松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

ふるさと 松浦・今福港

2013年01月14日 09時13分13秒 | 松浦
13日、父三回忌を終えて

福岡へ帰る途中、撮った 松浦市今福町の桟橋

(全てクリック拡大)



(桟橋の待合室の前に掲示されているマップ)




(伊万里湾を前にして、左の海岸沿いの国道が、志佐町、平戸へとつながる)










桟橋の前に見える島は、飛島、右側は、鷹島となる。

そう、あの水中史跡「鷹島神崎遺跡」の水域とつながり、

そして、更には「玄海原発」が存在する。

原発に長崎県として、最も近いのが、鷹島、そして

今福町である。




桟橋、右上は、元県立松浦園芸高校の跡、整地が進んでいる。

母校ではないが、

学び舎が亡くなるという風景は、悲しいものである。

 近くには、玄海原発が再稼働を待ち望み、存在するという

厳しい現実。

 故郷を護る取組みがいま、求められている。




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故郷・松浦

2012年05月19日 10時55分56秒 | 松浦
昨日、休みをとり、年金申請で年金事務所へ。

 しかし、申請書類は、複雑である。

 いい、勉強になった次第。

若い人も、先のことを考えて、年金とは何か

学習し、関心をもたれたほうがいいと、思う。

Webサイト、「ねんきんネット」。

http://www.nenkin.go.jp

あと、数年でふるさとへ帰る

第一歩となる作業であった。


(クリック拡大)



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「鷹島神崎遺跡」―松浦

2012年02月20日 07時30分39秒 | 松浦
松浦を愛するものとして

嬉しいニュースが飛び込んできた。

2月18日の新聞の報道である。

「鷹島神崎遺跡」の国史跡指定へである。



(クリック画像拡大)「松浦からFUKUOKAへ」作成


ここから各紙
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長崎新聞ホームページより
2月18日の長崎新聞

元寇船沈没の「鷹島神崎遺跡」 海底で初の国史跡へ
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20120218/02.shtml


約730年前の元寇(げんこう)で沈んだ軍船や遺物が見つかった
松浦市鷹島町神崎免沖の海底について、国の文化審議会(西原鈴子会長)は
17日、「鷹島神崎遺跡」として国史跡に指定するよう、
平野博文文部科学相に答申した。
海底遺跡の国史跡指定は初めて。

 指定を受けるのは、鷹島東部にある神崎港の沖合約200メートル、
幅約1・5キロの海域(約38万4千平方メートル)。
鷹島沖では1980年から大学や旧鷹島町が調査している。
94年には木製の大いかりが構造を保ったまま出土。
元寇の戦いを描いた「蒙古襲来絵詞(えことば)」に出てくる
さく裂弾「てつはう」が2001年に引き揚げられるなど、
約4千点の遺物が確認されている。
昨年10月には、琉球大の研究チームが軍船の船底を発見した。

 松浦市教委は昨年7月、遺跡の調査成果をまとめた意見具申書を
文部科学省に提出。
同省は1月、文化審議会に諮問した。
同審議会文化財分科会の佐々木丞平会長は取材に
「長年の調査の積み重ねで、元寇の状況を示す遺物がかなり出土し、
遺跡の範囲が明確になった。
指定にこぎ着けたのは日本の海底遺跡研究の成果だ」と語った。

 同省は3月末までに官報で告示し指定する。

------------------
鷹島神崎遺跡:史跡に指定へ 松浦市長「水中考古学のメッカに」 /長崎
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120218-00000286-mailo-l42

毎日新聞

海底に眠る水中遺跡としては国内で初めて、
松浦市鷹島沖の「鷹島神崎遺跡」が「史跡」に指定される。
答申が出た17日、地元では喜びの声が広がった。
【野呂賢治、阿部義正】

 「現地に研究所なども置き、日本における水中考古学のメッカにしたい」
。松浦市の友広郁洋市長は答申を受けて市役所で会見し、
市の活性化に向けた可能性に胸を膨らませる。

鷹島の観光施設「モンゴル村」の佐々木法一社長も
「ちょうど春めいた頃の吉報で、うれしい限り。

歴史ある鷹島の良さを、遺跡と共に発信していきたい」と意気込んだ。
 弘安の役(1281年)で九州北部に押し寄せた元軍の船団が、
暴風で沈んだとされる海域。

最深部は水深25メートルあり、引き揚げ展示には相当の時間がかかる見込みだが、
市は歴史ファンら観光客の増加に対応するため、
遺跡範囲が一望できる展望台の整備など、早急な対応も検討するという。
 また、県教委の渡辺敏則教育長は
「遺跡の歴史的・文化的な価値が全国的に認められた。
今後は、発見された元寇船とも合わせ、国や松浦市などと十分協議しながら、
遺跡の保存・活用策を検討したい」とコメントした。
〔長崎版〕

2月18日朝刊

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鷹島神崎遺跡「やっと価値認められた」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news/20120217-OYT8T01272.htm

