和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

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このスポーツが私を救ってくれる(クライミング ボルダリング)

2013-09-19 00:00:01 | うつと生きる


この動画はクライミング(リード:紐をつけて登ってゆくクライミング競技)世界大会 2013の模様です。 実はこのスポーツは、現在、あまりまだ世界中の多くに知られてはいないためにニュースにもならない状況なのでございますが・・ 私はこのスポーツを2回挑戦しているのですが、体全身をくまなく鍛える必要があるために毎日、少しづつ焦らずに体に抵抗を与え、鍛えてゆくので健康に非常に良いです。 その為に心に病を抱えている私としては、体力がつき脂肪が燃焼してくれるためにナイスガイに僅かでも近づけますし良いことづくめなのでございます。 考えてみますと民謡でも体全身に筋肉がバランス良くある方が良い声にも繋がってゆくことだと思うので一石ニ鳥なのでございます。

この動画は3時間を超える長い動画ですので、日本人選手が活躍する時間帯をお知らせしておこうと思います。 まず男子、あんまさち選手が見事に世界一となるのは、1時間17分からスタートとなる映像です。 2時間24分からは女子、山口県19歳の小田桃花さんが世界二位になる映像です。 このような大活躍が日本の中であまりニュースにならないのが本当に勿体無いと私は思うのですが・・ こんなに過酷な競技で小さな国、日本がこれだけの活躍ができるというのは、本当に素晴らしいですし・・ 2020年東京オリンピックには無理だと思いますが・・ 是非、将来、この種目をオリンピックに組入れていただきたいと心から願います。 次に女子ですが、おだももか選手(山口県出身でたまに広島CEROにも練習に訪れるそうです)19歳は、2時間24分辺りです。 見事に準優勝致します!! 私はこの月曜日の祭日も広島CEROに行く予定にしております。 もちろん三味線も一緒です。



こちらの動画(ボルダリング:一つ一つのブロックの難易度が非常に高く難しい技と力が要求されます。 紐はついていないのであまり高さはありません)では52分から、1時間23分から、1時間56分から、2時間56分には日本人の世界一を表彰致します 日本を代表する男子が二人出場しております あんまさんとすぎもとさん この二人の熱い技術と日本魂をご覧くださいませ どちらかが難しいコースを攻略してしまうアンビリーバボーな奇跡が観れるのです

実は現在、ベルギーでクライミングの世界大会が20日から開催されますので、小田さんは恐らく選手としてベルギーに行っていることでしょう。 日本人が大活躍していることを、もっとニュースで知らせてあげて欲しいなと願っております。 せめて民謡好きの私がここで発信しております 私の現在の体重は69・5kgございます。 運動不足にて腹の回りには脂肪がいっぱい  こんな重りを抱えていては、ボルダリングは上達出来ません。  少しづつ鍛えていって・・ 厚い胸板を作ったら・・ 皆さんにここで証拠を貼るのが夢ですが・・ 胸に毛があるので熊さんと間違えるかも(笑) 失神はしないようにご注意願います 広島CEROからは、中野稔選手(日本代表 世界ランク14位)がベルギーに旅たちました。 私が初めてボルダリングを習った先生です。 すごーい男前でナイスボディーなんですよー 女子のみなさんはきっと抱きつきたくなっちゃいますよ 無駄なお肉が一切ありませんから

音戸の舟唄全国大会の頃には私だって少しはガイらしく変身できているかも だったら隠岐に渡れば・・ モテるかも あははー そーんなことはあーりません(笑) 唄が下手だからーー  クライミングが出来てナイスガイで三味線上手くて唄まで上手かったら・・ いったい  ゆうさん どうするんでしょ  なんて夢を観て今夜はお休みしようと思います いやー スポーツに方向を少し転換するだけで心がこんなに安定するなんて思いもしなかったです。 少しづつスポーツに三味線に唄にと頑張りますよー  それではファンの皆様 またあした~

