私は、どうしても書かなければならない。 ここ広島県では豪雨災害が起こり、信じられない人達が亡くなり流され埋まってしまった。 自分は嘘のつけない性格で民謡大会に対する意識が薄らいでいってしまうことを黙ってはいられなかった。 だからブログにも少し書いた・・ なので、きっと民謡仲間は残念がり、私から距離を置き、離れていってしまうことだろうと勝手に予測はしていたのだった。 だけども、この生かされた人生っていうものは、自分の予想の通りに動くわけでもなんでもない。
私に1番先に心配の電話をくださったのが、音戸の舟唄では有名になられた島根県の宮廻さんだった。 「島本さん、豪雨災害では大丈夫でしたか? お元気ですか?」と伝えてくださった。 そういえば、宮廻さんとは、隠岐行きのフェリーの屋上にて、三味線を弾き始めると、1番最初に上がってきてくださり、大海原で弾く下手な三味線を黙って聴いてくださっていた方であった。 何度も言うようだが、普通の人であれば、塩の舞う大海原で三味線を出そうものなら、破れるのを心配して怒ってくださるものだが、宮廻さんは笑顔だった
「島本さん 大海原をバックに三味線を弾くだなんて 素晴らしいじゃないですかね~」
酔いをなんとか誤魔化そうとしていた私にとって・・ そのお言葉は、何より嬉しかった
その後の大会後・・ 案の定
三味線の皮は塩の影響を受けてしまい 縮んでしまって
破れてしまう
それでも、今でも、あの光景は私にとって大きな宝物であり、宮廻さんとの良き想い出である。 この素晴らしき想い出は、私がこの世を去る時代が来たとしても、あの世でも笑い話の種になることであろう
もちろん、この種は、本に書きます 
しかし、宮廻さんから最初にお電話を頂けるだなんて、私はなんて幸せな男であろうか
そして次に熊本県からラインが届いた
春代さんだった
春代さんは本当に前向きで陽気な気品溢れる方であると私には思えているのだが、なにせ、私が最初から元気ってのが、会話も交わさずにわかっていらっしゃる
島本さんは、笑顔でいつも元気
もしかしたら、そのようなイメージをお持ちでおられるのかもしれない
熊本だって凄い雨だったのだったが、私こそ、きっと元気であろうと信じたかったので、あまり心配はしていなかった
いや、怖いイメージを持ちたくはなかったっていうのが本音であろう。
私は、一体、10年民謡の道を歩いただけなのに、とんでもない見事な民謡人を民謡仲間に持てたものだなと不思議に感じているのです
あっ、そうそう、今日子さんは、心配全くしてなかった
浜口醤油のこれ1本が美味しいのだと二人で喜び合った
心配をするより楽しいやり取りの方が好みなのだろうと明るく感じられた
そう、ゆうさん生きてます。 今夜は酢豚を頑張って作りましたよ
実は、ここ江田島が被災地になり、それから毎日のように混んだ手作りの料理が食べにくくなり、充分な皿を洗えるお水もなく、
床屋にお客様が来てくだされば、やかんでシャンプーをしては頑張っています 
一生懸命に頑張って また熊本や鹿児島行って、民宿『せせらぎ』にて民謡演芸したいので
まだまだ、ゆうさん、頑張って行きますよ
久しぶりにブログをふと覗いたら、あの懐かしの亀谷さんから嬉しいコメントが
ありがとうございます
今や、亀谷ブラザーズが隠岐の看板挑戦者となっており、現代の果敢な挑戦者なのですよ 隠岐しげさ節全国大会の常連競技者でございます
更には、しげさ節全国大会で見事優勝された、こばさんからもお電話にて生存確認して頂けたんですよ
ゆうさん、幸せでーす
だんだん 
生きるために、どれだけ水が貴重であり、大切であるのか
を、ただ今、痛感しながら生きています。 1度お皿を洗った水を、繰り返し3度は使っています。 最後だけ新しいお水を少し全体を潜らせて仕上げては、水をなるべく捨てずに使っております。 今、被災地では、水が不足しており、大変なのですが、私は運がよくて、本家のおばんさんの井戸水を汲みに行かせてもらうことが出来ましてね
本当に有難かった。 おばさんにラスクを
して、井戸水で洗濯までさせていただけたのでした 
私は思うのです。 民謡というものに最も必要なことは3つあると・・ 1.民謡を愛する心 2.人生で経験する試練 3.そこから生まれてくる優しさ そう考えているので、私は、いつも、民謡人さんたちを眺めながら、それらを備えている方を見つけると感動をして胸を打つのです
そして、そのような方々の楽器の音色や声には、人を感動させる、揺さぶる輝きある音を生むのです
私は、そんな民謡人が大好きなのです。 私も、そんな民謡人を目指し生きています 
3年ほど前、私の叔父さん(三原で川柳の先生やってます:ハーモニカで青い山脈を吹いた黒服の叔父さん(ユーチューブで動画あります
)が、私にとても素晴らしい言葉を残してくれました
お金にならない 役に立たないことを一生懸命にやるってことが実は最も良いことなんだよ 叔父さんからみたら・・ 僕がどうも、それをやり始めているらしいのです。 だから、叔父さんは、僕の将来が少しづつ楽しみになってきたと考えてくださっているのかもしません。 普通の人間はお金にならないことを一生懸命に行う人は、そうはいないように感じております。 叔父さんにしてみれば、お金にならないのに一生懸命に行うってことが、どうも価値が高いのだそうです。 もちろん、お金のために一生懸命にやることが良くないって意味じゃ全くございません。 そこは勘違いなさらぬように・・
実は、叔父さんの、その言葉を頂いてからは、私が民謡演芸を行いましても、観てくださる人数に少ないとか寂しいとか、あまり感じなくなったのでした。 例え誰も聴いてくださらなくたって 叔父さんの言葉を胸に秘め、誰かが聴いてくださるから一生懸命に演奏するってのでは、ダメなのだと最近、感じるように変わっていったのでした。 そりゃ、誰も聴いてくれないよりは、たった一人でもいい、聴いてくださる方がおられた方が遣り甲斐は大きいのではございますが、大切なのは、決して人数ではなく、自分の目指す姿勢、心にあるのだと悟ったのでした
あの言葉は、私の生涯の宝物です
あのお陰で、もう演芸を行う際の観覧数に対して気にすることは止めます。 私は去年、熊本チャリティーコンサートを行いましたが、仲間から、観覧者の少なさに驚かれてしまい、その責任の重さに少し苦しんだ経験がありました。 だけど、私の目指した気持ちに観覧数は関係ないのだと、叔父さんの言葉で救われたのです。 私ごときの実力で人は集まりません。 地位も名誉もございません。 それでも熊本にたった1票でも救いの手を創ろうと努力した気持ちは事実として永遠に残ってゆくのです。
亀谷さんのコメントも残ります。 このブログにコメントを入れるのには勇気が必要です。 どなたが読んでいるのかわからないからです。 亀谷さんが大阪の繁華街のアーケードの中で、津軽タント節を弾かれたのには痺れた
僕は、あの通りを歩いていたかった
そういえば、母とカナダのケベックを歩いていた時も、街の家の窓から、バグパイプの生音が聴こえてきて
あの音は本当に素晴らしかった
生涯、忘れることの出来ない見事な音色だった
だから、僕だって、いつの日か、聴いてくださる方の心に残るような、そんな立派な心を持つ三味線奏者を目指します
本日もご拝読、誠にだんだん 


