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54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

靖国参拝

2006年08月17日 | パラソル
私が総理大臣になった場合、私は靖国には参拝しません。

わざわざ行くのがめんどくさいからです。

別にどうだっていいと思うんですよ。小泉さんが靖国参拝しようがしまいが。次期総裁が靖国参拝しようがしまいが。
戦死者が祀ってあるとか、永久戦犯が祀ってあるとか、どうでもいい。死んだら誰もが同じ灰でしょう。そこには善も悪もなく、魂もない。
靖国にはなにもない。
なぜそんなにも騒ぐ必要があるのだろうか。この国は宗教国家なのか。

そんなわけで、私は靖国参拝なんてどうでもいいと思っていたのですが、昭和天皇のメモが出てきた流れで、ハマコー先生いわく、
天皇の為に死んでいった人たちがいる。「天皇陛下万歳、靖国で会おう」、そういう思いで死んでいった人たちがいる。それなのに天皇が靖国に参拝しないというのはひどいじゃないか。

その言葉を聞いて、靖国という場所が人間性を帯びたというか、そこには強烈な思いが渦巻いているのだなと感じたわけです。
天皇の為に死ぬなんて馬鹿げていると思うわけですが、その時代には天皇の為に死ぬという考え方が当たり前に存在して、その当時の人たちの考え方を現在に生きる私が理解しようとしても無理なわけで、
靖国で会おう、死後の魂がどうなるか知らないが、そういう思いはたしかに存在したわけで、靖国という場所には多くの人の思いがある。それは死者の思いばかりではなく、残された遺族の思いがたくさんあるわけで、靖国参拝というのはやはり意味をもってくるのだろうと思ったわけです。


爆弾をつくったのは人類である。
ノーベルに罪はない。
ノーベルがダイナマイトを発明しなくても、そのうち他の誰かがダイナマイトを発明していただろう。
アインシュタインが原爆の開発を進言しなくても、きっといつかは原爆は生まれていただろう。広島・長崎に落ちなかったとしても、どこかには落ちたはずだろう。

アインシュタインは晩年、原爆をつくったことを後悔したというが、しかし誰かが原爆をつくることになったのだ。たまたま今回それがアインシュタインだったというだけなのだ。
アインシュタインに罪はない。
爆弾をつくったのは人類なのだ。
人間という知的生命体は爆弾をつくるように運命づけられていたのである。
DNAのどこかにプログラムされているのかもしれない。

人間が戦争するのも誰のせいでもない。そうなるようになっているのだ。
A級戦犯がどれだけのことをしたとしても、罪はない。
死んだらなにもないのだ。楽しみも苦しみもない。善も悪もない。無だけが有る。


そんなわけで、靖国にはたくさんの思いがあって、しかしながらそこには何も無くて、、
結局、私は総理になっても靖国には参拝しません。
私には靖国に対する思いも、参拝する理由も何も無いから。

中国には中国なりの思いがあるのだろう。。にほんブログ村 大学生日記ブログへ

今日のヘビーローテーションはB'z「CIRCLE」です。MONSTER'S GARAGE行って、ここへきてCIRCLEを聴きたくなった。前よりもずっといいアルバムだと思える。「BLACK AND WHITE」とかいいですね。ヘヴィな感じが。

エスカレータにはもう乗らない

2006年08月09日 | パラソル
エスカレータに乗るのはもうやめた。

どんなに疲れてても、どんなにつらくても、どんなにしんどくても、
エスカレータには乗らない。

俺は階段を上がりたいんじゃ!

エスカレータも高いトコまで行けるけど、
あれは一歩も上ってないんじゃ!

俺はステップアップしたいんじゃ!

だから俺はエスカレータにはもう乗らない。

階段を上るイメージ。。

でも下りはエスカレーター。。にほんブログ村 大学生日記ブログへ

なんか、便利すぎるんですよ。
そしてどんどん身体は弱ってゆくのですよ。
ふにゃふにゃになって、軟体動物になって、
最終的には重力に屈してしまうんじゃないか。
原始的な生活に戻らなければ、
人間性を取り戻さねば。。

時間が経つにつれて、GLAY氷室さんの共演が奇跡だったとつくづく思えてきた。
「ANSWER」が頭の中で流れまくりです。
明日B'zのLIVEなのに!

右手にトランペット、左手にキーボード

2006年08月06日 | パラソル
GLAY+氷室京介のジョイントライヴは伝説になるはずだった、、

しかし、、

そんなものはどうでもよくなってしまうようなものにでくわしたのだからしょうがない。

LIVEの帰り、渋谷駅で降りたら聞こえてきた音色。
誘われるように行ってみると人だかりが。
見てみるとそこには、、

左手でキーボード弾きながら右手でトランペットを吹くという奇演奏をしている赤毛の男子が!