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仲間って すごい

2013-08-09 22:32:45 | うつと生きる
仲間はあかの他人だという人もいる  そう仲間と僕は家族なんかではない  同じ県にも住んでなどはいない  だけれども趣味というものは不思議なもので  趣味の世界がわかる者同士にしか伝わらない何かがある  もちろんそれは唄が唄えるとか楽器が出来なければという問題ではない  音楽に興味があり → それが民謡というジャンルであっても良い人や 音楽にはそれほど興味がなかっても → 着物を着て舞台に現われることに興味がある人もいるであろう

私は民謡を独学で習い始めてもう5年が過ぎました・・ あらゆる民謡に心地よく狂った人達と会って参りました  私は自分が一番狂っているのだと信じて生きてきた  ところがっ  甘かった  そこまでやるのかいってくらい全国を周られる方もいらっしゃって  世の中の広さ、自分の泳いでいた狭さ  小ささに正直脱帽しました  民謡ってのは、テレビでもあんまりやらないし・・  あんまり人気がないんだと簡単に考えていたのでしたが

意外や意外 全国の民謡大会の模様を映像とかで見せていただいたら おるわ おるわ  僕と同じような人間が山ほどおったわー   日本の中に100名以上が参加される民謡全国大会がいったい幾つくらいあるのでしょうか  僕にはわかりませんが・・  ざっと100くらいは余裕があるのでは  100×100=10000人が1年間に競い合っている

すごい人なんか、年間に20大会くらい出場される方もいらっしゃるとか なんて素晴らしい そこまで民謡に命を捧げられる人間ってすごいっ 僕も若い頃はスキーに人生を捧げてたつもりでしたが・・ 上には上になんぼでもいます ただ、最近私が考えるのに競技といっても、ただ人より上に行くことだけが栄誉というわけなんかじゃーないって  そう考えられるように変わりました

人に変えれないものがある それは己の心です 民謡の舞台というものは、その己にしかない心の中にある素晴らしい思いを発表し表現できる場なのでございます。  つまりどんなに技術ばかりを練習して鍛えたところで魅了がある表現ができるとは限らないところが私は大好きなのでございます。  民謡を知れば知るほどに深さを学びます。  最近、知ったのは欲がなければ練習する気にならず・・ 本番では欲を出すと自分に負けてしまうということを学びました。

私にとって舞台の上で良い成績を収めたいと考えた時点で駄目なのです。 成績を考えるようでは、その意識が表現に入ってしまっては駄目なのです。 それではどういった気持ちで舞台に上がることを目標にするのか  それは、今日まで健康に生きて歩んでこれたことに感謝出来れば、自然と心構えは決まるのです  健康でなかったなら・・  舞台の上に立つことさえもできないからです。  私は今年の音戸の舟唄の舞台に立つことが不可能になるところでした。 崖っぷちに立たされたのでした。 大会に出場するどころの問題ではなかったところまで追い詰められていたからです。 本当に危ないところだった。 ワラにもすがりたい思いでナガセのスッポン粒を1週間飲み続けて信じられない回復を成し遂げられたのでした

予選の時から私は決勝に残ることを諦めていたんです。 通常では着てはタブーとされる羽織を着ました  母からは「羽織は舞台には似合わないわよ」と注意も受けましたが・・ 私は生きて仲間と共に舞台に立てることを心の底から喜べた時に、競技を行っていることを綺麗に忘れられたのでした  その無心で唄えたことが緊張をなくし伸び伸びと堂々と自分の描いた唄が唄えることに繋がったのだと想います。

信じられないことに120名の中のたったの10人に選ばれた時の決勝の舞台では、周りの競技者が皆上手すぎて 私はトップバッターだったし 決勝を意識してしまい 理想の声量よりもオーバーして唄ってしまいました 結果、唄の中で2、3箇所、擦れてしまいましたが結果は2位  アナウンスを聞いた時には信じられませんでした  我流を貫き唄ってきた自分が2位になれるなんて・・ 審査委員さんはおかしくなってしまったんじゃーないのかと少し成績を疑ったりしましたが・・ こんなことも世の中あるのですね。

