何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコ物語への道 ①

2018-04-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコ
ワンコは私が忙しいのを知ってるはずなのに、
今月は、関連性のなさそうな二冊の本をお告げしてくれたから途惑っていたんだよ
でも、それぞれバラバラに読んでいる時には分かりにくかったメッセージも、
両方読み終わってみると、ワンコが伝えたいことが何となく分かった気がするんだよ
そして、それは春の家族旅で撮ったワンコ写真に見事に繋がっていくのだから、
ほんとうにワンコの仕業だな って思えて嬉しいよ ワンコ

太平洋に面した部屋からは、富士山も見えたよね
でも、そんなお告げ本と旅の話は次回にするとして、
今日のワンコの日には、ワンコの木のお話をしようと思うんだな

数日前の「天声人語」に聞き捨てならない、もとい、読み捨てならない事が載っていたんだよ
それは、『もう少し何とかならないか。そう思いたくなる名前を持つ植物がある。』という書き出して始まるんだよ(『 』「天声人語2018.4.17)より)

確かに、世田谷の掃き溜めで見つかったことに由来する「ハキダメギク」や、フランス語の「豚のサラダ」を直訳した「ブタナ」は、「天声人語」が言うとおり、捻りもなければ身も蓋もない まさに『もう少し何とかならないか』という名前だけれど、
それに続く文章が、甚だわんこ達に失礼なんだよ

『少し前から街路を彩っているハナミズキも、英語では「犬の木」と呼ばれるそうだ。樹液の煮汁で犬を洗うと皮膚病が直ると言われたためだ。こちらは直訳されなくてよかった。』

天声人語のこの作者、
『一青窈さんが歌う「ハナミズキ」の通りの可憐さである』とか
『ソメイヨシノが散ったあとの寂しさをなぐさめてくれる花でもある』
とハナミズキを褒め称えながら、
「犬の木」と直訳されなくて良かった、なんて書くのだから
わんこ達に あまりに失礼だよね ワンコ

お友達の美魔女チェロさんによるとね ワンコ
英語でハナミズキを、「犬の木」というのには諸説あるらしく、
『ハナミズキは硬いので、短剣(dagger)を作ったりしたらしく、dagwoodが、dogwoodになった』という説もあるんだって

いずれにしても、「犬の木」と訳されなくて良かった、なんてことはないよね ワンコ

桜が散ったあとの寂しさをなぐさめてくれる、あの可憐な花を、「犬の木」と呼ぶことに、
私は何の躊躇いもないよ ワンコ

だって、ハナミズキは本当に、ワンコの木だもんね

ワンコがいつも昼寝していた縁側に、
夏は、葉をいっぱいに茂らせたハナミズキがほどよい木陰をつくってくれたし、
冬は、すっかり葉を落とした枝の間から、暖かい日差しを届けてくれたよね

ワンコはいつもハナミズキを見ながら、昼寝していたもんね
ワンコがお空組になった後、家人はハナミズキの根元にワンコが帰ってくる夢をみたもんね
ハナミズキは間違いなく、犬の木だよ ワンコ
ハナミズキは間違いなく、ワンコの木だよ ワンコ
うどんこ病で弱ったせいか御大の剪定のせいか、今年はついに花をつけなかったけれど、
あの日、ワンコのお伴をした花や、ワンコが好きだった花が今、庭で奇麗に咲いているよ ワンコ

シンビジュームのプリンセス・雅子さま、座れば牡丹、ワンコが大好きな鈴蘭

ワンコの日の今日は、そんな庭の草木をワンコと一緒に楽しもうね ワンコ
ワンコが探検をした紅葉の花、小手毬、ワンコにお供したフリージア


Carpe diem
「連休中は野良仕事をしていた」と書ければカッコ良いが、野良仕事と書くには烏滸がましいほどの庭をうろうろして過ごした連休だった。猫の額ほどの庭でも四季折々の景色とストーリーがある。......


つづく

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唯一無二 その弐

2018-04-18 23:00:00 | ひとりごと
「人間50年、から?」 「唯一無二 その壱」より

一番奥深い鳥居のそばに信長塀があったこともあり、熱田神宮の写真を拝しながら信長についてばかり書いてきたが、本宮に記されているのは、さすがに織田木瓜ではない。

    
謂わずと知れたことだが、熱田神宮には草薙剣が祀られている。
草薙剣については古事記・日本書紀それぞれ諸説あるそうだが、その由来は神代に遡り、素戔嗚尊(スサノオ)が出雲国で八岐大蛇 ヤマタノオロチ を退治した時に、大蛇の体内から見つかった神剣で、天皇の武力の象徴とされている。
崇神天皇の時代に草薙剣の形代(レプリカ)が造られ、形代が宮中(天皇の側)に、本物の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという。
景行天皇の時代、伊勢神宮の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託した後 草薙剣は神宮に戻ることなく、ミヤズヒメ(ヤマトタケルの妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けた。
これが熱田神宮の起源であり、草薙剣は現在も同宮の御神体として祀られている。