もうすごかったんだ。
額に汗を浮かべながら、トランペットを支える右手の筋肉は張りつめて、その指にはいくつもの絆創膏が巻かれていて、
そのパフォーマンスが並大抵の所業ではないということを感じさせられる。
しかしその顔は輝いていた。
音楽を心から楽しんでいた。
その音楽には魂が宿っているんだ。
ドリカムの「やさしいキスをして」だった。

これが生の音楽なんだね。

生きてる音楽なんだね。

もうやられちゃったよ。
俺は何やってんだろうな、、

感動ってのはこういうことなんだね。。

これは運命なんだろう、な20円。。にほんブログ村 大学生日記ブログへ

2時間30分8800円の興奮よりも、一瞬の感動プライスフリーの方がすばらしい。
そんな感動を俺は人生の中で一度でも与えることができただろうか?
これからの人生で与えることができるだろうか?

俺は何やってんだろうな、、

渋谷の夜の下、僕は一人立ち止まった。。


なんかさ、
トランペットとキーボードだけで
GLAY+氷室京介を超えてしまったってすごいよね。
それを目の当たりにしたとき、僕は芸術の可能性の無限性を心底感じたよ。

こんな「本物」にこれからも出くわしたいものです。。

ハンドパワーは誰にでもある

2006年07月28日 | パラソル
ハンドパワーは誰にでもある。

ためしに両手のひらを近づけてみてください。

熱を感じるはずです。

これがハンドパワー。

その正体は「気」です。

手のひらから発散されている「気」が熱を生むのです。


「気」というのは水蒸気です。

人間の皮膚は体温調節のために水蒸気を発散させています。

また、皮膚は呼吸もするので二酸化炭素も放出します。

熱の正体は皮膚から発散される水蒸気と二酸化炭素です。


手のひらを患部にかざしただけで病気を治してしまう気功療法士なんてのがいます。

手のひらから発散される水蒸気や二酸化炭素がなんらかの効果を発揮するのか。

それとも患部を温めることで病気が治りやすくなるのか。

それともプラシーボ効果のようなものがはたらいて治った気になるだけなのか。

あるいはやはり、手のひらからは水蒸気や二酸化炭素のほかにも、別のなんらかのエネルギーが発散されているのだろうか。


手のひらから発散されるエネルギー。

間違いなく熱エネルギーは生じる。

熱エネルギーが原子分子を振動させ、それが奇跡を生み出すのか。


少なくとも、インチキ超能力者が手のひらを近づけて、

「ほら、ほんのり暖かくなったでしょう。これが気の力です。」

という言葉に驚いてはいけない。

手のひらを近づけたら暖かく感じるなんてのは当たり前のことなのだから。。

それでも手のひらがもつ温もりはハンドパワー。。

misonoはここへきてなぜ倖田來未っぽいルックスになってるのだろうか?
day after tomorrowの頃は、姉妹なのに全然似てないなあ、と思ってたのにね。

day after tomorrowは何気に好きで、「more than a million miles」(「day alone」収録)が一番好きだった。
day after tomorrowが歌うDAY AFTER TOMORROWの主題歌。。

なぜ自然界には青色が少ないのか?

2006年07月26日 | パラソル
自然界には青色が少ない。

確かに、青い植物とか動物とかほとんど見ない。

だから、絵の具がなく自然界から色を抽出していた頃青は貴重な色とされていたのである。


ちなみに、フェルメールはラピスラズリという原石から抽出したウルトラマリンという青を使用していたという。(石から色を抽出するなんて!)


さて、なぜ自然界には青色が少ないのだろうか。



それはね、、











神様が空を青く塗るのに青い絵の具をたくさん使っちゃったからだよ。。


うん、とっても科学的。。

もっと科学的に説明してみようか?