でも心配しないでください。 来年は予選落ちしますから  だから民謡は奥が深いんですよね~  だから好きなんです 
いつかは秋田県の大会にも出場してみたいですね 秋田小原節と本荘追分 この2つは絶対に生きていたら出場してみたい。 唄と伴奏とで  最近、民謡仲間が秋田の映像を送ってくださりましてね  それを観たら  秋田民謡に 炎が灯りましてね  よしっ  僕だってできるようになるんだゾって気持ちになりましたから  今日も頑張って練習してみましたから  一緒に出場してみたいという方がおられましたら・・  どうぞよろしくお願い致します~  それではおやすみなさいませ



人気ブログランキングへ 本日もご拝読、誠にありがとうございます お盆には徳島の阿波踊りを観に行って参りますね





















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今日のゆうさん

2013-08-05 21:36:37 | うつと生きる
今日のゆうさんは夕暮れの海水浴を一人ぼっちで楽しみました。 能美海上ロッジの隣にある長瀬海岸、遠浅で海水温度が高くて泳ぎやすいのです。 ただ一人ぼっちで泳いでいるので深いところで何か事故が起きてしまったとしたら・・ 誰も助けてはもらえませんので底に沈むだけです。 でも今年初めて泳いでみて気持ち良かったな~ ここに民謡仲間が一緒に水着を着て泳いでくれたなら・・ どんなに楽しさが倍増したことだか(空想)。 春に訪れてくださったメンバーを思い浮かべましたよ  海に浮かんだいかだの上で休憩しながら・・ 過ぎた時を懐かしく感じていたのでございました。

僕は今、パソコンで少しだけボランティアを行っているのです。 広島に来る観光客のみなさんが知恵袋というサイト中で・・ 広島や宮島以外にどこかおもしろいとか綺麗な場所ってないでしょうか?などと質問されているのを観て・・ よし 僕が答えてあげようっって思ったのが始まりでした。  今はお盆前の夏休みということもあって・・ 広島に観光に行くのだという方の質問が増えてございます。 宮島の周り方から広島のお勧めの場所・・ お得な2日間パスポート(高速船と宮島ロープウェイが乗り放題)、更には江田島の海上自衛隊見学や呉の大和ミュージアムなど・・ それでもまだ情報が足りないと言われれば東広島にある 幽霊喫茶店の伴天連 
http://www.tok2.com/home/nandemoari/bateren.htm ここへは・・ いつの日か仲間を案内してあげなければならないと思ってます(笑) いい民謡が唄えるようになると思うからです。 人間、なんでも経験すれば器が広くなり話の種にもなる  あはは。

広島観光では、能美の景色も時に宣伝しております。 ロッジの源泉掛け流しのお風呂は最高に気持ちいいですからね  まぁさすがに能美にまで初めての広島観光で行ってみたいと思う人は滅多にいないとは思いますが・・  それでも伝えてみないことにはわかりませんからね~  宇品港~中町港までの海と島との景観は本当に素晴らしく観る者の心を癒すのです。  私は時折、中町~宇品港を高速船で移動するのですが・・ そんな時にも必ず景色を見渡して楽しんでおります。  自然の美しい景色は心に響き、それらの蓄積が素晴らしい民謡へと繋がってゆくからなのでございます。  自分の心を琥珀のように美しくしたければ、美しい自然をたくさん観て感じることです。  花、木、川、海、鳥、山、雲・・ 心に感じられる美しく響くものを生きている内にいったいどれだけ観ることができて・・ 又、その素晴らしさの意味を理解できる心を備えているのか!? そこが大事なのです。

それらの意味を理解できる器を持つためには、小さな頃の生き方が問われます。 やはり親にさまざまな美しい景色だったり、動物であったり、山、川、海などに連れていってもらっているのか・・  それらを多く自然と向き合い生きてきた子供達は自然から美しさ、生の素晴らしさを学んでいるのです。 残念ながら、現在は世の中が進化しすぎてしまって・・  自然の価値よりも人間が便利に生活するために自然が少しずつ失われていってしまっております。  人は機械や機器に頼り、いつの間にか自然と共存していた時代から離れてしまいました。  最近の子供達の多くはゲームに夢中で学生さんは、スマートフォンに夢中です。 その夢中になっている期間の時代では、自然と向き合う時間が損なわれているのです。  つまり、身の周りに美しい花が咲いていても目を向けずにスマートフォンに夢中になっているのです。 私にとってみると勿体無いと思います。  もちろん、その人が楽しければそれでいいのでしょう。  けれども、そのことに気がつくのに一体何年かかることでしょうか・・  光を放つアイテム、このパソコンだって同じことが言えます。  私も、パソコンばかりを使用しないように注意を最近しております。

