松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

松浦党

2009年08月14日 09時30分14秒 | 松浦


今福と調川(つきのかわ)の間にある道路公園を背にして

御厨(みくりや)の上にある。

城山。

(第2次大戦には、高射砲も設置して、備えた)






道路公園の松浦党の兜。(兜に向かい、礼をするマイ・カー)








発祥地としての由来。


そして、大切なことで

松浦 当然 まつうら と読んでいた。

しかし、まつうらではなく、「まつら」

なのである。

別に、こだわる必要もないが、

ただ、遠い昔昔は、まつらと詠んでいたという。



伊万里湾、その先の玄界灘、東シナ海を

睨むように、まつら党の兜は

睨んでいる。





九州(西日本)における、海戦の歴史のなかで、

松浦党は、その歴史の中にあった。

(写真撮影 2009・8.12すべて)




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