朝はそれほどではなかったものの、予報通り暑い日になりました。猛暑日までいかずとも、30数度は、こたえます。今は14時。もう少ししてから、外に出ることにします。
和賀屋の稲は、倒れてしまいました。全体の8割以上はそんな感じです。倒れてから稲刈りまでの期間が長いと、どうしても品質が落ちてしまいます。誰も倒そうと思って稲つくりをしている農家はいませんが、時にこうしたことが起こります。それでも、お米が収穫できるのですから、マシなんです。
つい先だって決まった、JAなどの農家からの買取価格は値上がりしたと書きました。大きな組織であるJAの価格が決まると、さまざまな集荷業者の買取価格は、そのあとで決まって、ほとんどの場合、JAより高い額になります。この秋は、コメ不足の混乱が続いていることから、県外からも高値での買取をする業者が入ってくることが予想されています。というか、入ってきているようです。
米の買取価格が上がったことの原因はいくつかあり、それらは複雑に絡まっていることでしょうが、その中のひとつに、全国各地での災害による収穫不能や皆無、あるいは減少といったことがあると思います。
せっかく、何年かぶりで値上がりした買取価格。これが来年もそうだとは言えないのが、この国の現状です。そんな中にあって、災害で稲がダメになった。いや稲どころか田んぼがダメになった農家にとって、売れるコメはありません。「値上がりして良かったなー」「もっと上がっても良いはずなのになー」なんていう話を、どんな思いで見聞きするのでしょうか…。災害に合うということは、何度も何度も傷つくということではないでしょうか。
たとえ、わずかであっても、例えば、米一俵(60キロ)につき、数十円の金額を集めて被災農家に受け取ってもらう…。そんなことを会議の場で提案するリーダーがいなかったのかな。そんなことをふと思いました。もちろん、その寄付は、強制ではなく任意です。でも、そんな提案がされたなら、ささやかな額であっても出させてもらいたい。だって、災害にあわなくても、「もう農業をやめる」という農家が続出している現状なんです。農家同士だったら、そんな思いや苦労を共感しあえるのではないかなと思います。
人頼みはダメですね。何であれ、思い付きを口で言うことだけは、たやすいのです。これを実際にやるとなったら、実務的には大変なことだろうと想像がつきます。
ずっと前の記事で「餅を背負わせる」というようなことを書きました。言うだけ言って、実際には大変な中身を誰かにやらせるというような意味なんですが、まさにそういうことです。
支えあう社会。支えあえるしくみ。さりげなくそんなことができる、しあえるつながり。