのか、それが本当に医療なのかという問いがありました。けれどもそうした問いは、その後の生命倫理には全く引き継がれませんでした。あるいは、医療資源をどうやって有効に配分するかという場合に、助かると思われる人に資源を集中してそうでない人は切り捨てるという「戦場でのトリアージの論理」が、救急医療の現場だけでなく、一般の医療にまで広げられている。今は「平時」であるのに、そこで持ち出される論理は「戦時」の論理と変わらない。それを医学・医療自体が自分たちの問題として問い返してこなかった。そういうことが、元通りになればよし、さもなければ仕方がないと放り出してしまう現状と、たぶん繋がっているのだろうと思います。

 もう一つは、その医学・医療自体が、自分たちに何ができて何ができないのかということに関して節度を失ってはいないか、もしくは考えてこなかったのではないかという点です。たとえば長期脳死のお子さんの場合、人工呼吸器の助けは必要だけれども、しかし心臓が自分で動いていなかったら、たとえ人工呼吸器をつけてもいのちをながらえることはできないわけです。極端な事例かもしれませんが、やはり当の患者の生命力というものがまずあって、それに対して医学・医療がサポートをしているのであって、医学・医療が患者を「生かす」というようなことではないのではないか。でも往々にして医学・医療の側では、まさに医学・医療があって人間は生かされているのだという発想が、暗黙のうちに前提にされているように感じられます。しかしそこはむしろ逆で、人間の生きる力がまずあって、それを支えにして医学・医療が初めて成り立つという関係として捉えるべきものではないかと、そう思っています。

 

質問:お二方に対して、感想ないしは考えを申し上げます。まず、田中さんに対しては、この十数年間付き合ってきて、不遜ながら私は最も考え方が近いと思ってきたんですね。今日お話を伺っていて、改めてそれを体感しました。それからMOTOKOさんには、ぜひとも申し上げたいことが二つあります。一つは、こういう場で現場のことをお話なさることは、誠に勇気あることで、まずそれに敬意を表したいと思います。それからお話の一番最後の部分の、現在の尊厳、QOLというものを生きることのかけがえのなさに読み替えていくというところに、私は共感いたしました。ただし、またお考えいただきたいことも批判的な意味をこめてあるので、それを申し上げます。

 MOTOKOさんが脳死・臓器移植の現場に関わって心が引き裂かれて、その葛藤とともにずっと生きてこられたということは、脳死・臓器移植そのものに構造的な問題があるということが一番ですよね。今回MOTOKOさんは、尊厳をめぐって問いなおしをされているんですが、その問いなおしをされているMOTOKOさんご自身が、従来の看護教育の中に足を置いているところに無理があるのではないかと、私自身は思うんです。というのは、たとえば先ほど、QOLをかけがえのなさに置き換えて考えたところに共感しました。けれど、その一方では、「その人らしさ」を繰り返し原点に置かれている。ホスピスの創始者のシシリー・ソンダースの「その人らしさ」というのを取り入れてらっしゃっていますし、今日の講演にもまさに出ていました。

 ところが「その人らしさ」というのが、実は一番の曲者であって、現在の尊厳死の思想が、「その人らしく」なくなることによって、尊厳が失われたから死を迎えていきましょうという思想になっている。このように、いくらでも反転が可能なわけです。それから、歴史的において見ると、ご存知のようにヒトラーが1930年代から40年代にかけて、7万人とも10万人とも言われる知的障がい者、精神障がい者を安楽死させました。その引き金の一つになったのが、重度の障がいを抱えた子どもを持つ母親の手紙でした。その母親は、この子が苦しんでいて将来にも展望がないので殺してやりたいが、現在の法律では殺すことはできない。何とかこの子を死なせることで救ってもらいたいと、ヒトラーに手紙で訴えたわけです。ヒトラーは非常に感動して、『私は訴える』という映画を作るんです。それは、愛し合って結婚した若い男女がいたが、女性の方が進行性の神経難病を発症して、だんだん体も精神も侵されていく。

 女性は、「あなたの中で私らしい私がいなくなっていくことが耐えられない。」と訴える。そこで、夫に自分を殺すことを依頼して、その夫は彼女を殺し、裁判で無実を訴える。ちなみにこれは、ドイツでは封印されていた映画だったはずですが、半年ぐらい前から、なぜかユーチューブというサイトで見られるようになっています。ヒトラーはそういう映画を作って全国キャンペーンをして十数万人を安楽死させていったわけです。このような形で、「私らしくあった」、「私らしくなくなる」ということから生じる反転は起こるわけです。そういうところで、看護の原点の一つである「その人らしく」ということを、我々はもう一度考え直さなければならないのではないかと思いました。

(テープ起こし&要約:天野陽子/川見公子)


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第5回市民講座(2014年2月2日)の報告

2014-04-01 00:08:39 | 集会・学習会の報告

第5回市民講座(2014年2月2日)講演録
死体とされた人からの臓器摘出に、なぜ麻酔や筋弛緩剤を使うのか?

 

 2014年2月2日、≪死体とされた人からの臓器摘出に、なぜ麻酔や筋弛緩剤を使うのか?≫のタイトルでジャーナリストの守田憲二さんに講演していただきました。資料を調べつくした講演の内容は圧巻でした。以下に講演録を掲載いたします(資料からの引用は斜体にしてあります。講演時とは表現を変えた部分があります)。

 

会場写真はじめに
 通常の全身麻酔をかける手術の際に、麻酔と筋弛緩剤を投与します。麻酔をかけないと、手術を受ける人が痛がって動く。動かれるとメスを安全に使うことはできないし、痛みが強すぎると手術で改善が期待できるメリットを台無しにする。激痛で血圧が上がりすぎたり下がり過ぎたりすると、脳や臓器に悪影響を与えるからです。麻酔だけで、体が動かないようにすることもできますが、そのためには大量に麻酔をかけなければなりません。大量に麻酔をかけると、回復が遅くなったり全身状態を悪化させることがあるから、筋肉が動かないようにするための筋弛緩剤と麻酔を併用することが、普通の手術時に行われています。では臓器提供者を「死体」とする臓器摘出の際はどうか。

 

臓器移植法(1997年)以前
 1997年の臓器移植法以前から、「死体」からの臓器摘出に際して、麻酔と筋弛緩剤が投与されてきました。
 1968年の和田心臓移植事件の時に、臓器提供者とされた山口義政氏は1968年8月7日正午頃に溺水事故、高圧酸素療法適応として札幌医大に転院し8月7日午後8時5分山口氏を乗せた救急車は札幌医大に到着した。和田心臓移植事件に対する日本弁護士連合会の調査報告書は、「和田外科では、同日午後8時15分頃、麻酔科に対して、イソヅール(静脈麻酔薬)とレラキシン(筋弛緩剤)を貸してくれと申入れこれを借受けたが、イソヅールやレラキシンを必要とするのは患者が生きている証拠である。死んでいる者や死にかかっている者には無用の薬である。このうちレラキシンは人工蘇生器の管を気道に挿入するときに必要なこともあり得るが、イソツールを使用するというのは理解に苦しむ」と報告しています(『日本弁護士連合会 人権事件 警告・要望例集』明石書店、1996年)。

 1995年には、名古屋大学医学部第二外科の横山逸男講師が著書(「希望は星の数だけ―臓器移植のより良い理解のために」、メディカルブックサービス)で、こう書いています。「実際臓器提供の現場では、臓器を摘出する時は、提供者が脳死状態になった時点で、すでに臓器摘出の準備が始まっているのである。したがって、心停止下での臓器提供と言っても、脳死の診断は行なわれるわけであり、それに携わる医師やスタッフにとっても、実務面に関しては、脳死下の臓器提供の環境とほとんど差はないと思われる。脳死になった死体から臓器を摘出する場合、まず死体を手術室に運ぶ。もちろん心臓は動いているわけで、人工呼吸器を動かしながら、手術の準備をする。死体であるから、反射も痛みもないわけだが、組織を切る時に、筋肉や脊髄神経が反射的に動くことがあるので、麻酔医による全身麻酔を必要とする。したがって、実際にはほとんど通常の外科手術と同じようなことをするわけである」。

 横山講師は「死体であるから、反射も痛みもないわけだが、組織を切る時に、筋肉や脊髄神経が反射的に動くことがあるので、麻酔医による全身麻酔を必要とする」としました。
 これは「脳死判定には間違いがないから、脳死ドナーには脊髄反射しか起こらない、麻酔をかけるのは脊髄反射への対処」という主張です。「脳死判定には間違いがない・・・」という説明の妥当性については後で検討します。
 先に検討すべきことは、「死体」ドナーに薬物を投与することの妥当性です。薬は、人体に血流がある時に投与されることで全身にいきわたり効果を発揮します。しかし1997年の臓器移植法以前は、心臓が停止した死後の臓器提供しか許容されていなかった。移植用臓器を摘出する目的で、薬を投与される血流のある人体が、死体でしょうか?札幌医大や名古屋大学が、「死体」臓器ドナーに麻酔や筋弛緩剤を投与したというのは、人体に血流のある時点で臓器摘出目的の処置を開始したこと、不適切な死亡宣告でドナーの生存に必須の臓器を摘出したことを示します。

 

■臓器移植法以前の脳死臓器摘出報告例
 臓器移植法以前から、ドナーの心臓が拍動している時点で臓器を摘出する、あるいは脳死判定にもとづき人工呼吸器を停止する、あるいは三徴候死を観察せずに臓器を摘出することが行われてきました。1969年に開催された第1回腎移植臨床検討会(『移植』4巻1号、P17、1969年)で、東京大学第2外科の稲生は、こう喋りました。
Cadaver(死体)の場合ですが、最近アメリカに行っている方からのお手紙によりますと、向こうではいわゆるliving cadaver(生きている死体)という言葉がだいぶ出ているようです。実は私どもが1例ほかの病院でしたのがそれに該当するもので、私たちだけの合言葉かと思っておりました。ところが、アメリカではそれが非常に流行しておりまして、いわゆる living cadaver というものによって成績が著しく向上したということです。今日の会合は同士の集まりと申しますか、あまりジャーナリスティックな問題を取上げないと思いますので、あえて発言させていただくわけですが、今後は、やはり臓器の保存というような問題が現在の状態に留まる限りは、ischemic time(阻血時間)を短くするという意味で、いわゆる living cadaver ということが、表面的にいいか悪いかは別としまして、重要な問題ではないかと思います。私どもの具体例を申しますと、Hirntumor(脳腫瘍)でもう長い間寝ておりまして、1週間ぐらい前から意識が無い。家族も十分了承された上でそういうことがやられたわけですが、そういう意味で、皆様方にはある程度ご理解いただけると思います。社会的になるべくそういう方向に進めていきたいと、私自身は考えております。今後まだ社会的にいろいろ問題があると思いますが、それで比較的よくいきました例をもっておりますので、あえて発言させていただきました

 この当時、東大から腎臓移植の症例報告はありますが、すべて生体間移植です。ドナーのほとんどが血縁関係のない現代でいう病腎移植で、死体をドナーにしたという報告は東大はしていません。もちろん、living cadaver(生きている死体)をドナーにしたということを明確に書くわけにはいかず、仲間内の腎移植臨床検討会で話すだけにとどめたのでしょう。

 脳死状態の腎臓摘出の統計は、1986年の日本移植学会雑誌『移植』21巻2号に「わが国における死体腎提供の現況と問題点」として報告されます。1980年1月から1985年3月までに、92施設のうち、43施設が死体腎摘出を経験し、このうち22施設が脳死状態で腎を摘出していた。16施設がベンチレータ(人工呼吸器)をつけたまま摘出し、6施設がベンチレータを外して直ちに摘出していました。腎摘出314例のうち75例(23.9%)がベンチレータをつけたまま摘出し、21例(6.7%)がベンチレータを外して直ちに摘出でした。この報告は、「ベンチレータをつけたまま摘出」と「ベンチレータを外して直ちに摘出」が「脳死状態における摘出に該当する」としていますが、日本臓器移植ネットワークの時代になると、「人工呼吸器を外して心停止を待ち腎臓摘出」も一般の脳死判定を前提に行うようになりました。1986年の報告では122例(38.9%)が「人工呼吸器を外して心停止を待ち腎臓摘出」でしたので、1980年代前半の時点ですでに、死体腎提供の7割が脳死臓器摘出だったといえます。

 

次からは法的脳死判定手続きが開始されてからの、麻酔や筋弛緩剤の投与例です。

■法的脳死・臓器摘出1例目(高知赤十字病院・1999年2月28日)
・高知新聞 「生命の行方 検証・脳死移植12 死は見極められたか(下)」http://www.kochinews.co.jp/rensai99/seimei12.htm 
 2月28日午後3時7分に高知赤十字病院で始まった摘出手術で、ドナーの血圧は急上昇した。手術前に120だった最高血圧が150近くになった。現場の医師は麻酔をかけ、血圧をコントロールした。
 「脳幹の機能の一部が残っていたのではないか」
臓器移植法の在り方に疑問を持つ医師の中に、そう指摘する声がある。逆に脳幹の機能ではない、と否定する別の医師もいる。真相はどうなのか。
 大まかには、血圧は「血管を流れる血の量」と「血管の太さ」で決まる。血圧が上昇するには、心臓が鼓動を早めて血流量が増えるか、もしくは血管が細くなるか、の二つになる。
 心臓生理学が専門の大学教授は次のように言う。
「心臓と血管を神経でコントロールする『心臓血管中枢』は、脳幹の延髄にあることが確認されている。感情によって鼓動が早まる時は、(さらに脳幹より上の)視床下部からも命令が出る」
 ただし、とこの医師は続ける。
「手術中に血圧が上昇したことで、脳幹の一部が生きていたとすぐに断定はできない。副腎(じん)ホルモンの働きや、手術中に神経を傷つけたかどうかなど、脳幹以外のさまざまな要因が血圧には関係している」
 つまり患者の脳幹の機能の一部が残っていたかどうかについては、現時点で明確な答えがない。ただ問題は、機能の一部が残っていた可能性が消えないことである。

 

