何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

Fluctuat nec mergitur ①

2018-09-13 12:00:00 | ニュース
今年は日仏交流160年ということで、フランス政府から皇太子ご夫妻に御招待があり、雅子妃殿下も訪仏される可能性が高いと伝えらてきた。
雅子妃殿下というと、ハーバードやオックスフォードで学ばれたことが有名だが、フランスで二度 語学研修をされており、フランス語も流暢に話されるというので、フランスをご訪問される御姿を拝見できるのを心待ちしていた。
それが、今回も実現しないと発表になり、かなり残念に思ったのだが同時に、ある本のタイトルが心に浮かんだ。

「たゆたえども沈まず」(原田マハ)

本書「たゆたえども沈まず」は、ニューヨーク近代美術館勤務後、キュレーターとして活動していた原田マハ氏の真骨頂と云われる、ゴッホが世に出るまでの作品だが、抽象画が苦手でゴッホもイマイチ理解できない私なので、本書もゴッホにまつわる話というよりは、その時代の日仏の関係に思いを馳せたり、タイトルとなった言葉に共感しながら読んだ記憶があった。

そんな本の、タイトルにもなっている「たゆたえども沈まず」

強く心惹かれた この言葉の由来は、本書の中でも冒頭から説明されていたのだが、正確な由来よりは、自分勝手に膨らましたイメージで捉え、私を励ましてくれる言葉になっていた。


パリ市の紋章に、ラテン語で記されている ”Fluctuat nec mergitur“(たゆたえども、沈まず)の言葉。
フランス語に訳すと”Il tangue mais ne coule pas(揺れはするが、沈没はしない)”となる ”Fluctuat nec mergitur“ を、私は(本書の説とは異なり)フランスとくにパリの歴史的背景から捉えていた。

フランスは、カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝と幾度となく王朝が変わったし、バスティーユ牢獄(パリ)の襲撃で始まったフランス革命は、革命広場(パリ)でルイ16世と王妃マリーアントワネットの首をはねても落ち着かず、その後ナポレオンが皇帝として君臨すれども最終的には国中を混乱に陥れて失脚してしまうし、第二次世界大戦時にパリは、ナチス政権率いるドイツ軍に4年にわたって占領・支配されるという屈辱までも受けた。
だが、フランスは、パリは、しかし何故か、いつも世界の文化の中心として華やかな存在であり続けた。

そんな歴史的背景を念頭に、”Fluctuat nec mergitur“ という言葉に励まされてきたのだが、この度フランスを訪問されている皇太子様が、パリの学校で水の学習をしている生徒に水問題のお話をされたというニュースを拝見し、本書「たゆたえども沈まず」に記されていた、”Fluctuat nec mergitur“の由来を思い出したのだ。
それは、まさしくパリ市の紋章の図柄である’’国花の百合を戴く帆船’’、水に関わってくる、お話だ。

それについては、又つづくとするが、今回のご訪問で皇太子様は、全文フランス語で8分にわたりお言葉を述べられたという。
学習院は中等科から第二外国語を学ぶそうで、読売新聞・読売テレビによると、皇太子様は実はフランス語もかなりお出来になられるそうだ。
皇太子御夫妻の、このようなお人柄を、私は尊敬する。
お立場に胡坐をかくことなく真っ正直に努力し続けながらも、それを決して喧伝することなく、しかし いざという時には、遺憾なく実力を発揮される皇太子様。

世界がこれだけ緊密化する一方で価値観が多様化している現在、皇族・王族だからとか、又その中での身位が高いとか、そのような理由だけで尊敬される時代ではない。
尊いお立場であっても、個人の努力によってしか身に着けることができない お人柄や教養や語学力こそが、皇室・王室外交で生きてくるのだと考える時、畏きあたりが雅子妃殿下から、男児を生めなかった懲罰かのように海外訪問の機会を奪ったことは、国家的損失だったと思うが、来年5月のお代替わり後は、もはやその役割を終えた単なる外遊という枠組みではなく、皇太子御一家の能力とご関心に見合った意義のある親善外交をして頂きたいと、願っている。

つづく

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