静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

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「なぜ生きる」の答えがない!?

2016-07-02 10:44:55 | Weblog
今、「なぜ生きる――蓮如上人と吉崎炎上」という映画が各地で上映されています。


映画でも本でも、「なぜ生きる」というタイトルなのに、
「その答えがない」という感想が少なからずあるようです。
どこを見て、あるいは読んで、そんな感想を持つのだろう?と、
こちらが聞きたくなるくらいですが、

恐らく、それらの人たちの頭の中では、
なぜ生きる?
という問いかけが、
あなたは今、自分の望む生き方ができていますか?
今のままの生き方で、本当に「生きた」といえますか?
といった形に変換されたのではないかと思います。
例えば、こんな感じではないでしょうか。
      ■
敷かれたレールの上をただ歩いてはいないか。
親の期待や周囲の評価に縛られ、自分の望まない生き方をしていないか。
主体性を誰かにゆだねてしまった人生は、ただの抜け殻、生きてる意味がない。
だから「なぜ生きる?」とは、
今そんな生き方になっていないか?
それでいいのか?
という問いかけなのだろう。と

他人からどう思われようが、自分の望む通り、自分らしく生きられたら、きっと「いい人生だった」と思えるはず。
生きる意味なんて、生きればあとからいくらでもついてくる。
まず生きよ。あるがままに。自分だけの人生を。

だから、生きる目的とか、生きる意味なんて、他人から与えられるものでもないし、他人から与えられることを期待してもいけない。
最初から「意味」とか「目的」にとらわれると、かえってそこに縛られて身動きできなくなってしまう。自分の心に素直になって、自分の足でこの人生の道を踏みしめていけばいいのだ。
生きる「意味」はそこにある。みたいな……。
      ■
こういう人たちにとっては、「なぜ生きる」の答えとは、
「自分らしい生き方をする」ことになるのでしょう。
そういう生き方の実例、あるいはそのヒントを求めてのことならば、映画を見ても、本を読んでも「何もなかった」という印象を持つのも無理からぬことかもしれません。

しかし、その「自分らしい生き方」というのには、妙に力がこもっておりますが、
水平線に向かって絶望的な泳ぎを続けている人が、
「どう泳げばよいのか、自分らしい泳ぎ方しか考えておりません」
と言っているにほかなりません。
まさに映画のセリフにあるとおり、
「おかしなことではありませんか」
なのですが、
それをそのまま言うと、かつての了顕さんのように
「オレの言っていることは、泳ぎ方なんかじゃない!」
と逆上されそうです。
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