生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

生命の定義集

2016年06月04日 14時22分57秒 | 生気論
2016年6月4日-2
生命の定義集

 生命の定義のいくつかを掲げることにする。


1 =======
Bunge, Mario. 1999: 160 (たぶん=2003:163).

  「
life 生命 (p.163)
 諸生命科学の中心的概念。生きものまたは有機体の本性〔=本質的性質〕に関して四つの主要な見解がある。つまり、生気論、機械論〔mechanism〕(または物理化学主義)、マシン〔機械〕主義〔machinism〕、そして有機体論(または生物システム主義)である。↑【生気論】は、『生命』を、たとえば『生命衝動』といった、何らかの非物質的な存在者と目標へと努力する傾向なるものによって定義する。↑【機械論】は、『生きている』という述語は物理化学の用語によって定義可能であると主張する。つまり、有機体は大変複雑な物理化学的システムにすぎない。↑【マシン主義】は、有機体を機械に似たもの、つまり設計され、プログラムされ、そして目標指向的〔goal-directed〕なものとして考える。有機体論(または生物システム主義)は、生命を何らかの極度に複雑なシステムの創発的性質とみなす。このシステムの遠い先祖は、約40億年前には生命のない〔abiotic〕ものであった。生気論は、まったく信用されなくなった。不毛であり、非物質的なエンテレキーなるものは、観察と計算をしようにも不可能だからである。機械論はいまだに流布しており、分子生物学の誕生以来は特にそうであるが、生きものの特有性のいくつかを説明することには失敗している。とりわけ、それは、なぜ有機体における代謝過程が、概して、中性的または自己に仕えるのではなく、有機体に『仕える』のかを、説明しない。機械論はまた、自己洗浄と自己修復のメカニズムの創発も、説明しない。つまり、生きていない化学系は、ついには反応のいくつか、あるいはすべてさえも停止させるような、反応を抑制する化学物質を蓄積するかもしれない。機械論は、デカルトによって創始され、それ以来広まったが、今日ではコンピュータ科学の連中に人気がある。その連中は、生命プロセスの特定の特徴をコンピュータシミュレーションしたものを、↑【人工生命】と呼んでいる。皮肉にも、マシン主義は、設計と計算という概念に含まれる目的論を、生気論と共有している。生物システム主義だけが、化学的前躯体からの生命システムの自己集成についての分子生物学的説明と、遺伝子変化と自然淘汰による進化の理論を認めるだけでなく、生命を化学レベルに根をおろした一つの創発レベルとして認めもする。↑【創発】、↑【創発主義的唯物論】、↑【システム主義】。


2 =======
マーナ,マルティーン/ブーンゲ,マリオ.(小野山敬一 訳 2008: )

ブラヴァツキー 電気は物質か力か?、物質とは何か?、力とは何か?、重力(1)

2016年06月04日 14時13分27秒 | 秘教/オカルト科学
2016年6月4日-1
ブラヴァツキー 電気は物質か力か?、物質とは何か?、力とは何か?、重力(1)



  「  電気は物質か力か?*
      [*:この記事は、次の記事〔物質とは何か? そして力とは何か?(或る回答)〕と直接に関係するので、ここに翻刻される。――編纂者。]
               或る神智学徒
  [The Theosophist, Vol. III, No.12, September, 1882, pp. 318-319]


 神智学協会の設立者で会長である H.S. Olcott 大佐によって1882年4月26日にマドラスで述べられた大変興味深くてすぐれた講演のなかで、学識豊かな会長は、物質について触れたときに、電気は空気と水と同様に物質であると断言した。
 彼自身の言葉をここに引用しよう。
  「では、戻りましょう。それは物質なのでしょうか、あるいは何か他のものなのでしょうか?。わたしは、物質に何か他のものを加えたものだと主張します。そしてここでしばし立ち止まって、物質とは何か、について考えましょう。ぞんざいな思索者は〔略〕、物質という観念を、密度、可視性、そして触知可能性という諸性質と結びつけて考えがちです。しかしこれではさほど弁解できません。わたしたちが呼吸する空気は見えません。しかし、物質、――その等価物である酸素、水素(?)、窒素、そして炭酸は各々、分析によれば、原子的で、重みがあり、証明できるものです。_電気_は、準備された条件下を除けば、見えませんが、それでも_物質_です。だれもこれまでに見たことのない科学での普遍的エーテルは、しかし、極度に希薄な状態にある物質です。水の形態というなじみのある例を取りましょう。
〔続くべし〕
」(試訳20160604)。


□ 文献 □
Blavatsky, Helena Petrovna [A Theosophist]. 1882.電気は物質か力か?.H. P. Blavatsky Collected Writings Volume IV: 205-208. [初出は、The Theosophist, Vol. III, No.12, September, 1882, pp. 318-319。]