ハッチと私の日常

20年暮らした猫も亡くなり、25年以上連れ添った夫も病死、仕事も辞めて還暦過ぎた女性が被災猫ハッチと暮らす日々

初めてのショーパブ、翌日はクラシック

2013年08月28日 21時56分16秒 | 日常

 私の職場は、原則第2第4月曜日が休館日で、26日の休館日にスタッフ6人が、立川のショーパブ「杏門」に待ち合わせをして出かけました。もちろん、私は初めて!興味津々で、一人ではいかれないからとショーパブツアーに参加しました。

 全員、男性です。男性ダンサー専門の、それこそ、男性そのものという人たちもいれば、男性だけれど、女性になりたいというニューハーフ、性器も取ってすっかり女性という元男性もいます。そういう、面白いパブのショーを女性6人で見てきました。立川の、駅の近くの雑居ビル、なんと1階には学習塾というビルの地下に、なんで?というその店があったのです。満席になれば100人以上は入るというその店、ステージを囲んでボックス席、奥でかむカウンター席とあり、一人でも気軽に来店できそうな店でした。

 パフォーマンスは、その狭さなのにずいぶんと頑張っている様子で、見ごたえがありました。最後に、メンバーひとりひとりの紹介の後は、客席からひいきのメンバーに「千円札」を掲げて、取りに来させるというパフォーマンスがあるのです。ステージかぶりつきの席では、私の住む地方自治体にもある「暴力団排除条例」に違反するんじゃないの?というスキンヘッドの中年のおじさんをかしらにする一団がいましたよ。隣のボックスでは、なんとおばさんが子供に例の「千円札」を掲げさせていました。ああ、世も末だと思います。こんなお子ちゃま、どういう風に成長するんでしょかね、気持ち悪いです!

 ショーの構成自体は、けっこうがんばっていました。私は小劇団ブームのころの芝居大好き人間でしたから、あの田中泯のステージも見たくらいです!唐十郎の赤テント、野田秀樹の夢の遊眠社でOL初期を過ごし、劇団青年座の夜間の研究所まで通った次第ですから、そのキャリアから見ると、あのショーは、小劇団ブームのさなかのパフォーマンスに近いともいえなくもない。当時、かれらはダンスも取り入れていましたからね。最後は、まるで、遊眠社のステージの終了の時のような音楽が流れてくるんじゃないかと思ったほど。あの曲、なつかしいなー。治田敦さんのジャスダンス教室にも通っていましたっけ・・・。

 でも、音響がイマイチかな。それと、照明が中高年にはきつすぎる!?

 翌日は、株主優待の見学会で、杉並公会堂に行きました。生演奏を聴き、ほっとしました。あの公会堂は、クラシック以外には、落語j会や映画上映くらいで、ステージ後ろの空間も狭いから、オペラとかはできないそうです。でも、グランドピアノは、スタインウェイ、私の大好きなベーゼンドルファー、そしてベヒシュタインという素晴らしい3台を管理保管しているとのこと。もちろん、ヤマハだって、国際的に認められているんだから、世界に誇ってもいいと思います。

 そんな貴重なピアノをメンテナンスする費用は、大変なはず。それも含めて、大林組と京王グループで、杉並公会堂を企画運営するという試みは、すごいと思います。

 ほぼクラシック専用のそのホールは、ヤマハ音響システムを使っています。荻窪駅からすぐではないのがちょっと残念。でも、トッパンホールほど、駅から遠いわけではないです。

 私は、夫とともにオリジナル楽器演奏を好んでいたので、よく、武蔵野市民文化会館に行きました。

 企画の1/4は、古楽器関係にしてもいいんじゃないかしら?ぜひ、そうしてもらいたいものです。私が、企画運営に潜り込みたい!?無理だけどね。

 うちの財団、だれも、オリジナル楽器のことは全くわからない、時代遅れもいいところ。ようやく、ジュリアードもピリオド楽器のオケ作ったというのにね!もう、前近代的なクラシックは、やめませんか?

