松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

華の息

2007年07月28日 23時35分02秒 | Impressions(雑感)
女性2人と私と3人で食事に行った

美味なものと、ビール、しかし、そこは禁煙であったため、

不機嫌にならざるを得なかった。

アルコールと煙草とつまみ、至福の時を想定していたが、

全館禁煙とは、ストレスが溜まっていくのがわかる。

左には、年を加えた女性、真ん中にわたし、右側にわかい女性

私は、美味しいものみつめていたとき、

話かける若い女性。

急に右手の甲に、二本の生ぬるい風を感じた。

再び話しかける若い女性

右手の甲に、再び感じる二本のなまぬるい風。

それは、若い女性の華の息であった。

暑い夏の夜の出来事であった。


何処へ

2007年07月27日 00時39分33秒 | Impressions(雑感)
君は何処へ行くのか
教えてくれといっても、答えず、時代の方向とは、逆の
道をまた、突き進む。

なぜ故、こうなるのか、考える。

いかしかたがないのか。

翻弄させて、混乱させて、君はどの道を進もうとしているのか

弱き大衆を侮るな、君の足元にみよ。

そろそろ、反撃の風を感じる君へ


尊厳を賭ける闘い

2007年07月24日 21時49分29秒 | Creation(創作品)
長い人生の中にあって
多くの迷いがあり、また、多くの妥協の道を
選択せざるを得ない時がある。
それは、卑怯なことでもないし、
やむを得なかった場合が多いであろう。

しかし、それで終わってはいけないと思う。

そのあと、このあと、どうするかであろう

自分自身の、己の存在が問われるとき、悩むであろうが
やはり、己の足と、頭と、ハートで
しっかり、立ち向かえばならないときがある。

混迷する組織活動、あいまいな人々の出現
ものを言わぬ群集で、気だけで人と交流し、現実からの逃避を繰り返す
多くのひととひと

人として、己をためすかのような
現実、そして、現実、

君がいまから
踏み出す一歩には、明日がまっている

HIKARIがまっている。

木だけをみるのでは不十分
森をみよ、空を仰げ、海原をみよ、

自分がしっかり、この社会で生きてることがわかる。




久しぶりの散策

2007年07月21日 23時04分34秒 | Impressions(雑感)
久しぶりに OHHORIPARKにいってみました。

少ない時間であったが、3月の怪我以来である。

初夏の公園は、鳩が、鯉が、亀が、悠々と飛び、泳いでいる。

それに、発見のひとつが、橋の入り口にある、
大きな樹木に、最初は二羽の鳩が止まっていたが、
いつの間にか百羽に近くになっていた。
まさに、鳩が止まる木になっていた。

私の鳩のイメージは公園で、歩いていたり、人が与える餌を
つまみ、時として空に向かって飛び立つものであったが、

今日のイメージは、ああ、やっぱり鳩は鳥なんだと
考えさせられた。

「鳩も鳥!」今日あらためてまなぶ。

My プロフィールⅡ

2007年07月18日 23時46分45秒 | Weblog
あらためての自己紹介(Ⅱ)

41tm52こと
氏名は松瀬 徹

1952年4月1日生まれ、(エイプリルフールの日、昔は馬鹿の日とも言っていた)
ちなみ、奥様も4月1日、年はひとつ遅いですけど、そして、あのCGアーティスト
Kさんも、私と一緒)

ふるさと出身は、かってはボタ山と遠浅が砂浜があった、長崎県、松浦市
志佐町の、淀姫神社の近くの集落で生まれ、青春時代を過ごす。
そこは、ひとつの青春の門の形態(姿・シーン)が存在していた。
幼年時の遊び場は、ボタ山、山のてっぺんに行くのは勇気がいったが
景色はよかった。

夏になれば、大浜海岸で泳ぐ、白浜の海岸で飛び込む、
そして、いまも残存する?(確かめていない)一本松
そして、この町にこんなに多くの人がいるのだろうかと疑った
お盆の花火大会の、「精霊流し」。
平成の時代には、ない、昭和の時代がそこにはあった。

時代の流れで、山は閉山し、去り行く仲間たち、(男の子も、女の子も)

それがゆえに、もう一度、雄雄しきボタ山を見てみたいと思う。

出来ぬのであれば、CGで再現してみせたい。

あの黒いダイヤが出てくるまでに、多くの男女が汗を流して、
採掘してきたことか、
ボタ山は、ダイヤを抽出してきた結果のボタとカスダイヤが集積した
ヤマであった。
それは、多くの人々の血と汗の結晶のヤマでもあった。