■法的脳死・臓器摘出2例目(慶応大学病院・1999年5月12日)
・川瀬 斌:「臨床の現場から 脳死判定医が語る臓器移植」(『中央公論』150-160、1999年9月号)
 心臓摘出の部分は日本臓器移植ネットワークに、麻酔代と手術にかかわった医師五人、看護婦3人という最小限の人件費だけをあとで請求しました・・・

・Aikawa Naoki:“A 35-year-old Man with Cerebral Hemorrhage and Pheochromocytoma:The Second Brain-dead Organ Donor in japan”(大脳出血及び褐色細胞腫をもった35歳男 日本における脳死臓器提供第2例)、“The Keio Journal of Medicine”49巻3号p117~p130、2000年
タケダ医師:(肝および副腎近傍の腫瘤を良性か悪性か調べるための生検時に)血行動態は、非常に激しく変動しており血圧はある時は210/120mmHgに上昇し、直後には80/75mmHgまで低下したことが記録されています。 心拍数は一般的にはだいたい100拍/分ですが、手術中には140拍/分まで上昇しています。しかし、こういった事態は、我々が何も対処を行わずにいた間に起こったわけではありません。我々は様々な降圧剤、昇圧薬を投与しましたが、血圧の異常な変動は収まりませんでした。 さらに、脳死の患者さんに対して麻酔が必要かどうかは、興味ある点でしょう。通常は筋弛緩薬のみを投与します。しかし、この患者には血圧コントロールのために一定量の吸入麻酔薬が必要でした。
アイカワ医師:2回目の脳死判定をもって、脳死患者となりました。引き続いて行われた臓器摘出手術やその手技における患者のマネージメントに関わる管理は、いくらかの麻酔薬は使用されますが、「麻酔管理」と呼びません。「ドナーの呼吸・循環管理」 と呼びます。

 

 次の法的脳死・臓器摘出3例目は、筋弛緩剤だけで麻酔はかけなかったという報告です。

■法的脳死・臓器摘出3例目(古川市立病院・1999年6月14日)
・高内裕司:「脳死臓器移植における臓器摘出術のドナー管理」日本麻酔学会第47回大会、2000年、演題番号:O-19.4 http://kansai.anesth.or.jp/kako/masui47/O/10986(このHPは公開終了)
 術中のドナーの全身管理には麻酔薬は用いず、筋弛緩薬(ベクロニウム)の投与で手術侵襲に対する体性反射を遮断した。

 

■法的脳死ドナーファミリーの後悔
 この時期に臓器を提供した家族が後悔していることも報告されています。
・山崎吾郎(日本学術振興会特別研究員):「脳死 科学知識の理解と実践」(『人類学で世界をみる』ミネルヴァ書房、p39~p57、2008年)
 Pさんは、娘を病気で亡くした。その当時、自宅で気分が悪いという娘を急いで救急車に乗せたが、病院に着いたときにはすでに意識もなくなっていた。医者からは脳に大きな血の塊ができており、手術をしてもこれを取り除くことはできないだろうという説明を受ける。当時はちょうど、日本の法律の下ではじめて脳死者が出たと騒ぎになっていた時期であったため、そのことが頭をよぎったPさんは、思いつめたように「ひょっとして脳死でしょうか」と医者に尋ねた。
 医者からは、「そうですね」という返事が返ってきたという。元気だった頃に、万が一のときには脳死からの臓器提供をしてほしいと娘が話していたことを知っていたPさんは、このとき医者に、娘が臓器提供意思表示カードを持っていることを告げた。そして、娘の意思ならばと、臓器の提供に同意したのである。その当時のことを振り返りながら、Pさんはこう話している。
 難しいことはわかりませんけども、脳死っていうのは、死んでいるけれど生身でしょう?だから、手術の時は脳死でも動くんですって。動くから麻酔を打つっていうんですよ。そういうことを考えると、そのときは知らなかったんですけども、いまでは脳死からの提供はかわいそうだと思えますね。手術のときに動くから麻酔を打つといわれたら、生きてるんじゃないかと思いますよね。それで、後になってなんとむごいことをしてしまったんだろうと思いました。かわいそうなことをしたなぁ、むごいことをしたなぁと思いました。でも、正直いって、何がなんだかわからなかったんですよ。

 

■法的脳死・臓器摘出8例目(福岡徳州会病院・2000年7月8日)
・三浦 泰:「脳死臓器提供者の麻酔経験」(『麻酔』50巻6号、p694、2001年)
 ベクロニウム(筋弛緩剤)4mgを静脈注射した。臓器摘出手術の開始直後に一時的に高血圧となったため、ニトロプルシド(血管拡張薬)とイソフルラン(吸入麻酔薬)0.5%を数分間投与した。

 

■法的脳死・臓器摘出11例目(川崎市立川崎病院・2001年1月21日)
・西部伸一:「臓器移植と手術室(一般病院麻酔科の立場から)」(『日本臨床麻酔学会誌』21巻8号、S181、2001年)
 臓器移植法に基づく臓器摘出手術の経験のある施設から適宜アドバイスを得ることができたため、比較的支障なく臓器摘出手術の麻酔へかかわることができた。

・大島正行(日本医科大学付属第二病院麻酔科):<脳死ドナー臓器摘出の麻酔 あらためて感じたコミュニケーションの重要性~「命のリレー」に携わって>『LiSA』(11巻9号、p960~p962、2004年)
 川崎市立川崎病院麻酔科の藍公明先生に電話して、2001年の脳死ドナー臓器摘出の麻酔の実際について教えていただいた。(中略)麻酔については、コーディネーターおよび術者から教えていただけるとのことで少しばかりほっとした。また、脳死とはいえ、ドナーには脊髄反射が残っているため、筋弛緩剤が必要であることも教わった。実際の麻酔では、酸素・亜鉛化窒素・イソフルランとフェンタニル(鎮痛剤)で麻酔管理を行ったとのことであった。

 

なぜ、「脳死患者は反応しない」と知っているアトロピンを投与し、効いたのか?
 次の法的脳死・臓器摘出29例目(日本医科大学付属第二病院・2004年5月20日)では、極めて異様なことが起こりました。脳死判定の補助検査に使われるアトロピンという薬剤があります。この薬剤を投与して脈拍が増加すると、脳死ではないと判断されます。この脳死患者に効かないと周知されているアトロピンが、臓器摘出時に投与されて効いたのです。

 臓器提供施設の日本医科大学付属第二病院の大島正行氏は「脳死ドナーの麻酔管理経験、『日本臨床麻酔学会誌』(日本臨床麻酔学会第24回大会抄録号)、S59、2004年および付属CD\endai\1-023.html」で、こう書いています。「フェンタニル0.1mg、ベクロニウム20mgで麻酔導入し、酸素-イソフルランで維持した。各摘出予定臓器周囲の剥離と臓器の視診、触診後、ヘパリン20,000uを静注し、灌流用カテーテルを挿入した。その際徐脈を来したためアトロピン0.5mgを静注した。脳死後も脊髄反射が残存するため、筋弛緩薬は必須である。胸骨縦切開時の血圧上昇時にフェンタニル、イソフルランを使用した。徐脈時にはアトロピンは無効とされるが、我々の症例では有効であった」と。脳死ドナーの徐脈にアトロピンが効いたことを、わずか6行の抄録に書いていますから、投与した本人も異常さに気づいているのでしょう。

 アトロピンは副交感神経遮断剤で、迷走神経性徐脈に適応があります。心臓迷走神経の中枢は延髄にある。延髄は、脳死判定基準を満たすなら機能が廃絶しており、アトロピンは効かないはずです。脳死判定の補助検査にアトロピンテストを行なう施設もあります。患者の副交感神経系が正常=延髄が機能していて脳死ではないならば、アトロピンを1.0~2.0mg、静脈に注射すると頻脈(毎分35~40拍の増加)が起こります。大島氏ら麻酔の専門医で脳死判定の知識もあるはずで、「アトロピンに脳死患者は反応しない」と知っていたはずです。実際に臓器摘出に関与する前に「アトロピンは脳死ドナーには効かないからほかの薬を使え」と書いた文献を読んでいたと見込まれます。
 大島氏は『LiSA』11巻9号で、こう書いています。「5月18日、脳死判定を行う予定との緊急連絡を受けた。医学中央雑誌で“脳死ドナーの麻酔管理”を検索したが、4件しかヒットせず、慌てて雑誌の特集を入手した。それは大阪大学の林助教授が書かれていた
 では、その林 行雄氏はなんと書いていたか。『臨床麻酔』24巻3号p513~p518では「脳死患者になんらかの不整脈がみられることは珍しくない。(中略)とくに徐脈はアトロピンには反応しないので、直接心臓に対して作用するドパミンやイソプロテレノールを用いる。臓器摘出術の手術刺激に伴い血圧、脈拍の上昇がみられることはよく知られている。そのメカニズムは脊髄反射が関わっているものと思われるが明らかではない。手術刺激に伴うこれらの循環動態の変動には随時セボルフランなどの吸入麻酔薬を用いて対処するのが適当と考える」と書いています。つまり「脳死ドナーの徐脈にアトロピンは反応しないから、ほかの薬を使え」と明確に書いているのです。

 では、どうして日本医科大学付属第二病院は「脳死患者は反応しない」と知っているアトロピンを投与し、効いたでしょうか?脳死ドナーにアトロピンが投与されて効いた現象について、私は「脳死ではなかったことを示すのではないか」と心臓電気生理学が専門の藤田保健衛生大名誉教授の渡部良夫先生に聞きました。結論は「心臓の付近にはいろんな神経がきていて、どのような刺激が起こったのかわからないから断定はできない」とのことで、高知赤十字病院の第一例目における説明と似たようなものでした。
 生理的に様々な可能性を考慮すると、このような説明にならざるをえないのでしょう。しかし、なぜ脳死ドナーには効かないと周知されている薬剤があえて選択されて、実際に効いたのか、という疑問が残ります。
 この時の心臓移植は国立循環器病センターで行われましたから、アトロピンを投与する指示は、国立循環器病センターから来た心臓を摘出する医師の指示だったのでしょう。この移植医は、ほかの脳は正常な患者に対する心臓手術と同じ感覚で「徐脈が起こったらアトロピンを使う」という意識だったのか。しかし欧米への留学で、脳死ドナーからの心臓摘出経験は一定数あるはずです。「脳死ドナーにアトロピンは効かない」という認識は当然あったのではないか。それとも欧米では、アトロピンが効く、実は脳死ではない患者も脳死として心臓を摘出していた経験から、この患者にも効くと判断し、脳死ではないと知りつつアトロピンの投与を指示したのか。
 麻酔科医の対応にも疑問があります。大島氏は、事前に脳死ドナーの徐脈にアトロピンは反応しないと知っていた。それならば、移植医からアトロピンを投与しろとの指示があった時に、「この患者は脳死ですからアトロピンは効かないはずです。ドパミンやイソプロテレノールを使ってはどうでしょうか?」という提案はしなかったのでしょうか?

 

筋弛緩剤のみの臓器摘出

 次の法的脳死・臓器摘出32例目は、ドナーにガス麻酔も予定していたけれども筋弛緩剤だけで済んだ、という報告です。 

■法的脳死・臓器摘出32例目(聖隷三方原病院・2005年2月15日)
・高田知季(聖隷三方原病院麻酔科):「一般病院での脳死判定 実情、考え方」(『臨床麻酔』30巻4号p635~p641、2006年)
 術中管理では循環動態に関して、昇圧を塩酸ドパミンの持続静注と輸液、輸血で、降圧をセボフルラン(吸入麻酔剤)吸入で、脊髄反射などの体動に対してはベクロニウムブロマイド(筋弛緩剤)静注で対応することにした。しかし、セボフルランの使用には至らず安定した循環動態が得られた。

 

 次の法的脳死・臓器摘出39例目はガス麻酔をかけたという報告で、脳死ドナーも様々な生理状態のあることが予想されます。

■法的脳死・臓器摘出39例目(浜松医科大学医学部附属病院・2005年10月14日)
・木下恵理:「本院における脳死ドナー移植の経験」(『日本臨床麻酔学会誌〈日本臨床麻酔学会第26回大会抄録号〉』S208、2006年)
・木下恵理:「本院における脳死の麻酔」(『麻酔』56巻9号、p1119、2007年)
 ドナーの麻酔は少量の吸入麻酔薬と、筋弛緩にて行った。

 

 法的脳死・臓器摘出52例目は、日本国内では初めて、臓器摘出時の麻酔管理記録=血圧・心拍数、投薬量の変化をグラフ付きで詳細に報告しています。

■法的脳死・臓器摘出52例目(札幌医科大学付属病院・2007年2月25日)
・山本清香:「レミフェンタニルを使用した脳死ドナー患者の麻酔管理」(『臨床麻酔』31巻8号、p1353~p1355、2007年)
 筋弛緩剤ベクロニウム5mgを単回投与、5mg/hrで持続投与。長短時間作用性鎮痛剤レミフェンタニルを0.06μg/kg/min持続投与で開始、毎分0.1~0.3μg/kg/minの範囲で循環を管理した。

 

■法的脳死・臓器摘出71例目(獨協医科大学附属越谷病院・2008年5月14日)
・神戸義人:「獨協医科大学での初めての脳死からの臓器摘出術の麻酔経験」(『Dokkyo Journal of Medical Sciences』35巻3号、p191-195、2008年)
 有害な不随意運動を防ぎ、十分な術野確保のためにベクロニウム5mgを初回ボーラス投与し、その後は1mg/hrで持続投与した。麻酔維持は、純酸素とレミフェンタニル0.2μ/kg/minの持続静注投与で行なった。
 臓器摘出術中の血圧上昇に対して“脳死”そのものに対する疑問が議論されているが、現在の脳死の定義に“呼吸中枢の機能廃絶”はあるが、“疼痛刺激に対する循環動態の消失”が含まれていないために現段階では容認されている。

 この『Dokkyo Journal of Medical Sciences』35巻3号は2008年に出版されましたが、インターネット上の公開は臓器移植法改定後になりました。脳死ドナーに麻酔をかけていることを知られることを避けたのでしょう。