物体の色ってのは、その物体が反射した光の色だから、物体に吸収されなかった色ということだ。

つまり黒は、光をすべて吸収して何も反射しないから黒。白はすべてを反射するから白。
植物の葉っぱの緑は、日光の赤と青の成分を吸収し、その間の緑の成分を反射するから緑。

物体が青色に見えるようになるには、青色光だけを反射しなければならない。
おそらくそれが難しいのだろう。
たとえば、植物は青色を好んで吸収するようだし、もしかすると波長の短い青色光は吸収しやすいようにできているのかもしれない。

青色をよく吸収するということは、青色には良質なエネルギーが含まれているのかもしれない。
青色は真実の色だとか、純粋さの色だとか、夢を表す色だとかいわれているし、青色エネルギーというのはありそうではある。
TRUE BLUE。EVER BLUE。

そもそも空は青いというが、空の青は空が青を反射しているのではなく、青い光は空から我々に降り注いでいるのである。

空を見て心が和んだり、太陽の光が元気をもたらしてくれたりするのは、空から降り注ぐ青色エネルギーのおかげなのかもしれない。。

にほんブログ村 大学生日記ブログへうん、やっぱり詩的。。

ジョン・カサヴェテス監督の「こわれゆく女」を見た。
なんか、映画を超えてるという感じがした。
ジーナ・ローランズとピーター・フォークの演技がすごくて、いや演技を超えてます。
リアルよりリアリティ、って感じ。。

夏はなぜ暑い?

2006年07月14日 | パラソル
当たり前のことを考えてみた。

夏はなぜ暑い?

太陽が近いからですね。
地軸が傾いていて、今は北半球が太陽の方を向いていて、太陽と近いので、暑い、夏。
南半球は今頃冬です。

でもさ、太陽と近い遠いってそんなに違うか?と思ってみた。

しかし、赤道が約4万キロメートルだから地球の直径は1万2千キロメートルくらい?だから、
夏と冬の差はそれくらい離れてるってわけ。
めっちゃ近いやん!
1万2千メートルも近づくって、、

でも、よくよく考えてみると、太陽と地球の距離って1億5000万キロメートルも離れているのね。
そんなに離れてるのに、こんなにも熱さが伝わってくるってなんなのよ!って思いませんか?

キャンプファイヤーの熱さが伝わってくる距離だってタカが知れてるでしょう。
なのに1億5000万キロメートルも離れてるのにこんなに暑いなんて!
改めて太陽のすごさを思い知りました。。

燃えまくりやんね。。

水星金星はもっと熱くて、火星はもっと寒い。
「もっと」っていうか、はるかに、極限的に、死ぬほど熱くて寒いに違いない。

今日のヘビーローテーションはポルノグラフィティ「ハネウマライダー」です。
「スモウライダー」に見えなくもなくもない、、
CMで流れまくりなので頭の中でも流れまくりです。
この季節、「ミュージック・アワー」もいいですねえ。。

横浜は昨日今日と完全に夏でさ、、北海道出身の僕は死にそうです。夏ってこんなに暑いんだね、、毎年忘れては思い出す。
氷を抱いて寝ます。。

(追記)
熱というのは結局、原子分子の振動だ。宇宙空間は真空だから冷たいというか熱がないのか、、
さえぎるものがないから太陽の熱が失われずに地球まで届くのかもしれない。
待てよ、太陽から飛んでくるのは原子分子ではなく、光だ、光子だ。光子は振動しているのか、熱を持っているのか。
あるいは、光子が地球の大気やさまざまな原子分子と衝突したとき初めて熱に変わるのかもしれない。
あれ?本当のところどうなんだろう。
宇宙空間は暗いのに、なんで地球はこんなに明るいんだろう。
太陽光はまんべんなく届いているはずなのに、大気と触れることによって明るさが増すのか?
光っているのは光子ではなく、光子が当たった物質なのか?

なんだか、当たり前のことを考え出すとどんどんわからなくなってくる。
太陽がめちゃめちゃ燃えてるから暑いんだ、で済ませたら簡単なのに。
光子って結局なんなの?波でもあり粒子でもある。質量はあるの?電子とは違うの?物理学を勉強したらわかるの?
パラレルだ~。。

太陽熱が地球までどうやって届くのか、誰か教えてください。
と思ったけど、自分で調べてみた。(参照:自然と数理Ⅱ(PDF)

電磁波が地球に届いて暖めるらしい。
そういや、光は電磁波の一種だった。
つまり電子レンジと同じ原理。
電磁波が地球上の原子分子を振動させて熱になる。

はい、解決!
ネットの力ってすばらしい!

