高野公彦選
オクラ食ふ油虫を食ふ天道虫 人間は食ふ傷無きオクラ 西之表市 島田紘一
「あなた」とは言わぬ妻にて「陽ちゃん」とたまに吾を呼ぶ子のおらぬ時 横浜市 島巡陽一
一首目、とても深い意味がある短歌だと思いました。食物連鎖があるから、ある程度の虫食いは当然と思うべきなのに、きれいを当たり前にして、農薬も平気で使う人類への警鐘でしょうか。キャベツなんかは虫がいるのは当たり前と思っていいんじゃないかなあ。でも、みつけても葉っぱに返してあげるのに、マンションは大変です。うち、ベランダに何も置いていないから。お隣さんは、揚羽の幼虫をみつけて、ベランダの樹につけてあげたんです。やさしいなあと思いました。二首目、うちは子供がいなかったから実感はないけれど、子がいればお互い、パパやママ、父さん母さんになっちゃいますよね。最初は他人同士だったのにね。うちも、亡夫は名前で呼んでいました。あなたはちょっとよそよそしいし、アンタは怒ったときに言っていたかも。
永田和宏選
死ぬための命などなし生きるため命はありぬ八月の蟬 福島市 美原凍子
オーボエの音色の似合う街が好き急行電車の止まらない街 東京都 青木公正
「古い」って言われればそうね新しいことが正しいわけじゃないけど 東京都 上田結香
一首目、その通り。八月は終戦記念日で、蛍も蝉も戦争で亡くなった日本兵を連想してしまいます。特に、大勢の和かい人たちを見殺しにした戦争だったと、本当に多くの人に知ってほしいと思います。どれだけの若い命が国のためという名目で殺されてしまったか・・。補給がないジャングルに頬り出されて、戦死のほとんどが病死や餓死だったんですよ。その時代の郡の上層部や特高、政府関係者は戦争責任を果たしたのでしょうか?当時の生き残った若者や児童は、入背rんと同時に手のひらを返したように民主主義に迎合する大人を見て来たんです。人間不信になりますよ。戦争に協力した人たちのその後は、追及されて当然だと思うのですが、きちんと解明されていませんよね。そこがドイツと違うところじゃないかしら。問題ですよ。そのうち、証言する人間がいなくなればいいと思っているのでしょう、許せないです。二首目、オーボエが好きなのでいただきました。例の有名なドボルザークの新世界のあの曲は、オーボエの仲間、イングリッシュホルンですが、いいですよねえ。そのせいか、オーボエが似合う街って、夕暮れの街を想像します。三首目、こういうことでも短歌になるって、素敵なことですね!
馬場あき子選
はぁーっと息吐いて木陰でマスク取る父のゴジラと子どものミニラ 東京都 松本知子
豪州の空はるかより帰還せず零戦の伯父二十歳(はたち)の夏よ 小金井市 神蔵勇
一首目、着ぐるみなのかと思いましたが、そうじゃなくてもいいような、父子の様子が、面白いです。ミニラという名前、なつかしいですね。二首目、二十歳で戦死した伯父、特攻隊だったのでしょう、悔しいです。今日の歌壇の最初に取り上げた歌も、同じテーマですね。こんなことは二度とあってはならない。戦争はどんなことがあっても、不幸なだけなんですから。私たちは忘れない、日本が戦争を起こしたこと、その結果、どうなったかということ。韓国がいまだに日本を悪く言うのは当然だと思います。
佐佐木幸綱選
岬へのヘアピンカーブ曲がるとき水平線が窓に傾く 出雲市 塩田直也
自室にてパソコンに向かってニコニコとこれが新しい就活様式 東京都 牧野美咲都
そういえば不要不急のものだけで彩られていたような日常 千葉市 高橋好美
一首目、それを読んですぐ、ユーミンの「埠頭を渡る風」を思い浮かべました。まさに、ユーミンの世界のような気がしました。歌の方はヘアピンカーブじゃなくて、ゆるいカーブですが。二首目、コロナ禍で、世の中のシステムが様変わりしました。終活も、家でできる、いいことなのかどうなのか。でも、熱中症の危険もあるし、外出しない方がいいに決まってますね。三首目、私も無職なので、これです。人生、たいていがそんなもんじゃなくて?でも、無駄なものなんか、ありません。早く、密で話せて密で楽しめる日が来ることを楽しみにしています。ああ、武道館のユーミンコンサートに姉と行ったのが去年の3月、冥途の土産でしたね。今年はとてもそんなことできなかったはず。人と会うのは必要なこと、会えないなんて、つらいことですよ。ほんと、この先、どうなっちゃうのでしょうか、不安でしかないけれど、なんとか生活していくしかないもの。コロナ禍を知らずにあの世に行った亡夫がうらやましいです。