「Fluctuat nec mergitur ①」
個人的にフランスに縁を感じていることから、「たゆたえども沈まず」には格別の想いがあるのだが、その由来を知っても尚、この言葉をフランスの歴史的経緯に結びつけ、考えてきた。
それが、フランスご訪問中の皇太子様が、水問題の学習をしているパリの生徒たちに、即興で水に関する講義をされたというニュースを拝見し、「たゆたえども沈まず」(原田マハ)を再読したのは、この言葉がまさに水にかかわるものだったからだ。
フランス政府から皇太子御夫妻に御招待があったのは、今年が日仏交流160周年の年であったからだが、本書はおよそ140年前の日仏の雰囲気を伝える場面から物語が始まる。
幕府についたのがフランスで、薩長についたのが英国だったせいだけでもないだろうが、明治時代の学生たちの関心が、あっと言う間にフランス語から英語やドイツ語に移ってしまった1874年頃、出世を狙う学生が熱心に英語を勉強するのと対照的に、秀才の名を欲しいままにしていた青年が二人(林忠正は実在の人物で、その助手 重吉は架空の人物)、ひたすらフランスに憧れフランス語を学んでいた。
本書は、そんな二人が浮世絵を引っさげフランスの芸術界に飛び込み、ゴッホに多大な影響を与えていく過程を描く物語なのだが、その冒頭あたりで、二人が語り合うのが、「たゆたえども沈まず」という言葉についてだった。
『(花の都パリ・・・)しかし、昔から、その中心部を流れるセーヌ川が、幾度も氾濫し、町とそこに住む人々を苦しめてきた。
パリの水害は珍しいことではなく、その都度、人々は力をあわせて街を再建した。数十年まえには大きな都市計画が行われ、街の様子はいっそう華やかに、麗しくなったという。
ヨーロッパの、世界の経済と文化の中心地として、絢爛と輝く宝石のごとき都、パリは、しかしながら、いまなお洪水の危険と隣り合わせである。
セーヌ川が流れている限り、どうしたって水害という魔物から逃れることはできなのだ。
それでも、人々はパリを愛した。愛し続けた。
セーヌで生活をする船乗りたちは、ことさらにパリと運命を共にしてきた。セーヌを往来して貨物を運び、漁をし、生きてきた。だからこそ、パリが水害で苦しめられれば、なんとしても救おうと闘った。どんなときであれ、何度でも。
いつしか船乗りたちは、自分たちの船に、いつもつぶやいているまじないの言葉をプレートに書いて掲げるようになった。
― たゆたえども沈まず。
パリは、いかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。まるで、セーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように。
洪水が起こるたびに、水底に沈んでしまったかのように見えるシテ島は、荒れ狂う波の中にあっても、船のようにたゆたい、決して沈まず、ふたたび船乗りたちの目の前に姿を現す。
そうなのだ。それは、パリそのものの姿。
どんなときであれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。
そんな街。
それこそが、パリなのだ。』(『 』「たゆたえども沈まず」より)
パリ市の紋章にもなっている、国花を戴く帆船と「Fluctuat nec mergitur」(たゆたえども沈まず)の文字。
幾つ王朝が変わろうが、革命が起ころうが、他国に侵略されようが、セーヌ川は、変わらずいつも流れていた。
何よりも先に、厳然と悠然と存在していた、川そして、水
災害をもたらし人を苦しめもするが、土壌を潤し肥沃な土地にし、文化も育み、生きるシンボルにもなる、川そして、水
皇太子様が点灯式で点灯され、初めてジャパンカラーに輝いたエッフェル塔は、「たゆたえども沈まず」の由来となったセーヌ川のほとりにある。
そのような土地で、水の授業を受ける生徒たちに、皇太子様が即興で(フランス語で)水の講義をされたというニュースに、「善(よ)く国を治める者は、必ずまず水を治める」という言葉が浮かぶと同時に、再度「たゆたえども沈まず」の言葉が胸に迫ってきた。
世界の最重要課題となりつつある「水」問題の世界的権威である皇太子様が次代の天皇となられることへの大いなる期待は勿論あるし、これからも日本各地で災害が頻発するであろうことを思う時(南海トラフが動けば、日本は最貧国になるという)、過去に幾多の災害があろうととも力強く立ち上がってきた日本の歴史に精通しておられる歴史学者の皇太子様を戴いていることは、心強い。
だが、それと同時に、いやそれ以上に、皇太子御一家はまさに「たゆたえども沈まず」を体現されていることが、これからの私達に重要なメッセージとなると思うのだ。
病を公表されているにもかかわらず、或いは まだ幼い少女であるにもかかわらず、その生をも脅かすような壮絶なバッシングに遭われながらも、誰を責めるわけでもなく、御家族で支え合い、品格ある佇まいを守り続けておられる、皇太子御一家。
その御姿勢は、長く病にある者や、理不尽なイジメに苦しむ者には勿論だが、生きていれば遭ってしまう困難に悩む者に、「たゆたえども沈まず」の希望を教えてくれる。
