54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

アンドリューNDR114

2005年04月25日 | パラソル
昨日テレビで「アンドリューNDR114」という映画を見た。ロボットが人間になりたがるという物語。笑いあり感動ありで、ひとつの理想がそこにはあった。
アンドリューは人工知能をもったロボットであるが、自分で学習するにつれ自分を人間に近づけるためにヴァージョンアップしていく。まず、顔に表情を出せるようにして感情を表現できるようにした。次に皮膚や髪の毛をつけて外見を人間そっくりにした。そして人口臓器をつけて食べ物を食べたり痛みを感じたりできるようになった。アンドリューは人間になりたかった。法廷で自分が人間であると認めてもらいたかった。しかし法廷はアンドリューが不死身であるという理由でアンドリューが人間であるとは認めなかった。そこでアンドリューは血液を輸血し寿命をつくった。死ぬための改造である。アンドリューの死の直前になって法廷はアンドリューが人間であると認めた。アンドリューはその言葉を聞く前に息を引き取ったのだが。
アンドリューはなぜ死にたかったのか。自分とは違い寿命のある愛する人たちの死を永遠に看取り続けることに耐えられなかったからか。人間として認めてほしかったからか。そこには「ないものねだり」があると私は思う。人間は「ないものねだり」である。夏が暑いと冬の寒さが恋しかったり、冬が寒いと夏の暑さが恋しかったりする。北海道から上京すると急に雪が恋しくなったりする。人間はいつか死んでしまうから長く生きたいとか死にたくないとか思うのだろう。逆にロボットは死なないから死にたいと願ったのではなかろうか。もしも人間が不死を手に入れたとしたら、今度は死にたいと願うようになるだろう。満たされることのない、終わりのない欲望。「ないものねだり」こそが人間特有の本質なのではないだろうか。だとすれば、「ないものねだり」に突き動かされたアンドリューは初めから人間だったのかもしれない。

いや、人間のほうがロボットなのかもしれない。