雲がつくり出す無限性

2006年07月13日 | パラソル
この季節になるといろんなところでクモの巣を見ます。

クモの巣というと典型的な形があります。漫画に出てくるような、ステレオタイプのクモの巣。
しかし、実際のクモの巣というのはどれひとつ同じ形のものはなく、多種多様です。
クモの巣をつくる場所の制約もありますし、トンボがひっかかっていたら秩序は乱れます。それになにより、それぞれのクモの個性がありますから、クモの巣の形というのは千差万別なのです。

だから私は、芸術作品を見るようにしてクモの巣を見るのです。

ある雨上がりの日、雲の隙間から射しこむ日の光に照らされて、キラリと虹色に光るクモの巣は美しかった。

さて今回の話は
雲がつくり出す無限性

青い空に浮かぶ白い雲、その形はさまざまで、無限の可能性を秘めている。
成長し流れていく雲の形がどのように変化するか、予測不可能である。

しかし、その雲の形の無限性の中から、有限の形をみつけることがある。
つまり、あの雲の形は○○のようだ、と思えるような形。
そんな雲をみつけたとき私は、大海原を旅した末に宝物をみつけたような、そんな気持ちになる。
無限の形の中から有限の形をみつける、それは奇跡的な出会いではないだろうか。

そんな奇跡的な出会いを求めて私は今日も空を見上げるのである。
無限の中から有限をみつけるために。
大海原を想像力の船で旅するのである。。

MUGENの世界へ飛んでゆけ。。

今日のヘビーローテーションはsowelu「24-twenty four-」です。
sowelu好きだけど、タイトルがいいね。「24-twenty four-」って、ジャック・バウアー、CTU、あの眠れない24時間を思い出しちゃう。
24 -TWENTY FOUR- シーズン5」まで出ちゃったらまた眠れない24時間が、、、
さてアルバムの感想は、「Dear friend」のようなPOPな曲がアルバムにもあってsoweluの新しい一面が聞けるちうのもありますが、やっぱりR&Bの"聞かせる曲"もあって「with out you」が特にいいです。個人的には「Let's go far away」みたいな曲がもっとあるとうれしいのだけど。

でもやっぱりsoweluは「SWEET BRIDGE」の「Glisten」が一番好き。あの爽快感は他にないでしょう。。

幸せの青いトンボ

2006年07月05日 | パラソル
今日夢を見ました。

学校祭の準備をしていて(僕は高校生だった)、
なぜか鬼ごっこが始まって、、

でもよく覚えていません。

大人になるということは、夢を見れなくなるということではなく、
夢をすぐ忘れてしまうということなのではないか、
と思いました。

現実の時間の流れが速すぎて、夢について考えている暇なんてなくて。


昨日、青いトンボを見ました。

すげーと思ってじっくり見入ってしまいました。

幸せの青い鳥ならぬ青いトンボ。
調べてみたら「オオシオカラトンボ」いうらしいんですが、名前なんてどうでもいいね。
青いトンボがいたという驚き。

写メで撮ろうとしたのだけど、うまく撮れず消去。
やっぱり肉眼じゃないと捉えられない美しさってあると思う。

「ブログに心が宿るか」では、人間が心を与えると書いたけど、
美しさも人間が与えるものなんじゃないかなと思った。

そのもの自体が美しいのではなく、人間が美しいと思うから美しく見えるんじゃないか。
ものに美しさを与えているのは人間なんだ。

だから、人間の眼は美しさを捉えられるけど、カメラのレンズじゃ美しさを捉えられない。

だったらカメラマンはどうなるんじゃ!ってことだけど、
そう考えるとカメラマンってすげーと思う。
写真の中に美しさをつかまえてしまうのだから。

写メとカメラの機能の差というだけの話かもしれないけど。

要するにさ、日本人の観光客は馬鹿みたいに写真ばっかり撮ってるけど、
もっと肉眼で見ようぜ!ってこと。

せっかく現地に行ったんだったら生で見なきゃ意味ないじゃん。
写真なんて後でいくらでも手に入るだろうに。

写真に撮らなくたって、ちゃんと見て味わったら心に残るだろうに。

モエレ沼公園のあの景色ははっきりと思い出せます。
本当に、自然を満喫したよ。。

財布を失くしたと気づいた瞬間の気持ちも痛いほどに思い出せます。。

「モエレ沼公園」、財布失くした事しか書いてねえ!
本当に、すごくいいところだったんだけどね。
あのときは財布の事しか頭になかった。
教育実習の初日も実は財布のことしか頭になかった。

ピラミッドに登ったりさ、かわいい少年に出会ったりさ、噴水が超すごくて虹つくったり主つくったり海つくったり、、
本当にすごいところだったよ。

これもやっぱり楽しむ気持ちがないと楽しめないのかとも思いますけど。
楽しむ気持ちが大事だね。

あらゆることを楽しめ。。

///////

今日のヘビーローテーションは木村カエラ「Magic Music」、そしてなぜか「INVENTOR」も。
「Magic Music」いい曲だなあ。

「INVENTOR」は最初「インベーダー」かと思って、かの有名なゲームを思い浮かべたことが、、

でさ、宇多田さんヤベス!
テトリスで99999999
さすがコロンビア大学行けるほどの頭ですなあ、、

宇多田さんのブログを見ているとなんだか、宇多田さんが頭がいいのか何なのかよくわからなくなってきます。
天才というのはそういうものなのかもしれません。

月の土地をご購入

2006年07月04日 | パラソル
月の土地を買うことができるって話を聞いたことありますか?