 そうそう、以前所属していた弦楽合奏団の指揮者の先生から、9月20日の阿部千春さんのリサイタルの案内をいただき、さっそく、うかがうことにしました。彼女のバロックヴァイオリンは本当に素晴らしいです。

 先日、見る影もないカザルスホールを垣間見ました。佐々木節夫さんがもし生きていたら、嘆くでしょうね。

 大好きだった佐々木氏、フォルテピアノの小島芳子さんも、もういない。そして、古楽器大好きだった、夫ももういない。そんなこの世に、未練なんかないです。

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サザン

2013年08月23日 23時21分29秒 | 芸術

 そう、もう芸術の域でしょう。

 サザンと言えば、同世代。大学はお隣でした。青学の講堂で、サザンのライブがあるというのを聞いていて、行ってみようと思っていたのに・・・。でも、私たち同世代、お隣の大学生は、サザンの音楽を聴いていましたよ。クラスメイトの車でドライブの時は、サザンの「女呼んでブギ」で大盛り上がりでしたし!

 新聞の天野祐吉さんのコラムで、今月7日のサザンの全面広告のことが載っていて、慌てて新聞をあさりました。

 さすが、すごいです。

 彼のメッセージで、社会が変ってくれることを希望します。特に、「ピースとハイライト」。

 お隣の国と、もっと歩み寄ろうじゃないですか。私たちの親や祖父母の時代に、お隣りに日本がしたことをもっと理解しましょう。その上で、これからのことを考えましょう。

 理解することが、相手の気持ちをきちんと受け止めることが大切だと思います。

 誰も、好んで喧嘩しようなんて思いません。一緒に歴史のことを勉強しましょう。私たちは、本当のことを知らなさすぎます。自分の力で考えることが大事なのですから、時間をかけてお互いのことを理解しましょう。

 国家と国民は、微妙に違うのです。どうか、お互いに歩み寄ることができますように!

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NHKスペシャル「亡き人が現れた」

2013年08月23日 23時00分01秒 | 日常

 今日は遅番でしたが、相棒が車通勤なので帰りにのせてもらい、最初から見ることができました。とても気になっていた番組です。

 今年の夏は東北大震災から3年目。もう、そんなになるんだ・・・。

 夫はその時、自宅にいて、地震の揺れで台所の食器棚を抑え込んでいたそうです。

 彼が亡くなる前に、絶対に出てきてとお願いしたのに、ちゃんと出てきてくれたことはありません。夢の中でちょっとだけ、そうかな?と思ったことが少しだけ。でも、もっと、はっきりと出てきてほしい。

 私の前の携帯に、録音が残っています。「〇〇です。また、電話します」それだけ。でも、たまにそれを聴きます。そのために、前の携帯は処分できません。MDにも、彼の録音が残っています。いつも、怒っていましたね。

 藤圭子が自殺と思われる死に方をしました。彼女は、とても生きづらかったのだと思います。あまりにも感性が鋭すぎたために。だから、小悪露を打ち明ける信用できる人間が少なすぎた。かわいそうでした。夢は、もう持つことができなかったのでしょうか。

 夢って、前向きになりますよね。だから、夢を持たないってことは、未来をあきらめることになるんです。そこで、生きるというスイッチが入らなくなっちゃうんだと思います。

 がんと向き合って、前向きになれば、生きるスイッチが入るのでしょうか。あきらめたところで、もう死が目前なのでしょうか。うーん、悔しいです。夫のがん闘病、最初から痛みのコントロールを初めて、きちんと計画立てていれば、もっと長生きできたのではと思います。

 大震災の大津波で亡くなった人たちは、まさか自分がその日に死ぬなんて思わなかったはずです。だから、エネルギーが残っていて、遺された人たちへのメッセージを送ることができたんだと思います。

 私は、今も会いたいと思っています。夫が、こちらに来てくれないのなら、私がそちらに行くしかないのでしょうか?私も、夢なんかありません。来年春に消費税が上がったら、もっともっと生きづらくなります。こんなおかしな国のおかしな時代に、私は生きていたくないです。早く、夫が迎えに来てくれるのを待っています。

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暑い中、都心へ

2013年08月19日 17時17分56秒 | 日常

 父の絵69枚を持って、銀座8丁目の渡邊木版美術画舗に行きました。事前にメールして、委託をお願いしたのでした。

 来年のカレンダーに使われるようになったら、きっと多くの人の目に触れるでしょうから、私のところの絵をそのままにしてしまうより、少しおいてもらっている渡邊木版美術画舗に預けていたほうがいいと判断しました。

 職場の額入り宣言文が落下してガラスが割れたことから、家にある額も、アクリルかガラスか確認しました。私はほとんどがアクリルと思っていましたが、けっこうありました、ガラスが。全部で10枚くらいありました。当然、木製額縁もそれだけ廃棄処分。くたびれました。

 家の中に飾る絵は、皆アクリルにしました。といっても、小さい絵の額縁はまだ調べていません。それはガラスかな。地震が起きたら怖いですよね。

 廊下には、職場から戻した八幡浜千丈、奥多摩B。

 奥多摩B

 八幡浜千丈

 部屋の中は、鹿児島の長島(菜の花畠)、長崎眼鏡橋、尾瀬B(すすき)、菅浦、中土C(麦畠)、階段の上は、あしがくぼ果樹園村、宮島A。

長島(菜の花畠)

 長崎眼鏡橋

 菅浦

 あしがくぼ果樹園村

 宮島A

 絵を変えると、気分も変わりますね。

 銀座は暑かった!

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緒方貞子さん

2013年08月17日 23時04分44秒 | 日常

 今夜のNHKスペシャル、とても感動しました。

 緒方貞子さんの生き方と考え方、素敵です。昭和2年生まれということは、母と同じ。リベラルで聡明で、偏見が全くない、すぐれた女性。

 跡を継ぐような女性が、もっともっと出てきてほしいです。

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激流、終わっちゃった・・

2013年08月13日 22時48分54秒 | 日常

 前回の放送は、えーっ??だったけれど、最終回は、まあ泣けた。

 残された者にできることは、その人を忘れないこと。

 先日、大学のクラス会の幹事になったので、引き継いだ住所録を、うまく筆ぐるめから筆まめに変換できなくて、手入力しました。そこで初めて、卒業以来、全く連絡先不明というのが数名いるのを知りました。

 その中には、本当に「わからないままにしておいて、どうか探さないで」という意志もあるんだと思います。学生時代に、いったいその人に何があったのか、私には想像がつきません。でも、思い出したくない時代に、大学時代が当てはまるのでしょう。

 多感な思春期に一緒に過ごしたというのは、OL時代や主婦時代にできた友達とは、重みがちがうというのかな、何かが違うんです。

 夢の通りには生きてこなかったけれど、あのころは楽しかったなー。

 今が一番楽しいなんて、変じゃないかしら?老後を目の前にして、人生に疲れているはずですよ。お金があっても、若さはない。若いというのは、それだけですごく素敵なことだったはず。

 そのきらめき、もどかしさ、いろんな思いが、今の若い人にないとしたら、それはおかしい。その人たちよりも、そうしてしまった社会自体がおかしいんじゃないかしら。

 若いころは、輝くものなのです。私も、一生懸命、輝こうとしていました。だから、今はもうすでに余生だと思う。

 棺桶に足突っ込んでいるくせに、いつまでもギラギラしてんじゃないよ!若い人に譲りなさい!そういう老人だらけになっちゃいましたね、この日本って国は。便利になって、スマホ持って、一億総主人公になっちゃったんだ。

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除菌、失敗

2013年08月12日 17時45分30秒 | 日常

 今日、検査結果を聞いてきました。予想どおりでした。やはり、除菌に失敗。服用中は禁酒守ったのに、飲み忘れもなかったのに・・。結果のための2週間の乳酸菌禁止は、私にとってはきびしいので、特に自覚症状がないからしばらくこのままにしておくと言って、再度の除菌は断りました。

