この週末にかけて、
涙ながらに謝罪するヒトのVTRばっかり
テレビのチャンネルをかえても かえても出てくる。
なんとも言えない気持ちで観ていた。
チャンネルを変えるんだけど
キンタロウアメみたいにどこに回しても出てくるので
うんざりしてしまう。
謝罪されても、どんなことしたのかもわからないし、
裁ける立場ではないけど
思ったのは、
「この人は、病気であるという自覚がない=病識がない」んだなということ
肝機能が悪くて入院していたけど、退院してすぐさま飲んだということは、
自分がどういう状況か、病気と向き合うことができてなくて
そして
謝罪会見で復帰の希望を言うということは
やっぱり、自分の状況と向き合えてないんだなということ。
自分と向き合うって、簡単に言うことはできても、
私も 誰もが なかなか難しいし、勇気のいることだなあ、と思って
勇気がないからずるずると、観て観ぬ振りをしてしまう
そのうち、間違ったエネルギーがたまるとこういう バクハツをしてしまうんだなと
おそらく、この人は、「自分に向き合う」という勇気が足りなかったということなのかもしれない。
お金はたくさんもっていて
仕事もたくさんもっていて、
でも
この人よりも貧しくても、堂々としている人いっぱいいるだろうと思う。
正直に、自分と向き合って 自分のやれることを精一杯頑張るのと
どこか無理をしながら頑張りすぎてしまってどこかに 歪みが生じていつかばくはつしてしまうのと
やっぱり背伸びしすぎていたのかな。
無理していたのかな。
どこか、間違ったネジが はまっていたのかな。
相手の女性が「怖かっただろうと思う」と
泣きながら言っていたが
そんな相手の気持ちを考える想像力があったら、
きっとこんなことになっていない。
相手の気持ちを考える気持ちがあったら
発覚までの間平然とテレビに出たりできない
被害者がどう感じていたかはわからないが、
もし私が当事者だったら
彼が平然とテレビに出ている姿をみたら
トラウマになってしまうかもしれない。
きっとこの人は
表面上、いい人なんだけど
どこか、こういう、面を抱えたまま、
自分でどうにもコントロールできないことを
観て観ぬふりをして
だれにも矯正されず、生きてきたのかもしれない。
だから、今になって
やっと自分のしてきたことがどう未来に影響するのか、
はじめて向き合って、びっくりして
怯えて
自分の恐れでいっぱいになっているだけなんだろうと
思う。
謝罪ではなくて、「許してください」というお願いの会見なのだ。
私には
あの泣く表情は
まるで、これから殺されそうになっている人が
恐ろしくて 恐ろしくて、
怯えて
泣きながら命乞いしているみたいな表情に見えた。
自分と向き合う勇気があるか
観て観ぬふり
していないか
自分も点検しなければ
と思った。
涙ながらに謝罪するヒトのVTRばっかり
テレビのチャンネルをかえても かえても出てくる。
なんとも言えない気持ちで観ていた。
チャンネルを変えるんだけど
キンタロウアメみたいにどこに回しても出てくるので
うんざりしてしまう。
謝罪されても、どんなことしたのかもわからないし、
裁ける立場ではないけど
思ったのは、
「この人は、病気であるという自覚がない=病識がない」んだなということ
肝機能が悪くて入院していたけど、退院してすぐさま飲んだということは、
自分がどういう状況か、病気と向き合うことができてなくて
そして
謝罪会見で復帰の希望を言うということは
やっぱり、自分の状況と向き合えてないんだなということ。
自分と向き合うって、簡単に言うことはできても、
私も 誰もが なかなか難しいし、勇気のいることだなあ、と思って
勇気がないからずるずると、観て観ぬ振りをしてしまう
そのうち、間違ったエネルギーがたまるとこういう バクハツをしてしまうんだなと
おそらく、この人は、「自分に向き合う」という勇気が足りなかったということなのかもしれない。
お金はたくさんもっていて
仕事もたくさんもっていて、
でも
この人よりも貧しくても、堂々としている人いっぱいいるだろうと思う。
正直に、自分と向き合って 自分のやれることを精一杯頑張るのと
どこか無理をしながら頑張りすぎてしまってどこかに 歪みが生じていつかばくはつしてしまうのと
やっぱり背伸びしすぎていたのかな。
無理していたのかな。
どこか、間違ったネジが はまっていたのかな。
相手の女性が「怖かっただろうと思う」と
泣きながら言っていたが
そんな相手の気持ちを考える想像力があったら、
きっとこんなことになっていない。
相手の気持ちを考える気持ちがあったら
発覚までの間平然とテレビに出たりできない
被害者がどう感じていたかはわからないが、
もし私が当事者だったら
彼が平然とテレビに出ている姿をみたら
トラウマになってしまうかもしれない。
きっとこの人は
表面上、いい人なんだけど
どこか、こういう、面を抱えたまま、
自分でどうにもコントロールできないことを
観て観ぬふりをして
だれにも矯正されず、生きてきたのかもしれない。
だから、今になって
やっと自分のしてきたことがどう未来に影響するのか、
はじめて向き合って、びっくりして
怯えて
自分の恐れでいっぱいになっているだけなんだろうと
思う。
謝罪ではなくて、「許してください」というお願いの会見なのだ。
私には
あの泣く表情は
まるで、これから殺されそうになっている人が
恐ろしくて 恐ろしくて、
怯えて
泣きながら命乞いしているみたいな表情に見えた。
自分と向き合う勇気があるか
観て観ぬふり
していないか
自分も点検しなければ
と思った。