54のパラレルワールド

Photon's parallel world~光子の世界はパラレルだ。

靖国参拝

2006年08月17日 | パラソル
私が総理大臣になった場合、私は靖国には参拝しません。

わざわざ行くのがめんどくさいからです。

別にどうだっていいと思うんですよ。小泉さんが靖国参拝しようがしまいが。次期総裁が靖国参拝しようがしまいが。
戦死者が祀ってあるとか、永久戦犯が祀ってあるとか、どうでもいい。死んだら誰もが同じ灰でしょう。そこには善も悪もなく、魂もない。
靖国にはなにもない。
なぜそんなにも騒ぐ必要があるのだろうか。この国は宗教国家なのか。

そんなわけで、私は靖国参拝なんてどうでもいいと思っていたのですが、昭和天皇のメモが出てきた流れで、ハマコー先生いわく、
天皇の為に死んでいった人たちがいる。「天皇陛下万歳、靖国で会おう」、そういう思いで死んでいった人たちがいる。それなのに天皇が靖国に参拝しないというのはひどいじゃないか。

その言葉を聞いて、靖国という場所が人間性を帯びたというか、そこには強烈な思いが渦巻いているのだなと感じたわけです。
天皇の為に死ぬなんて馬鹿げていると思うわけですが、その時代には天皇の為に死ぬという考え方が当たり前に存在して、その当時の人たちの考え方を現在に生きる私が理解しようとしても無理なわけで、
靖国で会おう、死後の魂がどうなるか知らないが、そういう思いはたしかに存在したわけで、靖国という場所には多くの人の思いがある。それは死者の思いばかりではなく、残された遺族の思いがたくさんあるわけで、靖国参拝というのはやはり意味をもってくるのだろうと思ったわけです。


爆弾をつくったのは人類である。
ノーベルに罪はない。
ノーベルがダイナマイトを発明しなくても、そのうち他の誰かがダイナマイトを発明していただろう。
アインシュタインが原爆の開発を進言しなくても、きっといつかは原爆は生まれていただろう。広島・長崎に落ちなかったとしても、どこかには落ちたはずだろう。

アインシュタインは晩年、原爆をつくったことを後悔したというが、しかし誰かが原爆をつくることになったのだ。たまたま今回それがアインシュタインだったというだけなのだ。
アインシュタインに罪はない。
爆弾をつくったのは人類なのだ。
人間という知的生命体は爆弾をつくるように運命づけられていたのである。
DNAのどこかにプログラムされているのかもしれない。

人間が戦争するのも誰のせいでもない。そうなるようになっているのだ。
A級戦犯がどれだけのことをしたとしても、罪はない。
死んだらなにもないのだ。楽しみも苦しみもない。善も悪もない。無だけが有る。


そんなわけで、靖国にはたくさんの思いがあって、しかしながらそこには何も無くて、、
結局、私は総理になっても靖国には参拝しません。
私には靖国に対する思いも、参拝する理由も何も無いから。

中国には中国なりの思いがあるのだろう。。にほんブログ村 大学生日記ブログへ

今日のヘビーローテーションはB'z「CIRCLE」です。MONSTER'S GARAGE行って、ここへきてCIRCLEを聴きたくなった。前よりもずっといいアルバムだと思える。「BLACK AND WHITE」とかいいですね。ヘヴィな感じが。


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1 コメント

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おひさしぶりです (mar)
2007-08-31 10:53:00
靖国神社は特別な場所なのでしょうけれど、「天皇のために死ねば神になれる」などと信じ込まされて死んでいった人達は本当に気の毒ですね。

靖国参拝についてはたまに考えることがあるのですが、いつも答えが出なくて「う~ん」となっていました。
でも、先日、自分の中である程度納得のいく考え方が出ました。
今のところの考えなので、これから深く知るにつれてまた思いが変わってくるかもしれませんが、トラックバックさせて頂きました。
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