  首がなぜだか、痛いのです。ちょっとひねったみたいで、熱中症と無関係ならいいのですが。この酷暑続き、あちこちおかしくなりそうです。

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新宿立吉

2013年08月11日 21時11分04秒 | 食に関して

 今日、例の新宿での反原発のイベントの帰り、久しぶりに串揚げの店「新宿立吉」に行きました。

 落雷で京王線が運行中止になってしまっていたし、立吉のオーナーさんには父の絵を気に入っていただいていたので、最近の話を伝えたいと思ったから立ち寄ってみました。

 夫と最後に行ったとき、店は世代が変わったように若い客であふれていました。今日は日曜日、だからでしょうか、若い人も目立ちました。でも、串揚げの店、一人で入る私も異様ですよね・・・。オーナーは、日曜日はいつもお休みだそうで、お会いできなくて残念でしたが、父の絵葉書に書き込みしたものをお渡ししてきました。大手企業の来年のカレンダーに使われることになったので、お知らせしたくてという内容です。コーディネイトしている会社が、世界にも発信しないかと努力してくれています。オリジナルが、もう人目にさらすにはシミができて限界という時期です。もうちょっと早かったら、と思ってもしょうがないですね。

 父は、有名になりたかったのか・・・。

 他人の評価がそんなに大事なのか、というの夫の口癖でした。彼はそういうことが大嫌いでした。

 かといって、自己満足だけの世界も、どうもね・・・。所詮、自分が生きているうちにいい思いなんかしないものですよ。子供がいれば、自分のDNAは残せますが、私のように、子供もいなくて夫も死んでしまっては!

 残せるものがあればいい。でも、いまどきって、遺されても迷惑なんです。父のあらゆる資料をすでに処分してしまっている現在、今、注目集めても、「なんてこった!」なんですよね。夫も亡くなって、いろんなものを整理して、父の物だって整理しますよ、それが悪い?残すほうが悪いよー!!

 終活、それはとても大事なことです。立つ鳥跡を濁さず。原発も、ちゃんと終活できなくては、作ってはいけないということですよ。だから、動かしてはいけないのです!

 汚染水が流れているそうですね。海には仕切りはありません。日本の原発事故がどれだけのことを引き起こすのか、もっと真剣に悩みなさい!許されないことですよ!いっそのこと、東京電力は国営化したほうがいいんじゃないの?他国に売るとか、再稼働とかって、ありえないですよ、無責任すぎます!

 そうそう、新宿からの帰り、京王線はまだ運行していなくて、仕方なく、中央線で帰りました、とほほ。この異常気象、地球も危ないのかも。原発のせいかなー?

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山本太郎氏に遭遇!

2013年08月11日 20時52分15秒 | 社会

 朝日新聞の金曜日の夕刊に載っていた記事が気になり、今日、「反原発に対する嫌がらせの歴史展」を見に行きました。会場には大勢集まっていて、主催者団体の会見もあり、足の踏み場もないくらいでした。でも、展示も会見の模様も面白かったです。そして会場には、先日の参院選で議員になった山本太郎氏も来ていました。なんとなく、この展示会には絶対に来るだろうとは予想していましたけど。

 国家という大きな組織、たとえばアメリカでは映画「大統領の陰謀」みたいなことですよね、そういうことって、けっこう日本国内でもこうして起きているんだと思います。

 消費税増税も嫌だけれど、さらに、憲法改正やら何やらで、国民個人の反対意見が封じ込められる社会になるかもしれないのです。その辺、あまりみなさん危機感ないみたいだけれど、これって、相当恐ろしいことなんですよ。

 私は、原発反対、9条改正反対、反戦を自分の人生の原則とします。

 外国に原発売り込んでいる日本ですが、福島の汚染水、どうするつもり???日本だけの問題ではないんですよ。地球汚染というとんでもないことになっているんです。あの中国の大気汚染をNOといえないくらい、日本はひどいことをしてしまっています!

 原発は、地球の未来へのリスクが多すぎます。いま、それをやめないととんでもないことになります。少しでもいい状態の地球を、私たちは後世に残さなくてはいけないんですよ。それが、私たちの義務です。とても、戦争、紛争、原発事故などを起こしてはいけないのです。地球温暖化をなんとか食い止めなくては!

 産業革命以来、人類は、地球を破滅への加速度を増して進行させているんです。食い止めなくては!

