士業なんて言葉がなくなり、搾取の対象になるかも

2015年05月30日 | 日記
バーチャルスウェットショップなる言葉をはじめて知った。

スウェットショップは搾取工場を意味するが、そこにバーチャルがつくと?

オンラインゲームのプロゲーマーが、他人のためにゲームをする場所をさすそうだ。

インドの地方都市。アパートの一室に12人の若者が座ってパソコンに向かっている。お互いに話もせず、ひたすらゲームにのめりこんでいる。彼らは、アメリカやヨーロッパの裕福なプレーヤーが眠ったり、学校や仕事に行っているときに、その会ったこともないプレーヤーに代わってオンラインゲームを続ける。報酬はわずかだが、ある大学生は学費を稼ぐため、毎晩7時にやってきて徹夜でゲームをする。このバーチャルスウェットショップは昼夜二交代制で、アパートの家賃と経費、1か月約1万ほどの手当はアメリカのある企業が支払っている。

(『信じられない原価、買い物で世界を変えるための本。児童労働でつくられたケイタイ・パソコンを買うことができますか?』のなかのオンラインゲーム中毒の部分より抜粋)

他人に代わってゲームをしてわずかな報酬を得る以外にも、インドの若者たちはその優れた語学力でコールセンター業務に就き、欧米人になりすますことでやはりわずかな報酬を得ています。

日本では、英語ができれば一生涯の報酬に大きな差が出るといわれます。

この資格あの資格があれば、一定の報酬が保障される。あるいは、あの大学この大学を出れば一生安泰とか…最近は資格保有者の激増で、士業は食えない職種になりつつあり、学歴も当てにならなくなっていますが、これらの原因は「個人の能力・努力」の問題とされています。

インドの若者が搾取されているのも、自己責任なんだろうか。

高度な技術や語学などの能力が安く買い叩かれているのは自己責任なんだろうか。

勉強しないで学力がなく低賃金の仕事にしか就けないのも、勉強して学力があっても低賃金の仕事にしか就けないのも自己責任なんですね。

低賃金の仕事をすれば生活が苦しくなるのはわかっているけど、その仕事しかないし…でもその低賃金の仕事をしている限り、他の仕事をする時間も探す時間もないし…という負のスパイラルに陥ってしまう。

どうしたら、この負のスパイラルを断ち切ることができるのか。

本人のやる気や意志の問題なのか。

日本だって今はインドほどじゃないにしても、こうならないなんて保障はどこにもない。

自己責任なんて言ってるうちにインド化してしまう。

士業なんて言葉なくなるかもよ
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汚いプラごみをリサイクルボックスに投げ入れるのがエコなのか

2015年05月29日 | 日記
リデュース(発生抑制)、リユース(再使用)、リサイクル(再生利用)の頭文字を取って「3R」というが、認知度は30%ほどだとか。

限りある資源を大切にし、持続可能な社会を築こうとの理念から、2000年に「循環型社会形成推進基本法」が成立した…そうですが、知りませんでした!!こんな法律名。

法律制定当時よりごみの量は減ってはいるが、近年は横ばい傾向だそうです。

なんか最近、エコ?とかもあんまし流行んないからねぇ。

節電、節水ってのも、役所あたりは一応きまりでなんかかんかやってるんだろうけど、一般企業や家庭じゃ、どこ吹く風でしょう。

優先順位の高いリデュース(発生抑制)とリユース(再使用)への取り組みが遅れているということだが、当然という気がします。

「リサイクル」があまりにも浸透しすぎていています。

ペットボトルをどんどん買ってポイポイリサイクルボックスに投げこむだけでエコになるのだから、ラクなうえに、環境にやさしい自分にもなれるし、ただ捨てるのと違って罪悪感もなく、浸透するわけです。