私は聞いたことがあったのですが、あまり気にも止めていなかったのですが、
見つけてしまったそのサイト。

月の土地を販売する
ルナエンバシージャパン

月の土地(1200坪)が2700円でご購入できるらしい。

さらには、これは初めて知ったのですが、
金星の土地火星の土地も買えるらしい。

なんかすごいぜ「宇宙の不動産」。

1200坪なんて土地をプレゼントなんて、貧乏なオイラには無理かと思ってたけど、
無理じゃない!

誕生日かなんかに、
月の土地をプレゼント

満月のときかなんかに、
あれが君の土地だよ

なんだか、絵に描いた餅のような話ですが、
法律的には月の土地の所有が保障されているらしい。
(ちゃんと権利書がついてくる。)

ということは、、

いずれ宇宙開発が進んだとき、
地球人が大量に月に移住なんてことになったとき、

月の土地の価値が急騰!
月の土地売って大金持ちになったりして、、

え~夢みたいな話ですが、地球人が移住するということを考えると、むしろ火星の方が可能性が高い。
だったら火星の土地を買うべき!

でも私が生きている間に地球人移住計画なんて起こりそうもないから、やっぱり絵に描いた餅か、、
子孫のための財産として残しておくのにいいかもしれないね。

実際に月に行く機会もないと思いますが、月の土地を所有しているという事実。
想像力をはたらかせれば月にも行けるわけで、月の土地に家を建てたり、1200坪もあるからテーマパーク作ったり、なんでもできます。
なにより、夢があるね!

2700円というリーズナブルな値段。
来年の母の日に月の土地をプレゼントしようと思いました。。

1200坪の土地って、普通に自慢できるよね。。

MOON CHILD」って映画があって、
HYDEとGacktが主演という奇跡的な組み合わせで、
HYDEはもともと好きやったけど、Gacktも好きになった。
てかかっこよすぎです、お二人さん。。

空の旅4「軽くイリュージョン」

2006年06月29日 | パラソル
20:55発、夜のフライトは真っ暗で何も見えなかった。

三日月だけがただただ輝いていた。

この三日月、違和感があって最初は月だとは思わなかった。
違和感、それは月の位置。
普段は月を見上げるけれども、空だと月は真横に見える。

三日月がずっとついてくるだけで、何もないなあと思っていたら、、
ピカッ、一瞬空が光った。

まさかと思って見ていると、
またピカッ

雷だった。

まさか空の上で、雲の上から雷を見るとは思わなかった。

真っ暗が一瞬光って雲が姿を現す。
そしてまた真っ暗に戻る。

ずっと気になっていたのだが、
月の右下辺りの空で、オレンジの帯状の光がチカッ、チカッと秒針のリズムで点滅していた。
あれは何なのだろう?物理的に説明できる現象だろうか?
オレンジ色の帯はその後ずっと点滅しながら飛行機についてきた。

雲のないところに来たのか、地上に街の光が見えてきた。
今どこを飛んでいるのかわからないけど。

でももっと気になったのは街のずっと向こう、港なのか、光の点がポツポツと数十個くらいあった。
それはまるでろうそくの火のようだった。
「ベティ・ブルー」における十字架じゃないけど、なんか嫌な感じがした。

この日、夜の空港は人が少なくて静かで閉店間際って感じで、飛行機の乗客も少なくてまばらで、飛行機の出発時刻がやや遅れて、、
なんだか不安だった。
落ちるんじゃないか、、という不安。
ここにいる人間みんな死んじゃうのか、有無を言わさず死んじゃうのか、俺このまま死んでもいいのか、、なんてことを考えていた。

