家のなかには、豊富な食材に溢れているのだけれど、
どれをどう食べたらいいのかわからない
そのうち、知らない間に
こときれている
せっかくの食材が、生かされないまま残る
せっかくの栄養が、必要とされる人のもとに届かない
あるのに、手を伸ばせば、食べられるのに
廃棄せざるを得ない
多くの無駄
隣に食料があっても
人は助からないことがある
隣に、方法が提示されていても
それとしらず、無視して危険に飛び込む
そんなはずはない
理屈さえわかっていれば、と
思うのだけれど、
そうではない
理屈も、絵で示しても、どんなにわかりやすく伝えても
目に入っても、脳に飛び込んでいかない、行動を変容させるに至らない
言葉は、その人をすり抜けていく
せっかくの情報も、せっかくの善意も役に立たない。
理屈は、力をなさない
愛さえも すり抜けてしまう
役に立たなかったのか、いや違う
愛は、その志でもって、
その想いだけは、残ると思う
形式的な説明ではなく
心からのおもいやりと 言葉でもって
言葉がなくても行為でもって、
その想いでもって。
たとえ命がたすからなくとも
こころがあったかどうかが
当事者の中で、存在する記憶に刻まれる
行為であろうと言葉であろうと、その根本の
想いであり、思いやりであり、優しさであり、その根本の愛を
たとえ見えなくても刻むことができる
私たちは、決して物質的な存在だけではない
それは、おそらくみんなわかっている
それでも 物質的なものに囚われてしまう
目の前の事象や
目の前のものに
心を奪われてしまう。
でも
私たちは、決して ものではなく いれものでもなく
想いのカタマリである
想いの、振動である
想いの波動である
あるのに食べられない
善悪ではなく
なにかに役立つ薬草や、
なにかに役立つ知識や
だれかが誰かを救いたいという想いや
子供たちを無事に育て上げたいという想い
愛情
願いがつまった
文化は、常にそこにある
気がついてひもとけば
それはいつでも
誰かを助けてくれる
助けることが たとえ できなくても
その想いに触れることができる
その想いに触れることで、心は
魂は 助かるはず
だれもが、つながっていて、だれもが、必要とされて
この地上にいるのだ
誰一人、その存在に意味がないなんてことはない。
なにかを、学び、持ち帰るように
その生涯を過ごす
学ぶためにきたのだから
情報も食べ物も、隣にある
身近にある
そして、それは手を伸ばせば手に入る
けしてあなたは見放されていやしない。
かならず、誰かが見てくれている
かならず、誰かが見てくれている。
だから
あるんだ、と、
ないのではなく
あるんだ、と
いうこと
もしかしたら、すごく簡単なことなのかもしれないよ