風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

何らかの理由があるんだろう

2024-10-18 | 日記

 おはようございます。

 いただいたメールに当方から返信した場合、なぜか迷惑メールに振り分けられることがあるようです。これまで何人かの方から、そのようなことを聞きました(知らせてもらいました)。

 思うに、「その会社?だと、やり取りすることで双方の情報がすっかりチェックされるらしい」と思っていることが、なんとなく通じて、そんなふうになっているのかもしれません。あはは、こんな推測おかしいですか?

 

 そんなわけで、ご利用のメールの迷惑メールフォルダー、時々チェックしてみてくださいね。当方からの返信は、ほとんどの場合、24時間以内です。遅くても2日以内ですが、これは稀です。

 迷惑なメールと思われ爺滅入る 

   凡人! いや、才能ナシだな


土壇場にはなにもありません

2024-09-27 | 日記

 何かの拍子に、一日に複数回、あるいは毎日、記事の投稿をすると、立ち寄ってくださる方の人数が増えるようです。その逆に、投稿が間遠となると、アクセスのバブルは、いとも簡単にはじけます(笑)。気にしてくださって、ちょこちょこ訪ねてくださるみなさま、いつもありがとうございます。

 

 昨日稲刈りが終わって、その後の作業にいそしんで、夕方には、県道沿いに設置していた2025年産あきたこまちの早期予約受付中の看板を撤去に行ってきました。いちおうささやかな期待は持っていたのですが、ほとんど反応はないだろうなとも予想していました。で、結果は予想通り(笑)。

 「人生は、その人が思ったように進んでいくのです」なんて、スピリチュアルなツッコミがあるかもしれませんが、そんなのはどうでも良いのです。もともと、問い合わせや注文が無ければ無いで、別の品種を植えれば良いだけの話なのですから。なんだか、イソップ童話にでてくる言い訳がましい動物に似ていますが。

 おまえには本気さが無いんだよ。だからダメなんだ。

 まぁ、そういうことかもしれません。でも、それでも良いと思っているんです。

 

 それで話を戻しますと、来年どんなふうに作付けするかは別として、さて、その看板を見た方で、なんとなく気にしてくれた方がいたとしても、来年これまでのあきたこまちを食べたいと思っても、現実にそれが可能なのかどうかは定かではありません。その時になって欲しいと言ってみても、お米はどこにあるのか…。でもそれは自分が心配することではありませんね。どうにもできない、ということも確かです。

 さて、お米そのものでなく、種の話をしますと、従来こまちの種の入手は、きわめて困難な状況のようです。来年はどうなるかわからないという品種であることを認識していれば、もうとっくに手当をしていなければならないというのが肝要でした。この時期になって入手の見込みがついたとなれば、それはとても幸運なのだと思います。

 

 これからはあらゆるもの、サービスがそうなのではないでしょうか。電話一本、あるいは注文するをクリックするだけで、すぐに届く。そんなことは、ますます、困難になっていくのではと思います。というかそういうふうに思って過ごさなければと、自分としては思っています。いろんな備えをしゅくしゅくと進めていかなければならないのだろうなと思う昨今です。そうしていれば大丈夫という保証が、決して無いことも念頭に置きながら、です。

 

 

 


終わったどー 稲刈りでげだどー

2024-09-27 | 日記

 昨日、稲刈りが終わりました。稲作りをして45年。今年のくらい稲が倒れた年はありませんでした。45年すべてを記憶しているわけではないので、実際はどうだったかわかりませんが、そんな認識をしていました。

 稲が倒れると、その程度にもよりますが、刈り取りにはとても難渋します。難渋だけではないんです。お米そのものの品質低下も起きやすくなります。それはたいてい、倒れた日と稲刈りの日までの日数に比例します。そして、品質低下だけでなく、おいしさへの影響も出ます。当園としては、こちらののほうがより心配なことです。

 

