松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

マイケル・ジャクソン  追悼

2009年06月26日 21時19分36秒 | Impressions(雑感)
朝から、メディアが慎重に報道する

その姿は、偉大なマイケルに対しての敬愛の

気持ちが写る。


そして、悲報が流れる







遠いアメリカの国の悲報であるが、

現実はリアルタイムに

報道する。

メディアは、ミュージック業界、アートの世界への

影響を詳細に伝え始める




彼らが一々伝えなくても

ひとりひとりは感じてるし、知っている

彼の生き様を、その姿を

私は、多くを語ることもなく

哀悼の意を

表する。

故グレート・マイケル・ジャクソン氏へ

2009.6.26



TOHRU MATSUSE


或るナルシストの憂鬱と苦悩2 -創作ー

2009年06月24日 22時59分41秒 | Creation(創作品)
このタイトルは重たい、そう重たいのである

創作であるから、ラフにやればいいのであるが、

しかし、創作のひとつの中にあっても、

作者としていえば、伝えたいものがある訳で

活かし難いものである。



その作者は、知っている、

中傷、僻み、権力の力を

或る人はいう、力が必要、そう、権力的な力、財政的な力、政治、経済的な、

CHIKARA

否定はしない、現在のこの世界では、それが、必要であることを

その真ん中に起つ、ナルシストは、想い、語る。

「それもわかるが、圧倒的な・・・は、圧倒的、人々は、」

そう、生を受ける、一人としては、ひとりは、・・・・・・・


そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あり。


人の星座を変えるのは、自分自身であることを

よく知っている。









或るナルシストは知っている。

だから、問いを語りかけるにも、知は必要であることを

「若きウェイテルの悩み」をも、知っているそのナルシストは、

今日も語り。「明日も語る」そのナルシストは

明日も、睨み、みつめ、語るかけるであろう、


ナルシスト自身を

今日もみつめ、語り続ける


すべてに、良き日をと。


6月のドラマである。


愛 ラブ ユウ



「時代を見つめよ、そして熱く語れと」



或るナルシストの憂鬱と苦悩  - 創作 -

2009年06月20日 17時08分57秒 | Creation(創作品)




彼の苦悩は、昨年末から始まっていた

職場の喫煙室でのため息を思わせるような

煙草のスタイル

理解できない周囲の状況のなかにあって

独り、焦り、喘ぐ

ただ、何も出来ないまま、

時間だけが過ぎてゆく。

考えるのは、現在の課題と解決策のこと、そして、その未来。

そして、静かに、灰皿に花をちかづけ、絵になるように

セッティングした。

しかし、苦悩の日々は続く。










長い時間が経過して

結果が見えてきた

それは、良いことも、悪いことも

彼を取り巻く現実の情勢を反映し、それに対し

しっかりと無力さを痛感し、鬱になる。

このために・・・・・後ろ向きに、ネガティブな心理状態

或る人はいった。

見方、考えた形しだいと

そう、一理ある。

しかしである、誠実に、真剣に、

取り組み、追求した そのナルシストには、

やはり、現実に発生するストレスと怒りは、

苦悩の日々であることには、間違いなく。


口先だけでりっぱな挨拶をする人々をみると

吐き気すら感じるのである。


それでも、そのナルシストは、

生き続けなければならない

宿命をもっているのである。




父の日にAKANEが贈った竹皮張りはきもの

2009年06月15日 21時05分59秒 | Family



AKANE君からの”父の日”   サンキュー:::::オヤジ





この表情がなんともいえないものである。





この履物は、熊本で約800年前に竹の皮を用い草履らしきものを創って履いた

といわれており、古くから愛用されたという。

足の裏を刺激し(壷)血行を良くする

健康履として喜ばれいるという。

血の流れが悪くなる  年寄りには

効果があれば、いいのだが、

そう、効くだろう

AKANEからの草履だから。

また、サンキュー

オヤジより。




聞いてください この歌声を! -松本かつひろの歌-

2009年06月09日 02時09分27秒 | Family
先日、ブックマークに載せた

弟分、かっちゃんの歌声

YouTubeにのっているが、彼のブログでも紹介している

「ミチスジ」セッション「大鶴裕紀」


の歌声を是非・是非聴いてほしい。

いま、音が氾濫している

そのわりには、肝心なところ、場所では、聞こえない。

端的にいえば、昼間、華歌が聞こえないのである。

ひとつの端末からは、よく雑音的に漏れてくる

音はある。

ミュージュックもある。

しかし、肝心なところに華歌すらもなく、

ため息だけが、数多く聞こえてくる。




「うたを忘れたカナリア」

そういう時代に、

そういう時の中に、しっかりとたち

ごく、普通の色々な「愛の姿、想い」

みつめ、語りかける

我が、弟。

そして、今日も 唄う。



人が人として、ハッピーにいきていくために。






(作画 松本かつひろ)