静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

釈迦一代記(3) 有無同然

2019-01-08 11:45:28 | Weblog
釈迦一代記(3) 有無同然

シッタルタ太子は、お金、財産、地位、名誉、妻子、家など、私たちが「あったらなあ……」と思うもの全てに恵まれていました。しかし、いつか肉体が衰え、病で寝たきりとなると、いずれも虚しいものになっていきます。ましてや死が来たら何の心の明かりともならず、絶望しかありません。
太子は「四門出遊」といわれる出来事を通して、人生には老・病・死という避けられない苦しみがあり、それによってどんな幸せも崩されてしまうことに悩んでいたのです。

どこかに、年をとっても、病で動けなくなっても、そして死がきても崩れない幸せはないだろうか。太子は、お城を出て、まことの幸福を求めたいという思いが日に日に強くなっていきました。

王様はそんな太子を心配し、少しでも太子を喜ばせようと、四季の御殿を建てたといわれます。四季の御殿とは、春、夏、秋、冬の4つの御殿で、そこにはあらゆる美味しいもの、珍しいものが集められ、500の美女がいつももてなしてくれる、まるでこの世の楽園でした。

ところが、それらを与えられても、太子の心は少しも晴れませんでした。

そしてある日、こんなことがありました。
太子が真夜中、ふと寝室から外へ出てみると、昼間ははきれいに着飾り、立ち居振る舞いも上品な女性たちが、大広間で皆、だらしない姿で寝ていたのです。鼾をかいたり、寝言を言う人もいたのかもしれません。それを見て太子は、普段とのあまりのギャップに愕然としたといわれます。
そこで太子はこれを機に、城を飛び出す決意をしました。そのまま、白い馬に乗ってどこか遠くへ旅立ったのです、まことの幸せを見つけるまでは、二度とこの城には戻らないという固い決心をされてのことです。太子29歳の時のことでした。

常識的に考えれば、このままお城に残ることが、いちばんの楽で幸福な道なのですが、シッタルタ太子が選んだのは最も険しい、茨の道でした。その覚悟がいかなるものであったか、私たちに推し量れるものではありません。
(つづく)

釈迦一代記(2)

2018-12-22 11:52:38 | Weblog
この世に「生まれた」ということを、飛行機が飛び立った、離陸したことに例えるとします。
すると、この飛行機は飛んでいるうちに、いつか燃料が切れて墜落することになりますが、それが「死ぬ」ということです。
離陸⇒墜落
生⇒死

皆さんの中には、飛行機に乗った人もがあると思いますが、その時は、空の旅を十分楽しんでこられたと思います。けれども、それはその飛行機が間違いなく目的地に着陸できるという安心感があったからだと思います。

この飛行機のように、飛び立ったはいいけれど、どこにも降りるところがない。燃料が切れたら、あとは墜落するのみ。そんな飛行機だったら、どうでしょう?それでも空の旅を楽しめるでしょうか?
たとえファーストクラスにいても、機内食を食べいても、好きな本を読んでいても、楽しくないと思います。
なぜなら刻一刻と墜落が迫る「空の旅」ですから、飛んでいること自体が苦しみになるからです。

しかし、この世に生まれて、やがて死んでいく私たちの「人生」というものは、ちょうど離陸してやがて墜落する「空の旅」みたいなものではないでしょうか。
この飛行機には「墜落」するという一大事があるように、どんな人にも「死」という一大事があります。
これを仏教では、生死の一大事といいます。
シッタルタ太子は、この生死の一大事に驚きたったのです。

例えて言えば、太子は墜落することを知った乗客のようなものでした。いつも浮かぬ顔をしていた原因もそこにあったのです。
この生死の一大事を抱えたまま、人生に心からの安心も満足もないことを、太子は痛切に感じていたのです。

ある時、太子が北の門から外へ出ますと、今度は出家して修行している人の姿を見掛けました。
出家するとは、俗世間から離れるということです。
世間のことというのは、いわば飛行機の中のことです。儲けたとか損したとか、勝ったとか負けたとか目の色を変えていますが、それは飛行機の中の出来事です。問題はその飛行機自体がまさに落ちようとしているそのことにあるのです。

100パーセント墜落するという一大事を見つめながら、太子は本当は何をすべきなのか悩まれました。
それが「なぜ生きるか」という悩みです。
何も知らない人たちと一緒に、このままここで浮かれ騒いでいるわけにはいかない。
そう感じられたシッタルタ太子は、ある重大な決断をするのですが、その決断とは何であったか、それについては次回、お話したいと思います。

釈迦一代記(1) 生老病死

2018-12-18 16:31:49 | Weblog
人はなぜ生きるのか、それに答えられたのが仏教です。

今回はまず、その仏教を説かれた釈迦という人の生い立ちからお話ししてみましょう

釈迦は、今から約2600年前、インドに生まれました。父親を浄飯王、母親をマーヤー夫人といい、2人は、カピラ城という大きなお城に住まいする王様夫婦でした。

ですから釈迦という人は、元々は一国の王子だったのです。当時はシッタルタ太子といい、幼い頃からずば抜けて頭がよく、スポーツ万能で、国中の尊敬の的でした。また生活は裕福でしたし、将来は王様の地位が約束されておりますし、19歳の時には、国一番の美女といわれたヤショダラ姫と結婚して、かわいい子供も生まれました。