しかも空の上の雷、わけのわからないオレンジの帯、、そしてろうそくの火、、、

上空はるか遠く、それは普通に命がけ、、

飛行機は着陸態勢に入った。
ここが最後の勝負、無事に乗り切れるか、、などと願っていた。

なんと、、

三日月とオレンジ色の帯は、、

実は飛行機の翼から発せられた光でした。。

闇で翼が見えなくて気づかなかったけど、空港の光で翼が見えて、
三日月だと思っていたのは翼の光、オレンジ色の帯も翼の光、、

私が一時間三十分見てきたものは一体なんだったのだろう。
軽くイリュージョン。

もしかすると、雷だと思っていたものも翼の光だったりして、、

空から見る景色は毎回違ってくる。

今回の空は、、
勘違いイリュージョン。。

すごすぎるよ。。

羽田に降り立った瞬間、空気がぬるかった。
北海道の夜は涼しい(むしろ寒い)けど、こっちはぬるい、暑いよ。

うちに帰ってきて思ったけど、いろいろやることあって大変。
過密日程や、、
一人暮らしモードに早く戻らないと。。

>>「空の旅3」

教育実習終了

2006年06月24日 | パラソル
♪1年3組のみなさ~ん、、本当に本当に本当に本当に、、、どうもありがと~う~~~~!!!
みんなのことは一生忘れません。。

「みんな」というか、君のことは一生忘れません。。

(「君」と言われて思い当たる人全員ね。一言でも言葉を交わした人、ちゃんと覚えてます。一言も話さなかった人でも、ちらっと目が合った瞬間覚えてます。)

色紙に書いてあるプライスレスなメッセージを読みながら感動しちゃった。

なんだか未だに教育実習が終わったという実感がありません。

昨日教育実習生みんなで打ち上げやったのに、今日も5時30分に起きちゃうし、

また月曜日に学校に行って、HRやって授業やって、、というのが続くんじゃないかと思ってしまいます。

多分何日か経って、普通の大学生活に戻ったときに、思い出し泣きしちゃうんじゃないかと思う。

この二週間、ものすごく濃い二週間だった。人生の中で一番学ぶことが多かった二週間。「情報」の授業やりながら学ぶことも多かったけど、僕はやっぱりHRで学んだことの方が大きかった。

「人間的な小ささ」を感じました。
みんなのために伝えられることは全部伝えようと思うと全然伝えられなかったり。しゃべりで伝えるよりも書いて伝える方が得意と思い知らされたし。
もっと人間的に大きくなりたいと思ったよ。

身長の話じゃない。。

このブログは誰に向けて書いたらいいんだろうね?
1-3の何人かが見に来たりしてくれたり、教育実習生の何人かも見に来たり、室井さんはやっぱ見るんだろうね、いつもブログを見てくれる特定少数の人たちとか、、

う~ん、、、カオスだ。。

教育実習一日目

2006年06月13日 | パラソル
緊張しすぎて自己紹介でドカーン!でした。

しかも学生な感じが出てしまう、、

1年生の教室が4階とか、、果てしないし、、
老人な感じが、、

教育実習一日目は校長先生や生徒指導の先生などなどの話を聞くのがほとんどで、どの先生もいい話をしてくれました。
先生はみんなそれぞれに教育哲学をもっているのだと思った。

たとえば、生徒指導は服装がどうというよりも、授業を受ける姿勢を身につけさせることが大事だということ。
授業を真面目に受ける態度、それによって授業が円滑に進む。
そのためにはまず服装から。見た目は精神に作用する。
掃除もそうで、きれいな教室だからこそ、気持ちよく授業を受けられる。
重要なのは教師と生徒との信頼関係。

校長先生は哲学的な話をしてくれた。
「なぜ生きなければならないのか」
校長先生は「生まれてきた以上、生きなければならないのだ」と言っていた。
それは生物の命題でもある。本能はそのようにできている。
そこに「理由」なんてものはない。

私の答えは「死にたくないから」だ。
「死にたい」と思うことはたしかにあるかもしれない。しかしそれがすべてではない。
「死」などというものは普段は見えないもので、一瞬の「死にたい」のために死ぬのは不幸だと思うのだ。
月並みな言葉だが、人生つらいことばかりでなく、楽しいこともたくさんある。
B'zのLIVE-GYMに行ったときに「死にたい」なんて思わない。「生きたい」と思うだろう。
その「生きたい」と思う自分のためにも、一瞬の「死にたい」で死んではいけないのだ。

精神は不安定なもので、波があって、上がるときもあれば下がるときもある。
どうしようもなく落ち込んだら、上がるまで待ちましょう。

B'zの「RUN」を聴くとか。
「死ぬなら一人だ 生きるなら一人じゃない」

あるいはB'z「Brotherhood」
「BROTHER 生きてゆくだけだよ ためらうことなど何もないよ 今更」

答えの出ない問題を考えることがおもしろい。。

7:30出勤とか、、
5:00起きとか、、
ぬるい大学生活を送ってきた自分には過酷な朝、、

しかも6時間授業、、それも毎日、、
授業が終わっても部活があるし、、
高校生って大変だ、、

それ以上に、
学校の先生って大変だ、、

眠すぎて、、9:00睡眠、、
サッカーワールドカップ初戦「日本VSオーストラリア」見逃した!
死にたい!!(死なねー!!)