 

■法的脳死・臓器摘出82例目(手稲渓仁会病院・2009年11月23日)
・小嶋大樹:「脳死ドナーからの多臓器摘出手術の麻酔経験」(『日本臨床麻酔学会誌』30巻6号、S237、2010年)
 症例は20歳代女性、縊頸CPAにて自己心拍再開後に救急搬送。入院10日目に法的脳死と判定、入院11日目に多臓器摘出術が予定された。
 入室時バソプレシン2E/h投与で血圧127/66、脈拍80であった。導人はベクロニウム0.2mg/kg、維持はベクロニウム0.1mg/kg、レミフェンタニル0.05~0.3γで行った。

 

脳死ドナーに吸入麻酔薬は使わないことをマニュアル化
 さて臓器移植法が改定されました。改定論議の際に、脳死ドナーに麻酔をかけていることが指摘されると、移植医らは「脊髄反射への対応で投与している」と脳死判定は誤らないとの前提で断定的に説明したり、「法的脳死臓器摘出の始まった頃は麻酔をかけていたが、今はかけていない」と事実に反することを言ったり、「麻酔をかけなくとも臓器摘出はできる」と主張しました。
 そして2010年7月に作成された「臓器提供施設の手順書」はhttp://www.jotnw.or.jp/jotnw/law_manual/pdf/plant.pdfは、p32で「吸入麻酔薬は使用しない」としました。
 麻酔は、ガス状にして吸入させる方法以外に、点滴または注射方式で投与する方法もあります。この「臓器提供施設の手順書」の書き方では、近年、頻繁に使われるようになった静脈投与方式のレミフェンタニルは制限していないことになりますが、一般に麻酔科医の間では「脳死ドナーには、どの麻酔薬の投与もご法度、使ってはならない」と周知されるようになりました。2013年5月に開催された日本麻酔科学会第60回学術集会では、大阪大学医学部付属病院麻酔科の林 行雄氏と本田 洵子氏が「脳死ドナーの管理」について招請講演を行いました。主要部分は以下です。 

・林 行雄、本田洵子(大阪大学医学部付属病院麻酔科):「脳死ドナーの管理(臓器摘出にかかわる全身管理)」(『麻酔』62巻増刊号、S44-S51、2013年)
 麻酔管理という言葉を使ったり、麻酔薬を投与するのは脳死の基準を満たしてもドナーが本当は死んでいないということではないか、という誤解を招く危惧がある。実際には麻酔薬を使用せずに循環管理はできるはずであるので、そのように行うべきである。ただ、麻酔科医は麻酔薬を用いての循環管理に手馴れているので、その一つの有力な循環管理の手段を矢うことに抵抗を覚える方もおられるであろう。ただ、循環管理のために麻酔薬を投与することで生じる誤解をたとえそれが医学的に正しいとしても、国民の方々に理解していただくことは現状では容易ではない。“李下に冠を正さず”とするのが現実的であろう。
 低血圧は移植予定臓器にダメージを与えかねない(中略)、血圧の上昇によるデメリットを挙げるなら、おそらく脳内出血発症のリスクではないかと思われるが、すでに脳死であるので、その懸念はいらない。つまり、脳死ドナーでは高血圧によるダメージは軽微であり、血圧を厳密に下げようとすることでかえって低血圧になるリスクのほうを考慮しなければならない。


 以後は、臓器摘出時に筋弛緩剤だけで終えたとする報告ばかりです。

■法的脳死・臓器摘出106?例目(札幌医科大学付属病院・2010年11月26日?) 麻酔62巻6号の報告は、実施日が記載されていないため何例目か確定できませんが、106例目の可能性が高いと思っています。
・田辺美幸:「非侵襲的全ヘモグロビン濃度測定が有効であった脳死下臓器提供の1症例」(『麻酔』62巻6号、p699~p701、2013年)
 60歳代女性、体重52kg。CTでクモ膜下出血とびまん性脳浮腫を認めた。家族に臓器提供の意思があり、第4病日に脳死下臓器摘出を予定。臓器摘出術中の呼吸循環管理は、ロクロニウム50mgを投与して人工呼吸を継続した。執刀後も、麻酔や麻薬は使用しなかった。

 以下が、このドナーの術中経過です。日本麻酔科学会第60回学術集会で林氏が「血圧の上昇によるデメリットを挙げるなら、おそらく脳内出血発症のリスクではないかと思われるが、すでに脳死であるので、その懸念はいらない。血圧を厳密に下げようとすることでかえって低血圧になるリスクのほうを考慮しなければならない」と講演したとおり、低血圧になることは濃厚赤血球やアルブミンの投与で抑制されていますが、高血圧になることは麻酔をかけないからか防ぐのは難しい印象です。

 

■法的脳死・臓器摘出207例目(盛岡赤十字病院・2013年1月31日)
・西嶋茂樹:「脳死下臓器摘出術の管理経験」(『日赤医学』65巻1号、p182、2013年)
 60歳代、ドナーカード所持の女性、くも膜下出血後の再出血による脳死管理経過:術中は麻酔薬と麻薬は使用せず、筋弛緩薬は脊髄反射防止のために使用した。血圧低下時には濃厚赤血球と血液製剤の急速投与で対処して臓器血流維持のためにカテコールアミンの使用は最小限とした。使用した濃厚赤血球6単位、5%アルブミン1750mlであった。

 

麻酔科医の懐疑論=痛み刺激に反応しているじゃないか!

 臓器摘出に協力する麻酔科医自身から、脳死判定に対する懐疑論が出ています。

・田中和夫(大阪市立大学・集中治療医学):「オーストラリアのおけるドナー管理と臓器摘出術」(『ICUとCCU』25巻3号、p161~p165、2000年)
 ドナー管理を行っているときによく経験されることであるが、臓器摘出術中の侵害刺激に対応して血圧が上昇する。このことから“脳死”そのものに疑問を投げ掛ける意見がある。しかし、現在の脳死の定義に“呼吸中枢の機能廃絶”はあるが、“疼痛刺激に対する循環変動の消失”が含まれていないため現段階では容認されるべきであろう。今後の論を待つ必要がある。

 脳死判定時に深昏睡を確認しています。それはどのような方法か、日本臓器移植ネットワーク制作の動画「法的脳死判定の手順」http://www.jotnw.or.jp/jotnw/law_manual/mov/jot_movie2.wmv がありますので、該当の約2分間の部分を見てもらいます。

 上映

 このようにボールペンで指を押したり、目の上を圧迫して反応がなければ深昏睡と判定しています。しかし、こんなお優しい疼痛刺激には反応しないけれども、もっと激烈な患者を傷つける検査を行えば反応する患者のいることが想定されます。2008年3月23日 NBCニュース 'Dead' man recovering after ATV accident http://www.nbcnews.com/id/23768436/#.UxweFrlWHIU によると2007年11月、オクラホマ州のザック・ダンラップさん(当時21歳)は、脳死で死亡宣告されたことが聞こえて「心の中は狂わんばかりになりました」と語っています。臓器摘出チームの到着寸前、従兄妹がダンラップさんの「足の裏をナイフで切る」「爪の下の柔らかい部分を、爪で刺激する」激烈な痛み刺激を与えて反応があることを証明して生体解剖を免れた。その後、社会復帰しました。
 対光反射も同じです。日本臓器移植ネットワーク制作の動画では、小さな光量の弱いペンライトでごく短時間、光を当てて反応の有無を見ています。ところが、より長時間、強い光を当てると反応する患者のあることが報告されています。(この部分の出典はhttp://www6.plala.or.jp/brainx/trick_determination.htmに掲載)
 脳波測定も同じです。頭皮の上に電極を置いて測定できなくとも、頭蓋骨に穴を空けて電極を入れると脳波が測定できることがある。
無呼吸テスト60mmHg超の自発呼吸例 脳死判定の骨格、最も重要な検査とされる無呼吸テストも同じです。脳死判定基準では、人工呼吸を停止して動脈血中の二酸化炭素分圧が60mmHgになるまでに自発呼吸しなければ無呼吸と判定しています。ところが日本大学付属病院では64.7mmHg、72.2mmHg、帝京大学医学部附属市原病院では66.4mmHg、京都大学付属病院では86mmHg、米国ワシントンDCのChildren‘s National Medical Centerでは91mmHg、日本医科大学付属病院では肺胞内二酸化炭素分圧が100mmHg超、米国ニュージャージー州のCooper Hospitalでは112mmHg、公立昭和病院では119.6mmHgで呼吸をしました。しかし、長時間、無呼吸テストを行うと二酸化炭素が溜まり過ぎて昏睡状態を強める。血液が酸性化して、酸素が供給できなくなるため患者を傷つけ生理状態を悪化させます。
 いずれも患者を傷つけるほどの検査を行えば、患者の脳は機能していること、脳死判定が誤っていることが証明されるかもしれません。ただし、患者を傷つけるほどの検査を行えば、当然のことながら脳死ドナーは減る、長時間の無呼吸テストを行えば患者の生理状態を悪化させて移植用臓器にも悪影響を与えるため、臓器摘出目的で脳死判定を行う以上、そのような検査への見直しは行われないでしょう。

 

脳死判定を誤っている可能性
 脳死判定の精度は歴史的に低下し続けています。脳死判定基準を満たしても、心停止(心臓死、全細胞死)を予告できない、脳機能が復活する患者も脳死と判定されています。
 脳死と見込まれる時点から心停止までの時間は、1902年の1例目は23時間、これは脳死概念の発生以前の症例ですが、脳膿瘍で自発呼吸が停止し人工呼吸で23時間にわたり心臓の拍動を維持した症例が報告されています。1970年代になると、脳死と判定された後に心停止まで5日以内、1980年代になると1ヵ月以上にわたる生存例も報告されるようになりました。1985年の厚生省脳死判定基準作成者として名を残す竹内一夫は、2002年に“脳死状態でも積極的に呼吸・循環機能を管理し、栄養管理と感染予防に努力すれば、全身状態が維持される限り心拍動を維持することは可能である。したがって、脳死判定から心停止までの期間は、脳損傷よりも全身状態の維持如何に最も関係が深いと言えよう。”と書きました。
 同じく脳死判定基準の作成に関与した武下 浩は2003年に、“脳死論議の初期、なぜ脳死状態になると、短期間のうちに心停止にいたることが重視されたのか。当時としては事実であり、脳死を人の死とする説明に使いやすかったからである。”と書いています。
 2006年、竹内一夫は、“最近の高度集中治療の進歩によって、以前より長く脳死状態を維持することも時には可能になった。もともと種々の合併症に悩まされる脳死判定から心停止までの期間の長短は、すでに廃絶した脳の機能の問題ではなく、全身的要因に左右されることになる。したがって成人に比べて基礎疾患の少ない小児では、脳死の期間が有意に長いことが知られている。(中略)脳死状態でも循環、呼吸、内分泌機能が良好な状態に保たれていれば、心停止は何とか避けることができる。そして多くの臓器はそれぞれ独自のペースメーカーを持っているので、栄養と酸素が補給されている限り機能し続けることができる。”と書きました。こうした竹内氏の認識に、他の医師は「昔からわかっていたことをようやく認めた」と評しています。

 

脳死判定と心停止の断絶
 これは私の意見ですが、現代では脳死判定基準を満たすことと、心停止(心臓死、全細胞死に至る状態)との関係は断絶していると思います。脳に大きなダメージを受けたことが原因で自力で呼吸をできなくなり、人工的に生命、心臓の拍動を維持していたけれども、結局、心停止に至ったという人ももちろん発生しつづけていますが、すべての患者が漏れなく心停止に至るという状態ではなくなった。脳死判定基準を満たした患者の自然経過が、脳死概念の発生当時と異なってきたといえるでしょう。
 心臓移植までみると、脳死判定の精度低下は、早期から始まっていると指摘できます。なぜ、「脳死と判定された患者は心停止を免れない」とされるのに、その心停止を免れないはずの脳死ドナーから摘出した心臓を移植すると、移植された患者は長期に生存できるのでしょうか。脳死と判定された患者の生命維持に努力し、大量の昇圧剤を投与したけれども心停止に至った患者はいます。しかし、大量に昇圧剤を投与された心臓を摘出して移植しても、機能不全を起こす可能性が高い。このため、過去に心停止して蘇生した経過があったり昇圧剤を大量に投与された患者を、心臓の提供者にすることは慎重に検討されます。移植用に心臓を提供可能な脳死ドナーは、そもそも自然経過では心停止を避けうる患者を含んでいると見込まれます。
 脳死判定後の長期生存例があり、脳死は人の死とする根拠が疑われるなか、脳死判定を継続したい人はこういいます。「脳死判定され1ヵ月以上生存する・心停止に至らない長期脳死症例であっても、結局は心停止に至っているではないか」と。これに対して私は、脳死判定基準を満たした患者の自然経過を検討するには1週間が限度だろう、と思います。1週間以上生存しているならば、元の脳死と判定される原因となった疾患とは別の原因、人為的な治療撤退で死亡する患者が次第に多くなり、自然経過の検討が難しくなることを指摘します。
 脳死と判定されることは、周囲の者にとってはどんな意味があるのでしょうか。医療者は、治療を尽くした、回復不能と判断したから脳死判定を行う。患者家族は、最も重症の脳死と宣告され、「意識は回復しない、近いうちに心停止に至る」と説明される。数日経つと看病疲れもあって家族の心理に変化が現れることが多い。なかには、あきらめる家族もいる。その様子をみて、医療者も治療そしてケアを非積極的に行うようになり、それが心停止をもたらしたり、自然経過を早める可能性があります。
 臓器移植法を問い直す市民ネットワークが編集した「脳死・臓器移植Q&A50」のQ18では、脳死判定された患者に対して、家族に無断で昇圧剤をニセの薬・ダミーに変えたり、人工呼吸器の設定を不適切なものに変更した施設があったこと。臓器提供を拒否したところ、輸液が栄養性の低いものに変えられ、呼吸管理も不十分にされて、身体中むくんで悲惨な外観になって死んだ患者のあったことを載せています。現実の医療現場では、たとえ患者家族が絶対助けて欲しいと思っていても、医療者が無断で死に至らしめる行為を行った、そのような施設もあると見込まれます。その意味で、脳死判定基準を満たした後の患者の自然経過を検討する場合に、1週間が限度だろうと思うわけです。

