《《だんじり・彫り物‐2》》
今朝の最低気温は午前6時の13.5℃。 最高気温はお昼正午の21.8℃。
雲が多いながらも日差しも有りました。 少し風が強く小寒い一日でした。
散歩に出た9時の気温は19.4℃。 長短Tシャツの重ね着でしたが歩き始めは
少し寒く感じました。 「だんじり祭り」 は昨日で終わりましたが、
興奮冷めやらずといったところでしょうか、こんな光景を見掛けました(笑。
この子たちが明日の 「だんじり祭り」 担うのでしょうね。
街を歩けば至る所に “兵どもが夢の跡”… 路面に木屑が散らばっています。
「だんじり祭り」 の一番の見どころは疾走したままスピードを緩めず角を曲がる
“やりまわし” です。 4トン以上ある 「だんじり」 がどうやって角を曲がるか…
もちろん丸いハンドルなんて付いていません(笑。
方向を変えるのは“後ろ梃子(てこ)”と呼ばれる、だんじりの後方に付いている一本の棒です。
この棒に30本ほどの綱を付け、右に曲がる時は左に、左に曲がる時は右に引っ張って
方向を変えるのです。 後部のコマ(車輪)を無理やり引きずる訳です。
後には路上にコマ(木製の車輪)の削れた木屑が残ります。
方向を変えるにはだんじり前方の “前梃子” も重要な役割を果たします。
あの2本の棒を前車輪の下に咬ませて速度を緩めたり、左右の棒を抑えつける力を加減して
だんじりの進む方向を変えているんです。 安全対策としてブレーキも付いているんですよ。
写真の中央の人が右足をかけているのがブレーキです。
事故を防止するために昭和の中頃に装着が義務付けられたのだそうです。
今日も昨日に続いて 「だんじり・彫り物」 を紹介します。
まず最初の彫り物は皆さんも良くご存じの 「天岩戸伝説」 の一こまです。
天の岩戸にお隠れになった天照大御神に再び出て来て、世の中を照らしてもらおうと、
八百万の神が集まって相談します。 尾長鳥(鶏)に朝を告げさせますが失敗に終わります。
次の作戦は岩の前で飲めや歌えぼ大騒ぎ。 “外は暗い筈なのに何を騒いでいるんだろう…”
天照大御神は楽しそうな様子を不審に思い、岩を少しお開けになりました。
そこで “あなた様より美しく立派な神がおいでになり、喜んでいるのです” と言い、
鏡で天照大御神様の顔を写しました。 天照大御神様は鏡に写った自分の姿だとは思わず
“もっとよく見てみよう” と更に岩を開き、身を乗り出したところを… そんな伝説でした。
岩の前で楽しく舞い踊る様子が描かれています。
上の彫り物は “忠臣蔵” から 「刀傷松の廊下」 です。
赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
続いては 「箱根詫び證文」 です。 赤穂浪士四七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、
馬子の丑五郎と馬に乗れ、乗らない、で口論に… 丑五郎は乗らないなら詫び證文を書けと。
神崎与五郎は “大事の前の小事” と我慢して、詫び証文を書いた。
その後、赤穂浪士の討ち入りがあり、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。
「大江山頼光の木渡り」 です。 これは昨日アップした 「茨木童子、腕を取り返す」 の
前段の話のようです。 平安中期、江戸の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。
そこで同行していた力自慢の一人が、傍の松の大木を根っこから引っこ抜き橋を掛け、
源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。
その力自慢の男こそ “坂田金時(幼名“金太郎”)” だったそうです(笑。
上の2つは 「羅生門」 です。 大江山の羅生門に鬼退治に行った渡辺綱ら4人。
そこへ道に迷った若い娘が… 渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は鬼になり…
綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落とします。 そこからが昨日の
「茨木童子、腕を取り返す」 に続くのですね。 紹介する順番を間違えました(汗。
最後に可愛い少女3人の後姿をアップして 「だんじり」 の項を終わります。
ちゃんとした美容院で結ってもらうと1万円は下らないそうですよ。
今日の歩数 15,407歩 (この子らが明日のだんじりを… 朝散歩)
10月総歩数 203,979歩= 142.8km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 4324,894歩=3027.4km