しかも負けるだなんてね、、
クロアチアとブラジルに勝って決勝トーナメントまでいったらすごいね。。

モエレ沼公園

2006年06月12日 | パラソル
行ってきました。
イサム・ノグチの遺作、
モエレ沼公園

ここで残念なお知らせがあります、、

私、

財布落としました。。ちーん

楽しかったモエレ沼公園、最後モエレ山を降りるときに気づいた、財布がねえ!
あんなに楽しかったのに、、しょぼーん、、、

天国から地獄へ反転
まったく、、
はしゃぐんじゃないよ。。

北海道の地で一文無しになってしまいましたとさ。

家に帰ってすぐにインターネットで「俺の財布 モエレ沼公園」で検索したけど、みつかりませんでした。

そんなわけで、
探してください、僕の財布。。

迷彩柄の長財布、学生証が入ってるので見つけたら特定できるはず。
モエレ山→アクアプラザ、カナール→ミュージックシェル→テトラマウンド→プレイマウンテン→海の噴水→ガラスのピラミッド→モエレ山
の順で見て回ったのでそのどこかにあるはず。広っ、、

かねてからモエレ沼公園に行こうと思っていた人、モエレ沼公園行ってみようかなと思った人、行く気は無いけどモエレ沼公園近郊に住んでいる人、、さっそくモエレ沼公園に行って僕の財布を捜してください、お願いします。

ザ・宝探しゲーム

奇跡的にもみつかったその暁には、中に入ってる金全部上げます。

本当に、本当にお願いします。。

実は私は4年前にも財布を失くしています。
ワールドカップが来る年に、財布を失くします、、ちーん
いやだよ、こんなジンクス。。

////
その後、奇跡的にもみつかりました。
意気揚々と探しに行こうと思っていたあなた、
残念でした。。

いや~よかったよ~
さすが北海道、財布を拾っても届けてくれる。
みつけてくれた人、本当に本当にありがとうございます。。

空の旅3「天界の二面性」

2006年06月09日 | パラソル
10:15分発の飛行機、、6:40分発ではなく、ゆとりをもって、、というつもりだったのだが、、

通勤ラッシュを見過ごしてた!

しかもなんか人身事故で混雑極まりなかったし、、死にました。
帰省的バッグをもっての満員電車なんか、ありえへんし!
密着しすぎやし、変な体勢で身体が痛いし、満員電車恐ろしいで。

京急蒲田で降りたら、ボタンが無いのに気づいた。私はスーツ。
そういや、満員電車の中で、ブチッというヤな音がしていたが、、
ボタン二つぶっ飛んでた。
第2ボタンとられちゃった!じゃねえし、マジで!
満員電車ではスーツのボタンを留めてはいけないということを知りました。

で、羽田空港にて。

エレベーターでポテトチップスを食ってるやつがいて、
ありえへん!と思って、、

お前、それ食って体重増えてエレベーターブーッてなったらどうすんねん!

重みに耐え切れなくなってワイヤー切れたら絶叫マシンなるやんけ!

なんで上昇しながら食わなあかんねん。
ポテトチップスなんて油食ってるようなもんやで。
すぐ太るでマジで。

上げ物に乗りながら揚げ物てなんやねん!うまくないわ!

と、そんなことがありつつの今回の空の旅。
通路側だったからあまり見えなかったけれど。

乱気流、揺れる機体、、
アテンションプリーズ!と叫びたい。

しかし、雲を抜けた天界はやはりすばらしい景色だった。
真っ青な空と真っ白な雲。
世界は青と白にはっきりくっきり分かれていた。

やはり水蒸気を通さない空は青い。
何にも邪魔されない純粋な青。太陽光の青い成分。
こんな世界で暮らしたい。
年中雨の降らない真っ青な空!

降下するとまた雲の中。灰色の雲の中。
800フィート霧の中。灰色の世界。
水蒸気を切り裂く翼、霧が一瞬水粒になる。

千歳は雨だった。
窓にも雨粒が、誰よりも早くにぶつかる雨粒。
雨雲の真っただ中で。

さっきまでの純粋な青と白の美しき世界は、あっという間に灰色の混沌へと飲み込まれてしまった。
空には、天にはそんな二面性がある。
そんなことを感じた。

やつはやはり800フィートの世界でポテトチップスを食っていたのだろうか。
低気圧で増量中。
ますます膨らむ風船。

空の上では夢が膨らむ。。

ぱつんぱつんだ、ふんがふんが。。

>>「神が描く直線」 >>「光のアート」

イサム・ノグチ展

2006年06月08日 | パラソル
イサム・ノグチ展@横浜美術館に行ってきました。

地味に久しぶりな桜木町でした。1ヶ月ぶりくらい。
ランドマークタワーはあいかわらずでかかった。
3つ並んだクイーンズタワーABCもでかかった。
NTTドコモのタワーもでかかった。
その前では大規模な工事が行われていて、そのクレーンもでかかった。