 リスクがどれだけになるか、もう計り知れないものなんですよ、原発って。お願いだから、いまだけよればという発想をやめましょう。

 人類として生まれた以上、ゲームなどに現を抜かすのではなく、自分よりも後の世代への責任を果たしましょう。それが、生まれていた人間の義務なのです。

 私は思います。夏の蝉、何年も地中にいたけれど、地上へは一週間でその一生を終える、その一生懸命さに惹かれます。私は蝉になりたい・・・。

 国家という組織に丸め込まれることなく、自分自身の意見を主張しましょう!

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ひこうき雲

2013年08月10日 09時49分02秒 | 日常

 『MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~』
BS2 1月16日(土)後9:00~9:54
(再)BS2 2月19日(金)後11:00~11:54

(再)BSプレミアム 2012年11月18日(日)後11:50~翌前0:44
(再)BSプレミアム 2012年12月9日(日)前1:10~2:04 (8日(土)深夜)
(再)BSプレミアム 2013年8月9日(金)前0:00~0:54 (8日(木)深夜)

荒井由実さん(現・松任谷由実さん)のデビューアルバム「ひこうき雲」。レコーディングには1年以上の時間がかけられ、細野晴臣さんをはじめ、当時最高のスタジオミュージシャンたちが集まり、ヘッドアレンジという全く新しいスタイルで楽曲を作っていきました。その1年にわたるレコーディングの成果である「ひこうき雲」のマスターテープ=マルチトラックテープは現在も保存されており、そのトラックにはさまざまな秘密が残されていました。
番組では、レコーディングに参加した人達に集まってもらい、実際にマスターテープを再生し、ミックスされたレコードやCDではわからないような音までも聴きながら、当時の様子を語っていただきます。熱い思いで、そこにその“音たち”を固定した松任谷由実さんや、この傑作を世に送り出したプロデューサーの村井邦彦さん、細野晴臣さん、そして関わった多くの人たちに語ってもらうことにより、「ひこうき雲」完成の秘密を探ります

*********

という番組を録画して、昨日、じっくり見ました。ものすごく面白かったです。

私は夫と知り合ってからはほとんどクラシックオンリーになりましたが、それでも、ユーミンの音楽は耳に入っていました。ユーミンを聴きはじめたのはいつからだったのでしょう?

亡父の飼い猫とうちの猫の相性が悪くてしかたなく夫と愛猫と別れて暮らしたころ、最寄りの駅にはレコード店があり(今はありません)、ユーミンの1978~1989アルバム復刻版を買い、さらに去年は、彼女の「日本の恋と、ユーミンと」を買いました。

父が晩年過ごした高尾山麓には、彼女の実家、荒井呉服店の別荘「装柳山荘」がありました。圏央道のために早いうちになくなってしまいましたけれど。そして何より、私は八王子に住み始めました。ユーミンパパの八王子です。

その番組で、彼女がブリティッシュロック好きで、ほかのメンバーがアメリカンロック好きということを知りました。

彼女がノンビブラートで歌うことを覚えさせられたというのも、興味津々。昔は、私も彼女の声よりも、ハイファイセットのほうが好きでしたが、いつのころからか、彼女の歌でなくてはと思うようになったのです。でも、ユーミン本人もコンプレックスを持っていたんですね。若いころは音域も色かったのにびっくり。作曲家としても天才的ですし、いい配偶者に出会えて、二人で「ユーミン」を作ってきたというのがすごい。

クラシックとして残る音楽、今の時代では、ビートルズにユーミンだと私は思います。

彼女の曲で好きな「遠い旅路」、これはどのアルバムにも入っていなくて、ベストの中にも入れてもらえず、とってもいい曲なのに、なぜでしょうか?お願い、「日本の恋と・・・」のような企画に、ぜひ、今度は入れてください!

今回も、せっせとねっとけんさくで松任谷正隆さんやユーミン本人のことを調べましたが、ウィキペディアの中に、プロ活動の最初に、私の母校の学園祭があったのが、超うれしかったです。

人生の伴走者、二人とも、素敵です。いいなー、私は去年、伴走者を亡くしてしまいました(とほほ)。

この猛暑の夏、夜中に熱中症にかからなくするよう、努力しないとね。一人暮らしは意外と、怖い!?

ひこうき雲、ネットで注文してしまいました。あの番組を見たら、絶対に聴きたくなりますもの、やられたね。

 

 

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