郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

「学校」という場所が、どうなっていくのか見届けるのが、私の仕事

2021年08月10日 | 日記

1学期末に、PTA会員向けの広報誌が職場で配布されました。

 

一応、私をはじ教職員のインタビュー記事が載っていたので、読んでみました。

 

すると、私以外、ほぼ全ての職員が「教員を志望した理由」について、「ポジティブ」な内容しか書いていないのです。

 

それを読んで、私は

 

「ああ、そうか、今も昔も『学校』に対してポジティブな印象を持っている人でないと採用されないのだな。」

 

そう思いました。ところで、かくいう私は

 

「(志望理由は)忘れてしまった。思い出せない。」

 

と書き、その通りに掲載されました。

 

 

 

ここからは、私の「ホンネ」です。

 

実は私は、「学校」にあまりよい印象は持っていなかったのです。志望した理由は、ある個人的な出来事から

 

「自分自身の頭で考えて行動できる人を育てなければならない。権威や権力に従っているだけでは、最後に悲惨な人生の結末しか待っていない。」

 

そう考えて小学校教員を志望したと思います。「小学校」というのは、中学や高校に興味はなかったし、先述した私の考えを実践するのなら、「小学校」がいいと思いました。

 

面接時に話した志望理由も、たしか

 

「私のような不器用な者でも小学校教員を務めることができるのなら、学校現場にいる様々な子たちにとっても意味があるのではないか。」(主旨)

 

そんなことを話したと思います。

 

その後、教員になって、様々な「掟」「因習」などにぶち当たり、その都度、落ち込むはめになりました。

 

しかし、何とか持ちこたえて、今の「感染症禍」を迎えました。

 

昨年春の、いわゆる「ステイホーム」の期間、様々なことを考えました。

 

いわゆる、これまで「正しい、当たり前」とされてきたことが、「それではいけない。」となり、「中止、延期、縮小など」となり、そのことで「学校」がどうなるか、見ることができました。

 

その結果、私の中では、以下のように考えました。

 

「多くの行事を減らしたところで、子ども達はびくともしない。それより、今まで教職員の自己満足で子ども達を振り回してきただけでないか。」

 

かくいう私は、文科省や地教委の目など気にせず、目の前の子ども達と「楽しみごと」をすることで、子ども達と仲良く過ごすことができました。

 

今の私は

「学校という場所が、どうしようもない時代錯誤な場所として世間から見捨てられるのか。それとも、この感染症禍から様々なことを立て直すことができるのか、それを現場の一員として見届けたい。」

 

そのように考えています。

 

 

-K.O-


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