竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

『世に面白き本などの話』(1)  機を逃がさず届けられた本

2015-06-18 13:41:20 | 日記
  『世に面白き本などの話』(1)
    機を逃さず届けられた本

 前回のこのブログで、「父が戦死したあの戦争(太平洋戦争)について、わたしは何も自覚的に認識していなかった。」と補足した。無論、一連の戦争の全体図やその内実、個人の特異な体験などにいては、何冊かの本で読んだ。しかし、わたし自身の実体験としては、父の戦死の公報を受けて、石見の益田の大きな寺院に出向き、灰をまぶした石ころの入った「遺骨」を受け取ったことだけだった。
 そんなことを思って、虚ろな気分になっていた矢先に、湯浅邦弘著「軍国日本と『孫子』」の新刊書(ちくま新書 6月10日発行)が届いた。まさに機を逃さぬ絶妙のタイミングであった。
 今、世に注目されている大阪大学大学院の湯浅邦弘教授は、実は、母校の「出雲高校」で、担任として送りだした最後の生徒であった。地元に、宿願の国立医科大が設立され、医学志望の学生を養成することが、地元の進学校の急務となっていたが、大学受験対策の偏差値などというものさえ無縁な、万事がのどかで、「ロマンチックな」高校であった。そんな中で、湯浅君についても、わたしには殊更に違った印象はない。出雲弁特有の訛りの少ない、洗練された話しっぷりで、簡潔で「達意の文章」を書く生徒だった。
 彼は、郷里を離れ、大阪大学大学院に進学してから猛然と研究生活に入った。1972年、中国で『孫子』の前漢初期の竹簡が発見され、彼は、その解読者の一員に加えられた。折しも、NHKの大河ドラマで、「黒田官兵衛」が「兵法書」として、珍重していたとされており、Eテレビの「100分de名著」の講師として登場した。
 彼は、これまでも世に発表した研究論文や著書はすべて、わたしと前担任(ともに国語教師)に、律儀に送り届けてくれていたが、この度の新刊本には驚いた。2500年前の「春秋時代」の諸子百家の研究を専門としていた彼が、戦後50年の節目の年に、日本の近代史、軍事史に挑戦していたのである。
 結論はこうである。「満州事変」以降の軍国日本は、「兵学書」でありながら徹底した合理主義に貫かれた「孫子」を曲解、誤読し、精神主義偏重の気風のなかで「孫子」の名だけを担ぎあげたことが、軍国日本の命運を決したのである。
 詳細は、次回に紹介したい。