竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

日本のアンソロジストたちー私家版・大伴家持伝(4) 佐保の青春と恋

2014-12-12 13:43:15 | 日記
  日本のアンソロジストたち――私家版・大伴家持伝(4) 佐保の青春と恋

 家持は、平城京の主なき佐保大納言家の邸宅に帰ってから、大学に通いながら官人としての文章道を学ぶ傍ら社交の術としてさかんに歌を詠みはじたとみられる。多くの貴族の子女たちと相聞歌を交わしているが、相手の女性たちとの関係については、わからない点が多い。
 表向きに家持の初恋の相手として期待されているのは、叔母・坂上郎女とその亡夫・宿奈麻呂との間に生まれた坂上大嬢であった。
○月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも 坂上郎女
 (月が替ってまだ三日目の、三日月のような眉を掻きながら、もう逢えるかもう逢えるかと長らく焦がれていたあなたにとうとうお逢いできました。)
○振り方(さ)けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも 大伴家持
 (大空を振り仰いで三日月をみると、一目見た人の美しい眉が思われてなりません。)
 この二首は、(万葉集巻六)に相接してならんでいるが、別々のものとして記載されている。しかし、後の家持の歌は、前の郎女の歌に触発されて作ったものに違いない。拙著『万葉集耕読』の中では、二人が「作歌課題演習」として作った習作の歌とし、さらに「下種の勘ぐり」で、叔母と甥の不倫の匂いがするとまで言及していたが、そうではあるまい。家持が佐保・坂上里にある邸を訪ねた折に、坂上郎女が箱入り娘の大嬢になり代わって交わした相聞歌であろう。
 次の歌は、家持が坂上家の大嬢への思いを込めて詠んだものである。
○我がやどに 蒔きしなでしこ いつしかも 花に咲きなむ なそへつつ見む
 (わが家の庭に蒔いたなでしこ、このなでしこはいつになったら花が咲くのであろうか。咲いたならばその間いつもあなたとして眺めように。)
この頃、家持13歳、大嬢は8歳位の歳頃であろう。こんな願望を抱いていた家持であったが、いまだ幼女である大嬢を直ちに相手にする気になれず、しばらく静観することになったらしい。
 この間、家持は他の多くの女性と恋の関係にあったようだ。その中で著名なのは、笠女郎である。笠女郎の相聞歌は、「万葉集」には29首収められているが、それに応えた家持の歌は、失恋後の次の二首だけである。自分の他の歌は歌集編纂時に故意に省いたのであろう。
○今さらに 妹に逢はめやと 思へかも ここだ我が胸 いぶせくあるらむ
 (あなたが遠くへ行かれた今となっては、もう逢える機会はなかろうと思うせいか、わたしの胸はこんなに重苦しく閉ざされて晴れ晴れとしないことです。)
○なかなかに 黙(もだ)もあらましを 何すとか 相見そめけむ 遂げざらまくに
 (なまじ言葉などかけるよりも黙っておればよかった。なんだって逢いそめたりしたのだろう。どのみち想いの遂げられないさだめであったのに。)

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