地球規模で生じている環境問題や経済問題の荒れ狂う波が、日本や我々国民を襲おうとも、皇太子御一家は、「たゆたえども沈まず」必ずや立ち上がれるという希望の象徴となってくださると、私は信じている。
追記
「皇太子としては最後となる可能性の高い海外ご訪問」(と日本のメディアは伝えていた)であるにもかかわらず、その報道はあまりにも少なかったが、全日程を総括した良い記事を見つけたので、記録しておきたい。(ちなみに多くのフランス紙は、皇太子として最後という表現ではなく、次期天皇として御紹介していた)
<人とのつながり大切に=語学力生かし親善-皇太子さまフランス公式訪問>
時事通信 2018/09/14-18:33配信より引用
皇太子さまは14日、フランス公式訪問の全日程を終えられた。滞在中はマクロン大統領や要人だけでなく、現地で活躍する幅広い分野の人々と懇談。時にはフランス語も活用して日仏友好に尽くす姿に、人と人とのつながりを重視する国際親善への姿勢が垣間見えた。
滞在中は博物館やワイナリーを訪ねて同国の伝統や文化に触れたほか、学校や障害児施設、小児病院なども訪れ、子どもたちと交流した。障害を持つ女児とダンスをしたり、日本人学校で水の大切さを教える即席スピーチを披露したり。おとぎ話の王子さまと違うと不思議がる女児には「冠を持ってくればよかったね」と話すなど、気さくな人柄と気配りで心を通わせた。
下院副議長主催の昼食会では全てフランス語でスピーチし、大統領夫妻主催の晩さん会でも一部フランス語であいさつに臨んだ。学習院中等科からフランス語を学んできた皇太子さまの発音は、パリの学校で懇談した高校生が「すごく流ちょうで聞きやすかった」と話すほど正確。大統領とは英語でも親しく会話し、語学力を生かして両国の距離を近づけた。
現地メディアは皇太子さまを「次期天皇陛下」と紹介し、動静を詳しく報道。最初に訪れたリヨンでは、歓迎のため飛行機で「日本」の2文字が空に描かれるサプライズもあり、訪問への関心の高さがうかがわれた。
皇太子さまはパリで記者団の取材に応じた際、「国と国との関係は、人と人との関係によるものだと思います」と述べ、互いの国を訪れてさまざまな経験を積むことが相互理解につながると説明。今回の訪問はその言葉の通り、出会った人との一期一会を大切にすることで国同士の友好を図る、皇太子さまの国際親善への姿勢が改めて示された旅となった。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091400985&g=ryl
個人的にフランスに縁を感じていることから、「たゆたえども沈まず」には格別の想いがあるのだが、その由来を知っても尚、この言葉をフランスの歴史的経緯に結びつけ、考えてきた。
それが、フランスご訪問中の皇太子様が、水問題の学習をしているパリの生徒たちに、即興で水に関する講義をされたというニュースを拝見し、「たゆたえども沈まず」(原田マハ)を再読したのは、この言葉がまさに水にかかわるものだったからだ。
フランスご訪問の最初の地リヨンの空には、皇太子様を歓迎するため「日本」と!!!
https://twitter.com/AmbJaponFR/status/1038478317836529664
フランス政府から皇太子御夫妻に御招待があったのは、今年が日仏交流160周年の年であったからだが、本書はおよそ140年前の日仏の雰囲気を伝える場面から物語が始まる。
幕府についたのがフランスで、薩長についたのが英国だったせいだけでもないだろうが、明治時代の学生たちの関心が、あっと言う間にフランス語から英語やドイツ語に移ってしまった1874年頃、出世を狙う学生が熱心に英語を勉強するのと対照的に、秀才の名を欲しいままにしていた青年が二人(林忠正は実在の人物で、その助手 重吉は架空の人物)、ひたすらフランスに憧れフランス語を学んでいた。
本書は、そんな二人が浮世絵を引っさげフランスの芸術界に飛び込み、ゴッホに多大な影響を与えていく過程を描く物語なのだが、その冒頭あたりで、二人が語り合うのが、「たゆたえども沈まず」という言葉についてだった。
『(花の都パリ・・・)しかし、昔から、その中心部を流れるセーヌ川が、幾度も氾濫し、町とそこに住む人々を苦しめてきた。
パリの水害は珍しいことではなく、その都度、人々は力をあわせて街を再建した。数十年まえには大きな都市計画が行われ、街の様子はいっそう華やかに、麗しくなったという。
ヨーロッパの、世界の経済と文化の中心地として、絢爛と輝く宝石のごとき都、パリは、しかしながら、いまなお洪水の危険と隣り合わせである。
セーヌ川が流れている限り、どうしたって水害という魔物から逃れることはできなのだ。
それでも、人々はパリを愛した。愛し続けた。
セーヌで生活をする船乗りたちは、ことさらにパリと運命を共にしてきた。セーヌを往来して貨物を運び、漁をし、生きてきた。だからこそ、パリが水害で苦しめられれば、なんとしても救おうと闘った。どんなときであれ、何度でも。
いつしか船乗りたちは、自分たちの船に、いつもつぶやいているまじないの言葉をプレートに書いて掲げるようになった。
― たゆたえども沈まず。