傍から見ていると、太子の人生は順風満帆で、何一つ悩むことなどなさそうでしたが、太子はいつも悩ましげな、浮かぬ顔をしていました。

なぜそんな顔をしていいたのかといいますと、太子にはある悩みがあったからです。

それが「なぜ生きる」ということです。

このことに思い悩むようになったきっかけが、「四門出遊」といわれる出来事でした。

太子の住んでいた城には、東西南北に4つの門がありました。四門といいますのはこの4つの門のことです。
ある日、シッタルタ太子が家来を連れて、東の門から外へ出た時、あるものを見て大変驚いたといいます。
それは、杖をたよりにヨロヨロと歩く、枯れ木のような哀れな老人の姿でした。

太子は家来に尋ねました。
「あの人は、なぜあんな姿をしているのか?」
お城の中には、そんな老人はいなかったので、太子は不思議に思ったのです。

家来は答えました。
「あれは老人です。年を取ったのであんな姿になったのです」

太子は、自分の肉体もやがてはあの老人のように衰えて、醜くなるのを知って驚きました

またある日、太子は南の門から外へ出て、不治の病にかかって、終日呻き苦しむ病人を見て驚きます。
しかし、家来の話から、自分の肉体も、いつか病にかかって苦しまねばならないとことを知って恐ろしくなりました。 

またある日、今度は西の門を出た時、死人を街はずれまで運び、火葬する様子を見て驚きます。
これも家来の話で、自分も、やがては必ず死に、焼かれてただの骨になってしまうことを知って愕然としました。

人は誰しも若く元気でありたいのに、老いがきて衰える。
健康でありたいのに、病にかかって苦しむ。
生きていたいのに、死んでただ骨にされてしまう。

太子の「現在」は(若さ、健康、生)を満喫できても、やがて必ず(老・病・死)に至る。

それが絶対に避けられないと知らされた時、それでもなぜ生きるのか、太子は悩まずにいられなかったのです。
とりわけ太子を悩ませたのは、人はかならず死んでいくということでした。その太子の悩みが、いかに深刻だったか、一つの例えでお話したいと思います。(つづく)

仏教入門 なぜ生きる(3)

2018-12-17 21:29:47 | Weblog
(昨日からの続きです)
 しかしこういうと、皆さんの中には、
〈自殺するのは、そんな「なぜ生きる」とかいう問題ではなくて、借金だとかいじめだとか、生きておれないほどの現実の苦しみがあるからだ〉と言いたい人もあるでしょう。
 しかし人というのは、今が苦しいだけなら、死んだりはしないものです。どういうことかと言いますと、例えば「今年1年、苦しいことばかり続く。でも、それを乗り切ったら、来年、あなたに10億円差し上げましょう」
と言われたらどうですか?
 今、どんなに苦しくても、会社が倒産しようが、いじめられようが、もうひと踏ん張りすれば10億円、そう思ったら、がぜん元気が出てきますし、自殺しようなどと考えないと思います。
 ということは、自殺をするということは、今が苦しいからと言えなくもありませんが、本当は、今が苦しいからではなく、こんな苦しい思いを抱えながら、それでもなお生き続けなければいけないのは、なぜなのか?どうしてなのか?それが分からないから耐えられなくなったということなのです。
 つまり、「苦しくてもなぜ生きるかが分からない」苦しみ、それで自殺したというのが本当のところなのです。

 では、苦しくてもなぜ生きなければならないのでしょうか。

それは、「10億円もらう」どころではない、もっと素晴らしいことが私たちの人生にはあるからなんです。
それ一つ果たされたなら、人間に生まれてきてよかった、生きてきてよかったと心から喜ぶことができる、そういう素晴らしいことが、特定の人だけでなく、すべての人にあるんです。

 これを釈迦という人は、「天上天下 唯我独尊」と格調高く、宣言されました。
どういう意味かといいますと、天上天下とは、天の上にも天の下にもということで、大宇宙のどこでもということです。
 唯我独尊とは、この「我」は、自分一人を指しているのではなく、我々人間一人一人をあらわしています。ですから、唯我独尊とは、ただ人間である我々一人一人に、たった一つの尊ぶべきこと、10億や100億のお金をもらうどころではない、もっともっと喜ばしきことがあるんだよ、という意味なんです。

 その「独尊」といわれるものを知った時、私たちの人生はガラリと変わります。いくら人生の荒波がやって来ようと、明るくたくましい人生が開かれます。ここで「独尊」といわれていること、それが「なぜ生きる」の答えである。釈迦という人はそういうことを教えられたんです。
 では釈迦は、この独尊といわれている真理、なぜ生きるの答えとは何だと教えられているのか。次回、お話したいと思います。

仏教入門 なぜ生きる(2)

2018-12-15 10:30:14 | Weblog
それでは最初に、「なぜ生きる」という問題がなぜ大切なのか、皆さんと考えてみまたいと思います。

今日、日本で毎年2万人を超える人たちが、自ら命を絶っているといいます。つまり自殺です。
自殺するというのは、いろいろな事情があってのことでしょうが、死んだ方がましだと思ったということですから、なぜ生きるかが分からなかったということでしょう。
 では今、こうして生きている人は皆、分かっているといえるでしょうか?