目や脳にかなりの疲労を与えます。 一方、自然を観て脳で感じると心が元気になるみたいです。 私は今、心が病んでおりますので、それが鮮明に体感できております。 昨日も墓参りに散歩がてら行き、4度目にして、やっと全ての草を刈り終えました(生まれて自分一人で行ったのは初めてでした)。 この草取りは母がいつもほとんど一人で行っていたことでした。  その母も、最近は少し弱っていて熱い夏の夜は眠れないらしく体調が優れません。
73歳になってまで、未だに私と一緒に床屋を頑張っているのですからね・・ 無理もないのですが・・ 母はきつそうです。 これから先の人生は大変みたいです。 私もうつの気がありますので、散歩を頑張って心の管理をしっかりさせ安定を計って生きてゆかねばなりません。  今週は私の料理当番  お盆前に母の体調が良くなるのか悪くなるのか  それは私の手料理に架かっていることでしょう  頑張って母の好きな料理を振舞ってあげたいと気合を入れております  ご拝読、誠にありがとうございました


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生きるということがこんなに大変だとは知らなかった

2013-08-01 22:05:22 | うつと生きる
今思うと若くて働きやりたいことのためにお金を稼ぎ遊んでいた頃は楽だったな。 それにその時にはその意味が全く見えてはいなかった。 ただ我慢して働きお金が適当に貯まると、日ごろのストレスは山にスキーに行くことで解消されていた。 僕がスキーの魅力を初めて知ったのは高校の修学旅行で長野県は志賀高原に行った時のことだった。 今でも鮮明に覚えている。 初めてクラスメートと男二人でリフトなるものに乗り空中散歩を味わった。 すごく怖かったのを今でもよーく覚えている。 僕はだいたい高いところが苦手であった。 そんな僕がスキーを覚えて2日目で自分の意思通りに曲がれるまでになりスキーのおもしろさに魅了されたのだった。

スキーをするために働いていた感じだったな。 そういえば理容のグループで信州にスキートレインという列車に乗って旅行をしたことがあった。 その時にリフトの上でたまたま神戸に住んでいるという若い女の子と一緒に座ることとなったのであった。 僕はその時には彼女なんていなかった。 その神戸の女の子とは、スキーの話がかみ合ったのだが、その子が言うには今日が初めてだと不安がっていた。 僕は一瞬、指導してあげたいと考えたのだが・・ そこまでの積極性は持ち合わせてはいなかった。 彼女は僕にきっと教えて欲しかったのだと今思えば思い出す。 私は彼女とは縁がありませんでした。

僕はそれからも休みになればスキー場に通った。 多くは島根県の瑞穂ハイランドスキー場に通った。 スキー教室で個人指導を受けたり、日本スキー連盟主催の検定に合格したくて練習に明け暮れた日々を過ごしていたものだった。 あの頃は元気だったな。 3級を一発で合格でき、翌年にも2級も一発で合格できた。 残すは1級であったのだが・・ トライしてみたもの合格にはほど遠い夢のまま終わった。 1級を取得しようと思ったら・・ 子供の頃から滑っているレベルでないと難しいのだ。 うわさでは1シーズンに30回は通わないと1級取得は難しいだろうと噂されていた。

僕が1シーズンに通っていたのはせいぜい15回までだった。 そんな時代は終わり私の趣味は民謡へと変わった・・ 38歳の頃にテレビで観た、第1回音戸の舟唄全国大会の模様に興奮した。 よしっ!! 僕も音戸の舟唄全国大会に我流でエントリーしてみたい!! 舞台の上で自分を表現してみたい!! そう思ったのだった。 そして第2回大会に僕は母に頼んで合いの手をしてもらい、尺八はなしの素唄でチャレンジした。 初めての舞台であったので膝がガクガク震えていたことを今でも覚えている。 母は昔、鎌田英一さんの目の前で唄った経験があった。 母は唄が大好きだった。 だからたぶん母の方が堂々としていたように思います。

