民訴法で足踏みしてる人、これ読んでちょっとプレトレしたら勉強はかどるかもよ

2019年11月24日 | 社労士
1年間を棒に振っても授業料はかかる。
履修届を出したらテキストがどっさり送られてくる。
何もしてなくても3年次には民訴・刑訴がやってくる。
数ページ目を通して撃沈。
レポートの第1課題で消沈。
先生方は、わからなくてもとにかく全部目を通すこと!などとおっしゃるが、わからないものに目を通すほど辛抱のある通教生はそうそういない。
なんとかしなくっちゃ。
なんとか…
春に送られた民訴法のテキストを夏前に閉じて以来遠巻きに書棚を眺めているだけ…
これではダメだ!プレトレ用のテキストを読もう!と決意したら書店の棚にみつけた。
裁判官!当職そこが知りたかったのです
現職裁判官と弁護士の対談なのですが、弁護士のお相手裁判官はあの岡口基一さん…
とはいえ、副題に「民事訴訟がはかどる本」とあるように、裁判官からみた、こういう書面を出してほしい!実はこんな風に思っている、書面はそうでも実際に法廷で話をするうちに心証が変わったり固まったりする等々、民訴法というものを学ぶ上でちょっと知っておくといいことがちゃんと書かれている。
ブリーフ裁判官などと揶揄されているが、お父さんは牧師さんであることとか、仕送りがなくて苦労したこととか、意外なことも書かれている。
ただ…
遺族への配慮のなさが非難の的になっているとことか、そうかも…と思った。
中傷するつもりとかはなく、ホントにわかってないんだと思う。
起案の基本的な考え方がわかっていない本人訴訟とあまり変わらないような書面を書く弁護士がいるという厳しいがもっともな指摘がある一方、事実について、途中から浪花節的な内容になっていて脱線が多い書面については、自分はそれで心を動かされることはないとか、被害者の感情的な訴えについても他の裁判官はしらないが自分は全然揺さぶられないとか…なんかそんな人みたいです。
イラスト・挿絵が秀逸なので、民訴もういややわ…と言う人、これ読んでドンマイ、ガンバレ!
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法学部を卒業した人に聞きたい。なんか勉強した?

2019年11月18日 | 社労士
法学部通信教育のスクーリングに行ってきた。
物権法、テキストを読んでも全然わからず、先生の話について行けるのか…すごく心配だった。
土日2日間みっちり14時間余り講義を聴いて、心配はさらに深くなった。
先生の話はわからなかった。
誰もわかっている様子はなかった。
テストは難しかったが、答えはちゃんとあらかじめ教えてもらったので書けた。
私が在籍している大学のロースクールは司法試験合格者けっこう多く、しかも順位も6位とか、2桁代とか、500位以内に入ると裁判官か検察官に!って声がかかるらしいが、つまり頑張ってる人はすごくがんばってる学校である。
しかし。
私たち通教性は…どうせわからないし、簡単なテストで単位もらえるのか…
他の大学にも教えに行ってる先生によれば、どこも似たような感じらしい…
法学部を卒業した人に聞きたい。
そんなになにも身に付けなくて、それでも卒業できたん?
通教とちがって通学はカネかかると思うけど、卒業はカネで買えるん?
私は時間もカネも少なすぎて通学はもとより、スクーリングも最低限しかやってないが、大学卒業した人になんべんでも聞きたい。
カネ払ったら(授業料)卒業できるんやろ?
そうやろ?
正直に教えてほしいわ。
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日本人のメリハリのない仕事ぶりは100年前から変わってないようす

