うちのばあちゃんもドボジョでした。

2015年01月07日 | 日記

建設業界で活躍する女性のことを「ドボジョ」というそうですね。土木系女子の略ですが、他に言い方ないんですかね!!センスなさすぎます。「けんせつ小町」もなんだか…オンナときたら小町だのなでしこだのって、なんで古代に戻る!女性のトラックドライバーはトラガールというそうですが…模倣の王者日本人はやはり、創造性ゼロなのか…

建築・土木業界は女性の活躍を推進!とか言ってますが、まるでこの業界にかつて女性が存在しなかったような言い方ですね。

日野勝美さんの『みんな土方で生きてきました』には、昭和40年以降、土方で生計を立てている女性の姿がいきいきと書かれています。私自身は土方や建築の仕事経験はありませんが、富山のへき地で生まれ育ったので、祖母や近所の母ちゃんたち・ばあちゃんたちが農業のかたわら建設・土方仕事に行っていることを知っていました。祖母のアルバムには日焼けした土方仲間の母ちゃんたちのたくましい姿が写っています。

目がほとんど見えないにもかかわらず、何十年も地元の土建会社で働いていたおばあちゃんがいました。他の従業員から「目が見えないのに一人前の給料をもらっている」と陰口をたたかれたそうです。でも社長さんは「細かい仕事以外にもやることはいくらでもある」と言って、他の従業員と同様の給料を払い続けてくれたのです。社員旅行で歌を歌ったのが忘れられない楽しい思い出だと話してくれました。

日野さんの本によれば、農家の女性がこぞって建設現場に出始めたのは、高度経済成長に陰りが出始めた昭和40年なかごろのようです。農作業が機械化され、外国の農産物が輸入されるようになって、百姓仕事が減ったのが大きな原因だそうです。

力のない女性が力仕事の現場でどのような仕事をしていたのか?

男性作業員の補助的な仕事が多かったようだ。それと単調で退屈で、根気のいる疲れる分の悪い男のやりたがらない仕事。そういうのを女性に回していたようだ。

何十年も働きながら決して補助的な範囲を超えて働くことがなかった女性たち。でもだからこそ長く続けることができたのだ。男と絶えず衝突しないためには補助に徹するしかなかったのだ。

ちなみに土木現場でもてたのは、おっとりふっくらマダムタイプとすらり美人の芸者タイプの女性作業員らしいです。どんなタイプであろうと、女性は休憩時間に茶菓を配るなどの気配りをずーっと続けていたそうです。

さて、現代のドボジョこと土木女子ですが、ガテン系をイメージしがちですが、設計や管理などの内業、防災・環境・行政の仕組みづくり、造園や衛生関係、街のインフラ作りなど広範囲にわたるようです。

土木技術者女性の会・会長の桑野玲子さんは、「昔は建設会社社員の妻は専業主婦が多かったが、今は共働きが当たり前。男性自身もワークライフバランスを考えなくてはならない」「土木業界では、以前は男性と肩を並べて頭角を現すには、スーパーウーマンが自分の生活を犠牲にしていた。今は男女共に普通の人が、ワークライフバランスを取りながら活躍できる時代」と言っています。

かつての土木業界とは違ってきているのですね。

そういえば以前、タイヤとオイルの交換に行ったら作業着の女の子が出てきてびっくりしたことあります。自動車整備士になりたい!今いっしょうけんめい勉強してます!と語ってくれた。

だから、もっといい名前考えよう!!

コメント
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