 

 (次ページに続く


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第5回市民講座の報告(後半)

2014-03-30 20:31:26 | 集会・学習会の報告

死体とされた人からの臓器摘出に、なぜ麻酔や筋弛緩剤を使うのか?(後半)

 

脳死判定と脳機能廃絶との断絶
 現代の医学生向け教科書・解説書だけでなく、一般向けの単行本にも、「脳死とは、脳の機能が不可逆的に停止した状態」とだけ書き、「必ず心停止に至る状態」とは書いていない本が多いように思います。医療関係者そして一般人にも、「脳死判定基準を満たして心停止に至らないケースが増えても関係がない、意識が回復しなければ脳死であることに代わりがない」と思っている人もいます。「心停止(心臓死・個体死)に至らない症例が増えても、脳の機能が廃絶したならば人の死と認めよう」と、意識的に脳死の意味を変更しようという傾向が、移植医そして脳外科医、救急医、集中治療医の一部にあるようです。
 このことについて「脳死・臓器移植Q&A50」のQ19では、脳死と判定された後に回復した症例を掲載しています。社会復帰したケースは、ザック・ダンラップ事件以外にエミリー・グワシアクス事件を載せています。臓器摘出の直前に、脳死ではないことが発覚したケースも載せています。巻末資料には、脳死判定後に、自発呼吸や痛み刺激への反応など、脳機能の回復例も載せています。
 こうした事例は、「脳死判定基準を満たしたら人の死」とするならば、「死者の甦り」であり、脳が機能しうる状態なのに臓器を摘出するなら「人間の家畜化」になります。人間の臓器提供者と人間が食べる肉を得るための家畜を比べてみましょう。現代では、いずれはして食肉処理するための家畜に対しても、欧米から動物福祉にもとづく飼育方法・方法の採用が広がりつつあります。動物福祉を簡単にいうと、狭い畜舎に家畜を詰め込んで飼育しないことだったり、する時は可能な限り苦痛を軽減し短時間で済ませるようにすること、などです。
法的脳死・臓器摘出52例目の麻酔管理 では、人間から臓器を摘出する場合は、どうしょうか。法的脳死・臓器摘出52例目の20代女性ドナーの場合、手術時間は2時間20分でした。レミフェンタニルの投与量は手術開始時に体重1キロ当たり毎分0.06マイクログラムでしたが、手術開始後約30分の時点で体重1キロ当たり毎分0.3マイクログラムと臓器摘出術中では最も大量に投与しています。大量投与のタイミングは皮膚切開の直前にあたり、メスが体内に入る前に最大の鎮痛効果を求めたとみられます。しかし超短時間作用性鎮痛剤のため、激痛を鎮める効果は急速に薄れる模様で、その後の約70分間に投与量は体重1キロ当たり毎分0.15マイクログラム、0.1マイクログラム、0.2マイクログラム、0.06マイクログラムと増減があります。
会場写真 血圧の変動は、皮膚切開から大動脈遮断までに6回の上昇がみられます。このうち最も急激に上昇したのは手術開始後80分頃にあり、収縮期血圧が110mmHg程度から160mmHg程度にまで急上昇した。 その後、約5分のうちに再び110mmHg程度に急下降した。この血圧が最大に上昇した時に、鎮痛剤の投与量は臓器摘出術中で2番目の大量投与となる0.2マイクログラムが投与された模様です。同様の血圧の急上昇・ 急下降が、この後にも2回記録されている。開腹操作時や胸骨切開時には、鎮痛効果が少なかった模様です。
法的脳死・臓器摘出106例目の麻酔管理 法的脳死・臓器摘出106例目と見込まれるケースでは、手術時間は約1時間50分でした。大動脈が遮断されるまでに血圧は8回の上昇がみられます。
 脳死・臓器摘出は、移植用に鮮度のよい臓器を得るために行われていることですから、いきなり命を絶たれたのでは、目的にかなう臓器は得られません。臓器を摘出する直前まで、血流は正常に維持されていたほうが、移植医にとってはもっとも都合がいい。しかし、もしも痛みを感じうる人、長期生存可能な人を生体解剖しているのであれば、これは社会的弱者を動物福祉にも反する家畜的利用、長時間の生体解剖をしていることになります。

 

無麻酔臓器摘出と「臓器提供安楽死」「臓器提供尊厳死」の乖離
 脳死臓器摘出時に麻酔をかけていることについて、医者のなかには、「脳死判定を誤る可能性はあるが、麻酔をかけて臓器を摘出してもらえるのならば痛くないからいいんじゃないか」という人もいます。
 昔は麻酔をかけていた、今はかけていませんから、この医師の観念でも許容できる行為ではなくなっています。昔の、麻酔をかけていた時も、手術を開始して、皮膚切開を開始し血圧の上昇をみてから麻酔をかけるという手順です。ザック・ダンラップ事件では、死亡宣告の時点からダンラップさんは動揺していました。臓器提供者に、死に至るまでの恐怖・絶望・痛み・苦しみを感じさせないためには、脳死判定を終了した直後から麻酔をかける必要がありますが、そのようなケースは報告されていません。
 そもそも、臓器ドナーの循環管理を担当する医師は、「脳死判定は間違っていない」という前提で行動しています。脳死判定を誤ることを前提に、麻酔をかけることは臓器を提供して死ぬこと、「臓器提供安楽死」「臓器提供尊厳死」と称される行為が法的に許容される環境でなければ不可能でしょう。その場合でも、「どのような患者の状態で安楽死、尊厳死が許容されるか」ということと「臓器ドナーとしての適格性」が問題になるでしょう。従来、安楽死、尊厳死を許容可能な条件として、「死期が迫っていること」、という条件がありました。しかし、死期が切迫しているのならば、移植可能な臓器は得られにくいのではないでしょうか。

 

脳機能回復例を無視して脳死判定を擁護することは妥当か
 脳死と判定された後に、脳の機能が回復した症例を提示すると、こんな反論をする医者がいます。“脳死判定後での人工呼吸器からの離脱や意識の回復は認められておらず、結局は脳死状態が持続し心停止に至っている”と。これは厚生労働省・小児法的脳死判定基準研究班員の日下康子氏(東京慈恵会医科大学脳神経外科)は、2010年7月発行の「小児科臨床」63巻7号で書いていることです。
 米国では、ザック・ダンラップ事件、エミリー・グワシアクス事件のとおり、意識を回復して社会復帰したケースまであります。日本では正確な脳死判定例と見込まれるケースで意識を回復した患者はいませんが、無呼吸テスト2回実施例で自発呼吸した大阪大学付属病院のケース、無呼吸テストの回数の記載がないものの小児脳死判定基準を満たした後に痛み刺激に反応した奈良県立奈良病院のケースもあります。
 患者を管理する医療者にとって、患者が生命維持装置に依存して生存しており、しかも意識不明、意識が回復する可能性が低い、心停止に至る可能性が高いのであれば、「人工呼吸器なしで生存できるようになったり意識回復したりしない限り同じ」と思うのでしょう。
 しかし、私は、脳死判定基準を作った人は、その基準が使われた後の場面に想像力を欠いていると思います。脳死判定をしたら、その後は治療の中止、あるいは人工呼吸器の取り外し、あるいは臓器摘出につながるケースが多いことへの想像力の欠如です。たとえ人工呼吸器に依存せずに生存できる状態まで回復できなくとも、たとえ他人との意思疎通が可能な状態に戻らなくとも、痛みを感じさせる、患者を害することは行ってはならない、と思います。脳死判定後に自発呼吸をした、あるいは痛み刺激に反応した、あるいは他の反応があり、脳死判定基準を満たした状態とは言えない状態に患者がいたのであれば、他にも脳が部分的に機能している患者がいるはずです。脳が部分的に機能しているならば、その時点で、人工呼吸を停止したら呼吸困難で死ぬ場合がある。臓器を摘出したら、死に至るまでの恐怖、絶望、激痛を感じさせながら生体解剖となるでしょう。脳の機能回復例を軽視して、脳死判定基準を維持しようとすることは、脳不全患者を害することになると思います。

 

脳死判定は家族意思による「尊厳」死に変質した 
 脳死判定基準で脳死とされても心停止を予告できるものではなくなり、脳機能の廃絶も保証しがたくなった。
 では、今残った脳死判定の性格は何でしょうか。私は、安楽死・尊厳死の法制化に先立って、唯一選択可能な死に方、として運用されているように思います。さきほどの小児法的脳死判定基準研究班員の日下氏は2011年5月28日に開催された教育セミナー「小児の法的脳死判定の実際」で、こう喋っています。「たとえば臓器提供しないとして、この判定を用いて判定して、長期脳死となって回復する例がないということは誰にもいえないと思うのです。(中略)長期脳死のことはもちろんご存知の上で、それでも臓器提供を優先させるというのがご遺族、ご本人の意思であるとするならば、我々がその方たちの意思を受け入れないで、脳死判定を行わないというところまで踏み込めないところがあると思います。臓器提供をするかしないか、長期生存後の回復を待つ気持ちのどちらが強いのかというのは、結局、私たちが臓器提供をしてくださいというわけではなくて、ご本人あるいはご家族の意思ですので、情報提供として言えることは、この脳死判定をしたあとに回復した症例の報告はかつてありませんという事実しかないと思うのです。臓器提供を申し出た方たちの意思を尊重して判定をしなくてはならない立場としては、そのことも含めて判定基準はつくらなければいけないということです。判定基準は判定基準、ただ、長期脳死の問題もありますと、どちらも否定をしているつもりはないのです」と喋っています。「重症の脳不全に陥った患者の、本当の自然経過はわからない。臓器を摘出して死なせるか、長期生存を目指すかは家族の考え方次第」という運用をしている。尊厳死は、患者本人の意思にもとづいて行うことが検討されていますが、すでに家族の意思で実行していることになる、と思います。

 

臓器移植法の改定後に、「脳死は死んでいるとは思っていない」と言い出した救急医、脳外科医
 臓器移植法が改定されてから、これまで「脳死は人の死、脳死判定基準を満たしたら人の死」といっていたような人が、死んでいるとは思っていないと言い出しています。
 へるす出版から2011年10月18日付で発行された「臓器提供時の家族対応のあり方」において、元日本救急医学会代表理事の有賀 徹氏は「脳死をもってその患者本人が死んでいると患者の家族がすべからく理解しているとはとても言えない。つまり,言わば『死んだも同然』のように思っていたとしても,『死んでいる』との認識には至っていないであろう。現場にいるわれわれ医療者も同じように思われる。その意味で,脳死とは死を看取るプロセスにあって,救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)において言及されていることと符号する。『脳死は限りなく人の死に近い』が現状を反映する表現であろう。改正臓器移植法は『脳死は人の死である』を背景たる思想としつつも,この法律においては臓器移植の場面においてのみそのようである,という理解であろう
 市立札幌病院救命救急センター、副医長の鹿野 恒氏は「医学の世界標準として『脳死は人の死』と言われても、臨床の現場では、脳死となった患者に触れながら『脳死は人の死』と理解する家族はほとんどいない。また、当施設を訪れる学生、研修医、救急救命士、メディア関係等の方々も、誰一人として脳死の患者を『死んでいる』と感じる者はいない。それは皆が『脳死の人』と感じ、『脳死である死体』とは感じていないからである」(日本移植再生医療看護学会誌6巻1号p16~p17)
 吉開俊一氏(国家公務員共済組合連合会・新小倉病院 脳神経外科部長)は、“移植医療 臓器提供の真実”で「死とは『個体全体』に訪れるものであり、部分的なものではない。臓器が完全にダメになる場合の医学用語は、『機能の喪失』である。(中略)脳全体の機能喪失(以下、便宜上『脳死』と称する)は人の死なのか。答えは簡単、『そんなはずは無い』である。では脳死下での臓器移植とは一体何なのか。『生きている人』の内臓を摘出して、心臓を止め、体を冷たくしてご家族にお返しすることは、完全な違法行為である。しかし、『死んでいる人、つまり死体』に対し、合目的的な医療行為としてそれを行なうならば、違法行為にはならない。そこで、脳死状態の人を死んでいる(脳死体と称する死体)と法的に規定することで、心臓が拍動しまだ暖かい体を切開し、臓器を摘出することを合法化したわけである。医師の中には『自分は脳死を人の死とは絶対に思わない』と明言する人物もいる。それはそれで全く構わない。実は私自身もそう思う。なぜならば、臓器提供を前提としていない場合だからである。しかし『脳死は、臓器提供を前提とする場合、人の死と法的に規定されている』ことは客観的に理解しなければならない。そして、法の内容を理解して臓器提供に承諾する方々を、否定することはできない」とした。
 日本臨床倫理学会の機関誌「臨床倫理」第1巻が、2013年2月20日付で発行され、国立病院米子医療センター外科で移植医の杉谷 篤氏が「臓器移植・再生分野における現状と展望」を書き、こう書いています。“あえて明記しよう。死体移植は「死体」あるいは「現状では蘇生不可能と判断される状態」になってから、臓器摘出・提供を行うのである”」と。

 “蘇生不可能と判断される状態になってから、臓器摘出・提供を行うのである”とは、生体解剖を認めたも同じではないでしょうか?