人間はなんて巨大なんだ!
それに比べて俺はなんて小さいんだ、、

そんなことを考えながら、美術館に入る前から美術展は始まっているのだ、と思った。

さて、イサム・ノグチ展はどうだったかというと、、

よくわかりませんでした。

そういうことです。

なんだこのオチ。。

今日のヘビーローテーションは、というか昨日のヘビーローテーションは、B'zの「パルス」でした。「SPLASH!」の青版についてたDVDを見まくりです。
愛のバクダン(風船)が落ちてくる「愛のバクダン」のDVDにしようかとも迷ったけど、「LOVE BOM」は今後のLIVEでも演奏されるし、LIVE DVDにもなるだろうと踏んで、「パルス」にしやした。
360度の円形ステージ、稲葉さんの派手なスーツ、、「CIRCLE OF ROCK」なあの日を思い出した。やっぱB'zのLIVE-GYMはいいねえ!
「SPLASH!」は爽快な夏ロックというよりは、大人ロックって感じです。

上木彩矢の「もう君だけを離したりはしない」のカップリング「傷だらけでも抱きしめて」がいい曲でした。
そんで上木彩矢のアルバムをみつけたので買いました。「ROCK ON」です。
まさに上木さんにROCK ONされてる感じで、1stアルバム「CONSTELLATION」も手に入れたい感じです。

さて、イサム・ノグチ展。
このまま感想なしで終わっては500円が無駄になるので書きます。
確かによくわからなかった。でもわからないなりに書き方はあるのです。

教養のない家庭で育った私は今回がはじめての美術館でした。
静かな展内、おごそかな雰囲気、息を止めてたら窒息しそうになった
走り回る子ども、子どもに美術展の何がわかるというのだろう?

よくわからない彫刻が並んでいて、よくわからないなあと思って見ていくと、やけにリアルな人物像が、しかも彩色までされている、、と思ったら係員の女性でした。じろじろ見てしまった。でも突っ立ってる女性係員はどう見ても美術展の一部と化していた。そこから発せられる視線がまた、作品を見る私に妙な感じを与えていた。
女性係員は走り回っている子どもの親に、どうぞお静かにして下さいなどと言っていた。

「死(リンチされた人体)」はわかりやすかったけど、ほとんどの作品は抽象的で理解できなかった。
このわけのわかんない形にどんな意味があるのか、なぜこんな作品が世界で認められているのか。全然わからなかった。
しかしこれは脳みそのせいかもしれない。

イサム・ノグチは「世界は一つであり、有史以前の芸術はどこのものでも似通っている。人種や時代を超えて普遍的な、直接私達の心に語りかける言葉こそオリジナルな芸術だ」と言っている。

その普遍的なオリジナルの芸術を、私の脳は理解できなかった。
おそらく多くの人にとって、イサム・ノグチの芸術は理解できないものではないかと思うのだが、どうだろう。

高度文明によって極度に合理化された脳は、本能に直接語りかけるような芸術性を感じることができなくなっているのではないか。

走り回っている子どもというのは、実はイサム・ノグチの作品が発する普遍的で心に直接語りかける言葉を感じて、それで走り回っていたのではないか。
合理的な知識というものがまだ身についていない子どもの純粋な感性はオリジナルの芸術を感じていたのではないか。
だとすると、「お静かにしてください」という係員の言葉は、イサム・ノグチの作品を感じて反応しないでください、ということと同じだったのではないか。

あのイサム・ノグチ展において、その芸術性をもっとも理解していたのは、観客でもなく、係員でもなく、あの走り回っていた子どもだけだったのではないか。
そう思った。

ところで、私はイサム・ノグチ展よりも、横浜美術館コレクション展のサルバドール・ダリの「幻想的風景-暁、英雄的昼、夕暮」が感動だった。
でかい3枚絵でね、それほどでかい絵画を見たことが初めてだったし、そのシュールレアリズム的な感じ、「英雄」の顔が全部鳥でできているのがすごかった。うまい具合に眉毛とか目鼻口が鳥なんですよ。

やっぱりわかりやすいものを求めてしまうようです。
わからないものをわかるようになりたい。

鳥になりたい。。