松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

ー幸徳秋水と堺利彦ー そして現代

2012年02月03日 07時48分27秒 | 我国の政治
第4回非戦と平等を求めて

ー幸徳秋水と堺利彦ー


日本人は何を考えてきたのか
http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0129.html#logo

日露戦争にあたって非戦を唱えた幸徳秋水、堺利彦。

二人は日本の社会主義思想の始まりをリードしたが、

1910年の大逆事件で幸徳秋水は処刑される。

近年、大逆事件で処刑された人々の復権が熊野、岡山など日本各地で進むなか、

非戦と平等を唱えた幸徳と堺の再評価の動きがひろがっている。

フランス・ボルドー第三大学教授のクリスチーヌ・レヴィさんもその一人だ。

ユダヤ人の伯父を第2次世界大戦で失ったレヴィさんは、

帝国主義の時代が始まろうとする時、

「非戦」を唱えた幸徳と堺の存在は世界的に評価されると考える。

レヴィさんは幸徳の主著「廿世之怪物帝国主義」をフランス語に翻訳。

二人が非戦と平等の思想を生み出した背景を探っている。

大逆事件は当時、アメリカやフランスでも注目され抗議が行われたが、

幸徳ら12人が処刑される。残された堺は遺族を訪ね歩き、

「社会主義・冬の時代」を生き抜いていく。

文筆でなお「非戦」を唱え続けた堺にも新たな光が当てられようとしている。

番組ではフランス人レヴィさんの目で、

非戦を唱えた幸徳と堺の思想を世界史の中で見つめていく。

【出演】クリスチーヌ・レヴィ(フランス・ボルドー第三大学教授)、

山泉進(明治大学教授)、

三宅民夫アナウンサー

(2012・1・29放映)

☆☆

放映を観ての「松浦からFUKUOKAへ」の感想である

「大逆事件」については、それなりの見識はあったが、

まだまだ、学習不足であることを痛感させられた。次第である。

この事件は、日本の冤罪の原点とも言われる。

いわゆる社会主義への思想、信念そのものが、

事件の「動機」として、逮捕されてゆくのである。


100年前の1911年1月、幸徳秋水はじめ12人の人びとが処刑されました。

彼らの罪は、明治天皇を謀殺しようとしたという「大逆」の罪でした。

しかし、それはごく一部がそんなようなことを考えていたというだけで、

実際には権力のつくりあげた謀略でした。まったく無実の人びとを、

非公開・1人の証人もなしという暗黒裁判で裁き、絞首刑12名、

無期懲役12名という判決が下され、判決一週間後には、

国際的な非難から逃れるようにあたふたと死刑執行されたのである。


 処刑された人びとは、日露戦争に反対し、韓国併合を非難した人びとでした。

大陸への進出に乗り出した政府が、国内世論の反対派を封じ込めるために、

こうやって、「大逆事件」はつくり出されたのである。

そして、


事件を指揮したのが、後の首相となる、平沼騏一郎だ。

当時は司法省の局長だった。

 平沼は後に自身の回顧録で、被告のうち3人は陰謀に加わったのか確信が

なかったと書いた。

 また、当時の桂太郎首相の私邸を毎朝訪れ、事件の報告をしていたと記し、

政治の中枢が事件と密接にかかわったことを示唆した。

 テレビでは、「有罪を証明するものは何もない、だから、

無実である証拠も残さない」と平沼騏一郎




 今、時は、2012年、年を開けて1ヵ月たったいま。

大震災、福島原発事故によって、「いのちと暮らし」が

脅かされつつある今、

 このニュースである。

平沼氏「自主憲法を新党綱領に」 保守系議員の参加促す

2012年2月1日 17時43分  東京新聞 TOKYO Web
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012020101001629.html



たちあがれ日本の平沼赳夫代表の義父は平沼騏一郎である。


★参照★
ウィキペディア出典

自主憲法論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E4%B8%BB%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%AB%96

自主憲法論(じしゅけんぽうろん)とは、日本国憲法を無効もしくは、

成立過程において不備があったために、日本独自で新しく憲法論議をし、

新憲法を制定(前憲法破棄)しようとする考え方。

復古的改憲論と同様のものであることがほとんどである。

日本国憲法第9条にある戦力・交戦権否定条項の廃止または修正が主眼とされ、

また非常時の人権制限である国家緊急権の制定、国民の義務に関する条項の追加、

天皇の元首性の明記、伝統尊重条項の追加などを盛り込んだ内容であることが多い。

政治運動

講和後まもなく鳩山一郎らによって主張され、自由民主党結党時に綱領として掲げられた。

自民党による自主憲法制定論は日本国憲法の改正手続きに則った憲法改正論であり、

護憲勢力が衆議院の1/3以上を確保したことにより挫折した。

なお、当時の参議院は政党に属さない保守系議員が多くを占めていた。

鳩山は衆議院の2/3を確保することを目的の一つとして小選挙区制導入を図るが、

これも失敗する。

現在ではたちあがれ日本や「新しい憲法をつくる国民大会」など

保守系・復古派の政党・政治団体などによっても主張される。

また生長の家など保守系宗教団体による支持もある。

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「松浦からFUKUOKAへ」創作品


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