何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

過剰な愛?こそが

2018-09-30 22:55:15 | ひとりごと
「褒める」ことの難しさをひしひしと感じているせいか、「折々のことば 2018・9・27」(鷲田清)が紹介している文章には、考えさせられた。
とは云うものの、鷲田氏ご自身が、「褒め言葉」を語っているわけではない。
調べてみると、今年7月6日発売の本の一文を、鷲田氏が紹介されているのだ。

「天才はあきらめた」(山里亮太)

『母ちゃんは、信じられないところから褒め言葉を持ってくる 山里亮太』、この言葉で始まる「折々のことば」。

『学校で先生に叱られた時は「反省してる感じ出すのうまいねぇ」と、この子はすぐ嘘をつくと言われた時は「聞かれてすぐに何か言えるって、しかも作って言えるってすごいねぇ」と、お笑い芸人の母は言う。そんな信頼の過剰に、息子はふつう、そこまで言ってくれなくても、と退いてしまう。’’親馬鹿’’は子に、ときにクールな自己認識をもたらす。「天才はあきらめた」から』(『 』「折々のことば」)より引用)

「天才はあきらめた」を私は読んでいないし、山里氏の活動をあまり知らないので、『そんな信頼の過剰に、息子はふつう、そこまで言ってくれなくても、と退いてしまう。’’親馬鹿’’は子に、ときにクールな自己認識をもたらす。』という文章が、山里氏自身の分析なのか、鷲田氏の分析なのかは分からないが、その褒め言葉や信頼が、’’過剰’’であることに気づいてくれれば良いのだが・・・と思いながら、「折々のことば」を読んでいた。

というのも、最近「褒める」ことと「励ます」ことと「認める」ことの塩梅の難しさについて考えることがあるからだ。

すっかり自信を無くし意気消沈しているということで、一時私が預かることになった後輩がいる。
聞けば、後輩が私の所に来ることを望んだのは、彼自身が気づいていなかった長所を、私が褒めたことがあったからだというので、「褒め育て」と思い、良い処を見つけ せっせと褒めていると、何やらとんでもなく図に乗らせてしまったようで、気になって仕方がない。
今では、良い処を一つ褒めると、自分でその三倍くらい美点を滔々と捲し立てるようになってしまった。

これでは、却って悪い影響しかないのではなかろうか?と、元部署に相談したのだが、「何があっても完全に受け容れてくれる人がいるという安心感は重要なので、もう少し、そのままで」と言ってきた。

そうなのだろうか?
それとも、褒め所は正しいとしても、 ’’過剰’’だと彼が気づいていないということは、まだ褒め方が足りないのだろうか?

こちらの方が、自信をなくし意気消沈してしまいそうだと思いながら、「山里母の愛が偉大なのか、息子亮太の冷静さが立派なのか?」などと考えていると、ある言葉を思い出した。
何で紹介されていたのか忘れてしまったが、同じく山里亮太母が息子亮太に送ったLineの言葉がネット上で話題となったことがあり、私も感動し読書備忘録に記していたのだ(私の読書備忘録は、本だけでなく、テレビで気になったセリフも、出典が分からなくとも良い言葉も記録している)

『努力して結果が出ると自信になる。
 努力せず結果が出ると驕りになる。努力せず結果も出ないと後悔が残る。
 努力して結果が出ないとしても経験が残る。
 努力をしてその日を迎えたんだったら、何も残らないことはないから行っといで 母』
(山里亮太氏の母の言葉)

なるほど、これほど含蓄のある言葉を紡ぐ母の言葉だからこそ、息子の心に響いたのかもしれない。
’’過剰’’ではないかと戸惑いつつ、しかし’’過剰’’な分を差し引いても、そこに愛が感じられるから、息子は安心して一歩退いて、’’過剰’’だと理解できるのかもしれない。

そうだとすると、試されているのは、私なのかもしれない。

ここ数日体調不良でヘバッテいたが、来週からは又がんばらねば、と思っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする