ayameじいちゃんの日記かな?

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自殺した藤圭子の思い出

2013-08-23 11:33:41 | 日記
 昨日の朝、歌手(だった?)、藤圭子が飛び降り自殺したというニュースが流れました。

 藤圭子と言えば1970年に大ヒットした「圭子の夢は夜ひらく」が代表曲でした。

 じいちゃんが中学生の頃です。

 その頃は歌謡曲とラジオから流れてくる渡辺貞夫のジャズ、そして解散間近かのビートルズ(70年に実質的に解散)にどっぷりとハマってサッカーと音楽漬けの日々を送っていました。

 「夢は夜ひらく」は、「園まり」という歌手のカバーシングルで「園まり」と言えば、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの『スパーク3人娘』として知られています(知らないか~?)。

 藤圭子は、この曲を園まりとは全く違う歌唱法で歌い上げ、じいちゃんのハートをグゥ~とわしづかみにしたのを思い出します。

 顔も可愛いけど何だか暗いし、苦労話は付きまとってるし、私生活が謎に包まれて不思議な魅力を持つ女という感じで見ていました。

 じいちゃんが高校生の時にハマってた五木寛之のエッセイに藤圭子を書いたもの(相当なファンだったんでしょう)があり、その中で彼女の歌を「怨歌」と呼び、その頃歌謡界を席巻していた「演歌」とは、一線を画した歌謡曲として評価していました。

 五木によるところで言うと日本の歌謡界に新しいジャンルを作り、藤圭子の後には誰も続かなかった不毛のジャンルが「怨歌」でした。

 「夢は・・」の後、内山田ひろしとクールファイブのボーカルだった前川清と結婚(この結婚には本当にびっくりした)、1年ほどで離婚(当たり前のような気がした)しました。

 引退と復帰をくり返し、アメリカに行って宇多田ヒカルの父ちゃんとなる 宇多田照實と結婚しました。

 じいちゃん、彼女のことは完全に忘れてましたので、宇多田ヒカルが大ヒットを飛ばした時、母ちゃんが藤圭子と聞いて本当に驚きました。

 宇多田氏と離婚した後は、ニュース報道で出てきた30代の知人男性と暮らしていたようです。

 70年にヒットした曲でもうひとつ忘れられない曲を思い出しました「こいび~とに ふられ~たよ よくあるはなし~じゃないか~」という歌詞だけ浮かんできたので調べてみたら「日吉ミミの男と女の話」という曲でした。

 日吉ミミも2011年の8月に病気で亡くなってました。

 じいちゃんが若い頃にTVで見てたスターたちがドンドン天国に召されていく時期になってしまったことを痛感しています。 
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