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私に1番先に心配の電話をくださったのが、音戸の舟唄では有名になられた島根県の宮廻さんだった。 「島本さん、豪雨災害では大丈夫でしたか? お元気ですか?」と伝えてくださった。 そういえば、宮廻さんとは、隠岐行きのフェリーの屋上にて、三味線を弾き始めると、1番最初に上がってきてくださり、大海原で弾く下手な三味線を黙って聴いてくださっていた方であった。 何度も言うようだが、普通の人であれば、塩の舞う大海原で三味線を出そうものなら、破れるのを心配して怒ってくださるものだが、宮廻さんは笑顔だった

「島本さん 大海原をバックに三味線を弾くだなんて 素晴らしいじゃないですかね~」

酔いをなんとか誤魔化そうとしていた私にとって・・ そのお言葉は、何より嬉しかった


破れてしまう



しかし、宮廻さんから最初にお電話を頂けるだなんて、私はなんて幸せな男であろうか







私は、一体、10年民謡の道を歩いただけなのに、とんでもない見事な民謡人を民謡仲間に持てたものだなと不思議に感じているのです







一生懸命に頑張って また熊本や鹿児島行って、民宿『せせらぎ』にて民謡演芸したいので








生きるために、どれだけ水が貴重であり、大切であるのか




私は思うのです。 民謡というものに最も必要なことは3つあると・・ 1.民謡を愛する心 2.人生で経験する試練 3.そこから生まれてくる優しさ そう考えているので、私は、いつも、民謡人さんたちを眺めながら、それらを備えている方を見つけると感動をして胸を打つのです



3年ほど前、私の叔父さん(三原で川柳の先生やってます:ハーモニカで青い山脈を吹いた黒服の叔父さん(ユーチューブで動画あります


お金にならない 役に立たないことを一生懸命にやるってことが実は最も良いことなんだよ 叔父さんからみたら・・ 僕がどうも、それをやり始めているらしいのです。 だから、叔父さんは、僕の将来が少しづつ楽しみになってきたと考えてくださっているのかもしません。 普通の人間はお金にならないことを一生懸命に行う人は、そうはいないように感じております。 叔父さんにしてみれば、お金にならないのに一生懸命に行うってことが、どうも価値が高いのだそうです。 もちろん、お金のために一生懸命にやることが良くないって意味じゃ全くございません。 そこは勘違いなさらぬように・・
実は、叔父さんの、その言葉を頂いてからは、私が民謡演芸を行いましても、観てくださる人数に少ないとか寂しいとか、あまり感じなくなったのでした。 例え誰も聴いてくださらなくたって 叔父さんの言葉を胸に秘め、誰かが聴いてくださるから一生懸命に演奏するってのでは、ダメなのだと最近、感じるように変わっていったのでした。 そりゃ、誰も聴いてくれないよりは、たった一人でもいい、聴いてくださる方がおられた方が遣り甲斐は大きいのではございますが、大切なのは、決して人数ではなく、自分の目指す姿勢、心にあるのだと悟ったのでした

あの言葉は、私の生涯の宝物です

亀谷さんのコメントも残ります。 このブログにコメントを入れるのには勇気が必要です。 どなたが読んでいるのかわからないからです。 亀谷さんが大阪の繁華街のアーケードの中で、津軽タント節を弾かれたのには痺れた









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