 例えばの話です。皆さんの、いちばん仲の良い友だちが突然「死にたい」と打ち明けてきた。とします。そんな時、皆さんならどうしますか?
「そうか、じゃあ手伝おうか?」というわけにはいかないはずです。引っ越しを手伝うのとわけが違いますから。「まあ待て」。と皆さんなら引き留めるはずです。そして言うでしょう。
「いろいろ苦しいことがあったんだろうね。でもね、苦しいのは君だけじゃない。みんな苦しい中、頑張って生きてきたんだ。だから、君も頑張ろう。自殺は弱い人間のすることだと思うよ。苦しみに負けてはいけない。強く生きよう、頑張ろう」と励ますでしょう。
 するとその相手が言いました。「なぜ強く生きなければいけないんだ?私はね、生きるのがもう嫌になったと言っているんだ。それなのになぜ、もっと頑張れだの、強く生きよと言うのか。何のために頑張るんだ?」
 こう言われると困ってしまいます。しかし相手は本気なのですから、いい加減なことは言うわけにもいきません。
 ですから、「そうやって頑張って生きて行けば、きっといつかいいことがある」。こういうのが精いっぱいではないでしょうか?
「そうだろう?だって、朝の来ない夜はないし、春の来ない冬もないじゃないか。今、おまえは夜なんだ。冬なんだよ。いつか必ず夜が明けるさ。花咲く春がやってくるよ。だからそこまで頑張ろうよ」。
 ところが相手が冷静に、「その夜明けって何のことだ?花咲く春って何のことを言って
いるんだ?そもそもおまえ自身、いったいいつ夜明けが来たんだ?」
 そう言われると、ますます困ってしまいます。「はて?自分の人生で夜明けっていつだったかしら?花咲く春ってあっただろうか?」
そう考えるとだんだん自信がなくなって、
「ひょっとして夜明けなんてないのかもしれないなぁ。来ない春を待ってるだけかもしれないなぁ。だとしたら何のために生きてるんだろう?それじゃあ一緒に死のうか?」ということになったら、引き留めた意味がなくなってしまいます。
 このように、自殺しようとする人はもちろん「なぜ生きる」かが分からなくてことですが、それを「死んではダメだ!」とハッキリ言いきれない人もまた、なぜ生きるのか、それが本心ハッキリしていないということです。

しかし、ここがいちばん肝心なところで、体に例えればここが「背骨」に当たります。ここがグラグラしておりましては、人生がしゃんとするわけがないですし、自分も何かあった時、自ら命を絶っていく2万数千人の中の一人にならないとも限りません。しっかりさせておかねばならないのは、ここなんです。

仏教入門 なぜ生きる

2018-12-13 16:30:46 | Weblog
■仏教について、書きためてあったことを少しづつここに書きたいと思います。
なぜ仏教は聞かねばならないかを、初心者向けに書きました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 まず始めに、仏教とは「誰が」「何を」教えたものか、そこからお話したいと思います。
 そもそも仏教とは、仏の教えと書くように、仏の説かれた教えをいいます。この仏とは、今から約2600年前、インドに生まれた釈迦牟尼という人です。
 一般にはお釈迦様といわれていますが、この釈迦という人が35歳の12月8日、ブッダガヤという所の菩提樹の木の下で、仏という最高無上のさとりをひらいたといわれます。その釈迦がさとられた真理、それを教えたものが仏教です。
 真理などというと、何か私たちの生活とかけ離れたものに思うかもしれませんが、真理というのは、「本当のこと」をいいます。本当のことというのは、いつでも、どこでも変わらるものではありません。
 ですから、そんな2600年前の教えなんて、今日の私たちが聞く必要があるのかと思う人もあるかもしれませんが、「本当のこと」は、いつの時代になっても、古びたり、色あせることはありません。
 私たちの悩み事というのは、政治や経済、科学や医学の力で解決するものが多いと思います。しかし一方、どれだけ科学が進歩しても、解決しない悩みというのもまたあります。
 それは、私たちは何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、苦しくともなぜ生きなければならないのか。一言で言えば、「なぜ生きる」ということです。
 ここで、皆さんにお話ししたいことは3つあります。
 1つは、「なぜ生きる」かを知るということは、私たちが生きていくうえで、いちばん根本的に、大事な問題であるということです。
 2番目に、釈迦という人は、「なぜ生きるのか」をとことん突き詰められて、その答えをさとられた方であり、それを教えたものが仏教ということです。
 3番目に、仏教に説かれる「なぜ生きる」の答えとは何か、ということです。(続く)

「考える葦」として考えること

2018-05-24 16:24:06 | Weblog
【後生の一大事】ということについて。

後生(ごしょう)とは、死後のことです。

ここで大半の人は、これ以上読むことを嫌悪します。

一体、この無関心さはどうしたものでしょう?

理由の一つとしては、そんなのまだまだ遠い先の話じゃ

ないか、ということなのでしょう。

なるほど、平均寿命が80歳を超える今日においては、

それも一理ありますが、本当は遠い先の話ではないので

す。仏教に、「出息入息 不待命終」という言葉があり

今、吐いた息、当然、次の瞬間には吸っていると思い

がちですが、死は、その吸う息の前に来るということ

です。

そんな馬鹿なあ……と思うかもしれませんが、それが

「本当だった」と知らされた時には、命が終わってい

ます。死は、老後の問題と違い、何十年か先の未来に

待っているものではなく、今のひと呼吸ひと呼吸と触れ

合った、緊密な問題なのですよ、ということです。

明日の試験よりも、ある意味もっと近い未来なのです。

高校時代に級友が亡くなりました。彼女は、私と同様、

大学受験の願書を出しておりましたが、彼女にそんな

未来は、実はなかったのです。

死は100パーセント訪れ、しかも、ある日、突然、

という性質をもっています。


死とか後生と聞いて、読む気がしなくなるもう一つの

理由としては、嫌なことは考えたくないという、我々の

生理的な拒否感によるものでしょう。

それは生物としての人間ならば無理からぬことと思い

ますが、「考える葦」としての人間ならば、賢明とは

いえません。

「人間は考える葦」と言ったのはパスカルです。

そして彼は、人間すべてにこう問いかけるのです。

「人があと一週間の命となった時、やるべきこと。それ

こそが一生かけてもやるべきことである」(パンセ)

あと一週間の命となったら、皆さん何をしますか?