読売新聞
YOMIURI ONLINE

国の文化審議会が、松浦市の鷹島神崎(こうざき)遺跡を史跡
に指定するよう答申した17日、地元関係者は遺跡を活用した
地域振興に向け、期待を膨らませた。

 答申を受け、松浦市の友広郁洋市長は市役所で記者会見を開き、
「とても明るいニュース。市民が地域を誇れるという点でも価値がある」
と声を弾ませた。

「国や大学の研究機関を誘致し、水中考古学の中心地にできれば」とも語り、
破裂弾の「てつはう」などの遺物の国重要文化財への
指定を目指す考えを示した。

 30年以上にわたり海底調査を見守ってきた
宮本正則・元鷹島町長(81)は
「東アジアの国々も関心を寄せる国際的な遺跡。やっと価値が認められてホッとした」
と喜びを表した。一方で、「これからが本当の勝負。
(沈没した元軍の)船を引き揚げて多くの人に見てもらえるよう、
地元からも国や県の支援を促したい」と力を込めた。

 松浦市や県は、具体的な「保存・管理計画」を定めるため、
2012年度に水中考古学の専門家らを招いて協議を始める方針。
市教委文化財室は「海中にあることで、(保存・活用に)
大きな課題を抱えているのも確か。専門家や市民にも知恵を借りて
有効な方策を模索したい」としている。

(2012年2月18日 読売新聞)

-------------------ここまで



「松浦からFUKUOKAへ」での投稿関連記事はこちら 




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元寇船発見の海底、国史跡に指定を諮問 文化庁

2012年01月24日 07時47分23秒 | 松浦
元寇船発見の海底、国史跡に指定を諮問 文化庁

asahi.com
http://www.asahi.com/culture/update/0120/TKY201201200470.html?ref=rss
(全文転載)
13世紀の元寇(げんこう)で沈んだ元の軍船とみられる船体が発見された

