三国志から学ぶべきは戦略などではない。

2023年04月27日 | 社労士
三国志はずいぶんビジネスの領域で重用されているのですね。
登場人物の中で現代において一番のビジネスマンは誰かとか、ビジネス戦略を学ぶ!とか…
群雄割拠の時代の話ですから、競争市場であるビジネスシーンで活用されるのは当然かもしれませんが、一方で、あれ?日本人て「和を以て貴しとなす」じゃなかったっけ?とも思います(笑)
三国志って、血しぶきバシャバシャ、首はボンボコ跳ぶわ、飛ぶわ、胴体は真っ二つになるわ、勘違いで罪なき人ががんがん殺されるわ、裏の裏の裏をかきまくるわ、陰謀権謀なにがなにやら、力と知のぶつかりあい、奸雄が天下を取る…
その一方で、信義が一本の柱のように通っています。
ところが、日本人がもてはやすのは戦略ばかり。
子ども向けの三国志を10巻読み終わり、あまりにも名セリフが多く、今度は書き写そうと思い、また最初から読みなおすとともに、吉川英治版も読むことにしたのだが、その間にネット検索で「三国志名セリフ」を入れると出てくるわ出てくるわ、ビジネスに関連付けたものがトップにいっぱい躍り出てきます。

ただ…
果して三国志を読んだのか…と思うような記述ばかりです。
誰かのサイトかビジネス書・自己啓発書をコピペしたような内容ばかりなのです。

ビジネスに有効であろうと思われる格言や台詞を紹介してあるのですが、一応発した武将の名は書かれていますが、どのシーンで、どのような状況下で、どういうつもりでその言葉を発したのかがわかりません。

三国志はビジネス戦略に有効な書なのか?

イタリア中世の政治家マキアベリは日本では権謀術家として有名であるが、マキアベリに学ぶべきは人間であるように、三国志から学ぶべきものは人間ではないかと思います。
春秋戦国時代の孫氏の兵法からも学ぶように、三国志にも戦略から学ぶべきことはあるが、それは人間を学んでこそ戦略を学ぶ意義があるからだと思います。

三国志は中国オリジナルを基に多くの作家が書いている作品です。
正史である三国志とは別に、物語としての三国志演義が書かれた時代背景、書かれた事情、当時の社会情勢や登場人物の性格を見極めて、そのうえで、作者の人物や境涯、その人の人生観、世界観、思想を読み取ることで、三国志が織りなす人間群像が見えてくると思います。

劉備玄徳、関羽、張飛の桃園での誓いは有名ですが、なぜあの3人は結束したのか。
関羽は信義の武将として、皇帝でもないのに皇帝として中国各地や横浜中華街でも祀られているが、なぜそれほどの漢(おとこ)である関羽が劉備玄徳に忠義を尽くしたのか。張飛は粗雑で軽薄な力自慢の男ですが、なぜそんな男が優柔不断を絵に書いたような劉備玄徳を最後まで兄貴と慕って忠誠を尽くしたのか。

吉川英治は冒頭で、三国志には詩がある、と書いている。
三国志には、東洋人の血を搏つ一種の諧調と音楽と色彩とがある。

三国志から学ぶべきは、人間であり、それが諧調であり音楽であり色彩であると思います。
それなしで戦略だけを学ぶことは不可能であり、ましてセリフを切り出してビジネスに効率よく生かすことなどとうてい不可能なことです。

戦略として見るならば、英傑たちがなしえた後に、何が残ったのかを見なければならないでしょう。
曹操の魏はどうなったか。劉備の蜀はどうなったか。孫権の呉はどうなったか。
多くの犠牲で平定された三国はどうなったのか。

以上。







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