パリは、いかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。まるで、セーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように。
洪水が起こるたびに、水底に沈んでしまったかのように見えるシテ島は、荒れ狂う波の中にあっても、船のようにたゆたい、決して沈まず、ふたたび船乗りたちの目の前に姿を現す。
そうなのだ。それは、パリそのものの姿。
どんなときであれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。
そんな街。
それこそが、パリなのだ。』(『 』「たゆたえども沈まず」より)
パリ市の紋章にもなっている、国花を戴く帆船と「Fluctuat nec mergitur」(たゆたえども沈まず)の文字。
幾つ王朝が変わろうが、革命が起ころうが、他国に侵略されようが、セーヌ川は、変わらずいつも流れていた。
何よりも先に、厳然と悠然と存在していた、川そして、水
災害をもたらし人を苦しめもするが、土壌を潤し肥沃な土地にし、文化も育み、生きるシンボルにもなる、川そして、水
皇太子様が点灯式で点灯され、初めてジャパンカラーに輝いたエッフェル塔は、「たゆたえども沈まず」の由来となったセーヌ川のほとりにある。
そのような土地で、水の授業を受ける生徒たちに、皇太子様が即興で(フランス語で)水の講義をされたというニュースに、「善(よ)く国を治める者は、必ずまず水を治める」という言葉が浮かぶと同時に、再度「たゆたえども沈まず」の言葉が胸に迫ってきた。
世界の最重要課題となりつつある「水」問題の世界的権威である皇太子様が次代の天皇となられることへの大いなる期待は勿論あるし、これからも日本各地で災害が頻発するであろうことを思う時(南海トラフが動けば、日本は最貧国になるという)、過去に幾多の災害があろうととも力強く立ち上がってきた日本の歴史に精通しておられる歴史学者の皇太子様を戴いていることは、心強い。
だが、それと同時に、いやそれ以上に、皇太子御一家はまさに「たゆたえども沈まず」を体現されていることが、これからの私達に重要なメッセージとなると思うのだ。
病を公表されているにもかかわらず、或いは まだ幼い少女であるにもかかわらず、その生をも脅かすような壮絶なバッシングに遭われながらも、誰を責めるわけでもなく、御家族で支え合い、品格ある佇まいを守り続けておられる、皇太子御一家。
その御姿勢は、長く病にある者や、理不尽なイジメに苦しむ者には勿論だが、生きていれば遭ってしまう困難に悩む者に、「たゆたえども沈まず」の希望を教えてくれる。
地球規模で生じている環境問題や経済問題の荒れ狂う波が、日本や我々国民を襲おうとも、皇太子御一家は、「たゆたえども沈まず」必ずや立ち上がれるという希望の象徴となってくださると、私は信じている。
追記
「皇太子としては最後となる可能性の高い海外ご訪問」(と日本のメディアは伝えていた)であるにもかかわらず、その報道はあまりにも少なかったが、全日程を総括した良い記事を見つけたので、記録しておきたい。(ちなみに多くのフランス紙は、皇太子として最後という表現ではなく、次期天皇として御紹介していた)
<人とのつながり大切に=語学力生かし親善-皇太子さまフランス公式訪問>
時事通信 2018/09/14-18:33配信より引用
皇太子さまは14日、フランス公式訪問の全日程を終えられた。滞在中はマクロン大統領や要人だけでなく、現地で活躍する幅広い分野の人々と懇談。時にはフランス語も活用して日仏友好に尽くす姿に、人と人とのつながりを重視する国際親善への姿勢が垣間見えた。
滞在中は博物館やワイナリーを訪ねて同国の伝統や文化に触れたほか、学校や障害児施設、小児病院なども訪れ、子どもたちと交流した。障害を持つ女児とダンスをしたり、日本人学校で水の大切さを教える即席スピーチを披露したり。おとぎ話の王子さまと違うと不思議がる女児には「冠を持ってくればよかったね」と話すなど、気さくな人柄と気配りで心を通わせた。
下院副議長主催の昼食会では全てフランス語でスピーチし、大統領夫妻主催の晩さん会でも一部フランス語であいさつに臨んだ。学習院中等科からフランス語を学んできた皇太子さまの発音は、パリの学校で懇談した高校生が「すごく流ちょうで聞きやすかった」と話すほど正確。大統領とは英語でも親しく会話し、語学力を生かして両国の距離を近づけた。
現地メディアは皇太子さまを「次期天皇陛下」と紹介し、動静を詳しく報道。最初に訪れたリヨンでは、歓迎のため飛行機で「日本」の2文字が空に描かれるサプライズもあり、訪問への関心の高さがうかがわれた。
皇太子さまはパリで記者団の取材に応じた際、「国と国との関係は、人と人との関係によるものだと思います」と述べ、互いの国を訪れてさまざまな経験を積むことが相互理解につながると説明。今回の訪問はその言葉の通り、出会った人との一期一会を大切にすることで国同士の友好を図る、皇太子さまの国際親善への姿勢が改めて示された旅となった。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091400985&g=ryl