何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

アインス、ツバイ、ドライ応援を 繋ぐんじゃ

2015-10-09 21:05:25 | ひとりごと
「頂点へ繋ぐんじゃ」より

「何を見ても何かを思い出す その何かの幸いを願っている」者によるブログだと自己紹介しているが、何を見ても何を読んでも、何かを誰かを大声で応援したいと思うのは、旧制中学から受け継いだ応援歌をがなる応援団に高校時代に所属していたからかもしれない。
が、静かに静かに応援するなかにある熱い誠を「七帝柔道記」(増田俊也)で知った。

鼻水を垂らし涎を垂らし、滂沱と流れる涙をぬぐうことも出来ないほどの過酷な訓練、三途の河の向こうに立つ祖母に会うような過酷な訓練。
それほどの訓練を積んで臨む七帝戦の本番では、先鋒から大将までの15人の鬼気迫る応援の声が飛び交うのだが、ただ一校、一言の声ももらさず眦に力を込めて試合を見守るだけの大学がある。
名古屋大学柔道部
「北の海」(井上靖)に登場する豪傑の浪人・大天井のモデル小坂光之介先生が師範を務める名大柔道部は、声援も指示も飛ばさず、ただ黙って試合を見守るだけである。

『試合は「練習量がすべてを決定する柔道」の答えを出す場である。膨大な練習量の答えが出る場である。
 だから、試合では、一年間あらゆるものを犠牲にして練習に打ち込んできた選手のその練習量に敬意を払い、
 すべてを本人にゆだねて指示も声援も送らない』(「名大柔道」OBの寄稿より)

「北の海」に繰り返し書かれる「練習量がすべてを決定する柔道」に憧れ七帝柔道を志した主人公増田は、名大柔道部のこの意気に大いに感ずるところがあったのだと思う、OBの寄稿に続いて、旧制名古屋高商(名大経済学部の前身)の道場箴規も記している。
一、忍苦精進死しての後已まむ者入るべし 安臥逸楽の念ひあるは許さず
一、地下百尺に埋もるるの覚悟あらむ者入るべし 濫りに名文を希ふは許さず
一、道友乳水の如く和合し喜憂を倶にせむ者入るべし 独善と利己の情あるは許さず

一つ目は日々の苦しい練習に臨む部員の覚悟を、二つ目は分け役の覚悟を、三つ目は部員同士の互いへの敬意を云っているのだろうが、この規範を学生たち自らが作って道場に掲げていたことに主人公増田は驚き感動している。

同じ時代に高専柔道にのめりこんだ井上靖が書いている「練習の厳しさと自律心の高さ」についても本書は紹介している。
『ー 四高柔道部での生活は、後に経験した軍隊生活でさえ比べものにならないほど辛いものだったと。
 しかし軍隊生活と四高柔道部の生活が違うのは、軍隊が権力による他律の規範で縛られるのに対し、
 四高柔道部は自律するものだったことだと。自らで自らを厳しく律する場所だったのだと。
 そして高専柔道の舞台は、才能のない非力な学生たちが、圧倒的な才能を持つ者を前にしたとき、
 ほんとうの努力というものがその才能に対してどれほどの力を持つものなのか、
 自らの学生生活すべてを捨てて壮大な実験をする偉大なる場所だったのだと。』

旧制高校に入れるだけの環境と頭脳を有した人間ならば、そこに安住することもできるはずだが、あえて自分の中にある弱さを認めて、それを鍛えた上で、圧倒的に強い者に対峙するという厳しい道を選ぶ人がいたという、そして今もそれは受け継がれているという。
その克己の精神を、あらゆる分野の第一線を往く人は皆、有しているのだと思う。

自分には到底真似ることのできない厳しい克己の精神を有する人々を、やはり声を大にして私は応援したい。
どの応援団もそうだろうが、私達も守っている約束事があった。
・決して対戦相手を貶める言葉や態度をとらないこと
・相手が攻撃している(優勢)の時に、相手の気勢を殺ぐような態度をとらないこと(鳴り物を使わないなど)
・敵失を待ち喜ぶのではなく、自陣の活躍のみを願う応援をすること

今の世の中、言った者勝ちやった者勝ちが大手をふって歩いているし、ネットからマスコミ報道まで下品と捏造が大手をふって歩いている。
相手の罵声をしのぐ大声を上げねば、声援が届かないのではないかと不安になることもあるが、応援される者を信じているからこそ黙って見守る応援方法もあることを知った今は、迷いなく、静かにしかし敢然と声をあげ、皇太子御一家やさまざまな分野で活躍する人々や、困難な状況にある人々を心から応援し続けていきたいと決心を新たにしている。


ちなみに、「七帝柔道記」の作者増田氏が「都ぞ弥生の雲紫に」を胸に練習に励んでいる時代、京大は七帝戦10連覇という偉業を成し遂げ「紅もゆる丘の花」を高らかに歌っている。
増田の北大柔道部は同時期低迷していたが、和泉主将の『繋ぐんじゃ』は実り、増田らが育てた後輩は、京大につぎ準優勝している。
寮歌も思いも繋ぐんじゃ。
進みんしゃい。


母校の応援歌の前口上は忘れてしまったが、あの独特の節回しが懐かしい
アインス、ツバイ、ドライ
吾等が三年を契る絢爛のその饗宴は、げに過ぎ易し。
然れども見ずや穹北に瞬く星斗永久に曇りなく、
雲とまがふ万朶の桜花久遠に萎えざるを。
寮友よ徒らに明日の運命を歎かんよりは楡林に篝火を焚きて、
去りては再び帰らざる若き日の感激を謳歌はん。
「明治45年度寮歌、横山芳介君作歌・赤木顕次君作曲、都ぞ弥生、アインス、ツバイ、ドライ」
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 頂点へ 繋ぐんじゃ | トップ | 山は逃げない背負っていけ »
最新の画像もっと見る

ひとりごと」カテゴリの最新記事