 


心停止ドナーの麻酔管理例 

 

 次は心停止ドナーの麻酔管理例です。最初に触れましたが、薬剤は血流があってこそ効きます。心停止ドナーに麻酔など投与しているということは、心停止以前=死ぬ前から臓器摘出目的の処置を行っている、あるいは心停止しても心臓マッサージなどを行って血流を維持しているからこそ可能なことです。移植用臓器を獲得する目的で、心停止後と称して実際には死亡宣告を移植用の臓器獲得に都合のよいように運用していることを示します。

・第2回腎移植臨床検討会:『移植』4巻3号、p193~p252、1969年
  (p224)千葉大学第2外科の尾越氏「(臓器提供の)承諾が得られたら心臓マッサージ、それからもちろん Intubation(挿管)して麻酔器をつけてあるわけですが、それをずっと続け、手術場に運んでいきます」
 
・佐藤 博、岩崎 洋治(千葉大学第2外科教室):「我々の同種腎移植術」(『手術』22巻11号、p1109~p1119、1968年)
 我々は心停止、呼吸停止、瞳孔散大を持って死と判定しているが、死後心マッサージ、人工呼吸を行い、もはや蘇生不能と判定した時点で、家族の承諾を得ている。(中略)心マッサージ、人工呼吸を続け、家族の承諾(解剖承諾書、腎提供の承諾書)が得られたならば直ちに股動脈より大動脈にカニューレを挿入し、手術場に移す。

 

■脳死と認めた後にフェノバルビタール、ディアゼパムなど投与
・高橋 公太(東京女子医大腎臓病総合医療センター第3外科)ほか:「死体腎 donor の限界」(『移植』17巻3号、p174~p184、1982年)
 東京女子医科大学腎臓病総合医療センターおよびその関連病院で摘出した12例の死体腎ドナー。死戦期の定義は脳死と認めた時点より計算し 、ドナー10例の死戦期は13~63時間。ドナーは心停止後、ただちにヘパリン10,000~20,000単位ほかを心腔内に注入し、心マッサージを行いながら手術室に運んだ。
 フェノバルビタール(催眠・鎮静・抗てんかん剤)が36歳男性に50mg、 47歳女性に150mg、49歳女性に100mg投与。ディアゼパム(抗不安薬)は30歳男性に20mg、49歳男性に10mg、47歳男性に10mg投与された。
 


■心停止しなかったため移植医が「もっとキャンディーをあげなよ」 
・『ニューヨークタイムズ』2008年2月27日付“Surgeon Accused of Speeding a Death to Get Organs”  http://www.nytimes.com/2008/02/27/us/27transplant.html
 サンフランシスコの移植医Dr. Roozrokhが、肝臓提供予定者の死を早めたとして刑事は無罪、民事告訴となったケースでは、過量のモルヒネ(鎮痛剤)、アティヴァン(抗不安薬)、ベータダイン(消毒薬)をオーダーした。
http://www.nytimes.com/2008/02/27/us/27transplant.html?_r=1&pagewanted=2
 警察への取材によると、ルーツロフは、ドナーが心停止しなかったため、「もっとキャンディーをあげなよ」と薬物の増量を求めた。


■デンバー小児病院 心停止・心臓ドナーにフェンタニル、ロラゼパム
・Mark M. Boucek, M.D.(Denver Children's Pediatric Heart Transplant Team):「Pediatric Heart Transplantation after Declaration of Cardiocirculatory Death(心臓循環器系による死亡判定後の小児心臓移植)」(“The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE”359巻7号、p709~p714、2008年) http://content.nejm.org/cgi/reprint/359/7/709.pdf
 新生児3例の心停止・心臓ドナーに、フェンタニルを体重1キロ当たり平均4μg、ロラゼパム(抗不安薬)は同0.1gを投与して生命維持装置を停止した。

 
■心臓死ドナー候補者が、人工呼吸停止10分後に意識回復
・2008年5月24日のABCニュース“Doctor Calls Near-Death Experience a ‘Miracle’ Hospital Took Velma Thomas off Life Support -- Then She Woke Up” http://abcnews.go.com/GMA/story?id=4923465
 米国ウェストバージニア州で心停止ドナー候補者とされたVelma Thomasさん(59歳女性)が、人工呼吸器を外されてから10分後に意識を回復した。内科医のKevin Eggleston氏(チャールストン地域医療センター)によると、トーマスさんは心停止3回、脳波も17時間にわたり測定不能だった。

 もし筋弛緩剤や鎮静剤を投与されていたら、このような意識回復はありません。意識を回復した患者も、呼吸困難の状態から生還するという地獄の苦しみが強要されることになります(次頁)。

 

モナッシュ大学アルフレッド病院:心停止ドナー候補者の致死経過
・Bronwyn J.Levvey(Lung Transplant Service, Alfred Hospital and Monash University):Definitions of Warm Ischemic Time When Using Controlled Donation After Cardiac Death Lung Donors、Transplantation、86巻12号、p1702~p1706、2008年
 心臓死ドナー候補者13例のうち、抜管または人工呼吸停止後に、10例は20分以内に心停止した。3例は90分以内に心停止至らなかった、と報告されています。臓器摘出目的で死なせることを許容する決定をして、実際に死ぬであろう行為を加えたけれども死ななかった。このような患者の多くは、別紙に移されて死ぬまで観察されることが多いようですが、実際にこのようなことが起こった場合に、致死的行為を許容した家族、致死的行為に参画して見守る医療者の心理的負担は想像以上のものでしょう。人為的に心停止に至らしめらた患者の状態も、下記のデータにみるとおり断末魔の様相が伺われます。

【末梢血酸素飽和度の推移】抜管または人工呼吸停止後40分間における末梢血酸素飽和度は、1例は90%台から100%近く、1例は50%台から90%台に上昇しました。100%近く上昇した患者は、人工呼吸を停止されたために、苦しくなり、しっかりと呼吸をしたのだけれども力尽きた、ということでしょう。50%台から90%台に上昇した患者は、90分以内に心停止していません。全身状態が悪く、人工呼吸を停止したら必ず心停止に至ると思われていても、心停止を起こすとは限らない、ということでしょう。

【血圧の推移】人工呼吸停止時の血圧が100mmHg以上は7例、100mmHg以下は5例。心停止までに、血圧が低下する一方だったのは13例中3例のみで、8例は経過中1回の上昇がみられます。1例は2回上昇とみられる。人工呼吸停止後から血圧が上昇したのは、100mmHg以上で2例(160mmHg台から200mmHg台へ、140mmHg台から160mmHg台へ)、100mmHg以下で2例(80mmHg台から110mmHg程度へ、70mmHg台から80mmHg台へ)でした。


【心拍数の推移】心停止までに、心拍数が低下する一方だった患者は1例のみです。抜管または人工呼吸停止直後から毎分数拍~10拍上昇した3例のほか、数分間安定した後に毎分10拍~20拍上昇する者、9分間低下した後に7分間上昇して人工呼吸停止時の心拍数を上回る者、1~6分程度安定した後に急落する者など多様です。多くは心停止までに心拍数が横ばいになる期間が2回あった。90分以内に心停止しなかった1例は、60拍で8分間程度安定した後に一時さらに低下したが、同15分後には140拍に急上昇し、その後は下降しました。


 

■長時間血流が維持された心停止ドナー例、血圧100で心臓死した死体?
会場写真 心停止が先に発生した場合、臓器摘出準備が整うまでに心臓マッサージあるいは人工心肺を使って血液循環の維持が行われることがあります。このような状態に維持される患者は、死体でしょうか?

・池上雅久(近畿大):「心停止無脳児ドナーから成人への死体腎移植の1例」(『移植』26巻6号、p646~p653、1991年)
 1989年1月、1歳6カ月女児は蘇生を試みるも45分後に心臓死と確認された。心停止後も心マッサージにより血圧が100/50mmHg程度に維持され、心停止後115分より腎摘出術を開した。

・小山 勇(埼玉医科大学第1外科):「心停止ドナーからの臓器を移植に用いるための人工心肺下コアクーリング法、献腎移植における経験」(『移植』33巻総会臨時号、p133、1998年)
 携帯型人工心肺を用い、心停止による死亡宣告後、大腿動静脈よりベッドサイドでカニュレーション。血液を酸素化しながら全身を徐々に冷却、静脈血が15℃以下になったところで人工心肺を中止し、ユーロコリンズを大腿動脈より自然落下させる。ドナーを手術室に運び、腎を摘出し・・・17例の心停止ドナーに応用した。平均温阻血時間は32分。

 

  蘇生目的で心臓マッサージあるいは人工心肺が使用され、生還する患者もいます。移植用臓器を獲得する目的で、心停止ドナーに心臓マッサージあるいは人工心肺を使うことは、ドナーを生死の境目に置く危険性があります。この懸念を裏付ける報告を3つ紹介します。

■血液循環の維持で1週間後に心拍再開し救命された例
・河合勇介(福山市民病院循環器科):「心拍停止から1週間後に心拍再開し、救命しえた劇症型心筋炎と考えられた1例」(『心臓』40巻Suppl.3号、p127~p131、2008年) 
 67歳男性、自己心拍は停止状態で、経皮的人工心肺、体外式ペースメーカー、IABPを開始。持続入工透析、γ-グロブリンの投与、ステロイドパルス療法など施行し第6病日より徐々に血圧が上昇し始め、第8病日に心拍の再開を確認できた。第9病日にPCPSから離脱、第16病日には人工呼吸器から離脱した。

■心臓マッサージ、血流維持で、生死の境目に留め置かれる
・坂本哲也(公立昭和病院救命救急センター):「脳虚血と脳死」(『LiSA』2巻7号、p48~p51、1995年)
 意識を維持するために必要な脳血流量は、正常の50%、神経細胞が生存するために必要な脳虚血量は20%と言われているのに対し、胸骨圧迫式心マッサージによって得られる脳血流量は正常の30%以下、多くの場合10%以下なので自己心拍再開までは意識が戻らないのが通常である。しかし、蘇生術の開始が早い場合は、心マッサージのみで意識が戻る場合がある。患者は暴れて、心マッサージの術者を振りほどいてはグッタリするのを繰り返す。
 筆者は延々5時間にわたり、心静止までこの状態が続き、蘇生術をやめるにやめれなかった経験がある。自己心拍がない患者が暴れるさまは自然の摂理に反するようで、生理的な違和感を強く感じた。

・東 彦弘(東京医科大学病院救急医学講座):「体動を認めたが絶え間ない胸骨圧迫を継続した一例」(『日本救急医学会雑誌』21巻8号、p597、2010年)
 30歳男性初期研修医、仮眠中にうめき声と意識レベル低下を来し別の研修医が胸骨圧迫を開始。ソファー上より床へ降ろし、胸骨圧迫を行った。やがて傷病者に体動を認め、うめき声が聞かれ抵抗したが、頸動脈拍動を触知しなかったため、研修医が羽交い絞めにした状態で胸骨圧迫を継続。除細動で自己心拍が再開した。自己心拍再開まで16分を要したが神経学的予後が良好で社会復帰。


出血傾向を助長する薬剤ヘパリンを、全例に説明・承諾なしに投与
 臓器移植を成功させるためには、移植用臓器の血管内で血液が凝固していたら移植に使えません。このため抗血液凝固剤ヘパリンが投与されます。心停止後であっても、ヘパリンを投与して全身にいきわたらせるために心臓マッサージが行われます。
 日本臓器移植ネットワークが1995に日本腎臓移植ネットワークとして発足以来、1600例超の提供事例に使ってきたドナー候補者家族に対する説明文書「ご家族の皆様方にご確認いただきたいこと」http://www.jotnw.or.jp/studying/pdf/setsumei.pdfは、抗血液凝固剤ヘパリンは「心臓が停止し、血液の流れが止まってしまうと腎臓の中で血液が固まってしまい、移植ができなくなる場合があります。そのため、脳死状態と診断された後、心臓が停止する直前にヘパリンという薬剤を注入して血液が固まることを防ぎます」と薬剤を投与する目的のみ説明していました。血液を固まらせない作用のあるヘパリンが、外傷や脳血管障害に原則禁忌であることは説明していませんでした。
 2012年8月、阿部知子衆議院議員は「臓器移植医療に関する質問主意書、9月に再質問を提出し「通常の医療においても、薬剤の副作用についての説明が行われるのは当然である。ドナーが死亡を前提とした臓器提供が検討される場面において、原則禁忌の薬剤投与が検討される場合に、その副作用、侵襲性の大きさを説明しない文書を用いることは、ドナー候補者家族に対して不誠実と考えるが、政府の見解を問う」と指摘した。9月14日、野田総理大臣は「臓器提供が検討される場面では、ドナー候補者の家族に対して、適切な説明がなされることが必要であると考えている。このため、説明の際に使用する文書の記載や説明の仕方については、より適切な表現とするよう、ネットワークと検討していきたい」とする答弁書を提出しました。http://www6.plala.or.jp/brainx/2012-9.htm#20120914
 日本腎臓移植ネットワークが発足以来の「死体」ドナー候補者家族に、この文書は使われてきました。そのすべてにおいて、家族の承諾は適切に得られたものではなかったのではないか、という問題をこの質問主意書・答弁書の応答は浮かび上がらせました。もちろん、日本腎臓移植ネットワーク以前の、各施設が独自に承諾を得ていたケースでは、ドナー候補者家族からの承諾は、一層、適当に得られていた。法的に到底、正当とはいえない説明で、患者家族を錯誤に陥らせて違法に承諾を得ていたと考えられます。
 

脳死臓器提供だけでなく心停止後の臓器提供にも関心を
 日本では「脳死は人の死か」という論議にばかり集中し、「心停止は人の死か」ということには注目されてこなかった。その負の効果として、「脳死は人の死ではないが、心停止なら問題なく人の死だ」という先入観が形成されていると思います。議論ばかり盛んで現実を見ないものだから、臓器移植法以前からの脳死臓器摘出が7割という状況は見逃していた。昔から人工呼吸器を停止する人為的心停止ドナーはありました。凍死させて臓器を摘出する(「移植」4巻3号p218~p219)、あるいは生前に挿入したダブルバルーンカテーテル(下のイラスト)を膨らませて急性動脈閉塞による心停止ドナーの作成もあったとみられます。
挿入されたダブルバルーンカテーテル その著名人家族ドナーの例が、1993年8月、柳田洋二郎氏(当時25歳)から東京医科大学八王子医療センターの移植チームが行なったケースです(柳田邦男、犠牲(サクリファイス)、文芸春秋、1995年)。