2019年11月14日 | 社労士
いよいよオリンピックも来年に差し迫り、ニッポンサイコーの風潮が強いなか、それに水を差すかのような辛辣な書籍をみつけた。
100年前から見た21世紀の日本 大正人からのメッセージ』がそれである。
日本以外はすべてバカアホカス、特に韓国・中国は終わってる的な論調が蔓延っている昨今にかなり危機感を持っていると思われる。
100年以上前にはネットなんぞはないので、名無しが憎悪むき出しで日本国民を呪っているというのではなく、それなりの地位の人が新聞等の媒体できっちりもの申している。
手始めに、新天皇陛下でお祝いムードのとこに一発。
大正10年に宮内庁書記官として欧州訪問に随行した二荒芳徳(ふたらよしのり)
「西洋でよくきくのは、欧州人に志那人と間違えられて真っ赤になってオレは日本人だと憤慨する人の多いことです。人はこれをもって国民の自尊心の表現のように賛美しますけれども、私はむしろこれを滑稽に存じます。」
今この人がツイッターとかブログでこんなこと言ったら炎上だわ…
他にも歯に衣着せぬ気にくわない言いがかりも。
「日本は決して自分たちが考えているほど世界的に強い国ではありません。飾らず申せば自惚れが過ぎて独りよがりの国になりかけております。」
坂の上の雲ブームでご存じのように、マジでこの時代のニッポン人はニッポンが西洋に伍すると考えていたんですね。なにせ、日清・日露戦争に勝ってますから。無理もない。だから多くの日本人はこれをいいがかりと決めつけ腹を立てたと思う。
第1章は働く人たちへと題し、100年前の労働者及び事業主の生産性の低さを糾弾しています。
どうやら働き方改革はリバイバルみたいです。
フランス文学者飯田旗郎(いいだきろう)は100年後も日本人が変わってないってわかったら墓から出てくるだろうか…
「日本人は時間が来ても、別に定まりがないように、ダラリダラリと何かやっている。勉強ぶりを見せるつもりか、あまり正直に帰っては現金過ぎるというのであるか、日曜まで出勤していることがある。真実忙しいのなら別だが、勤め人の勉強果たして如何、もし勉強ぶりを見せるため、ないものをあるように見せるのは虚飾虚礼というものだ」「もっとも上の人たちにも追従虚飾の勉強を喜ぶものがないわけでない。したがってこの幣もある」
そんなことない!実際に業務量が多いんだ!!と言いたい人も多いだろう。
私てきには、飯田さん、あんたよう知ってはるな~、昭和・平成・令和に受け継がれてますわ~と思う。
忙しいと言いながら仕事はダラダラとこなす。
これ現代日本人の姿と重なります。
日本人は勤勉か、労働時間の短縮、教員の勤務実態、役人の仕事ぶりと、いくつか小見出しで論じていますが、どうやら長時間勤務になるのも、ダラダラ仕事になるのも、「見せかけ」の勤勉ぶりが犯人のようだ。
我が身を振り返れば身に覚えのあることばかり。
ものを大事にしない、粗末に扱う、世間の内外で態度ががらりと変わる。
労働者には仕事という意識がないが、事業主や役員なども同じである…
最後に。
労働時間の短縮が必要なわけ。
労働を8時間に設定して8時間の給与を支払うことにしても日本人は正味4時間分しか働かない。
なので、6時間程度でよい。
これは帝国ホテルの建築を監督したアメリカ人技師の言い草である。
小説家カフカが生まれ育ったボヘミア王国では官費節約のため公務員は半日~6時間勤務だったそうだ。
ワークライフバランスなんて言うからいかがわしく聞こえる。
どうせ4時間しかまともに働かないんなら所定労働時間おまけの6時間でいいだろ?って言えばいいんだな。
すすむかな?働き方改革。


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賢くなる手術を受けなくても自助努力でちょっとずつ賢くなるのが勉強のいいところ