ゴミの量が減ったのはポイ投げエコのおかげです、きっと。

カップラーメンもコンビニ弁当も食べ終わったら汚いままリサイクルボックスに投げ入れる。なんてエコな私かしら~~~と思うかどうかは知りませんが、皆さんちゃんとプラゴミは汚れていようがいまいがかまわず、律儀に「プラスチック」のところに投げ込んでます。私のように「燃えるゴミ」に捨ててる人はいないです。

私はお金がないんでリサイクルはまったくできないです。

すべてはリユースです。それ以前にリデュース(発生抑制)です。長らくのデフレでカネはなくとも物はあり余ってますから。

節電・節水・節金は、世の中にあり余っているものを活用すれば可能です。

ところで、リサイクルごみの行方が気になる~~

どうやったらあの汚ったないゴミが新たなプラスチックに蘇るのかどーしてもわからないです
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「社員」とは誰のことなのか?

2015年05月28日 | 日記
社会保険労務士法の中に「社会保険労務士法人の社員は、社会保険労務士でなければならない」という条文がある。

試験勉強のときは、ふーん、そうか。従業員は社会保険労務士じゃないとダメってことだな。必ず有資格者を雇用しないといけないってことか。なるほど。

と、当然のように思いました。

しかし、過去問の中に「社員」=「従業員」と考えると、どーしても納得のいかないものがありました。考えてもわからないので、見なかったこと・なかったことにしてスルーしました。

試験には社員に関係したことはでなかったのでしばらく忘れていました。

「社員」が「株主・出資者」を指すのだと知ったのはずいぶん後のことです。

社会保険労務士法だけじゃなく、法律上はすべてがそうです。

じゃあ、世間でよくいうあの「社員」っていったい何よ?

正社員だの契約社員だの、社員旅行だのの社員ていったい何なのよ?

最近じゃ、期間限定正社員だの職務限定正社員だの勤務地限定正社員ってのまであるが、これ何なのよ?(裏読みすると面白いです。)

ああ~ん???

法律上の「社員」=株主・出資者を官民一体になって、雇用されてる従業員の呼称にしてるってどうゆうことだろう?

「社員」って言葉はいったいいつからあったんだろう。おそらく(ただの推測)戦前は法律本来の意味かそれに近い意味で使っていたのじゃないだろうか。雇用される人が爆発的に増えて、高度経済成長で雇用される人の地位も上がってきたあたりから一般労働者にも使われだした…のかな?

でも、こういう二枚舌?は気に入りません。好きな人もいるでしょうけど、得意な人もいるでしょうけど、為政には必要なことかもしれませんが、姑息で好きません。

雇用されている人を「社員」と呼ぶのは、廃止にしたらいいと思います。

雇用の本質を社員という呼称で包み隠すのはいけません。

以前ママ友とランチ会をしたとき、あるお母さんが言いました。

「働くって時間の切り売りだよね」

この言葉に対し、別のお母さんは「私はそうは思わない。働くって、それだけじゃないよ」と言いました。

どっちも一面において正しいと思います。

でも、今はどちらかというと両極端になってると思います。

時間の切り売りと割り切るのはあまりに味気ないですが、働くことに喜びや意義だけを求めると、過重労働まっしぐらです。

楽しく働き、誰かのためになるのはすばらしいことですが、雇用されるということは、時間を拘束される、まさに時間の切り売りの側面があるということをしっかり認識しないと、自分を守れません。

社員=株主・出資者は時間拘束されません。

雇用される従業員を官民一体となって、せーので「社員」と呼ぶのは欺瞞です。

雇われて働くことの意味を見失わせてしまいます。

植木等の時代は終わったのです。
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誰からも必要とされないなどということがあるだろうか

2015年05月27日 | 日記
世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです、と言ったのは福沢諭吉だが、この言葉の真意はなんなのだろう。

する仕事がないとは、与えられた仕事がないということなのか。それとも喜びとなるような仕事がないということなのか。あるいは、仕事に喜びを見出すことができないということなのか…それとも…