 臓器移植法の改定後の心停止ドナーは、一般の脳死判定も満たさない、脳不全の面では比較的軽症の患者がドナーとなっていると見込まれます。そのような患者が、心停止後に臓器摘出目的で心臓マッサージを行われると、蘇生される可能性が高くなる。しかも出血性疾患の患者に原則禁忌のヘパリンを投与されたら、心臓マッサージによる蘇生効果と再出血によって激烈な苦痛、恐怖、絶望のもとで臓器ドナーとされている危険性があります。
 このような残虐行為になっている可能性があるのに、マスメディアが取り上げない理由は、「臓器移植が行われることが、移植待機患者の病状を改善する役に立っている」という先入観があるものと見込まれます。臓器ドナーとされる人の人権を擁護することなく軽んじる、そして移植待機患者の利益を優先することは間違いですが、意識回復が困難、あるいは死にゆく患者の人権は軽んじてもいいという前提があるのでしょう。
 しかし、臓器移植手術の最中に死亡した患者もいます。臓器移植を受けた患者だけのことをみても、臓器移植を受けない場合よりも、臓器移植をうけるほうが長期に生存できているのか、QOLは移植を受けたほうが高いのかさえ、脳死・臓器移植Q&A50のQ30で指摘してあるとおり、医学的に明らかになっていません。臓器移植は、単に外科医の「とにかくメスを使いたい、手術をしたい」という、患者を傷つけても構わない医師の暴走に引きずられているのかもしれません。
 和田心臓移植は、臓器提供者の死への疑問、移植待機患者に対する移植の必要性の疑問を提示しました。しかし、和田心臓移植事件だけを悪者にすることで、それ以外の「死体」臓器提供・臓器移植に同様の問題のあることを見落とすことになってきた。人権擁護、人道の面から、脳死への関心と同様に、心停止への関心ももってもらいたいと思います。

 

臓器提供と臓器移植をめぐる倫理と現実の隔絶

 最後に、臓器提供と臓器移植をめぐって期待される「倫理」と「現実」を整理しました。

 一つ目の倫理として、「患者に害を及ぼさない」「デッド・ドナー・ルール」があります。
 現実は、脳死ドナーにおいては、心停止を避けうる患者を脳死と判定し、脳機能下の臓器摘出をしている可能性がある。
 心停止ドナーにおいては、臓器摘出目的で薬物が投与されますが、薬物は血流がないと効きません、血流があるならば生体です。臓器摘出の目的で血流を再開・維持することで、脳および心臓が蘇生し、三徴候死の死亡宣告基準を満たさない内的意識下の臓器摘出になりうる。ヘパリンで再出血、激痛を感じさせながらの臓器摘出になっている可能性がある。蘇生させれば良好な再拍動が期待できる患者を、心停止・心臓ドナーとしている。
 生体間を含む臓器移植患者、すべてのドナーにかかわることですが、「従来の内科的・外科的治療法を受けた患者」と「臓器移植を受けた患者」の生存率、QOLの比較がなされていない。医学的根拠(生存率低下リスク、QOL低下リスクの提示)がない臓器移植は、臓器移植を受ける患者、生体臓器ドナーにも害を及ぼしている可能性があります。

 二つ目の倫理として、「情報を制約なく与えられ、自由意志で同意、決定する」があります。生命倫理で最も重視しているという「自己決定権」のことです。
 現実は、ヘパリンについての不適切な説明、筋弛緩剤・麻酔投与について説明しないことにみたとおりです。

 三つの倫理として、「臓器提供安楽死・尊厳死」があります。
 現実は、移植用に臓器提供可能な状態は、死の迫る終末期ではない。臓器提供そのものが、死に至る苦痛を与える行為となる。

 最後に、「民主主義の手続き」「法令順守」という倫理があります。
 現実は、臓器移植法以前からの脳死臓器摘出が多数あり、現在でも一般の脳死判定によるカテーテル挿入、ヘパリン投与など臓器移植法はザル法化しています。

 ほんとうに患者のためを思って行われている医療ならば、このようなことは現実には起こらないはずだ、と私は思います。


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第4回市民講座(2013年10月27日)の報告

2014-01-02 12:59:46 | 集会・学習会の報告

第4回市民講座(2013年10月27日)講演録


 2013年10月27日、第4回市民講座を行いました。今回は新型検査が導入された出生前診断を取り上げました。講師は立命館大学生存学研究センター客員研究員の利光恵子さん。そして東京理科大学理工学部講師の堀田義太郎さんには出生前診断と脳死・臓器移植の共通性について講演して頂きました。以下はその講演録と質疑の報告です。

 

▼利光恵子さんの講演

「出生前診断について考える――導入をめぐる争いの現代史から」

 私は「生殖医療と差別・紙芝居プロジェクト」(前「優生思想を問うネットワーク」)に属しています。大学院に社会人入学をして出生前診断をめぐる論争の歴史を調べ、昨年『受精卵診断と出生前診断』(生活書院)という本を出しました。本日はそれについて話をしつつ、昨年から問題になっている新型出生前診断についても触れたいと思います。
 一言お断りしますが、私は、染色体やDNAの並び方の変化は生物や人間の多様性を示すもので、決して「異常」ではないと思います。しかしながら、医学分野では歴史的にこれらを、「染色体異常」「遺伝子異常」と言い慣わしてきました。話の中で、医学的な事柄を分かりやすく説明するためにこの言葉が出てくることがありますが、その時は、括弧つきの「異常」と思って聞いて下さるとありがたいです。
 まず、「出生前診断とは何か」から始めて、次に、1970年代から現代に至る出生前診断をめぐる論争の経緯を辿ります。受精卵診断については、少し詳しく話します。その上で新型出生前検査について触れようと思います。最後に、私達の社会はどのように出生前診断と向き合っていくか、ということを一緒に考えたいと思います。

 

(1)出生前診断とは何か?
 出生前診断とは、赤ちゃんが生まれる前に「異常」の有無を調べる検査です。大きく分けて3つの目的があると言われます。1つ目は、胎児の不調を見つけて治療するため。2つ目は、胎児の健康状態を調べて適切な分娩方法を考え、分娩後の治療・ケアの準備をするため。3つ目は、胎児の遺伝性疾患や障害の有無を調べて、親に妊娠を継続するかどうかの情報を提供するためです。つまり、胎児の病気や障害を理由にした中絶(=選別的中絶)の可能性を見込んで行われる診断です。
 今日私がお話するのは、3番目の出生前診断についてです。この診断は、その対象となる胎児の治療や予防のためではないという意味で、診断と治療・予防とが乖離しています。また、決定する者(医療サイド、女性もしくはカップル)と決定を引き受ける者(胎児)も乖離しています。出生前診断とは、そういう性質を持つものだということを押さえておきたいと思います。

 

(2)出生前診断をめぐる論争の歴史:1970年代 ―優生保護法改定をめぐる論争
 1948年に優生保護法が公布され、心身の障害を持つ方ややハンセン病に罹患している方に、不妊手術や中絶が行われました。特に本人の同意を得ない強制不妊手術は、統計に表れているだけで16,500件あり、その7割が女性に対してでした。また、この法の範囲を超えて「月経の介助が面倒」とか、「どうせ子どもを産まないんだから」などの理由で、女性障害者の生殖器への放射線照射や子宮摘出なども行われました。
 1960年代に羊水診断が登場して、それまでは障害を持つ子どもを産む可能性のある親に向いていた視線が、直接胎児に向くようになります。高度経済成長を進めるためには、人口資質向上と福祉コスト削減のために障害児の発生を予防すべき、という方向が示され、その一環として、全国で「不幸な子供子どもの生まれない運動」が展開されました。羊水診断は、これに取り込まれる形で普及していきました。
 このような動向を背景に、70年代初めに優生保護法改悪案が出されます。その内容は、中絶条件から経済的理由を削除し、障害を持つ胎児の中絶を合法化する胎児条項を導入しようとするものでした。経済的理由の削除に注目した女性運動は、この法案を「中絶禁止法」と捉え、「産む、産まない」の自己決定を求める運動を始めていきます。
 一方「青い芝の会」を初めとする障害者運動は、胎児条項の導入を、まさに障害者を本来あってはならない存在と見なすものとして強く反対しました。さらに、女性運動に対しても「障害を理由にした選択的中絶も女の自己決定権に含まれるのか」という鋭い問いを投げかけました。障害者運動と女性運動とが話し合いを重ねるうちに、女性運動の中からも、選別的中絶をさせる企みが国や医療にあって、女性はそれに加担させられているんだ、という認識が生まれていきます。こうして女性運動の掲げるスローガンも「産める社会を、産みたい社会を」へと変わっていき、障害者運動と女性運動とが、国家の生殖への介入に共闘して反対する方向が模索されます。70年代の障害者運動が、出生前診断は国家による優生学の実践であり障害者差別であると明確に提示したこと、同時に、出生前診断が個人の自己決定という形で作動する優生学を含むものであると指摘し、女性団体がこれを受け止めた意味は大きい。こうした動きは、それ以降の医療や社会に非常に大きな影響を与えたと思います。

 

(3)出生前診断をめぐる論争の歴史:1980年代―障害者運動と女性運動の連携
 80年代になり、体外受精や出生前診断などの生殖補助技術が急激に普及しました。80年代の初めに、やはり経済的理由の削除を目的とする優生保護法改悪の動きが起こります。女性運動は、出生前診断や体外受精などの科学技術が女のからだの中に入り込もうとしてきたと認識し、危機感を持ったのですね。それで、国家の管理に抵抗するには一人一人の個人に決定権を取り戻すしかないと考え、ここであえて「産む、産まないは女が決める」というスローガンを掲げます。70年代と同様に、女性運動と障害者運動との間で選別的中絶をめぐる議論が行われましたが、女性運動側が堕胎罪と優生保護法の同時撤廃という明確な主張をし始めたこと、あるいは、女性障害者たちが発言権を強めてきて、生殖についての女性の自己決定権は擁護されるべきという主張をし始めたことから、理解の回路路が開けてきた時期です。

 

(4)出生前診断をめぐる論争の歴史:1990年代前半―障害者団体と女性団体の共闘/隔たり
 90年代に入ります。96年に優生保護法が母体保護法という名称に変わり、優生条項が削除されました。この頃の障害者運動と女性運動との議論の到達点となる認識として、次の3点があげられます。①産むか産まないかの決定は、女性の基本的人権だ。②女性の身体を通した生命の質の管理には反対だ。③障害のある子を安心して産めるような支援体制の充実と、差別などの社会的障壁の除去を目指す。これら3点については、概ね両者の共通認識に至った時期だと思います。
 しかしながら、隔たりもありました。DPI女性障害者ネットワークの青海さんは、「女性運動は障害児を産めない社会が問題だと言う。それはそれで一理ある。だが、社会の条件が整えば、障害児と分かっても本当に安心して産めるのか?」と問いかけました。青い芝の会は「障害胎児を選別し抹殺していく効果しか生まない出生前診断・医療には絶対対決していく」と、主張し、出生前診断を受けることそのものに反対をしました。このように、女性運動、女性障害者、障害者運動の3者の間には、出生前診断を受けることやその結果による選別的中絶を女性の自己決定の範囲に含めるのかどうかについてはやはり大きな隔たりがあったと思います。
 こうした中で、医療サイドから受精卵診断導入の動きがあり、論争が起こったのです。

 

(5)出生前診断をめぐる論争の歴史:1990年代後半~2000年代―受精卵診断をめぐる論争

■受精卵診断とは
 受精卵診断とは、女性のからだに排卵誘発剤投与などの操作を加えて卵子を取り出して受精させ、その胚の一部を取り出して遺伝子や染色体を調べ、「正常」な、もしくは意図する目的に見合う胚のみを女性の子宮に戻す技術です。
 受精卵診断には大きく分けて、遺伝性疾患の回避を目的とする診断と、不妊治療として行われる受精卵スクリーニングの2つがあります。前者の遺伝病の回避を目的とするものは、遺伝子や染色体の変異を子どもに遺伝させる可能性のある保因者側を対象として行われます。簡単に説明しますと、単一遺伝子疾患の場合は、その原因になる疾患遺伝子を調べます。また、カップルのいずれかに染色体の転座(=染色体の一部が入れ替わったり別のところにくっついたりする現象)があるために、障害をもつ子どもが生まれたり習慣流産を引き起こす場合には、染色体の構造の変化を調べます。
 後者の受精卵スクリーニングは、不妊症の患者さんを対象に、体外受精・胚移植の際に染色体の数を調べて、「正常」な胚だけを子宮に戻すことで妊娠率を上げ、流産を防ぎ、出産率の向上を図ろうというものです。つまり、受精卵スクリーニングで検査対象とするのは、発生過程で偶然起こる染色体の変化です。
 では、受精卵診断にはどのような倫理的問題があるのでしょうか。まず、障害を持つ者の出生を回避すると同時に障害を持たない者の誕生を目指すという、差別に関わる問題があります。それから、女性の身体への侵襲をめぐる問題があります。さらに、生命を人為的に操作するという問題があります。加えて、診断対象が胎児から顕微鏡下にある複数の受精卵に移行したことで、適用範囲と目的が一気に拡大しました。それともう1つ、受精卵診断の場合は胚を選別して子宮に戻し妊娠させることが前提です。そのため、障害の排除のための選別と妊娠させるための選別とが、技術としては重ね合わせる形で実施されることになります。つまり、受精卵診断における選別は、今までとは違う重層的なフェーズで行われるものなのです。