2019年11月13日 | 社労士
知的障害の青年チャーリーは、手術を受けて賢くなる。
どんどんどんどん賢くなる。
チャーリー自身が書いた経過報告は最初まちがいだらけのひらがなばかりだったけど、毎日の学びが反映されていて、徐々に正しい文法で書かれるようになり、やがて最高潮の水準に達する。
そして、最高潮の頭脳によって、「手術によって最高潮に達した能力はその後同じスピードで落下していく」という結論を見出す。
ダニエル・キイス原作の小説『アルジャーノンに花束を』は、映画化もされ、邦題は「まごころを君に」なんて感傷的なものがついているが、原作は何度読んでもなにかしらあらたな発見がありおもしろい。
手術後チャーリーはキニアン先生から勉強を教わる。
コンマやピリオドについて学び、得意になって経過報告のなかに書いたりするのだが、あとで文法書を読み、その意味することを正確に学び取って、自分はキニアン先生の話をちっともわかってなかった!なんて大バカなのか!って憤慨するのである。
このチャーリーの気持ちがよくわかる。
私は残念ながら賢くなる手術は受けていないので驚異的なスピードでは賢くならず、牛ですか?カメですか?ナメクジですか!!とツッコみたくなる遅々たる歩み?(ナメクジは歩かないぞ)ではあるが、法学を学びながらチャーリー気分に浸っている。
法学部法律学科に在籍しながら民法苦手…とか寝言を言っていたが、寝言を言ったところで単位が取れるわけでもなく、泣く泣く手付かずの物権法テキストを再度手に取り(一度手にしたがすぐに頓挫)、超入門と書かれたテキストでプレ学習をしてそのテキストを傍らに置いておそるおそる進んでいる。
で、思った。
テキストのしょっぱなに、物権と債権の違いがでてくる。
ふんふん、なるほど。
物権の排他性、直接支配ね。なるほど、債権は特定の人に対する請求権で、物権は物に対する支配権なんだ。
その後、物権と債権の区別は相対的である、って。
えッ。
なにそれ。
物権と債権って明らかに違うんではないの…
ああ…でも抵当権に排他性ってあったっけ?
あの順位ってなんだろう…
手術を受けていないのですぐに賢くはなれず、チャーリーのように本を読んで納得!ってわけにはいかないのが歯がゆいが、しかし、物権・債権もわからず、やれ不法行為に基づく損害賠償請求だなんだとよく言っていたものだ。
今後不測の事態が起こり、遅々たる歩みで習得したものを急速にあるいは一瞬にして失うかもしれない。
あるいは年を取って少しずつ失っていくかもえない。
それでも「わかる」という経験は嬉しい。
こどもだけにこの特権を与えておくのはもったいない。
チャーリーに負けないようにしなくっちゃ。
賢くなる手術を受けなくても自助努力でちょっとずつ賢くなるのが勉強のいいところだね。
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仕事やめても健康保険使える?に対する正しい答え

2019年11月12日 | 社労士
日曜の朝早くに知人からメールが来た。
仕事やめても健康保険って使える?
面倒くさいので、退職日の翌日から使えないよ、とだけ返した。
当然ながらすぐに、じゃあ、病院どうしたらいい?
ときた。
誰かの扶養になるか、国保に入るかすれば?と返した。(早く話を終わらせたくて任意継続については一切ふれず)
会社から連絡くる?とか、自分でやればいい?とか、話が長くなりそうなこと言ってきたので、この際、誰が仕事やめたのか、誰の話をしてるのかってことを聞いたら静まった。
人事労務関係者や社労士じゃないと社会保険のことなどわからなくて当然と思うかもしれない。
でも、作為的に知らされていないとも思える。
社会保障というレールに乗ってれば何も知らないほうがラク。
誰かに寄りかかってるうちはそのほうがラク。
レールから外れたり、寄りかかる棒がはずれて泡を食ってあたふたしてるのは自己責任。
生きていくうえでの重要事項なのに、周知義務がないのは、知らないほうが都合がよいと考えられているからと思う。
何も知らないで生きていけるのは幸せといえるかもしれない。
お膳立てができてるということはありがたいこと。
でも誰もありがたいなんて思わない。
病院に行ってタダで診てもらったり、一部負担で診てもらったり、年金が口座に振り込まれるのは、空気みたいなものだと思うのも仕方がない。
空気がなければ生きていけないが、酸欠になるまで気づかない。これってまずい。
休日の朝っぱらのメール攻撃に(直接話せばすむようなことを7回ぐらいメールでやりとり)イラつきつつも、こういった状況に突破口とまでいかなくても、風穴ぐらいは開けたいと反省。
それくらいなんで知らないの!なんて口が裂けても言えない。
あんた、10年前知ってた?って言われたら、知らなかったもん。
仕事辞めたら健康保険使える?
こんな質問してくるってことは、使いたいんだよ。(早く気づけよです)
の問い合わせには、退職日の翌日から使えないけど、病院とかに通ってるなら必要だよね。詳しいこと聞かないとちゃんとしたアドバイスできないから、もっと詳しく、時間大丈夫なら電話とかくれる?って返せばよかったんだ。


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