それから第3回大会となるところで、私はとんでもない民謡人と出会うことになる。 床屋のお客様が「あんたー民謡するんなら安来節全国大会は1度は観ておいた方がええど」とアドバイスを下さったので、島根県は安来市に大会を観に行った時のことである。 私はそこで信じられないほど体に電気が走るほどに感動を覚えた歌手がいた。 それが陶山さんであった。 彼は去年の民謡フェスティバルでも安来節の三味線伴奏者として出演していた。 そう、彼は唄も三味線も天下一品なのである。

それと陶山さんの友人である治郎さんとも安来の会場で出会った。 その彼に僕は音戸を誘い、彼は僕を隠岐の島へと誘うこととなったのである。 彼は音戸の舟唄全国大会に第3回から6回まですでに連続4回出場されていて、その全てに決勝進出されている偉業を成し遂げている。 ハッキリ言って考えられない。 120~130人、いや多い時には170人くらいの時もあったが、その全てで彼はたった10人の中に残ったのだ。 それがいかに難しいことであるのか・・ 私は身に染みてわかっている。 私はどんなにもがいてももがいても決勝には決して残れなかった。

私にとって・・ 決勝に残ることは叶わぬ夢であった。 母は、私が生涯決勝に残ることは無理だろうと予測し・・ とんでもない約束を僕と交わす・・ 「あんたがもし決勝に残ったならば、私が着物を買ってあげるよ」 着物といっても本物の着物(正絹である15万くらい) それならば僕もと決勝を逃す度に罰金3万円を払うと約束してしまった。 母はいらないと当然言うが、それでは僕が納得がいかなかった。 その約束から結局3年目に僕は夢を叶えることとなる。  がしかしその夢が叶った決勝に残れたのには明らかな事情が秘められていたのであった。

それは今年1月の終わりに決勝に残れたのであったのだが・・ これまでずっと予選に落ちてきた時の心理状態と今回とでは明らかに大きく違っていたのであった。  そこがカギだと思うのです。  去年までの僕は、決勝に残ることしか考えてはいなかった。  他の競技者の上手さなどを聞いて感じては・・ この人には勝てないなどとメモを取った・・ その人数が10人を超えたところでなんとなく自分が残れない予想を立てていたからであった。
つまり、それまでの自分には勝ちたいという欲望に塗れていた。  しかも、上手なはずの人が失敗をしてしまうとどこかで喜んでいる汚い自分がいたと思う。

ところがだ! 今年だけはそこに全く違う自分が存在したのであった!! その訳は、その大会の月初めの4日に事件は起った!! 私は自分の持って行き場のない悩みや思うように生きてゆけないジレンマを徹夜のネット将棋にぶつけてしまっていた。 徹夜で行ってしまった。 早朝に今まで味わったことのない何か精神が狂い始める感覚に襲われた!! これはやばい!! 寝なければならないのに寝るタイミングを完全に失った!! もう眠れない・・ でも、寝ないと明らかに精神に異常を感じてしまった・・ 怖い。  布団に入った・・ 目を瞑った・・ 真っ暗闇の頭の中で悩みや考え事がまるで渦を巻くように僕の頭から離れなくなってゆく・・

考えないように思っても脳をコントロールできない・・ ただ考えて眠れないだけならまだいい・・ 次に襲ってきたのは自殺願望に脅されそうになる予感であった!! もしこの時、その大きさが極端に大きければ、私は屋上に走って上り、3階の屋根から下にダイビングをしたのかもしれない。 人はこのように心が病に犯されて→コントロールが効かなくなってしまって(タコの糸が切れてどこにゆくのかわからないような感じです)=破滅の道を辿る(自殺) 私は一人だとまずいと即座に感じて母に助けを叫んだ。 母はすぐに部屋に飛び込んで来てくれた。  私は母の手を握り締めた・・ もし、あの時に僕一人だけがこの家に住んでいたならば・・ 危なかったかもしれない。 一人で果たして救急車を呼べる余裕があったのだろうか?と考えると今でも恐ろしい。