今朝の最低気温は午前6時の13.5℃。 最高気温はお昼正午の21.8℃。
雲が多いながらも日差しも有りました。 少し風が強く小寒い一日でした。
散歩に出た9時の気温は19.4℃。 長短Tシャツの重ね着でしたが歩き始めは
少し寒く感じました。 「だんじり祭り」 は昨日で終わりましたが、
興奮冷めやらずといったところでしょうか、こんな光景を見掛けました(笑。
この子たちが明日の 「だんじり祭り」 担うのでしょうね。
街を歩けば至る所に “兵どもが夢の跡”… 路面に木屑が散らばっています。
「だんじり祭り」 の一番の見どころは疾走したままスピードを緩めず角を曲がる
“やりまわし” です。 4トン以上ある 「だんじり」 がどうやって角を曲がるか…
もちろん丸いハンドルなんて付いていません(笑。
方向を変えるのは“後ろ梃子(てこ)”と呼ばれる、だんじりの後方に付いている一本の棒です。
この棒に30本ほどの綱を付け、右に曲がる時は左に、左に曲がる時は右に引っ張って
方向を変えるのです。 後部のコマ(車輪)を無理やり引きずる訳です。
後には路上にコマ(木製の車輪)の削れた木屑が残ります。
方向を変えるにはだんじり前方の “前梃子” も重要な役割を果たします。
あの2本の棒を前車輪の下に咬ませて速度を緩めたり、左右の棒を抑えつける力を加減して
だんじりの進む方向を変えているんです。 安全対策としてブレーキも付いているんですよ。
写真の中央の人が右足をかけているのがブレーキです。
事故を防止するために昭和の中頃に装着が義務付けられたのだそうです。
今日も昨日に続いて 「だんじり・彫り物」 を紹介します。
まず最初の彫り物は皆さんも良くご存じの 「天岩戸伝説」 の一こまです。
天の岩戸にお隠れになった天照大御神に再び出て来て、世の中を照らしてもらおうと、
八百万の神が集まって相談します。 尾長鳥(鶏)に朝を告げさせますが失敗に終わります。
次の作戦は岩の前で飲めや歌えぼ大騒ぎ。 “外は暗い筈なのに何を騒いでいるんだろう…”
天照大御神は楽しそうな様子を不審に思い、岩を少しお開けになりました。
そこで “あなた様より美しく立派な神がおいでになり、喜んでいるのです” と言い、
鏡で天照大御神様の顔を写しました。 天照大御神様は鏡に写った自分の姿だとは思わず
“もっとよく見てみよう” と更に岩を開き、身を乗り出したところを… そんな伝説でした。
岩の前で楽しく舞い踊る様子が描かれています。
上の彫り物は “忠臣蔵” から 「刀傷松の廊下」 です。
赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
続いては 「箱根詫び證文」 です。 赤穂浪士四七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、
馬子の丑五郎と馬に乗れ、乗らない、で口論に… 丑五郎は乗らないなら詫び證文を書けと。
神崎与五郎は “大事の前の小事” と我慢して、詫び証文を書いた。
その後、赤穂浪士の討ち入りがあり、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。
「大江山頼光の木渡り」 です。 これは昨日アップした 「茨木童子、腕を取り返す」 の
前段の話のようです。 平安中期、江戸の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。
そこで同行していた力自慢の一人が、傍の松の大木を根っこから引っこ抜き橋を掛け、
源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。
その力自慢の男こそ “坂田金時(幼名“金太郎”)” だったそうです(笑。
上の2つは 「羅生門」 です。 大江山の羅生門に鬼退治に行った渡辺綱ら4人。
そこへ道に迷った若い娘が… 渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は鬼になり…
綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落とします。 そこからが昨日の
「茨木童子、腕を取り返す」 に続くのですね。 紹介する順番を間違えました(汗。
最後に可愛い少女3人の後姿をアップして 「だんじり」 の項を終わります。
ちゃんとした美容院で結ってもらうと1万円は下らないそうですよ。
今日の歩数 15,407歩 (この子らが明日のだんじりを… 朝散歩)
10月総歩数 203,979歩= 142.8km(1歩を70cmに換算)
今年総歩数 4324,894歩=3027.4km