54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

アタックNo.1

2005年04月15日 | パラソル
昨日テレ朝でやっていたドラマ「アタックNo.1」。上戸彩、酒井彩名、森田彩華が昨年の「エースをねらえ」に続いて出ていたので、なんだ再放送か~などと思ってしまった。しかしストーリー展開も似ている部分もありデジャヴを感じるのも無理もない気がする。「H2」や「タッチ」も加えて昔のスポーツ漫画を実写化するというのがブームなのだろうか。ならば「キャプテン翼」も実写化してほしい。立花兄弟のスカイラブハリケーンをどうやって表現するのだろうか。
「エースをねらえ」から「アタックNo.1」へという流れ、同じように「ウォーターボーイズ」から「ファイヤーボーイズ」「スイングガールズ」という流れ、「リング」「呪怨」が「THE RING」「THE JUON」としてハリウッドでリメイクされたり、「フレディVSジェイソン」「エイリアンVSプレデター」というVSシリーズ、これらはみなヒット作を再生産したものにすぎない。そこにある創造力は微々たるものでしかないように思える。過去にあるものを再生産するということを続けていくならば、人類は止まってしまうだろう。過去のカタログから順番に再生産していく、なくなったらもう一度再生産する。それを繰り返していくのならばキリがない。無限に続く再生産。カタログは増えていくが、同じものをヴァージョンアップしたものに過ぎない。1冊ですべてである。
昨年「プライド」で主題歌として使われてQUEENがヒットした。VAN HALENやMOTLEY CRUEが再結成してベストアルバムを出した。過去の作品が顧みられることが悪いとはいわないが、私がほしいのは新しいQUEENであり新しいVAN HALENであり新しいMOTLEY CRUEである。過去の作品に頼ってしまうのは現代人の創造力が乏しくなっているからではないだろうか。ハードロックの時間は止まってしまっている。
情報化は加速するばかりだが人間の思考力は逆に停滞しているように思える。コンピュータという小さな箱に思考を委ねてしまったために人間の思考力が衰えてきているのではないか。ただでさえ30%しか使われていない脳に蓄えるべき記憶をコンピュータという外部メモリに保存するようになって、さらに脳は使われなくなってくる。いずれ人間は考えることをやめてしまうだろう。蓄積された情報に埋没してしまそうな現在を抜け出すにはクリエイティブな思考への跳躍が必要だ。

話は戻るが「アタックNo.1」の中で登場人物はみんなミズノ製品だ。シャツもパンツもシューズもサポータもカバンもすべてミズノ。スポンサーだかなんだか知らないがみんながみんな全身ミズノづくめではあまりにもヘンではないか。お前らみんなミズノ信者か!と言いたくなる。非現実感がそこにはある。バラエティ番組の隠し撮りなんかではペットボトルにモザイクがかかることがある。スポンサー以外の飲み物なのだろう。しかしそこまでする必要があるだろうか。スポンサーは大事だけど、作品としてリアリティを追求するならばミズノづくめにするべきではないだろう。かくいう私はミズノが大好きである。