松浦からFUKUOKAへ

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☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

残った砂浜  -松浦-

2011年10月12日 07時06分29秒 | 松浦
残されたのか?、残ったのか?

タイトルを決めるのにふと、考えた

それは、

残ったのである。

かっての美しき遠浅で有名な、夏には、臨時汽車も停車する

賑わいをもたらした。

志佐の大浜海水浴場

いつしか、工業団地が訪れ、その後、火力発電所も出来

現在残っている、大浜の残った場所、

当時を思い出させる

現存の場所である。



(画像クリックで拡大)

この場所で、1月に逝った亡き父の

初盆に、小さき精霊船を、親戚が見守るなか、

ひとり、海に入り、父を送った。

志佐の精霊船便乗の流しもあったが、

あの雑踏よりも、静かに送りたい気持ちもあって

術後の傷も不安であったが、

父を偲び送りたかったし、体力を心配しつつ

送った。


(画像クリックで拡大)

次の写真は、

事前チェックの際、撮った

一本松

そう、誰でも大浜海水浴場で

泳ぎ目指した一本松。

まだ、生きている、存在するのである。

この時は、満潮場面で、水面に包まれているが

1/6の遠浅に残っている

現役の、不死身の

一本松である。


(画像クリックにて拡大)


そして、この海は、伊万里湾を繋げて

あの玄海原発、その眼の前の海に繋がる。

その途中に、原発に異議を唱える鷹島がある。

玄海町だけの問題ではないのである。

私は、老いてゆく眼を眼を開き、

未来を捉えたい

しっかり、未来を渡したい

私は故郷の海を守りたい。

強く感じるこの頃である。





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