田んぼには水路が付きもの。どの田んぼにも入るように水路が敷設されているのですが、広い単位で見ると、必ずと言って良いほど、用水路でも排水路でもない、水路があります。いや、しいて言うなら、排水路に区分けされるのですが、流れる量は、さほど多くはありません。普段はたまり水のみなんてこともあります。
そんな意味合いの水路なのですから、その役割というのは、普段ほとんど意識されることはないのです。
数日前の午前中、そんな水路の草取りをしました。水がほとんど流れないので、困ったことに、草は安心して?伸び続けることができます。ちょこっと取り除いてから撮ったもの。前途茫々。
反対方向から撮ってみました。
全部取り終えたところ。50メートルはあるかな。
この日、こうした水路の草取りをもう2本しました。全部で3本。こうした場所の水路の草取りは、何軒か農家でやったものです。でも今は、結局、その水路に沿った田んぼの持ち主だけでやっています。つまり自分だけ。
一見、必要のなさそうに見える水路。それは全体の水路体系の辻褄を合わせるために、無くてはならないものでした。世の中には、目立たないけれど、存在しているものがたくさんあると思います。役目を果たしていないように見えて、役目を果たしている…。タオで言えば、「無用の用」? いや、そんなたいそうなものでなくても、たくさんあると思います。そして、あはは。そのことに気づけない自分がいます。
取り除いた大量の草は、そのあと、他の場所へ持って行って、それで仕事は完了ということになります。運ぶのも、ひと仕事。だから、何度もやるというのも、ある意味考えもの。何でも、やりゃ良いってモンでもないんです。そんなもんじゃありませんかね。あっ、また怠け者の屁理屈だ。
写真は6日前のものでしたが、その日の夕方はこんな具合いでした。
こんな風景を目にしたら、「無事仕事を済ませることができた一日」というものに、感謝せずにはいられません。たとえ、それが重労働だったとしても(^^)。