■第1期 「生命の選別」技術をめぐる論争期
 受精卵診断をめぐる論争の変遷は大きく四期に分けられます。
 第一期は、受精卵診断が日本に紹介された90年代初めから、その実施を学会が承認した98年まで。この時期には、受精卵診断の導入を計画した大学病院・学会と、それに強く反対する「優生思想を問うネットワーク」を初めとする障害者団体・女性団体との間で、この技術が優生にあたるかどうかをめぐる激しい論争が行われました。
 学会と医療サイドは、受精卵診断は妊娠が成立する前の受精卵に対して行うから、胎児診断や、その結果による選別的中絶に比べて倫理的問題は少なく、女性の心身への負担も少ない。診断対象を重篤な遺伝性疾患に限定することで倫理的には容認できると主張しました。
 それに対して障害者・女性団体は、受精卵診断は障害や疾患を持たない胚のみを子宮に戻すことから、そうした子どもを産まないための技術であり、これは「いのちの選別」ある。ある。女性の心身に過重な負担を課して、遺伝的に「健康」な子どもを産むことを強いる技術だとも主張しました。また「重篤さ」は、社会的なサポート体制や障害および遺伝病への差別の在り方などによっていかようにも変化するので、医学的側面だけで判断するのはおかしい。たとえ重篤と判断できたと仮定しても、重篤であれば、なぜ生まれないようにしていいのか、と反論しました。
 また、医療サイドは、受精卵診断の導入は健康な子どもを産みたい女性(カップル)人々の強い希望に応えるためとして、個人の自発的な選択によって行われる限り優生思想によるものではないとも主張しました。ここで女性たちは、自己決定によって開かれる優生学を認めるのか否かを迫られたわけです。これに対して女性団体は、子どもを持つかどうかの選択は女性の自己決定だけれども、子どもの質を選ぶことは女性の自己決定には含まれないし、自己決定権によって正当化もされないと主張しました。
 しかしながら、こうした反対意見を押し切る形で、学会は98年に受精卵診断に関する見解を定めて臨床研究として使用することを承認します。ただし、対象を重篤な遺伝性疾患に限定し、実施にあたっては学会に申請して許可を得ることにしました。

■第2期 臨床実施に向けた準備期
 その翌年の99年から学会が最初に実施例を許可した2004年夏までが第二期です。根強い反対の動きが続く中、学会は、厳格な枠組みでの開始を目指しました。「重篤な遺伝病」の原因となる「疾患遺伝子の診断」に限定して許可することで、社会的コンセンサスを得ようとしたわけです。その結果、学会への申請は全て不承認とされるなど沈静期が続きます。
 水面下では、不妊クリニックと大学病院とで、受精卵診断を始めようとする動きがありました。それまでも、子どもを生ませるために先端技術を次々と導入してきた不妊クリニックにとって、受精卵診断は技術的にも倫理的にも日常的な不妊治療のすぐ先にある技術でした。それで、複数のクリニックで学会の許可を待たずに、受精卵スクリーニングを念頭に置いた準備が進められます。一方、大学病院、なかでも学会と同じ方向性を持っていた慶応大学は、受精卵スクリーニングに繋がる染色体検査そのものはやらずに疾患遺伝子だけを検査するべきとして手順を作り上げて、厳格な枠組みでの実施を目指しました。2004年初めに、神戸の不妊クリニックである大谷産婦人科が、学会に無断で受精卵診断を行なっていたことが、非常にセンセーショナルに報道されました。これが契機となって、学会は、2004年7月に慶応大学によるデュシェンヌ型筋ジストロフィーの受精卵診断を初めて認めました。

■第3期 不妊治療への適用拡大期
 2004年から学会が習慣流産への適応を認めた2006年までは、第三期です。不妊治療への適用拡大期になります。2004年の秋以降、大谷医師らは、学会の規制の外側で、転座による習慣流産患者や不妊症の患者さんたちを対象に、次々と受精卵診断を行なっていきます。受精卵診断を受けるのは、女性の基本的人権や幸福追求権にあたるとする大谷医師らは、受精卵診断は胎児として発育できる胚を子宮に戻す技術であり、流産を繰り返さないための不妊治療であると主張しました。また、もともと染色体異常で着床できなかった受精卵、もしくは流産する運命にあった受精卵を調べ、胎児として発育できる受精卵だけ集めて子宮に戻すのだから、優生思想や命の選別には当たらないと主張しました。このように、不育症や不妊症患者の切実な思いを前面に押し出す形で、どんどん規制事実を重ねていくわけですね。そういう受精卵診断を経た妊娠・出産が、人々の感情に訴えかけるような語りを通して報道され、受精卵診断は習慣流産という病気の治療の一貫であるという認識が広がっていきました。こうして、「倫理的問題が少ない流産防止のための受精卵診断」という言説が生み出されていきます。受精卵診断を不妊治療の一環と見なす社会的枠付を得られたときに、その診断を選択するのは女性の自由意思であり幸福追求権であるという医療側の主張もまた、受け入れられやすいものになってきたと思います。
 2005年になって、習慣流産への適応拡大を検討し始めた学会は、このような患者さんをクローズアップします。そして、2006年2月には、彼女らの心情は十分理解しうるとして、不妊症・不育症患者の「流産の反復による身体的・精神的苦痛回避」のための「選択肢の一つ」として、染色体転座を原因とする習慣流産への受精卵診断とその適用を認めました。ここには、90年代以来見解に込められていた、受精卵診断は生命の選別の手技の一つであるから歯止めが必要という主張は見られません。学会による規制もまた、不妊治療としての受精卵診断という新たな枠組みを認めて、患者の自己決定・幸福追求権によって受精卵診断という生殖技術の使用を正当化した、と捉えられると思います。

■第4期 「流産防止のための受精卵診断」の普及期
 2006年以降は、第四期の「流産防止のための受精卵診断」の普及期です。この時期に、習慣流産の診断実施数は、どんどん増加します。2010年になって、学会は「着床前診断に関する見解」の改定作業を行ないました。そこでは、先程の98年には明記されていた疾患遺伝子の診断を基本とする「解説」を削除して、染色体異常も受精卵診断の適用範囲に加えます。あるいは2006年には曖昧だった転座による習慣流産への適用を明確に認めます。これは、90年代の障害者や女性達の強い反対を背景として援用された厳格な枠組みを完全に取り払い、患者の自己決定権によって受精卵診断を正当化するための新たな枠組みが出来上がったことを意味します。ここで、生殖の自由の名の下に、生命への介入操作に繋がる生殖技術を使用する道筋が開かれたと思います。
 改めて受精卵診断における選別の意味について考えてみようと思います。受精卵診断における選別は、障害の排除のための選別と着床させるための選別とが、同時に重ね合わせの形で実施されているということを、冒頭で言いました。受精卵診断が、そういう重層性に立脚する以上、受精卵診断は、たとえ流産防止や不妊治療の一環として用いられようとも、染色体に違いを持って生まれる機会そのものをなくすることに通じるのではないでしょうか。そういう意味で、生まれてくる子どもの質の選別が、不妊治療の内部に埋め込まれる形で進行しているとも言えます。

 

(6)新型出生前検査診断の導入をめぐって
 新型の出生前検査は、妊婦さんの血液中に含まれる胎児のDNAの量の割合を算出して赤ちゃんの染色体の変化の可能性を調べる検査です。妊娠10週間という早期から診断可能であり、かつ血液検査だけであるため、妊婦と胎児への身体的負担は少ない。検査による流産もない。精度もいいと言われています。今回導入されたのは、ダウン症(21トリソミー)、13トリソミー、18トリソミーの3種類の染色体の変化を持つ可能性を調べる検査です。
 当初、精度99%という数字が一人歩きして、あたかも全ての妊婦について血液検査をするだけでダウン症かどうかが確実に分かる検査であるかのように報道されました。けれども、それは間違いです。検査を用いて陽性と判定された人のうち、実際にお腹の赤ちゃんに障害がある割合を陽性的中率といいます。この陽性的中率は検査を受ける集団の条件によって変化します。例えば、ダウン症の場合、妊婦さんが35歳であれば、陽性的中率は8割です。つまり陽性であっても、そのうち2割の方がそうではないということになる。さらに全ての年齢層の妊婦さんを対象にしますと、陽性的中率は約50%になります。つまり、陽性と判定されても半分はそうではないということになりますね。そうした事実は、大々的に大きな記事が出て、いわゆる誤解が広まった後でようやく公表されました。ごく最近の昭和大学の遺伝カウンセラーの論文によれば、35歳で13トリソミーの陽性的中率が2%、18トリソミーが20%とありました。そこで、改めて計算してみたところ、13トリソミーと18トリソミーの陽性的中率は一桁か一桁以下、つまり、陽性と判定されても、ほとんどの場合はそうではないのです。一方で、陰性的中率の方は、どの集団でも99%以上と非常に高いんですね。13、18トリソミーも99%です。そこで、医療サイドは、この春頃から「陰性なら99%以上はダウン症ではない」というように、妊婦さんの安心の所以として陰性的中率の高さを強調し始めています。でも、考えてみると、これってまさにマス・スクリーニング、つまりふるい分けの思想だと思うんです。
 また、新型検査をめぐる議論の中で、遺伝カウンセリングシステムの整備と充実をもって出生前診断の実施を正当化しようとする論調が非常に強まっています。出生前診断を受けることや、その結果に対する妊娠の継続に関わる判断は、女性かカップルの自己決定によるものとされます。そうした自己決定を支えるものとして遺伝カウンセリングがあるというんですね。
 けれども、もしも、検査前後のカウンセリングをするとすれば、そこで何よりも必要でありながら最も不足しているのは、障害を持って生まれた子どもが実際に育っていく道筋や、家族がどのような暮らしをしているかについての情報であり、障害を持つ人と共に生きる知恵やその醍醐味を伝えていくことじゃないかと思うんです。そういうことが医療の中だけで出来るとは、どうしても思えない。なかんずく遺伝カウンセリングというのは、障害児を生み育てることを支援する医療とか、福祉とか、教育とか、そういうしっかりとした社会側の受け皿があってこそ、意味をなすものではないかと思うんです。だから、今の状況の中で遺伝カウンセリングの整備だけが叫ばれて、それをもって正当化されるのは、非常に間違った方向じゃないかなぁと私は思います。

 

(7)出生前診断のこれから
 今回の新型検査の導入は、出生前診断の商業化のスタートだと思います。臨床研究として進められたために商業ベースの側面が見えにくくなっています。でも、実際には、妊婦さんの血液がアメリカの検査会社に送られて遺伝子解析されているだけではなく、国内外の民間会社も実用化に向けて着々と準備を進めています。胎児の遺伝学的な情報に市場価値がつけられて、商業ベースでの生命の選別が始まろうとしているのが現状です。
 また、今回の新型検査の導入は、血液検査という非常に普及しやすい形での網羅的な遺伝子解析・検査手法を出生前診断に用いることにゴーサインを出したということです。日本での検査の適用範囲も近々拡大するのではないかと思います。今は限定された施設で、いわゆる「ハイリスク」の妊婦さんを対象に行われていますが、実施要件の緩和を進める動きも出てきています。このような動向を踏まえると、非常に多くの妊婦さんを対象とした様々な遺伝子の変化に関するマス・スクリーニング検査―ふるい分け検査として、血液検査による出生前の遺伝学的な検査が行われる可能性は、高いと思います。
 今回、侵襲性が低く網羅的な遺伝学的検査が登場したことで、社会、あるいは私たち自身が生命を選択することを是とするのかどうか、改めて問われていると思います。障害や病とともに生きることの苦楽や醍醐味などをよく知る障害者、その親御さんたち、その周囲の人達の思い、あるいは出生前診断の直接の受け手となる女性たちの思いを丁寧に汲み取りながら、広く議論をする時期に来ているのではないでしょうか。そして、私自身は、やっぱり生まれてくる子どもに障害があろうとなかろうと、産もうとする女性が障害を持っていようといなかろうと、若かろうと高齢であろうと、新たな命が生まれること自体を歓待し、支える。そういう社会の実現に希望の在処を求めたいと思います。


▼堀田義太郎さんの講演

「生命を選別する思想――出生前診断と脳死・臓器移植の共通性について」

 私は大学院生の時に重度の脳性まひの方のボランティアをしていましたが、生命倫理学の研究者には脳死も安楽死もOKという人がいることを知り、それを批判的に検討したくて生命倫理学を専攻しました。本日は選択的中絶を前提にする出生前診断と脳死臓器移植の共通性についてというタイトルですが、両者の共通性を考える上で人工妊娠中絶をどう捉えるかが大切だと思い、そこを中心に、1人工妊娠中絶擁護、2出生前診断の問題(障害者差別)、3脳死臓器移植、という順でお話ししたいと思います。

はじめに
 両者の思想的な共通性は「人間の身体的知的能力によって線を引き、価値評価して選別排除し、存在させない或いは死なせることを肯定する思想」という点だと思います。しかし、両者の共通性を見るためには、いくつかのステップが必要だと思います。選別的ではない「通常の」人工妊娠中絶があるからです。人工妊娠中絶・選別・脳死臓器移植については、二つの両極の立場があります。
 一つはどんな状態(胎児や胚・脳死者)も人間であり、尊重すべきだという立場です。人工妊娠中絶にも選別にも、脳死臓器移植にも反対。「選別」という考え方を問題とするのではなく、生命活動がある以上は生命を維持するべきという立場です。
 他方、人工妊娠中絶も出生前の選別も脳死臓器移植も、すべてを肯定する立場があります。人間の知的能力に基づいて人間を線引きして選別する、ダウン症や重度の知的障害が出生前に予想される場合には、脳死者と同じく、死なせることに何の問題もない、とする立場です。
 私は、この二つの対立する立場の間で、「通常」の人工妊娠中絶を擁護しつつ、脳死臓器移植と出生前の選別を批判する立場があるのではないか、と考えています。その論拠にはどんなものがあるかについて考えたいと思います。

1 人工妊娠中絶擁護論
 人工妊娠中絶擁護論として、私も尊敬している加藤秀一さんは『〈個〉からはじめる生命論』(日本放送出版協会、2007年)で、胎児と脳死者を比較しています。彼によれば、胎児は「空間的独立性」がないが、脳死者は空間的に独立している。だから、脳死者を死なせることが肯定されないとしても、胎児を死なせること(人工妊娠中絶)を妊娠している女性にゆだねることは肯定されうる、と以下のように書いています。

 「誰の目にも明らかな点からいえば、脳死者が空間的には独立した一個の個体的存在者であるのに対して、何といっても胎児は女性の胎内に包まれていて、空間的な独立性が低い。生理機能の面からみても、胎児と母体は密接につながっている。それどころか、少なくとも現在の医療技術の水準において、妊娠22週未満の胎児は母体の外では生き延びることができないのだから、生物学的観点からはそれを独立の人間個体であるとみなすことには無理がある」(加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』日本放送出版協会、2007:70-71)

