何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコ物語への道 ③

2018-04-29 12:00:00 | 
「ワンコ物語への道 ①」 「ワンコ物語への道 ②」より

ねぇワンコ
ワンコは、私が思いがけない方向に進んでいっていることを知っているだろう?
するからには徹底しなければ納得いかないという、頑固な私の性格も知っているだろう?
だから、頑張るのだけれど、
やればやるほど、それは自分の望んでいた道ではないと、
人知れず落ち込んでいることも、知っているだろう?

今週はさ、けっこうそれで落ち込んでいたんだよ
何か上手くいかないと、もともと自分が望んでいた方向じゃないもんな、なんて言い訳が頭を回ってさ
だから、ワンコお告げの本について考える時間を持てて良かったよ
も一度さ、ワンコのメッセージが強く甦ってきたもんね ワンコ

ワンコお告げの「物語のおわり」(湊かなえ)は、
たぶん、一つの生き方、一つの目標、一つの夢、
たとえ、そこに一つの区切りがついたとしても、
それが、’’物語のおわり’’ ではない と言いたいんだと、私は思うんだよ

それは、
「物語のおわり」の冒頭にある「空の彼方」という未完の小説の真実を知るまでもなく、
「空の彼方」を読んだ、人生の岐路にある登場人物が、勇気をもって新しい一歩を歩み始めようとすることでも、分かるんだ


「空の彼方」に印象的な件があったと「ワンコ物語への道 ②」で、言っただろう
『ハムさんはわたしを山の向こうや海の向こうには連れて行ってくれるかもしれないけれど、
 空の彼方の世界を見せてくれることはないだろう。
 一度くらい、大きな夢を見たっていいではないか。叶えたいと願ってもいいではないか。
 そのチャンスは今しかないのだ。』(『 』「物語のおわり」より)

うまく言えないんだけどね
たぶん、山の向こうも、海の向こうも、空の彼方も、別々のものではないんじゃないかな
山の向こうや、海の向こうを、空の彼方へ導くことはできるんじゃないかな

「物語のおわり」を読み終わると、そう思えるのだけど、
ワンコお告げの、もう一冊にある言葉を思い出すと、特にそう感じるんだよ

「蒼き山嶺」(馳青周)
「蒼き山嶺」の山は、ワンコのお山ではないんだよ
それどころか、少し苦い思い出のある白馬岳だし、
帯によると、最近の傾向に違わず山に物騒な事件を持ち込んでいる話のようだったから、
ワンコのお告げだとしても、読もうかどうか迷ったのだけれど、
読み始めたら面白くってね、久々に一気読みしたんだよ
いやいや、ストーリー展開はかなり早い段階で先が見えてしまう代物なのだけど、
作者が山に入れ込んでいるのが、ひしひしと伝わってきて、
その熱さが、ものすごく面白かったし、
あの言葉で、なんだか救われた気がしたしね

その言葉は、次回に記すとして、
「蒼き山嶺」には、雲海に感動する場面が何度も描かれているんだよ
 

その場面から、雲海の向こうから昇る朝日に感動の涙を流したことを思いだし、
改めて、この春の家族旅で、水平線から昇る朝日をうける富士山とワンコを思い出したんだよ

すると、なんとなんと、感動したあの言葉が、目に前に現れたんだよ
そごいね ワンコ
ワンコの仕業だね ワンコ
そんな写真もまた次回にね

追伸
ワンコの、それにしても写真が下手だな、という嘆きが聞こえてくるよ
でもさ、知っての通りあの日は、あまりにも晴天で富士山が霞んでしまったし、
お部屋のガラス越しの写真だから、クリアに撮れていないんだよ
あの感動的な日の出と富士山は、
ワンコと私の心にしっかり刻まれているのだから、
写真の不出来は許しておくれよ ワンコ

じゃあまったね つづく