私がこの言葉の意味を考えるようになったのは、老人ホームに勤務していたころだった。

特別養護老人ホームに入所している高齢者は要介護状態の人たちばかりだった。80代90代の人ばかりなので当然現役ではない。

ホームの中では「介護される人」「他人の手を借りなければ生活できない人」である。

そして「する仕事のない」人たちだった。

彼らは福沢諭吉が言うところの「世の中で一番さびしい」人たちなのか。

そうかもしれない。

そして、それは誰からも必要とされていない、と高齢者自身が思っていたからだと思う。

そして周りの人間もそのように思っていたからだと思う。

実際には、要介護状態の高齢者がいなければ介護という仕事もないわけなので、介護職にとってはなくてはならない存在であるはずだ。

だが、介護職員にその自覚は全くといっていいほどないように思う。

たまに、ショートステイで「手がかからない」「おとなしい」おばあさんが来ると、ラクだね~というはなしになるが、そんな人ばかりなら介護職も介護施設もいらない。

人手不足と施設不足(特養)ばかりがやいのやいの言われているが、高齢者が激減したり、急に元気になってしまったらどうするつもりなんだろう?

する仕事がないとうのは、誰からも必要とされていないと思ってしまうことで、これほどさびしくやりきれないことはない。

与えられた仕事がないなら自分でみつければよいだけである。

この世の中にやるべき仕事がないなどということは断じてない。

たとえどんな状態にあったとしてもだ。

私は介護職時代「認知症」と言われる人たちにずいぶん仕事を手伝ってもらった。
ぼけ老人にどんな仕事ができるのかって?そういう人は、ぜひ突撃で介護施設を訪問してみてください。入所者に手伝ってもらわないと「回らない」のが介護施設です。猫の手よかじいさんばあさんの手のほうがいいにきまってるじゃないですか。
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一生懸命はたらいてお金をドブに捨てる…

2015年05月26日 | 日記
日曜日の朝、開店直後のディスカウントスーパーに買い物に行き、あまりの人の多さにびっくりしました。家から車で5分ほどのところにあり、ホームセンターも兼ねているような便利なお店なので時々利用していましたが、まさか朝早くにあんなにも混み合っているとは思いませんでした。

開店直後ですが、お店から出てくる人も多いのです。その人たちは、卵1パックだけ、ティッシュペーパー2箱だけを手にしていました。きっと先着順で激安だったのだと思います。

郊外のお店なので、ほとんどの人が車で来てるはずです。仮に卵やティッシュペーパーがタダだったとしても、正価200円~300円の商品を手に入れるために、時間をかけて車に乗ってやってくるという行動が不合理に思えてなりません。

信じられない気持ちでしばらく茫然としていたのですが、自分も結局同じようなことをしているということに気づきました。

激安の商品を買うために、あるいは少しでも安いガソリンをいれるためにわざわざ迂回したり遠回りをしたり、よくやってました。

小さいサイズだと割高なので大きいサイズを買ったり、1個より2個がお買い得になってれば必要ないのに買うことも…

自分ではその不合理さに気づいていませんでした。

行き当たりばったりで行動しているため、いつも「何かがない状態」で、お店に走ってますし…

そもそも日曜日の朝に6歳の娘を連れて、ディスカウントスーパーに行かなきゃならない羽目になったのも、月曜日は遠足でお弁当がいるのに(ずいぶん前から知ってましたが!)冷蔵庫の中身に関して無頓着だったからです。日曜日は町内の行事で忙しいこともわかっていたのに…

人のふりみて我がふりなおせ、でした。

100円程度の商品を手に入れるために費やすコスト(時間やお金、労力)を無駄に思ったわけですが、自分が働いて得たお金の使い道を考えると、ほんとに他人事じゃないなと、反省せざるを得ません。

月10日の勤務のため、夫や娘に我慢を強いています。働いて得たお金で私は何をするつもりなんだろう?
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