おそらくあなたにとって一番大事なことをするでしょう。

では、それは何か?

これはあなたの人生で最も重要な問いではありません

か?

だから、そういうことを考えてこそ「考える葦」で

あります。どうしたら彼女をゲットできるか、どうした

らカッコよく思われるか、そういったことにいくら頭を

巡らしても、それでは「考える葦」とはいわれないと、

パスカルは言います。

死は、あなたにとって一番大事なことは何か?という

切羽詰った問いを突きつけます。

あと一週間の命となった時、株や投機などマネーゲーム

に狂奔するだろうか?マイホームを建築するだろうか?

本を読むだろうか?旅行に行くだろうか?お料理教室に

通うだろうか?英会話を習いにいくだろうか?

それどころではないだろう。

そんなことやって何になる、と思うであろう。

では、何をやるのか?


分からない。分からないけれど、日頃、大事と考えていた

ものが、いっぺんに吹き飛んでしまうことを痛感するはず

です。

そう。日頃、我々のやっていることなど、実はどうでも

いい、後回しにしてもほとんど問題ないことなのに、他人

と争い、先を競ってまでやっているのである。それがむな

しい馬鹿騒ぎであり、巧妙な自己騙しであることが暴露

されてしまうのです。

死は、人生で最大の問題が、今自分に欠落していることを

気づかせます。

それは、今まで味わったことのない当惑、困惑です。

この当惑、困惑の抜けた、世間的には成功したエライさん

方の死生観には、まったく興味ありません。

それは死の実体と、かなりずれた所で思索された産物です。

「死が来ようといつもと変わらない。生きていることに

感謝、感謝」などと言っている人は、かわいそうだが、

臨終に泣く。

その時がくるまで悟らないだろうが、生きている今、大変

だと気づいてほしい。感じてほしい。もし感ずる人がある

なら幸いである。


死をなぜ恐れるか?

2016-08-25 15:34:59 | Weblog
すでに他界してしまいましたが、身近な言葉で哲学する
ことを教えてくれた池田晶子さんという哲学者がありま
した。
その池田さんの書いた『暮らしの哲学』の中に、
「“死”は怖いものか?」という一文があったので、引用
させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現代文明は、ほぼ唯物論の文明ですから、“公式見解”
としては、 多くの人は、死後の世界を信じていません。

いや“信じる”というこの言い方が示す通り、そういうの
は、信じるか信じないか、個人の宗教的信念の問題だと
思っています。

そして、自分は宗教的信念を所有しないと表明する人は、
では死後をどう思っているかというと、“何もなくなる”
と思っている。

“死後の世界”なんてものは“無い”、人は死ねば無にな
るのだと。

人間とは物質すなわち肉体だと見做すのが唯物論の基本
ですから、肉体がなくなれば人間はなくなると考えるの
は当然です。

しかし、“死ねばなくなる”派の人でも、そのことが正確
に何を言っているいるのか、自分で理解していないこと
に気がついていないことが多い。日常の会話や、言い回
しの端々に、じつはそうとは思っていないことが見てと
れることが多い。

たとえば人は、“今度生まれ変わるとしたら”と、平気で
言いますよね。

あるいは“死んだ母が守ってくれる”、もしくは“向こう
でお会いしましょうね”等々、死後の世界を想定してい
るのでなければあり得ない言い方を、人は大変よくし
ます。

もし“死ねば何もなくなる”と本当に思っているのだった
ら、日常会話からその種の言い回しは消滅しているはず
ではないのか。

〝死ねばなくなる”と人が本当には思っていないことの
何よりの証拠は、死への恐怖を所有しているというまさ
にそのことです。

だって、死ねばなくなるのだったら、なぜ死ぬのが怖い
んですか。怖がる人がいないんだから、怖いということ
もないはずです。

(中略)

と、このように考えてくると、だんだん整理されてき
ます。
人は“無になる”ことを恐れているのではなくて、
“わからない”ことを恐れているのです。

死んだらどうなるかわからない、本当はこのことが怖い
のです。
(以上、引用)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仏教で「無明の闇」とは、後生暗い心ともいわれ、死んだ後(後生)が分からない(暗い)心のことだと教えられる。
死んだらどうなるかわからない、この行く先の分からぬ不安が常にあるために、何をやっても心からの安心も満足もない。
ゆえに苦悩の根元とも教えられる。

コンビニ人間

2016-08-24 14:22:09 | Weblog
『文芸春秋』9月号に芥川賞受賞作「コンビニ人間」が掲載されていたので読んでみました。

 これはコンビニを舞台にした短編小説です。コンビニにはコンビニの掟(マニュアル)があり、その掟を受け入れ、従う者はその世界に組み込まれますが、従わない者はコンビニという小世界から自然と排除されていきます。

