何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

糸魚川のために

2016-12-25 11:00:55 | ニュース
ニュースによると、今年はクリボッチで過ごす人が52%らしい。

「それでこそ成熟した大人の社会になってきたということだろう」と独り言ちながら、友達とでかけるとか旅行にでかけるとか、めんどくさいからという理由で家族から押し付けられた年賀状の束を前に、今現在も悪戦苦闘している。

そもそも家族の誰もが、「おめでとう」という気分でないため年賀状から逃げているというのが正直なところだと思うが、年賀状ごときを愚痴っていては申し訳ない惨事が起こってしまった。

<糸魚川大火30時間ぶり鎮火=延焼150棟、4万平方㍍-空だき原因か・新潟>時事通信2016/12/23-21:08配信より一部引用
新潟県糸魚川市の大規模火災で、市災害対策本部は23日、発生から30時間後の同日午後4時半に鎮火したと発表した。焼損家屋は約150棟に増え、延焼面積は約4万平方メートルに上った。

「地震、雷、火事、親父」とはよく云ったものだが、親父はともかく地震の恐ろしさは骨身にしみている私たちに、自然災害以外でも被災地が生まれうるという悲しく厳しい現実を突き付けてきた。
鎮火に30時間を要したため、延焼中にも刻々と新しいニュースが入ってきたが、「あちこちで火の手、空襲のよう」(朝日新聞)「戦場のよう」(日本経済新聞)と伝えていたのが、「何もかも燃えてしまった」(産経新聞)「何もかも失った」(共同通信)になり、「全滅、頭からっぽ」(朝日新聞)となるに至り、胸がつぶれる思いがする。

かなり以前のことになるが、自宅から数十メートル先で火災が起こった知人から、話を聞いたことがある。
火事をだした家は全焼し、両隣は壁が黒焦げ(保険的には半焼とも認定されず)、後ろ三軒は火は移らなかったが消火活動の水で家中が水浸しとなり、家財道具も畳もすべて使い物にならなくなった。
火元の原因は子供の火遊びだったが、全焼だったため、そうそうに新築の(火事前より)立派な家が保険で建てられた。
その一方で、壁を黒焦げにされた隣家も家じゅう水浸しにされた3軒も、何の補償もなかっただけでなく、そのうち何人かは心労から入院されてしまったという。

火事は、一瞬ですべてを焼き尽くしてしまう恐ろしさもあるが、延焼しそうな(していく)我が家をどうすることもできずに見つめているしかないという精神的苦痛と、その後の後始末の肉体疲労は、計り知れない。
火事の恐ろしさの一端を知っているだけに、この寒空のもと、何もかも失い焼け出された方々に、なんと声を掛けて良いのか分からないし、その言葉を本の中に探そうにも、火事を書いているものがすぐには浮かばないが、今読んでいる湊かなえ氏の著書には、火事で大きく人生を変えた若者が描かれているものがある。(今読んでいるのは「サファイア」

「Nのために」(湊かなえ)
この本を読んではいないので、そのドラマにあったセリフが、本にもあったのか分からないが、火事で何もかも失った青年と精神的に結ばれていた同級生(女子)が時々自分を励ますために呟く言葉は、今も印象に残っている。
「下は見ない。上を向く」
そして、これもドラマだけのセリフかもしれないが、苦労ばかりしてきた女子に下宿屋のおじいさんが掛ける言葉も、心に残っている。
「苦労はね、忘れるのが一番」

火事にかかわる様々な問題だけでなく、多々苦労を抱えて生きてきた若者たちの物語とそのセリフは、めったにドラマを見ない私に強く印象を残しているが、だからと云え、これらの言葉が被災から間もない現在に適したものと言えないことも分かっている。

だから、月並みかもしれないが、やはり心をこめて、この言葉を記しておきたい。

夜明け前が一番暗いが、明けない夜はない。
まして、混乱のさなかですら、『「互いを気遣う関係」死者ゼロに』(毎日新聞 12/24(土) 19:43配信より)という糸魚川の方々ならば、夜明けは遠くない。

その時に向け、どうかお体をお大事になさいますよう心からお祈りしています。

頑張れ! 糸魚川

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする