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 涙を耐えた日向木挽唄

2017-04-22 08:58:06 | 熊本支援コンサートHANA
涙を耐えた日向木挽唄


田村さんは半年も前から、ずっと私達の舞台練習に付き合ってくださった  時には体調を崩された日もありました  それでもこのコンサートの成功のために手伝いを止めることはありませんでした  いつも私達親子を支えご尽力くださったのです 

田村さんは毎年、音戸の舟唄全国大会で私の合いの手を受けてくださっており、NHKのど自慢でもコンビを組み、お陰様にて合格できました  音戸の舟唄に田村さんあり  この方がいたからこそ、協力してくださったからこそ、私は活躍できているのです 

当初、私の音戸の舟唄は、この日向木挽唄のタイミングでの演目順序でございましたが 6日前の予行演習にて田村さんが私の音戸の後に木挽唄の衣装に着替えるのに2、3分必要だということになりましてね  舞台監督のかおるさんが「第二部の先頭に音戸を移動させましょう」との案を出されたことで、私は第二部のトップと変わったのでした 

それにより、田村さんが衣装を着替えるのに急ぐ必要もなくなり、スッキリしたのでした この舞台監督がかなりしっかりしておりましてね 東広島を本拠地に活躍されている ワークス(プロの音響、設備、照明、舞台関連を手掛けておられます) この会社を教えてくれたのが、地元で同級生の音響プロの(広島県江田島市)金川氏だった。

私は金川氏に照明をお願いしてみたのだったが、くれ絆ホールでの照明経験がなかったことから、「ワークスさんなら良くしてくれるよ」とのアドバイスから、私は、かおるさんと出会うこととなった。 かおるさんのお話は、ここではここまでにしておくことにして  田村さんは本当に素晴らしい唄を披露してくださった  私は横でお囃子をしていてスポットライトを浴び眩しい田村さんを観て  感動し涙が出そうになった 

田村さんは、音戸の大会でも、緊張され、時折、音を外される時もあったのだったが、このコンサートでは、ほぼ音を外さなかった  誠に心の篭った見事な唄を母と同じ年にて唄える素晴らしさ  私は民謡というものの伝統ジャンルに未知の可能性を秘めているということにも同時に感動をしていたのだった

今は民謡人気は弱いのだが、必ず和が見直される時代は来るのである  外国人を含めた日本のすべてが着物を着て銀座を歩くことが流行するということは、この私が予想しておく  予想することは誰でも自由なので迷惑もかかるまい  特に笛、鼓、太鼓、三味線、尺八、鉦、筝などの和楽器類は、プレーヤーが少ないために、この先の未来に向けて、非常に価値が高まります

現代では、ニューミュージックが世界をリードし、皆、酔っているのですが  この日本では、これから民謡が少しづつ見直され、子供の教育、趣味に於きましても活躍する日は来ると考えます。 ならば、私達、民謡人が頑張って今、継承し、舞台を設け、発表することは、とても意味深くて素晴らしいことであるように考えております 

母や田村さんは年齢こそ70代で高齢の域に入りつつございますが、その時代に生きてきた人でないと、この味や深い優しさは、現代の若い人には、決して表現できません。 民謡の素晴らしさは、そこにあるのです  それぞれの時代背景が常にその人の民謡の表現や味わいに甘味されているのですから  民謡は、若ければ若さのういういしさ  そして高年齢の方には、その昔の日本の時代の雰囲気を表現できるために味わいも深いのです 

なので民謡に年齢は、あまり関係がございません。 どこからでも習えて楽しめるのが民謡なのでございます。 そして今の子供達にも伝えたい 民謡を始めてください  民謡は頭脳を鍛えてくれるだけでなく和の音色に自らも癒され、モバイルなどの液晶を見なくて済みますので視力を維持できる点も優れています。 近年では、視力の低下が顕著に現れており、心配するところでございます。

田村さんの素晴らしい日向木挽唄は、これから未来に向けて、この日本の民謡ファンのどなたかが気に入ってくださり、何十年先のファンに向けて受け継がれてゆくことを願っております  この唄の中に田村さんの人生のすべてが凝縮され、その歩んだ深い歴史を感じ、私は感動したのでした  本日もご拝読、誠にありがとうございました 


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