 主人公は、いわゆる社会的不適合者で、子供の頃から奇行が目立つ女性です。
 例えば、派手に喧嘩をしている男の子たちに、周囲の女子が「喧嘩やめてー!」と叫んでいると、スコップを持ってきて男の子の頭を後ろから思い切り叩き、手っ取り早く、喧嘩をやめさせる。
当然、一斉に悲鳴が起きますが、本人は皆が「やめて」というから「やめさせた」だけなのに、なぜ自分が責められるのか理解できないでいます。

 こうした、社会からは受け入れられないズレた感性の持ち主なのですが、コンビニの世界ではマニュアル通りにやるので、有能な店員として一目置かれています。
 
 主人公は、社会の常識という成文化されていない暗黙の決まり事が苦手で理解できず、周囲を引かせてしまう行動をするのですが、コンビニのように細かく指定されたマニュアルがあると、ほぼ完璧にやり遂げます。
 
 世間の常識からみれば、主人公はただの変人なのですが、主人公の目から社会を見ると、社会の方が変わったものにみえます。

 なぜならば、
 コンビニの「マニュアル」を普遍の真理のように絶対視し、それに適合しない店員の、存在意義まで否定すれば、それが行き過ぎであることは誰しも分かります。
 しかし社会というものも、極論すれば、コンビニ世界を拡大したものに他なりません。

 しかし、 
 社会を支配する掟である「常識」というものは、本質はコンビニのマニュアルのようなものにもかかわらず、これには絶対的な力があります。

 それは、
 コンビニなら、マニュアルに従えなくても、ほかに生きる世界がありますが、社会となると、宇宙にでも逃れる以外、出て行ける場所がないからです。
 それ故、世間の常識に反すれば、たちまち不適合者の烙印が押され、刑務所や病棟などに入れて隔離したうえ、人格改造が迫られます。
 その改造が無事済めば、「まともになった」と言われます。
 しかし、この「まとも」とは、一体、どういうことなのでしょうか?
 
 こうした「世の中」のおかしさ、残酷さが、ユーモラスに描かれていました。

 人が従っているのは真理ではなく、その世界、その世界のローカルルールであって、それに従わないからと言って、人の存在意義まで踏みにじられていいものだろうか?という疑問が、筆者にはあるのだろうと思います。

 いろんな考え方、いろんな人があるのだから、お互いを認め合おうという着地になっているように思われましたが、筆者が仏法を知っていれば、もう一つ踏み込めたと思います。

健常者・障害者の差別なく、生命の尊厳は平等にある

2016-08-23 11:17:28 | Weblog
 身心に障害があろうとも、変わらぬ生命の尊厳がある。
それが決して建て前ではなく、実地にそうだと思い知らされたのが、滋賀県の故・東岸まさのさんとの出会いであった。

 東岸さんは、琵琶湖の東、滋賀県と三重県との境に近い、犬上郡多賀町佐目という山中の小さな集落に住んでいた。生来、変形性関節症という難病で、膝の変形や関節の痛みから、自由に歩くこともできず、大人になっても背丈は幼少時のままだった。
 こうした、一見不幸な境遇も、
「人の言う 不幸は我の幸福と 言えどうなずく 人なかりけり」(マサノ)。
 東岸さんは、煩悩のままが信心歓喜、業苦一杯が幸福一杯と、仏智の不思議に生かされ、
多くの詩歌にその喜びと、阿弥陀仏の尊さを讃嘆していた。
同居して、ずっと身の回りの世話をしてきた姪のKさんも、「まーちゃん(まさのさん)は、あのような体だったけど、本当に誰よりも幸せな生涯だったと思います」と述懐する。
 では、東岸さんはいかにして、そのような幸せな身となられたのだろうか。

          ■

 小学校3年のころより、普通ではない自分の体を自覚する。普通の就職は不可能で、将来に希望をなくし、 勉強にも興味を持てなくなった。
 ある日、学校を抜け出し、家に帰って布団に潜り込んだ。「学校で何かあったのか?」。心配した父が尋ねた。「おまえの体はかわいそうだが、父さんや母さんにはどうしてやることもできない。だから少しでも勉強を頑張るのだよ」
 その時、「父さんが今ここで片手片足切断してくれても、私の気持ちなど分かりはしない!」と叫ぶと、堰を切ったように泣き続けた。
「阿闍世太子(*)の姿そのままでした。親への反逆が自己嫌悪になって跳ね返り、一層の惨めさに泣いていたのです」
 そんな父が、戦後間もなく、心臓の病で床に就く。
「おまえを置いてはどこへも行けぬ」と、娘の行く末をいつも案じていた父を、付ききりで看護した。夜更けの山里の静寂は、寂しさを一層つのらせる。
「父さん」。
目を開けた父に、
「しんどいか?」
と尋ねると、静かに首を横に振った。それが最後の会話となった。

