高尾の父の家でみつけた母の家計簿、上記の期間の4冊をこちらで保管していました。この引っ越しの機会に、今日一日かけてざっと読んでみました。
母は下の欄を日記代わりにして、一日の出来事を書いていました。この期間はちょうど私が、浪人の受験期から大学卒業前までとなっていて、姉は大学から卒業して教員にという時代でした。
私は大学時代の手帳から今日までの手帳をすべて捨てずに持っています。先日の正方形のアマネコカレンダーとこの手帳を見れば、自分の歴史がわかるといっても過言ではないのです。
その学生手帳とともに母の家計簿日記を読んでいると、いろんなことがわかりました。母の家計簿には、姉と私の生理まで書いているのにびっくり。それも、昔はメンスと言っていたんですよね。
読んでみると、私も父も、おなかが弱いというのがわかります。遺伝ですね。そして、家族全員にあてはあるのですが、それぞれ、すぐかっとなるのです。私が大学生のときも、父は私を殴っていたんですから。姉も私も同時に怒られ、家から逃走したこともありました。ま、昔はそんなものでした。
そして、私の一浪の受験の様子が、本当に仔細に書かれていて、ずいぶんと親に迷惑をかけたと今になって反省しています。母には、何度も「弱気」と書かれていました。
父も、母の表現では「単純な人だ」と一刀両断。ある時、父が母に「学者になれなかったのは女房のせいだ」と言ったそうです。これには笑っちゃいました。
その家計簿を書いていたころは、母は50歳になったころ、つまり今の私よりも年下だったのです。私や姉が夕食を済ませて帰宅、母は待ちぼうけなんてこともあって、本当に心配かけたものだと、気の毒になりました。そして、その時々の娘たちのBFの名前をしっかり書いていることに、こちらが恥ずかしくなります。
青春を謳歌していたころは、本当に親に心配ばかりかけていました、ごめんなさい。あと3年で、母が亡くなった年齢になります。本当に、もっと親孝行したかったのに、ごめんなさい。天気が良くて洗濯いっぱいしたとか、食事の支度とか、自分には休みがないとか、主婦の大変さにあふれかえっていました。そして、それぞれが不満をぶつけてヒステリーな家族?
おそらく、それが一般家庭なんだと思います。
面白いのは、姉が小遣い稼ぎに私に古着を売っていたこと、思ったよりも当時は二人で仲良くもしていたことでした。そして、父から誓約という家庭内のルールを決められていたこと。言いたいこと言いあってぶつかり合っていたから、「それぞれに思いやりを持つように」って。
夫に「お前は勝気だ」と言われたルーツがここにありました。おっと、私は弱気?勝気?