自然が創ったものではなく、人が創った高貴なヤマである。

それがボタヤマであった。

2007・7・18 記


いろいろとありがとうございました。

2007年07月17日 22時18分30秒 | Weblog
今日本日7月17日
3月17日に骨折していらい、今日まで
・・・・・・
そして、プレート除去後の抜糸を
今日実施してもらいました。

思えば3月から約4カ月、我侭な私に、治療をしてくださいました
S医師、そして、医療スタッフの皆さん、
本当に有難うございました。
(本来ならば、実名でお礼を申し上げたいところですが、まだ、許諾をもらっていないので、すみません)

私自身も、あまり、入院経験もなく、19の時、高所から転落以来の
入院でありまして、
それ以来です。

ほんとうにありがとうございました。
現在、顎の方は、痛みもなく、痺れもなく、若干違和感があるのみです。

これから、年も勘案し、一寸走ることを(raningu)を検討してます。

お世話になりました。



松瀬 徹




「イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学」を読んで

2007年07月16日 21時55分05秒 | Insistence(主張)

この本を読んで、
凄くいいです。
「イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学」
発行人 石原正基
編集  奥山 治伸・大澤直樹
発行  ぴあ株式会社

ISBN4-8356-1627-8

私が尊敬する人物のふたりですから
面白くないことはないし、読んで「ヨッシャ!」の気持ち、間違いなし

対談集ですから リアルなセリフになっているし、その場面が、その時が
容易にイメージできます。

対談集のシノプシスは
哲学1 人は、現役で在り続けなければならない
哲学2 人は、こどものころの気持ちを忘れてはならない
哲学3 人は、最高のレベルを求めなくてはならない
哲学4 人は、未知の扉を開けなくてはならない
哲学5 人は、自己と向き合わなければならない

哲学6 人は変化し続けなければならない

イチロー氏 対談のなかで

「近道は、もちろんしたいです。簡単に出来たら楽なんですけど、
でもそんなことは、一流になるためにはもちろん不可能なことですよね。
一番の近道は、遠回りをすることだっていう考えを、
いまは心に持ってやってるんです。」

矢沢永吉氏

四五歳ぐらいになったらね、ふと思った。
「そうか、俺はヤザワなんだ」
「そうか、俺は俺を応援してくれるファンの、みんなのヤザワなんだ」
「だから、みんなのヤザワをちゃんと見てくれ」って
「今度は、一皮むけた矢沢永吉をやろう」、そう思うんですよ。
いま、そういう思いがあります。
「みんなの矢沢永吉」なんだって


・・・・・・・・・


いいですね。この二人、何処まで進化するのだろうか?

それと読んで感じたことをもうひとつ

「一流」の意味
財産を持ってるとか地位があるからっての俗的なものは
横において、
ブランドの問題、本人のブランドってこと。

悩んでいるひと、とりわけ、元気が無くなっていってる
人は、読む価値大いにありです。

読んで よろしくです。

(TOHRU)



息子へ(Ⅰ)

2007年07月09日 23時46分32秒 | Family
あなたのコメントが記載されている
サイトページを拝見しました
そこで、感じたことを発信します。

○○○○をみて、率直に嬉しくもあり、この世界の一部を知っている
先輩として、複雑な気持ちになりました。この気持ちは、あなたが
この世界の道?を歩くという昨年の発言を聞いた時と同じです。

蛙の子は蛙といいますが、オヤジとしては厳しさをも知っていますので
ホント、複雑なんです。

しかし、言えるのは、まだ、若いし、幾らでも挑戦はできるのですから、
・・・・・というセリフは、横において、

現在、自分が立っている世界、業界のなかで
懸命にもがき、学んでいく姿勢を実践することが
大切と思います。

あなたも知っているいるように、
あのS・E氏は、「論争の前には、準備には、雀を撃つのに
大砲を用意(準備)するという姿勢が必要です。」と教えてくれました。

それは、常に準備する。

基本なくして応用は解けません。
制作過程の実態、これを学び、
どう、現実的に料理していくか、問われると思います。

健闘を祈ります。

八月の帰郷、楽しみに待ってます。


オヤジから息子へ



写真撮影:AKANE