 最愛の父の死。恥も外聞もなく号泣した。なぜウソを言った。おまえを置いてどこへも行かないと言ってくれたでないか──。生木を引き裂く今生の別れであった。

 その翌年、昭和25年6月、佐目の寺にT先生が訪れられた。何の期待も望みもなく、ただ20代の先生というもの珍しさから参詣したが、全身火の玉の説法に圧倒された。
「厳粛な三世因果のお話で、過去も未来も現在の己の上にかかっている。四人姉妹の自分だけ障害を持って生まれたのは、何人も無関係。すべては過去なした罪業の生み出した結果、と知らされた苦悩は、筆舌に尽くせません」
 しかし、阿弥陀仏はどんな極悪人も、一念で絶対の幸福に助けると、命を懸けて誓われていることを、先生は声を限りと叫んでおられた。
 その夜、座談会で質問した。
「先生、この私でも阿弥陀仏に救われることができますか?」
 すると「10は3で割り切れますか?」と返された。
「割り切れません」
「そう。10を3では割り切れない。でも1メートルは3尺3寸と割り切れるでしょう。今のあなたの心の中も、必ず割り切れる時が来ます。しっかり聴聞してください」
 自信に満ちた笑顔に、この方こそ私の先生と確信した。

 仏の慈悲は、苦ある者に偏に重し。業海深きがゆえに願海深し。かくして東岸さんは、弥陀の本願を聞きひらき、弥陀の一人子と喜ぶ身となった。
「機を照らす 法に生かさるよろこびを 弥陀とわたしで分かち合いたり」(マサノ)

            ■

 10年前、長姉から手紙が届く。清沢満之(東本願寺の学者)を崇敬する姉とは、事あるごとに衝突した。だが手紙は姉の字で、「今晩死んでいくと思うと不安で眠れない。どうか来てほしい」とある。姉はガンに冒されていた。
 翌日病院へ行き、後生の一大事とは何か、解決とはどうなったことかを懇々と話した。「お姉ちゃんのような、お寺参りの常連や、住職にかわいがられて有頂天な人、清沢満之の書いたような、仏法と縁もゆかりもない本を喜んでいる者に、阿弥陀さまはずーっと血の涙を流しておられるのよ」。
心を鬼にして言うと、姉の顔はこわばっていた。
その後も手紙をやり取りし、半年が過ぎた。姉からの連絡で会いに行くと、
「まあちゃん。阿弥陀さまにあえたて。ありがとうな。阿弥陀さまにもあなたにも、申し訳ないことばかりやった」
と、病床で合掌した。
「本当に大丈夫か。極楽一定か?」
と尋ねる東岸さんに、にっこり「お浄土で待っている」。姉妹で手を取り合って泣いた。その夜が姉の最後となった。

 後で姉の家族から、「あんなもの(清沢満之)読むもんやない。蓮如さまの『御文章』を読ませていただくのだ。今、本当の仏法を聞かせてくださるのはT先生だけや」と言っていたと聞かされた。

           ■

「恋う人は 弥陀と善知識に 定まれば 法鏡に向う 恋慕はずかし」(マサノ)
 体が動かず、机に向かったままの日々を、「退屈しないか?」と知人に聞かれ、一瞬、退屈って何?退屈の意味を忘れていたのに気がついた。
「ボンヤリ戸外に目を向けていても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、おなかの中から声となり、阿弥陀さまが私に呼びかけていてくださる。おかげさまで寂しいとか、怖いとか、退屈も忘れているのね」。そう言うと小さく微笑んだ。


東岸まさのさん 平成21年6月1日逝去 (享年81歳)


※註  阿闍世太子……釈尊在世中に起きた王舎城の悲劇に登場する王子。気性が荒く、父母を投獄し殺害を企てるが、獄中で弥陀に救われた母の姿に驚き、釈尊に帰依する。

解明すべきは犯人ではなく。(神奈川 障害者殺人事件)

2016-08-10 11:20:23 | Weblog

 神奈川の障害者殺人事件に関しては、テレビの解説者
 など、
「なぜこのような事件が起きたか、事件に至るまでの状況
 が今後どこまで解明できるかがポイントです」だとか、
「事件の徹底した真相究明が求められます」だとか、
 漠然とした言葉だけが、宙を舞っている印象です。
          *
 事件の何を解明するつもりなのか分かりませんが、
 なぜ事件は起きたのか、その全貌はすでに明らかなはず
 です。
 「社会の役に立たない、生産性のない人間を、税金を使
ってまで生かす理由はないから、死なせたほうがいい」
という考えを持った人間が、その考えのままに実行した
という極めて分かりやすい話で、犯人自ら語っているそ
れ以上の真相も、状況説明も要らないように思います。
          *
解明する必要があるのは、むしろあの犯人より、
私たちはなぜ、生産性のない人を殺すことを悪とみな
し、それを許さないのか?という点ではないかと思い
ます。
          * 
「生命は尊厳なものであり、それを何人であろうと勝手な
理由で奪うことは許されるものではない」とか
「役には立たなくても、一生懸命、生きようとしている人
を殺すのは可哀想ではないか」というのが一般的に共感
される理由だと思います。
          *
 多くの人がその辺で共感するから、テレビも新聞も、それ以上の突っ込みはせず、なぜ犯人は、私たちと同じ、その思いを共有できなかったのか?どんな生い立ちだったのか?学生時代は何をやっていたのか?いろいろ調べた揚げ句、自分たちと違う要素を見つけだし、「ああ、それで犯人は、私たちとは同じ思いを持たない、異端者に育ったのか」と納得しようとするのだと思います。
 犯人が大麻を一時常用していたということは、一般大衆がこの事件を納得するのには都合のよい事実だったと思います。
          *
 しかし、事件の本質は、
犯人が「社会に貢献することにこそ生命の尊厳がある。貢献できない者に生命の尊厳などない」との主張に基づいて実行(殺害)した点にあります。
 その実行を間違いと責めるのなら、社会に貢献できない者に生命の尊厳はない、生きる資格はないという犯人の主張自体の誤りを指摘しなければなりません。
          *
 大麻を吸わない私たちは、なぜ生命の尊厳は、社会に貢献する、しないに関わらず、「ある」と考えるのか?その根拠は何なのか?
「徹底解明」すべきはそこで、犯人のほうにはないと思います。
          *
 人間って素晴らしい!一生懸命に生きるって素晴らしい!
という言葉で、いつもこの問題はあいまいにされてきましたが、煩悩具足の者に本来「尊厳」なものなどあろうはずもありません。
 阿弥陀仏がそんな煩悩具足の十方衆生を相手に、一念で救うと誓われているからこそ、どんな人にも崇高にして犯すべからざる尊厳がある。「唯我独尊」といわれる尊厳の根拠がそこにあることを、この事件を通して、明らかにしていきたいと思います。
そうでないと、亡くなられた方たちも、遺族の方々も浮かばれないと思います。