長崎県松浦市鷹島沖の海底(約38万4千平方メートル)について、

文化庁が、文化財保護法に基づく国史跡指定を文化審議会文化財分科会に

諮問したことが20日、わかった。

諮問は同日付で、早ければ2月に答申が出る見込み。諮問通り、

指定の答申が出される可能性は高く、指定が決まれば海底遺跡として初めての国史跡になる。

 鷹島沖海域では昨年10月、琉球大の調査チームが元の軍船とみられる船体

を発見したと発表し、話題を呼んだ。

発見された船体は、船底の背骨に当たる木材の竜骨(キール)が確認されるなど、

構造がはっきり分かる状態だった。

 元寇は、鎌倉時代、中国を支配していたモンゴル(元)軍による日本侵攻。

北部九州が主戦場だった

---------------転載はここまで

 また、このことに関して、NHKのクローズアップ現代は、

昨年放映し、いまも、Webサイトには、こう記述されている。

2011年12月 8日(木) 放送
海底で発見!幻の軍船
 ~730年前 元寇の謎~

クローズアップ現代
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3132&html=2
転載文

今年10月、長崎県鷹島沖の海底から日本の水中考古学史上、最大の発見があった。

鎌倉時代、2度にわたって日本を襲ったモンゴル帝国軍の船、

“元寇船”が、原型をとどめた状態で初めて発掘されたのだ。

歴史の授業でもおなじみの元寇。

しかしその実態は謎に包まれ、強大な元軍になぜ勝てたのか?実はよく分かっていない。

その解明に繋がる今回の成果は、琉球大学の池田栄史教授が率いる研究チームが、

5年の歳月と試行錯誤の末、厚さ1メートル近い砂泥の中から見つけ出した。

“元寇船”はどのように発見され、何が明らかになるのか?730年前の元寇の謎に迫る。

-------
番組内容のテキスト


ことし10月長崎沖の海底で、日本の考古学の歴史を塗り替える大発見がありました。

730年前日本を襲ったモンゴル帝国の船が、ほぼ原形をとどめた形で見つかったのです。

「あった!っていう単純なもう、ひと言で言うとそうです。

船だぜ!」

鎌倉時代、モンゴル帝国が2度にわたって日本に襲来した元寇。

日本を国家存亡の危機に陥れた事件ですが、その詳しい実態は分かっていません。

10万人を超える大軍団はどんな兵士で構成されていたのか。

4000隻を超える船はどんな姿をし、どこで造られたのか。

今回の発見で、元寇が実際にどのようなものだったのか明らかになるのではと期待されています。

長い眠りから目覚めたモンゴル帝国の軍船。

今夜はその謎に迫ります。

-----------紹介は、ここで終わるが、是非とも、

クローズアップ現代のサイトで、読んでもらいたいものだ。

クローズアップ現代
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3132&html=2


------------------------
ここが、戦場の海である。

2011年、撮影。

















そして、

まつら党の兜





しかし、この鷹島の30キロ沖合にある半島には、あの玄海町の

玄海原発があるのである。


 一度許した、玄海原発。

 しかし、二度と許してはいけない、原発再稼働。

ふるさとの海を護るということは、

歴史の大輪を、強く、清らかに、アジアの防人たちの歴史を

しっかり学ぶことに通じる道でもあるわけだ。

かって、「反帝連帯・平和・友情」という

スローガンがあった。


いま、求められているスローガン

それは、 「反原発、アジアの友との連帯・平和・絆」



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「寒山院智心幸全居士」の一周忌、終了す。

2012年01月22日 13時42分22秒 | 松浦
昨日、21日、無事、一周忌を終える。

遠路遥遥、また、多忙の中での皆様の

御出席での父への供養、本当に感謝する次第。

また、父への法事に初めて参加した

息子の嫁も、慣れないなか奮闘してくれた。

さぞかし、天の母も目を細めながら、その姿を

暖かく見守ってくれたと思う。

「おつかれさまでした」


★☆

下の写真は、

一周忌当日の松浦の寿昌寺の境内




背景の山は不老山。






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残った砂浜  -松浦-

2011年10月12日 07時06分29秒 | 松浦
残されたのか?、残ったのか?

タイトルを決めるのにふと、考えた

それは、

残ったのである。

かっての美しき遠浅で有名な、夏には、臨時汽車も停車する

賑わいをもたらした。

志佐の大浜海水浴場

いつしか、工業団地が訪れ、その後、火力発電所も出来

現在残っている、大浜の残った場所、

当時を思い出させる

現存の場所である。



(画像クリックで拡大)

この場所で、1月に逝った亡き父の

初盆に、小さき精霊船を、親戚が見守るなか、

ひとり、海に入り、父を送った。

志佐の精霊船便乗の流しもあったが、

あの雑踏よりも、静かに送りたい気持ちもあって

術後の傷も不安であったが、

父を偲び送りたかったし、体力を心配しつつ

送った。


(画像クリックで拡大)

次の写真は、

事前チェックの際、撮った

一本松

そう、誰でも大浜海水浴場で

泳ぎ目指した一本松。

まだ、生きている、存在するのである。

この時は、満潮場面で、水面に包まれているが

1/6の遠浅に残っている

現役の、不死身の

一本松である。


(画像クリックにて拡大)


そして、この海は、伊万里湾を繋げて

あの玄海原発、その眼の前の海に繋がる。

その途中に、原発に異議を唱える鷹島がある。

玄海町だけの問題ではないのである。

私は、老いてゆく眼を眼を開き、

未来を捉えたい

しっかり、未来を渡したい

私は故郷の海を守りたい。

強く感じるこの頃である。





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故郷の海  -松浦-

2011年09月26日 07時14分14秒 | 松浦
9月23日

彼岸で松浦へ墓参り

その日は、絶好の撮影日よりで、調川の道路公園で

また、不老山の公園に出向き、展望台から

市内をカメラにおさめる。



(展望台から)



(家の前海岸道路から平戸を背にして福岡方面へ)


天気は良好でもう、半ズボンはいらない。

もう秋だ。



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柱のきず (背くらべ)

2011年08月18日 06時54分13秒 | 松浦
柱のきず



「柱のきずは おととしの 五月五日の背くらべ・・・・」

童謡の「背くらべ」の唄が流れるかのような

古き家の柱のきず

父母が子、孫、姪、甥までも

笑顔で時には、無理に背筋を伸ばさせて

計っていた

昭和、平成時代の時を刻む

歴史の柱である。


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初盆

2011年08月17日 08時51分32秒 | 松浦
当主としての仕事

先祖の霊を迎える準備と法事


右側の提灯吊の若竹に注目

我家の準備スタッフ中で男はは私ひとりなので

竹を切りに無防備で竹やぶの中に

そして


(クリック拡大)

見事藪蚊にやられる。

痒みは12日蚊等15日迄続く。




初盆のディスプレイ


日々、朝昼夕食事は変わる(宗派によって違う)

台所スタッフも大変である。


痛んだ家の点検の際、見つけた

蝸牛(かたつむり)


何十年ぶりにまじかにみた。


ともかくも初盆を難なく終えたいま、

お参りにきてくださった皆さん、

休み返上で準備スタッフに加わった

実妹の子である三姉妹、

有難うございました。

さぞかし、亡き父、母も

手伝うその姿をみて、感謝していることと思います。

お疲れ様でした。







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不老山-松浦市志佐町-

2011年01月23日 09時11分04秒 | 松浦
父の見舞いと後、

撮った「不老山」の写真

両親と私たち兄妹を暖かく見守った

山である、

昔、一時山崩れとかがあったが、

見事に復旧している。



(クリック拡大)

写真2点は、2011年1月22日 昼過ぎ松浦にて撮影





いまから、義母の見舞いで熊本へ

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松浦鉄道の線路

2011年01月16日 07時31分37秒 | 松浦
長崎県北の主要な交通機関となる

松浦鉄道

設立は昭和62年12月10日

事業内容は 営業キロ 93.8キロメートル
      駅  57駅
      車両数 26両
資本金3億円(出資比率 自治体40% 民間企業等60%)
株主数   96名
職員数  110名
(Webサイトより転記)

下の写真は、実家の前の松浦鉄道の線路



(伊万里方面へ向かう)



(御厨方面へ向かう)


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