今でも、こんなことを書き思い出すと怖い。 がしかし、実はこのことが私の物事の考え方に大きく方向転換をしてくれたことは間違いないのであります。 それは、民謡の全国大会で決勝に残るという今までの夢が・・ 本当にちっぽけなことに感じるように変わってしまったことです。 ちっぽけというのは価値がないとか、威厳がないとか、そんなことでは決してございません。 僕のいう、このちっぽけなということは・・ 生きた人間が舞台の上に健康な足で立ち唄えることの意味が大きく理解できた為に・・ 人より高い表彰を受けるという意味に対して、表彰を受けることが高い意味なんかじゃなく、舞台の上で自分を表現できるということ(健康な人間には当たり前なことでございますが、私のように一度、人生を落としかけた人間にとっては、とてつもなく素晴らしいことであるということが身に染みて理解できるように人間自体が変化を遂げたということです)

私は、今年の大会で決勝に残ろうと全く考えもしなかった・・ そもそも、大会の1週間前まで舞台に立てる体調ではなかったのです。 だけれども僕の尊敬している、こばさんや治郎さんの合いの手を行う約束もしてたし・・ なんとか舞台上に立ちたい思いでギリギリまで体調を整えようと努力を重ねていたのでした。 ナガセのスッポン粒を飲んでいったことがとても効力があった。 これには非常に助けられました。 1週間前まで辞退を考えていた私は信じられない回復で大会当日を迎えていたのでありました。 舞台に2本の足で立てるって 本当にすごいことです!! 人が大勢観てくださっている中で自分だけの唄を心を表現できる!! 聞いていただける!! それがどれだけ尊いことであるのかは!? 死を意識した経験のある人でないときっと理解はできないでしょう。

私は第6回の音戸の舟唄の予選の舞台で完全に無欲で緊張することなく笑顔で唄い切れたのです!! 今思うと・・ その伸び伸び唄えたことが結果に結びついたのだろうと推測致します。  だからといって・・ 来年も同じような気持ちで唄えるというほど人生は甘くは決してございません。 ただ、今の僕の夢は心の病からいつの日か抜け出すことなのです。 もう優勝したいとか、そんな余裕は正直ございません。 ただ、私の唄が好きだと感じてくださるファンの方が喜んで聞いてくれるならば、そのことが私には幸せなんです。 人は成績を気にしなくなり、それにとらわれることなく自分を表現できた時にこそ本当の魅力を表現できるのではないでしょうか。

現に私が心地よく感じる歌い手さんが全国のタイトルを取れるかと言ったら・・ そうではありません。 だけれども、私にとって・・ その人の唄う民謡はどんなプロの民謡よりも心に響くのであります。 ファンの人数とか有名だとか、私にはそれはあまり関係ありません。 実は有名になっていない中に隠された宝石は眠るものなのであります そしてその輝きは無欲なものに大きな輝きをもたらすものなのです ご拝読、誠にありがとうございます



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皆さんには なってもらいたくはない

2013-07-24 08:23:04 | うつと生きる
私はまだ薬を服用しなくてはならないまではいってはいない。 だけれども時折、精神が不安に襲われ辛くなってしまう。 この状況は健康な人間の耐えられるストレスの許容範囲の中の危険範囲にも接触してしまったためだと思われる。 薬を飲まなくても良い状況でこれである。
世の中には、うつにかかっていると知らない人間がたくさんいるはずだ。

私に出来ることと言えば、大切なここの読者様にこのことを伝えると共に警告しておきたいのでございます。 どうか僕のように危険な範囲にまで踏み込まないように注意をしておいてくださいませ。 僕は学生時代に父親から野球道を勧められ厳しい練習を涙を流しながら耐え抜き、心技体と鍛えられました。 けれども、そのことの自信が今思うと・・ 社会をなめてかかってしまっておりました。

自分なら大丈夫だと鷹をくくっては、毎日、遊ぶことを考えては働き生きてきたのでした。 若い頃は、その日さえ終えれば・・(問題は先送りしていても・・) さほど問題はないと思っておりました。 ところが30代の頃にストレスとなる大きな問題を解決できないまま先送りし生きており・・ 私はとうとう心の許容範囲を破ってしまったのです。