「どう生きる」と廃悪修善

2016-07-17 23:13:02 | Weblog
「どう生きるか」とは、いろんな生き方の選択肢の中で、どれを選ぶかということでもある。
 人間に自由意志がある以上、人生は、絶え間なく私たちに「あれか、これか」の選択を迫る。

 卑近なことでいえば、テレビを見る、見ない、もそうだし、昼食をカレーライスにするか、ラーメンにするかも選択である。しかし、これらはどちらを選んだところで大差はないが、人生には、その後の明暗を分ける重い選択というものがある。
「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」。これはシェークスピアのハムレットの台詞だが、ここまでギリギリの選択を迫られる機会は少なくても、職業の選択などは、誰しも経験することであり、将来をかなり左右もする。
 まず働く、働かないで、人生は変わるし、働くにしても、農業をやるのか、商売をやるのか、医者になるのか、芸能をやるのか、どれを選ぶかで、その後の人生は大きく変わるだろう。

 時は逆戻りしない以上、将来を決する重い選択であればあるほど、人は迷う。迷った末にどれかを選ぶわけだが、その時、何を基準に選んでいるのだろう?
 無意識のうちにも、人は善きものと、悪しきものとを区別し、善きものを選び、悪しきものを捨てようとしている。
 だが問題は、何が善きもので、何が悪しきものなのかである。

 迷いの凡夫が、自分の都合で決めた善・悪では、いくら善い選択をしたつもりでも、決してそれは真実の幸福という実を結ばない。
 秀吉が臨終に、「夢の又夢」と人生を歎き、はかなく消えていったのがいい例ではないか。
(つづく)

「なぜ生きる」の答えがない!?

2016-07-02 10:44:55 | Weblog
今、「なぜ生きる――蓮如上人と吉崎炎上」という映画が各地で上映されています。


映画でも本でも、「なぜ生きる」というタイトルなのに、
「その答えがない」という感想が少なからずあるようです。
どこを見て、あるいは読んで、そんな感想を持つのだろう?と、
こちらが聞きたくなるくらいですが、

恐らく、それらの人たちの頭の中では、
なぜ生きる?
という問いかけが、
あなたは今、自分の望む生き方ができていますか?
今のままの生き方で、本当に「生きた」といえますか?
といった形に変換されたのではないかと思います。
例えば、こんな感じではないでしょうか。
      ■
敷かれたレールの上をただ歩いてはいないか。
親の期待や周囲の評価に縛られ、自分の望まない生き方をしていないか。
主体性を誰かにゆだねてしまった人生は、ただの抜け殻、生きてる意味がない。
だから「なぜ生きる?」とは、
今そんな生き方になっていないか?
それでいいのか?
という問いかけなのだろう。と

他人からどう思われようが、自分の望む通り、自分らしく生きられたら、きっと「いい人生だった」と思えるはず。
生きる意味なんて、生きればあとからいくらでもついてくる。
まず生きよ。あるがままに。自分だけの人生を。

だから、生きる目的とか、生きる意味なんて、他人から与えられるものでもないし、他人から与えられることを期待してもいけない。
最初から「意味」とか「目的」にとらわれると、かえってそこに縛られて身動きできなくなってしまう。自分の心に素直になって、自分の足でこの人生の道を踏みしめていけばいいのだ。
生きる「意味」はそこにある。みたいな……。
      ■
こういう人たちにとっては、「なぜ生きる」の答えとは、
「自分らしい生き方をする」ことになるのでしょう。
そういう生き方の実例、あるいはそのヒントを求めてのことならば、映画を見ても、本を読んでも「何もなかった」という印象を持つのも無理からぬことかもしれません。

しかし、その「自分らしい生き方」というのには、妙に力がこもっておりますが、
水平線に向かって絶望的な泳ぎを続けている人が、
「どう泳げばよいのか、自分らしい泳ぎ方しか考えておりません」
と言っているにほかなりません。
まさに映画のセリフにあるとおり、
「おかしなことではありませんか」
なのですが、
それをそのまま言うと、かつての了顕さんのように
「オレの言っていることは、泳ぎ方なんかじゃない!」
と逆上されそうです。

