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IPCC地球温暖化論の非科学度と反科学度1

2010年08月15日 21時29分15秒 | 生命生物生活哲学
2010年8月15日-6
IPCC地球温暖化論の非科学度と反科学度1

 島村英紀『地球温暖化」ってなに?』を、ざっと半分ほどを読了した。全体としては、科学は多数決ではない、としてデータや論理性について検討しているが、それほど強い主張をしていない。あとがきでは、クライメート〔気候〕ゲート事件を取りあげて、

  「科学」とは、客観的なデータに基づいて、正しい結果を得るはずのものだ。それなのに、偏見に基づいて結果をゆがめるのは許されない、という論理はそれなりに正論である。(263頁)

と述べ、「それなりに」を挿入させた部分を受けて、「科学者である私の見方は少し違う。/研究費がなければそもそも研究ができないし、大学や研究所のポストがなければ、やはり安定して研究をするための環境が得られない。……よくできる科学者ほど誘惑は多いのである」(263頁)と続く。おやおや、である。なにを言いたいのかよくわからないほどである。(おそらく、身にふりかかったことが関係して、このような文言になっているのだろう。)
 ならばいっそ、職業的科学者は廃止したらどうだろうか? 政府予算の、偽装的分捕り合戦は無くなるだろう。日本国民にエコ意識はかなり浸透したようだから、直感的ないしは直観的に、とりわけ核分裂型原子力関係の研究者は真っ先に事業仕分けすべきであろう。
 
 いくつか、要約して抜き出す。
 
A. 気温データ
 A1. マンのホッケースティック曲線は、IPCC第4次報告書の要約からは消えて、(まず誰も読まないような)本文にだけ幾つかの研究結果の一つとして載っている(51-52頁)。
 問題は、「これらの研究のどれもが、マンの結果と同じように、あてにならない要素を含んでいることだ。データは連続ではないことがほとんどだし、たとえば年輪のように研究の対象になったデータと気温との数値的な関係が十分にはわかっていないことも多い」(53頁)。

 〔なお、グリーンランドという名称は、懐疑論派からは、かつてはその名称通りに草が生える暖かなところだったのだという話に持ち出すものである。それに対して、それは単に希望的に名づけられたもので草原があったことは無いというように述べた本があったように思う。この著者の記述によれば、10~14世紀の温暖期には、アイスランドの人々が移住して農業をやっていた(52頁)、とある。〕

B. 氷河期の定義
 B1. 現在の地球は、氷河学の「南半球と北半球に氷河がある時期」という定義からは、氷河期である(58頁)。
 B2. 氷河期のなかでも寒い時期は氷期と言い、比較的暖かい時期は間氷期と呼ぶので、今は氷河期のなかの間氷期である(58頁)。

C. パラメータ化
 C1. (大気や海や陸を空間的に分割した単位の)箱の中の小さな現象が箱の中の平均値に与える影響をパラメータとして人為的に推定して与えることである(88頁)。
 C2. パラメータ化無しで計算できず、パラメータ化による推定は、物理法則とは違うものに頼っているので、不確実性を残さざるを得ない(88-89頁)。
 C3. 気候シミュレーションモデルの原型である大気海洋結合大循環モデルが開発されたのは、1960年代末である。そのときの計算では極端な寒冷化や温暖化が現われた(88頁)。

[S]
島村英紀.2010.7.「地球温暖化」ってなに?:科学と政治の舞台裏.263pp.彰国社.[ISBN: 9784395010240] [y2,100] [B20100813, zRh20100813]