健康な人にはわからない人の自殺や殺人・・ 私も若い頃は理解が出来なかった。 結局、こういった行為に走る人の気持ちは、私のように普通ではなくなった(健康ではなくなった)人間になってみないと一生涯わかることはないと思います。 私はまだましです・・ ここで書けるくらいだから・・ 一番問題なのは、悩んだ原因を誰にも打ち明けられない人です。

たしかに私も悩む原因を核心的に皆さんにお話したことはございません。 ですが、私が伝えたいのは、ストレスとなる原因や問題は先に送ったままだと後に自分を苦しめる(精神を虫食む)ガンになってゆくということを知っておいて欲しいからなのです。 自分以外の相手の性格や物の考え方をどうにかするということは、非常に困難であります。 よって、自分を助けたいならば、人を変えるのではなく、自分の考え方をしっかり持つこと。 例えば、もし対処が不可能と判断した場合には、そこから逃げる(止める)又は、親しい人に相談してみるという勇気も必要でしょう。

私は大きなストレスになる要因をほっとらかしにし、自分の意見を述べることもほとんどなく過ごし生きていってしまった。 つまり、私は自分の心に労わらなかった。 心の悲鳴をなんとかしてやることができなかったのです。 自殺をする人も人を殺してしまう人も、心が病んでいるのだと私は思う。  心が病む前に最善の方法で対処をしておかなくては防ぐことは難しいのだと私は考えるのです。

若い頃は、何もすることがない暇な時間があれば・・ ゲームをするか、テレビを観ていました。 それで楽しかったんです。 でも今の私は、心に傷を抱えてしまったままに放置していたために病に落ち入ってしまっていて・・ 何もしていない時に例えばテレビをつけて観ていると・・ 大量の情報が頭から入ってくるために疲れてしまうのです。 結果、体が疲れてくると、うつ特有の落ち込みや考えすぎで苦しむ症状が出てきてしまいます。 この精神的な神経障害は、もし治せるとしても、相当の時間がかかると思います。

それまで、どうやって生きてゆくのか・・ 今以上にひどくならないためにいったいどうしたら良いのか? 慎重に考え私は生きているのです。 皆様にも、ストレスはあるはずです。 放置したままにしておりませんか?  勇気を出して時には自分の思っている考えを訴えてみる必要があるかもしれません。  駄目だと思ったなら止めるか逃げるという手段も残っています。

私は、私のようになってもらいたくはない!! 私は人からどんな目で見られても良いのです。 それを怖がることよりも、大切な人達が僕のようになることの方がもっともっと怖い!! 自分を助けることのできる最善の人は自分です!! 人は助けてはくれません基本的に。 悪い状況な時には心も疲れてしまっていて・・ 人にも伝えるパワーも残されてはいないケースがほとんどなのです。

睡眠障害、食欲がないなどの関連症状が現われていたなら警告です!! うつの世界に入ってしまうと・・ 生きていることが怖くなってきてしまうのです。 正常=生きれることに感謝  異常=生きている時間が苦しくそして恐怖に脅かされる  間反対の怖い世界です。 健康的に生きているということが・・ いったいどれだけ尊いことであるのかを私は今、必死で学ばさせていただいているのでございます。

最近の私の唄う唄には、生の厳しさ、理解が込められるようになって参りました。 死の恐ろしさ。 生きる恐ろしさ。 さまざまなことを考えさせられているところでございます。 本日は暗いお話で大変申し訳ございませんでした。 何かの参考になればと思い書きました。 ご拝読、誠にありがとうございました。






人気ブログランキングへ 生きている素晴らしさは、残念ながら健康で元気な内にはわかりません。 人間は、なんでも失わなければ何もわからないのです。 人間とは、さまざまな多くのことが理解できなかれば深まりません。  深まらないとできないことも多くございます。  私はどうしても生きてゆかなくはならないのです。  生きるという素晴らしさをこの世に少しでもいいから伝えてゆきたい。  それこそが私の生きる意味なのでございます。 みなさまに幸ありますように心からお祈りいたします ありがとうございました 























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