 でも言い訳がましく書くなら、これが農業生産の特色といえます。同じような品質のものの生産を望むものの、それは頑張ったからできるというものではなく、結果は毎年違っています。あるいは、「急な注文が入ったぞ。寝る時間を削って機械を動かせ。そうして注文に対応するのだ」なんてことも、こと農業に関しては、できる可能性がとても低いし、そう思ってもらわなければ困るような業種と言えます。

 そんなわけなので、お付き合いを続けてくださる方にも感謝。お付き合いをやめた方にも、これまでありがとうございましたと、感謝の思いです。

 何より、決定権は購入する側にあるのです。これは、お米に限らず厳正な現実。でも、だからといって、自分の立場を卑下しているわけではありませんよ。だから、継続、取りやめ、どちらの方に対しても感謝なのです。不思議なもので、やめるかたがおられても、新規の方が、ふと声をかけてくれたりするものです。有り難いものです。その妙なるバランスが崩れた時、あるいは崩れそうになった時は、今のようなスタイルのお米作りを縮小あるいはやめる良い機会だと思えば、間違いのないことだと思っています。

 いずれにしても、お米を求めてくださる方が何人かでもいらっしゃるというのは、本当に励みになります。それはそうした方の人数の多い少ないとは関係ありません。ですので、「おいしいとは思わないけど、凡夫さんを支えるために買っているのよ」なんて無理だけは、決してせずにいただきたい。そんなふうに思います。

 

 稲刈りが済んで、とりあえず天気のことを心配せずにすむことになって、本当にホッとしました。でも、もみすりは、一時中断。すでに色彩選別機を使って、新米お届けの準備に取り掛からなければならない時期に入っています。巷には新米がどんどんあふれ出してきています。来月中旬にはみなさまにお届けできるよう、作業に励みたいと思います。ことしはどんなあきたこまちなのか…。良い意味でも悪い意味でも、楽しみにしていてくださいね(笑)。

 一度食べてからでも、あるいは食べる前でも、決定権は常に自分以外にあるのですから。

 


団子

2024-09-22 | 日記

 彼岸と言えば団子。だんごと読むのが正しいのでしょうが、当地ではたぶん訛ってでしょう、昔からだんしと言っていました。

 彼岸の意味に思いを致すことなく、彼岸の意味を問うこともなく、ただただ団子を65年食べ続けてきたんだなーと、ふと思いました。

 いつまでたっても凡夫。ぼんぶが流転中です。


あぁ無情

2024-09-22 | 日記

 稲刈り開始の前の晩、神棚の下にある文机?にお酒を供えました。これまでの見守りへの感謝と、作業の無事終了を願ってという意味でした。一升瓶の形をした一合瓶。少なすぎるかなと思ったけど、まぁ、気持ちです。

 いつだったか初めてそんなことをした時、ツレに「蓋ッコ開けないの?」と訊かれました。そうか、そんなものなのかと思い、「そんなものなのか」どうかはわかりませんが、そんな気がして、以来蓋を開けて供えるようにしています。

 

 稲刈りが中盤のひとヤマを越えた晩、ちょっとホッとして、飲みたくなりました。神サマ、また買って来ますんで、まだ無事終わってませんが、今日はひとつ、飲ませていただきますよ。そんな言い訳がましいことを、こころの中で呟きながら、夕食のテーブルに持ってきました。

 そして、テーブルに食器か何かを並べようとして、手元が狂い、その瓶を倒してしまいました。うわー、さげッコまがしてしまったー(「まがす」は、ひっくり返すとかこぼすの意味です)。

 こんな時は、悲しみに暮れている場面ではありません。周囲に被害が及ばぬよう、布巾でいち早く始末をつけなければならないのです。そんなの、あたりまえだー。

 

 残った、お酒は、おちょこで3杯くらいでした。なんだかスッキリしませんでしたが(笑)、これも自分が招いたこと。どうしようもありませんでした。

 

 翌日から強い雨…。「また買って来ますんで」という約束をやぶったまま、今日に至っているところです。