 

神剣・草薙剣については、窃盗に遭っているにもかかわらず その窃盗犯が過剰に保護されたり、祟りがあったりと色々な話があるのだが、考えようによっては物騒なので、これについては言及しない。
ただ確かなのは、草薙剣に鏡と玉を加えて三種の神器とし、皇位継承の神器としたのは女性天皇である持統天皇だったということだ。
そういえば、天照大御神をお祀りする伊勢神宮の第一回式年遷宮を行ったのも、持統天皇であった。

 
見上げるような高い幹に咲く赤い椿に、見落としそうな低い枝に咲く白く可憐な御殿ツバキ


表の境内の賑わいから離れ、本宮をぐるりと一周することができる「こころの小径」を歩きながら、唯一無二の御家族のお幸せをお祈りしていたのだが、持統天皇が伊勢神宮や熱田神宮で果たされた役割や、古代に女性天皇が活躍されたことに思いを馳せると、現代のオカシさが際立ってくる。

「唯一無二 その壱」で信長を相撲好きと書いたが、天皇家 唯一のお姫様である敬宮様も好角家として知られている。
そんな敬宮様の体力と根性を改めて認識できる数学の問題を見つけた。

Newton別冊「数学の世界」の「生活に役立てる算数の発想」のコーナーで、<組体操のピラミッドで最下段を支える子供にどれくらいの重さがかかるか?>という問題が出されていたそうだ。
『下から5人、4人、3人、2人、1人、合計15人で作る5段のピラミッドで、全員の体重を32㎏、左右の子供には均等に体重がかかるとすると、いちばん下段の子供たちには それぞれ何キロの重さがかかるだろうか?』

答えは最後に記すとして、
敬宮様は小6の運動会で、7段ピラミッドの最下段を任された。

怪我人が続出することで社会問題にまでなった10段などのピラミッドは論外として、以前は当然に行われていた5~7段のピラミッドまで禁止されるのは、行き過ぎな気がしなくもない。
その競技に危険が伴うなら、危険を最小限にするため体幹を鍛えるなど万全の準備をすれば良い。
事実、学習院では秋の運動会に向け、春から体幹を鍛える運動を授業に取り入れた上で、体力と根性と共調性を兼ね揃えた学年だけが小6の運動会で7段ピラミッドをすることが許されるという。
敬宮様の学年は、その7段ピラミッドが許された学年で、しかも敬宮様は最下段を任された。

奇麗な服を着てにっこり笑っていることだけが求められる価値観の現在では、敬宮様も生きづらいかもしれないが、古代 女性天皇が果たされた役割を考えれば寧ろ、敬宮様をふつうに戴く価値観こそ日本古来のものに思えてくる。

今日揃ってその職を辞任することになった財務次官や新潟知事の女性問題も、土俵から救命活動をする女性を引きずり下ろす問題も、根っこは同じところにあると私は思うが、21世紀はじめに いと高き処ご自身が女性蔑視で行くと宣言されたからには、そうそう変わることはないだろう。

だからもう私は、そこを21世紀の日本国民統合の象徴(憲一条)とは思えない。
しかし唯一無二の御存在として、心から応援していこうと思っている。


答え、
5段ピラミッドの最下段の子供たちには、端から30、80、100、80、30㎏の体重がかかっている。

最下段の真ん中は一番の重みがのしかかるが、7段ピラミッドの最下段の真ん中を任された敬宮様には、どれほどの重みがかかっていたのか、それを物語るのは、敬宮様の膝に貼られた絆創膏だけである。

参照、
ワン&オンリー 唯一無二 「オラシオンの幕は~つづく」

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唯一無二 その壱

2018-04-17 19:24:37 | ひとりごと
「人間50年、から?」より

熱田神宮というと、’’うつけもの’’の評判を覆し、天下に信長の名を知らしめた桶狭間の戦いの直前に、必勝祈願した神宮として有名だが、今日のタイトルを「唯一無二」としたのは、(申し訳ないが)草薙剣が祀られていることや、天下布武を目指した信長に由来してのことではない。

熱田神宮の写真を見ている私の横で、家人が「今、大学の校歌が頭をぐるぐる回っている」と言う。
「応援歌や寮歌なら兎も角、私は校歌など覚えてない」と言うと、家人は「自分の頭を回っている校歌は、東帝大学医学部の校歌<唯一無二>だ」と言う???

あぁああああ、御意

いやいや私は、(唱和など)いたしません!