「生きる」とは「息をする」

2016-07-01 11:47:22 | Weblog

『日本語語源大辞典』によれば、「生きる」という言葉は、「息をする」からきているそうです。
 永年、助産師をしていた方から聞いたのですが、赤子が羊水に包まれたお母さんのお腹から、外気に触れる外の世界へ出て、まずすることが肺呼吸だそうです。
 これができねば、酸素不足でたちまち命は終わってしまいます。だから赤子は懸命に肺で息をしようとし、助産師はそれを助けます。生まれたての赤子の吸う息、吐く息の一つ一つは、まさに命と触れ合っており、「生きる」行為そのものといえるでしょう。
 めでたく呼吸できるようになった赤子は、今度は呼吸活動を維持するために飲食し、排泄し、成長してからは読み書きを習い、働きもします。人間の営みといっても、根本を言えば「生きるため」「息をするため」に集約されるでしょう。

 さて、人生はしばしば海に例えられ、「生まれる」ことは大海に放り出されることにも例えられます。
 映画『なぜ生きる――蓮與聖人と吉崎炎上』の中で、「泳がなければ沈むだけ。私たちは、一生懸命泳がなければなりません」
と蓮如上人が仰る場面があります。
 ここで「泳ぐ」という行為は、生きることを意味します。交互に手を動かす、そのひとかき、ひとかきは、一息一息、呼吸をする行為にほかならないでしょう。手の動きを止めたらそこで沈むように、息を止めたらそこで死んでしまいます。
息をするのは死にたくないからです。〃自分らしく生きるため〃ではないでしょう。それはずっと枝葉の問題なのです。
 死にたくないから息をしますが、息をしていてもやがて止まるのです。「出る息は入る息を待たず命は終わる」の仏説どおり、それは全ての人の姿です。

 ならばなぜ、人は息が止まるまで息を続けるのか?なぜ息をする?なぜ生きる?映画はその本質を問いかけています。

今ごろ善のすすめか?

2016-06-30 14:09:44 | Weblog
以下、「読売新聞」(5月23日)の記事からです。

「他力本願」を巡っては、東日本大震災後、真宗門徒の間で災害ボランティアは自力で善根を積む行為で、この教えに反するとの意見が出た。京都・東本願寺の学寮を源流とする大谷大学の木越康学長は、学生らと被災地へ向かった時、「ボランティアが自力作善であれば、他力の教えに反しないか」との学生の悩みに接したという。
 この点について、木越学長は『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』(法蔵館)を著し(後略)」――。

 これまで「親鸞聖人の教えに善のすすめはない」と言ってきた手前、いざ、震災のような事態に直面すると、ボランティアという善をすすめていいのか悪いのか、自分たちの言葉に縛られて身動き取れなくなってしまうのでしょう。まったくお気の毒なことです。

 苦しんでいる人を助けるのは仏法者として当然のことでしょう。
 そんなことで「自力か他力か」いちいち悩まず、さっさと助けに行けばいいのに……そう思うのは、私だけではないと思います。

 困っている人を助けに行くことと、「善のすすめはない」と教えてきたこととに〃整合性〃を持たせるため、本まで書いていたとは知りませんでした。
大いに善をすすめ、善いことをなさったらいいと思います。

 ただ、忘れてはならないのは、こういう時、親鸞聖人はどうなされたかです。
 親鸞聖人の時代にも、やはり飢饉や災害はありました。
 聖人42歳の御年、大飢饉があり、バタバタと多くの人が亡くなりました。あまりに悲惨な状況を悲しまれた聖人は、何とかそれらの人々を救済できないかと、浄土三部経を千回読もうとなされたのです。しかしその途中、善導大師の「大悲伝普化 真成報仏恩」の聖語に思い至り、「私は誤っていた!」と仰って、決然と常陸へ布教に旅立たれました。
 これは『恵信尼文書』に書かれてあることです。

 飢饉などの非常時に直面した時、どう行動すべきか、聖人でも一時迷われたのです。
 ただしそれは、ボランティアのような、一部の地域で、当面の生活上の危機を救うのが先か、弥陀の本願を布教するという、全人類の後生の危機を救うのが先か、という判断に迷われたのであって、自力になるか他力になるかと、そんなことで迷われたわけではありません。

 布教最優先とはいえ、災害があまりに深刻だった場合、当面の危機を救うのが優先される場面もあるでしょう。それは、その時その時で判断するしかありません。

 ただ、「この世は老少不定のならいなり」(御文章)。
東日本や熊本で震災に遭った方々ばかりが、危機的状況にあるのではないというのが、仏法の教えです。

 厚生労働省の人口動態統計(平成27年)によると、日本での年間死亡者数は、およそ130万2千人。単純に計算すると1日に3500人以上の人が、日本のどこかで、何らかの原因で命を落としていることになります。

1日3500人という数字は、1週間にすれば2万4千500人。あの〃未曾有〃といわれた東日本大震災の死者が、行方不明者も含め2万3千571人といわれていますから、その1週間後にはそれ以上の人が、日本のどこかで死んでいるという事実が浮かび上がってきます。
 災害で死んでも、布団で死んでも、人が死ぬこと自体に変わりありません。
 だとすれば、1週間ごとに「東日本」級の悲劇が起きている。それが「平穏な日常」と呼ばれるものの実態なのです。

「難度の海を度する大船」の厳存を知らぬまま、毎日、毎日、雨が降るように、人は後生へ旅立っています。大船の存在を、いち早く、多くの人に伝えるか、これ以上の急務はないことが分かると思います。
親鸞聖人が飢饉で瀕死の状態の人々を視野におさめられながらもなお、弥陀の本願宣布に徹し抜かれた浄土の大慈悲心を、私たちは分からぬなりにも分からせていただかねばなりません。