 加藤さんが挙げているのは、胎児の「空間的な独立性が低い」という性質です。彼によれば、「母体外生存可能性がない時点」では、道徳的配慮はわれわれとは同等ではなく、判断は妊娠している女性にゆだねられるといいます。
 しかし、胎児を死なせることが「空間的独立性がない」という理由で擁護されるとすると、選択的中絶や着床前診断に基づく胚の選別を批判する論拠を別に立てる必要が出てきます。「空間的独立性」という基準は、胎児と脳死者との違いを際立たせるためには非常に有効ですが、私は人工妊娠中絶擁護の論拠は、胎児の「能力」や存在の性質・あり方とも別のところに置いた方がよいと考えます。
 むしろ、その論拠は妊娠・出産の負担というところにあるのではないか、と思うわけです。この点について、J・トムソンは胎児=人間であることをひとまず認めたとしても人工妊娠中絶は擁護できると、以下のように書いています。

 「朝、あなたが目を覚ますと意識不明状態のヴァイオリニストと背中あわせにつながれた状態で一緒にベッドの上にいた。意識不明の有名なヴァイオリニストだ。彼が命にかかわる腎臓病であると判明したため、「音楽愛好家協会」の人々は入手しうるあらゆる医療記録を調べあげ、血液型が適合し彼の命を助けるのはあなたしかいないことを突き止めた。そこで彼らはあなたを誘拐し、昨夜のうちにヴァイオリニストの血管をあなたの血管につなぐことで、あなたの腎臓を使ってヴァイオリニストの体内の老廃物を濾過できるようにした。病院長がやってきてあなたにこう言う。「いやあ、音楽愛好家協会の連中があなたにこんなことをしてしまったのは遺憾です――知っていたら、消して許しはしなかったのですが。だが、とにかく彼らはやってしまったし、今やヴァイオリニストはあなたとつながれております。あなたを外せば、彼は死んでしまうのです。でもご心配はいりません、ほんの9ヶ月のことですから。それまでには彼の病気は治ってあなたから離しても大丈夫な状態になりますから」。この状態を受け入れることは、あなたの道徳的な義務だろうか?」(『妊娠中絶の生命倫理』江口聡監訳、勁草書房、2011:13)

 これは「誘拐」なので性行為そのものを望まなかったケース、つまり強姦のケースが想定されていますが、それ以外のものについても、妊娠継続と出産はトムソンのいうように「完全義務」ではなくて「不完全義務」だと言えるのではないかと私は考えています。
 「不完全」だとしてももちろん義務はあります。トムソンの議論では、人工妊娠中絶について、妊娠した女性が妊娠出産の身体的負担を回避したい場合には、理由に応じて評価するべきだとされています。まず、性行為に選択の余地がなかった場合(最悪のケースですが強姦の場合)には中絶する人は非難されない。では、選択の余地があった場合はどうか。その場合でも、中絶を決断する「理由」に応じて評価を変えるべきだということが示唆されています。
 たとえば、「海外旅行を延期するのが面倒だからとの理由で中絶を望むのであれば、中絶を要求するその女性も、中絶を行う医師も良識を欠いている」と。些細な理由で行われる場合には非難されるべきだが、理由によっては、たとえ妊娠の可能性を承知で性交をした場合にも非難までには値しない場合がある、と言えるのではないか。トムソンは、「すべてのケースの中絶を……常に道徳的に等価なものとして扱う議論自体が疑わしい」と述べています。
 私は、これは説得力がある立場ではないかと思います。

■選択的中絶・受精卵の選別と、「通常」の中絶の違い
 では、「通常」の人工妊娠中絶と選別の違いはどこにあるのでしょうか。人工妊娠中絶は、どのような子であれ妊娠・出産自体を望まないが、選別は「△△な子」であれば望むが「▽▽の子」はいらない、という子の状態に対する評価に基づいています。
 選択的「中絶」という表現より、着床前の選別も含めて、出生前選別技術は、「選別妊娠」「選別出産」とセットであると言った方がよいでしょう。つまり選別する人は、妊娠・出産の負担の回避ではなく、診断の結果次第で妊娠の継続如何を決めるわけです。人工妊娠中絶とは別に「ある種の子を欲しくない」理由そのものを問えるのではないか。
 次に選別はすべて同じかを考えてみたいと思います。男女産み分けのように、その属性・性質に基づく選別と障害に基づく選別は同等なのか、異なるのか。次の4つの立場があります。
 ①いずれも選別である以上、同じく問題がある。②いずれも問題はない。③男女産み分けはよくないが、障害に基づく選別は問題ない。④男女産み分けよりも、障害に基づく選別の方が、問題が大きい。
 大学の授業などで学生に聞いてみると、③と答える学生が4分の1くらいいます。私は、④のように言えるのではないかと考えています。男女の産み分けより障害を理由にした選別の方が問題であると考える、それは選別が「差別」に関わっていると思われるからです。

 

2 出生前選別の何が問題か――差別という視点
 「障害」を理由にした選別は、「障害」は本人の身体能力に何らかの制約があって、「害」「不利益」「不幸」のもとになる、という前提があり、出生後の同様な特徴を持つ人を想定して行われる。たとえば、インドで女性が不利であるため女児を中絶するケースが頻発したことがありましたが、男児が可愛くないから中絶するというのとは違う。それは差別をどう考えるのかに関連しているでしょう。

■ 障害に基づく選別を批判する論理とは
 選別は「障害をもって生きている人びとを傷つけるような態度を表現しており、障害者を傷つけるメッセージを送っている」と批判され、選択する側の「態度」にも焦点が当てられています。
 一方で、選別をする側は「障害がない方がいい」と「障害者はいない方がいい」という二つの判断は違うのだと論じています。
 逆に批判する側からすれば、選別する当人が「障害者はいない方がよい」と思っていなくても、つまり選択する人が主観的に「差別」を意図していなくても、その行為は差別であると言えなければいけないでしょう。
 選別はある種の人を存在させない、あるいは「障害」を理由に存在そのものを消すことなので、その人の特徴の一部でその人の存在を価値評価するものです。それは人の部分的な属性を理由に当人の存在を評価する障害者差別を表現し、強化することになります。
 では、身体的な特徴を基準にした選別はすべて差別だと言えるのか、との問いが生じます。
 積極的な性質の選別もありえます。たとえば、一人目の子に組織を移植するために、血液型や遺伝子型が適合する子を選択して出生させる「ドナーベイビー」や、聾の親が先天的に聴覚障害のある子を選択して出生させる一種の「デザイナーベイビー」は、特定の属性をもつ子を出生させ「普通の子」を出生させないという選択です。このように身体的属性を基準にした選択がすべて「差別」になるわけではありません。とすれば、障害を理由にした選別を差別という理由は何でしょうか。

■ 障害者差別とは何か
 「差別とは何か」については多くの議論があり、ここですべてを検討することはできませんが、一つの考え方として、ある人々の被る不利益をその人々の属性によって当然視する見方が差別の構成要素になっている、という考え方があります。リスペクトベースの差別論と呼ばれる考え方ですが、障害者差別に当てはめれば、たとえば「障害者は生活上様々な不利益を受けても仕方がない」「障害者は家か施設に閉じ込めておいてよい」「障害者が移動などに困難があるのは仕方がないし、当然だ」等といった考え方になります。このような発想と選別の前提にあるのは、「障害が害や不利益をもたらし・不幸になる」という図式です。この図式の最大の問題は、当人の経験上の(目でモノを見る、足で歩く等々に対する)「制約」と、身体的特徴から来る情報や移動といった社会生活上の機会の「制約」を区別しないところにあります。障害者が被っている不利益のなかには、周囲がサポートすることで除去可能な制約が含まれていますが、「障害=機会の制約」という図式を一般化してしまうと、除去可能な制約と、除去不可能な経験上の制約は区別されないのです。「差別」の背後には、能力に基づいて人間の存在そのものの価値を評価する見方・思想があり、選別は非常に分かりやすい形で、この思想を「表現」していると考えられるのではないでしょうか。

 

3 脳死臓器移植
 他方、脳死臓器移植は、脳の能力に基づいて、生かすべき人/死なせてよい人の線引きを前提にした生命の選別であることは指摘されているとおりです。
 ここでは、脳死臓器移植や選別を積極的に推進しているピーター・シンガーの議論を通して、脳死臓器移植が、人間の生命を能力に基づいて選別し、生きるに値する/しないという判断を行っているに他ならない点をあらためて確認します。
 シンガーは、脳死臓器移植をさらに「推進すべき」という立場から、「脳死」概念の欺瞞性を指摘し、「脳死」概念が導入された経緯とその理由を以下のように分析しています。

①ハーバード大学医学部脳死定義検討特別委員会(通称「脳死委員会」)の1968年の報告書について。公表された報告書の草案では、「移植の必要な人のために活性のある臓器をより入手しやすくするという目的で、死の再定義をしようとしている」、つまり「フレッシュな臓器」を容易に入手するという目的が明示されていた。
②「一般的に言って、人工呼吸器をつけた脈打つ暖かい身体が本当に死んでいると認めにくい」
 「死の脳死基準は便宜上のフィクションにすぎない。この基準は、そのままでは無駄になってしまう臓器をとり出すために、また無益な医学的処置を中止するために、提案され受け入れられてきたのである」

■ ピーター・シンガーの主張
 シンガーはこのように指摘したうえで、「脳死は殺人だ」と指摘します。そしてご存じのとおり、「我々が価値を認めているのは、生命それ自体ではなく、意識をもった生命」であり、「すべての人間の生命には等しい価値があるという伝統的信念の知的束縛を抜け出す」ことが重要だ、と主張しています。
 脳死臓器移植に問われている真の問いは、「能力によって、人間の生命に価値付けを行い、生かす価値のない生命があると言うか否か」だということです。シンガーはこの問いに対してイエスと答えています。私はノ―と答えたい。シンガーの議論は最近話題になっている「臓器提供安楽死」にもつながる議論です。
 私は、彼の「主張」には賛同できませんが、脳死臓器移植とは何かに関する「分析」には賛同しており、評価できると思っています。

 

まとめ
 以上をまとめると次のようになると思います。
 第一に、出生前の選別と脳死臓器移植の思想的な共通性を明らかにするという課題にとって、人工妊娠中絶を擁護する立場を取るならば、「胎児や胚も脳死者も人命として同等である」という立場と、「胎児・胚・脳死者は能力において劣っており人命の価値も劣る」という立場のいずれでもなく、これらの中間で考える必要があるのではないか。
 第二に、人工妊娠中絶を擁護する論理として、胎児の性質や能力に依拠する議論があるけれども、「母体外生存可能性」基準よりも、妊娠出産の負担回避という理由を重視する立場の方が望ましいのではないか、と考えます。この観点からは、「理由」に応じて同じ行為の評価を変えることができるからです。母体外生存可能性基準を採ると、選別に関して別の理由づけが必要になると思いますし、人工妊娠中絶を考える枠組みと一貫した形で選別を考えることが難しくなります。
 第三に、「妊娠出産の負担回避」という理由を重視する立場から見ると、出生前選別は、診断を受ける時点でこの理由が(少なくとも一旦は)否定されていると言えるのではないでしょうか。出生前選別は、胎児や胚の除去・廃棄であると同時に、ある種の性質を持つ子を選別的に存在させること(選択的出産)だからです。もちろん、「一度否定した理由は二度と使えない」と言えるかどうかは微妙な点かもしれませんが、ここに違いがあることは明らかだと思います。
 第四に、「選別」の何が問題なのか、について、一言で「選別」と言ってもいろいろなものがあります。男女産み分けや「ドナーベイビー」などです。「選別」一般に問題があるとして、すべてが同列に評価されるべきなのかどうかが問題になるでしょう。私は、選別一般に問題があると思いますが、障害を理由にした選別は、その他の選別とは異なる側面をもつのではないかと思います。
 それは、「障害者差別」に関係するという点にあるだろうと思います。障害者差別とは、負担がかかる人・依存する人・利益を相対的にもたらさない人の不利益は致し方がない、として当然視する見方であり、ここには、能力に基づいてある人々を劣位化し、同等の存在として尊重しないという価値観が背景にあると言えると思います。
 第五に、脳死臓器移植は、シンガーが指摘するように「能力によって、人間の生命に価値付けを行い、生かす価値のない生命があると言うか否か」という問題であると言えるでしょう。そして脳死臓器移植を肯定するとは、この問いにたいして「イエス」と答えることになります。
 以上から、出生前選別も脳死臓器移植も、《何らかの能力に基づいて人間の(総体としての)価値を評価する》、という価値観に関係している、と言えると思います。そして脳死臓器移植はこの価値観に「基づく」行いであると言える。それに対して、障害を対象にした出生前選別は、選別を行う当事者がこの価値観を直接的な理由として、それに「基づいて」行っているケースばかりではないかもしれません。むしろ、この価値観に基づく社会のなかで、とりわけ女性に強いられるケア負担が前提になっている場合が多いでしょう。しかし、障害を対象にした出生前選別は、仮に当事者がそれを「意図」していなくても、行為の「意味」として、上の価値観を表現しているとは言えると思います。
 最後に、少し飛躍はあるかもしれませんが、自律と自立に対して、ケアと依存を社会の軸として設定するような思想と社会構想が、やはり重要な課題になるだろうと最後に申し上げて、私の報告を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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 講演の後、会場から「子どもを産むか産まないかを決めることは、自己決定というのだろうか?」「女が決定することとすると、男性をさぼらせることになるのではないか?」「ナチスの優生思想が形を変えてのあり方では?」などの疑問も出された。出生前診断は、遺伝カウンセリングばかりが強調され、情報を与えて判断させると言いながら、結局は障害者が生まれないような実態を作っている。あるダウン症児のお母さんが「産んで育てて本当に良かった。生まれてくれば関係性が持てて育てられる。辛いことや悲しいこともあるが、醍醐味もある。そこを見てほしい」と言われたお話なども紹介され、議論は尽きず、時間切れで持ち越しとなった。

(テープ起こし 天野/川見)


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