・・・という理由で今回のタイトルは「唯一無二」に決まったが、私が神宮や神社にお参りするとき必ず祈ることを考えれば、やはり今回のタイトルは「唯一無二」が相応しい、そちらについては次回に記すとして、本宮までの景色を思い出しつつ、ここは信長関連本から何か書いておきたい。


子供の頃は無類の信長好きで、小6の誕生日に友達が「織田信長」(山岡荘八)をプレゼントしてくれたものを筆頭に、数多く読んできたと思うが、意外なことに信長を主人公とした本は今 一冊も手元にない。
だから、信長が茶の湯を育てたのは、勿論 信長が茶の湯に惹かれたということが一番だろうが、それと同時に合戦で手柄をあげた者に、領土以外にあてがう褒美(茶器)が必要だったからだ、という説や、信長が相撲大会を振興したのは、勿論 信長が相撲好きだったというのが一番だろうが、それと同時に力自慢に合戦以外で活躍する場を与えガス抜きをする必要があったから、という説を、どこで読んだのか今となっては覚えていない。

だが、信長に無理難題を押し付けられた宮大工を主人公とした本は、強烈に印象に残っている。

「火天の城」(山本兼一)

信長に五重七階の天主閣(一般には天守閣)の築城を命じられた本書の主人公・岡部又右衛門こそ、信長が桶狭間の合戦直前に必勝祈願した熱田神宮の宮大工の棟梁だった。


安土城は、信長の死後 時を置かずして、しかも一瞬にして焼失してしまい再建されていないので、安土城も又「夢幻の如くなり」だが、ここ熱田神宮をお参りすると、日本の建築を支えてきた心意気は確かに今に伝わっていると感じられる。


本書には、職人の心意気が随所に書かれているが、無理難題を押し付ける上司への対応よりも、何とはなしに厄介で微妙な同僚への接し方について書かれた箇所が、今は気にかかるので、そのあたりを記しておきたい。(『 』「火天の城」より)

同じく信長に仕える京の大工に侮辱されたと怒る息子を、主人公・岡部又右衛門は諭す。
『吞みこむがいい。
 新奇なものを建てれば、いろんなことをいう者が出てくる。褒める者ばかりではない。
 誹る者もいる。讒言もある。いちいちかかずらわっておっては、心がささくれ立つ。
 吞みこめ。吞みこんで糞にしてひり出せ』

息子には、怒りの感情を「呑み込め」と諭すが、それに乗じ更に言い募ろうとする京の大工に、又右衛門自身は「いやしくも足利家の御大工だったと誇るならば、番匠どもに礼節を教えてもらおう。悪口雑言目に余れば、作事場の志気にかかわる。手打ちも辞さぬ。それが織田の陣法じゃ。よくよくわきまえておけ」と雷を落とす。

これに、息子は「父は呑み込まぬのか」と訊ねるが、ここで又右衛門が言った言葉は考えさせられる。
『場がちがう。相手がちがう。
 お前のはただの私憤だ。わしのは法だ。
 作事場の法は、戦陣同様厳格でなければならぬ』

ただの感情論ではなく法・規に従い判断できる自分にならねばと反省しながら、本宮から「心の小径」を辿りたいと思う、つづく

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人間50年、から?

2018-04-15 19:01:55 | ひとりごと
「基本 暗記科目は嫌いだ」という野球小僧が訊いてきた「信長と秀吉と家康のうち、誰が一番好き?」という質問。
あまりに単純で手垢がつきすぎているせいか、最近この手の質問を耳にすることは とんとないが、その為か却って新鮮で、考え込んでしまった。

子供の頃は、「鳴かぬなら殺してしまえ」もアリだと思うほど無類の信長好きだったが、ヘタをすると殺される側にいるという自覚からか、桶狭間の合戦の前に信長が舞った敦盛が心に痛い年齢になっているせいか、「今は、家康…かな」と小さく答える、自分がいる。

だが、この単純な質問のおかげで、この春訪れた熱田神宮の写真を掲載する切っ掛けを得た。
仕事先で観光をすることも、まして写真を撮ることも基本 しない私だが、車窓から見た快晴の名古屋の街は楽しげで、思わず名古屋城と熱田神宮に足を延ばし、写真まで撮ってしまった。

その第一弾、今回は「熱田神宮」

「熱田神宮」と云うと謂わずと知れた草薙剣を祀る神宮だが、’’うつけもの’’の評判を覆し、天下にその名を轟かせた桶狭間の合戦の直前、信長が参拝したことでも有名だ。

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり(敦盛)

子供の頃は50歳の自分を想像することなど出来ず、「人生も最終盤の50歳になると、すべてが夢幻に思えるのか」と思っていたが、とてもとても…不惑を過ぎても、不惑に達していないのだから、天命などほど遠い。
敦盛を舞い、桶狭間の戦いに挑む信長が この時26歳だったことを思うと、自分の不甲斐なさを改めて感じるが、天下の信長と比べて落ち込んでも仕方がないので、「鳴くまで待てるよう、50歳以上生きるぞ」と思いつつ、写真を眺めてみることにする。

