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元寇船発見の海底、国史跡に指定を諮問 文化庁

2012年01月24日 07時47分23秒 | 松浦
元寇船発見の海底、国史跡に指定を諮問 文化庁

asahi.com
http://www.asahi.com/culture/update/0120/TKY201201200470.html?ref=rss
(全文転載)
13世紀の元寇(げんこう)で沈んだ元の軍船とみられる船体が発見された

長崎県松浦市鷹島沖の海底(約38万4千平方メートル)について、

文化庁が、文化財保護法に基づく国史跡指定を文化審議会文化財分科会に

諮問したことが20日、わかった。

諮問は同日付で、早ければ2月に答申が出る見込み。諮問通り、

指定の答申が出される可能性は高く、指定が決まれば海底遺跡として初めての国史跡になる。

 鷹島沖海域では昨年10月、琉球大の調査チームが元の軍船とみられる船体

を発見したと発表し、話題を呼んだ。

発見された船体は、船底の背骨に当たる木材の竜骨(キール)が確認されるなど、

構造がはっきり分かる状態だった。

 元寇は、鎌倉時代、中国を支配していたモンゴル(元)軍による日本侵攻。

北部九州が主戦場だった

---------------転載はここまで

 また、このことに関して、NHKのクローズアップ現代は、

昨年放映し、いまも、Webサイトには、こう記述されている。

2011年12月 8日(木) 放送
海底で発見!幻の軍船
 ~730年前 元寇の謎~

クローズアップ現代
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3132&html=2
転載文

今年10月、長崎県鷹島沖の海底から日本の水中考古学史上、最大の発見があった。

鎌倉時代、2度にわたって日本を襲ったモンゴル帝国軍の船、

“元寇船”が、原型をとどめた状態で初めて発掘されたのだ。

歴史の授業でもおなじみの元寇。

しかしその実態は謎に包まれ、強大な元軍になぜ勝てたのか?実はよく分かっていない。

その解明に繋がる今回の成果は、琉球大学の池田栄史教授が率いる研究チームが、

5年の歳月と試行錯誤の末、厚さ1メートル近い砂泥の中から見つけ出した。

“元寇船”はどのように発見され、何が明らかになるのか?730年前の元寇の謎に迫る。

-------
番組内容のテキスト


ことし10月長崎沖の海底で、日本の考古学の歴史を塗り替える大発見がありました。

730年前日本を襲ったモンゴル帝国の船が、ほぼ原形をとどめた形で見つかったのです。

「あった!っていう単純なもう、ひと言で言うとそうです。

船だぜ!」

鎌倉時代、モンゴル帝国が2度にわたって日本に襲来した元寇。

日本を国家存亡の危機に陥れた事件ですが、その詳しい実態は分かっていません。

10万人を超える大軍団はどんな兵士で構成されていたのか。

4000隻を超える船はどんな姿をし、どこで造られたのか。

今回の発見で、元寇が実際にどのようなものだったのか明らかになるのではと期待されています。

長い眠りから目覚めたモンゴル帝国の軍船。

今夜はその謎に迫ります。

-----------紹介は、ここで終わるが、是非とも、

クローズアップ現代のサイトで、読んでもらいたいものだ。

クローズアップ現代
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3132&html=2


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ここが、戦場の海である。

2011年、撮影。

















そして、

まつら党の兜





しかし、この鷹島の30キロ沖合にある半島には、あの玄海町の

玄海原発があるのである。


 一度許した、玄海原発。

 しかし、二度と許してはいけない、原発再稼働。

ふるさとの海を護るということは、

歴史の大輪を、強く、清らかに、アジアの防人たちの歴史を

しっかり学ぶことに通じる道でもあるわけだ。

かって、「反帝連帯・平和・友情」という

スローガンがあった。


いま、求められているスローガン

それは、 「反原発、アジアの友との連帯・平和・絆」



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