信長塀は、三つの鳥居の一番奥の鳥居の近くにあるのだが、その場所からだけでも信長の権勢や位置づけは明らかに思える。

信長塀をこえると、見事な梅が目に留まる。(といっても、まだ咲いていなかったので写真は小さめ)
これが「ならずの梅 不実梅」と云われるのは、享禄の古図(1529年頃)にも描かれている美しい花を咲かせる この梅が、一度も実をつけたことがないからだという。

信長の頃、既に「不実梅」として知られていたか否かは分からないが、「実らぬなら、切り倒してしまえ、梅の木ぼく」と成敗されなかったことに安堵する。

実らないものは実らないままで、いい。
実をなさずとも、何百年も命と名を刻み続けているのが、とてもいい。

そんなことを思いながら本宮へ向かう、
つづく






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’’かのように’’ 狂想曲

2018-04-13 23:00:00 | ニュース
熱しやすく冷めやすい国民性のせいか、根源的な問題を含んでいるにもかかわらず、あっさり忘れさられた感のある話題がある。

大相撲、土俵、女人禁制問題

これが最も話題となっている時でさえ、その根っこの問題から我が国は目を逸らしていたので、語る気力もなかったのだが…いや既に、いと高き処ご自身が女性の命を軽んずると宣言された あの時や、いと高き処ご自身が法治主義と立憲君主制を投げ出された あの時に、そこを想う上で大切な何かも語るべき言葉も私は失っていたのかもしれない。

だから、意識不明となった市長を救命するために土俵にあがった医療関係者の女性が、「女性は土俵から降りろ」と何度も命じられ、挙句の果てに、女性は汚らわしいとばかりに土俵に大量の塩が撒かれたと聞いても、「あの延長に此れがある、然もありなん」としか思わなかった。

寧ろ、「命と伝統のどちらが重要か、火を見るよりも明らかだ」などとしたり顔で言われると、女児の命と尊厳と 女児を産んた母の命と尊厳が踏みにじられがままに任せてきた、この十数年の世論(我々)の冷酷な無責任を棚に上げ、「何を今更」と鼻白んでさえいた。

だから、思う所は多々あったが、この話題に触れないできたが、土俵の女人禁制が明治時代にできた慣習だという説もあることから、森鴎外「かのように」を思い出したので、掲載しておきたいと思う。
『「かのように」を超えた処』 『「かのように」を要する時代』 「永遠の今を生きる 中庸」

列強が世界中を植民地化していた時代に、独立を守り大いなる発展を遂げた幕末から明治の先人への感謝の念は堪えないが、西洋に追い付き追い越せのために、日本古来の暦を捨て(注、「五郎治殿御始末~西を向く侍」(浅田次郎)、日本原産の牡馬を根絶やしにし(注、「颶風の王」(河崎秋子))、和魂洋才などという言葉で誤魔化し続けたのも、残念ながら確かだろう。

そして、そんな後ろめたさに頬かむりするため、一部の世界に、西洋にはない(儒教的な男尊女卑など)思想を極端なまでに押し付けたのだ。

森鴎外の時代でさえ、その思想や認識のズレは看過しがたく、「かのように」という便宜を用いなければならないほどになっていた。

それを、まだ150年続けている。

「かのように」の便法は、’’かのように’’我々を蝕んでいる。


追記、
海外はどう伝えたか?
<土俵に女性、海外メディアも報道=米紙「日本女性の扱われ方象徴」>時事通信 2018/04/06-15:48配信より
京都府舞鶴市の大相撲春巡業で救命に当たった女性が土俵から下りるよう促された問題は、日本での女性の扱われ方を象徴しているなどと海外メディアでも報じられた。
米紙ニューヨーク・タイムズは「女性は人の命を救うときでさえ、決して土俵には上がることができない」とやゆした。また、「日本の女性は男女平等に関して多くの困難に直面している」として、結婚時に改姓を強いられたり、政治への参加率が低かったりする現状を紹介。「この出来事は日本での女性の扱われ方を象徴している」と指摘した。
フランスのAFP通信は「相撲での性別をめぐるあつれきは今回が初めてではない」と強調。1990年、当時の森山真弓官房長官が土俵上で内閣総理大臣杯を授与する意向を示したが、日本相撲協会の反対に遭って断念した事例などを伝えている。 

他にも、ワシントンポスト、BBC、ガーディアン 、ロイター通信、シンガポールのStrait Timesが詳細に伝え、その中には皇位継承が男系男子に限定されている問題を取り上げ、’’かのような’’思想がPrincess Aikoの即位を阻んでいると言及しているものもあるという。

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