判例とは言うが、判例法となると膨大な判例を読むことに…

2022年06月29日 | 社労士
法学部通信教育もようやく終わりが見えてきました。
レポートの評価のところには、どの担当教授からも、卒業目指して頑張ってくださいとのコメントが見られます。
卒業できない可能性もあるわけです…
レポートが提出できなかったり、試験を受けられなかったり…試験に落ちたり…
入っただけで箔が付く大学と違い、基本的には高卒資格があれば門扉が開かれているのが通信教育ですから、卒業しないことにはなんの足しにもならないのです。
ここはやはり、踏ん張りとおして、来年3月には晴れて卒業を手にしたいものです。
とはいえ、新年度初めこそ、張り切って予定通りレポートを提出していましたが、6月ですでに遅れが生じています…
足掛け6年、そろそろ卒業せねば!いくら通信といえども、自分のお金を注ぎ込んでいる以上元は取らねば!
ということで、なんとか英米法のレポートに取り組んでいるところである。
アメリカ合衆国は日本と非常に関係の深い国家であるにもかかわらず、法体系が大きく異なり、そのことをあまり意識していなかった。
日本においても判例判例とバカの一つ覚え(失礼!)のようにおっしゃる方がいますが、 制定法における判例と判例法における判例ではまるで違うのですね。
判例という判例を読まねばならず、そのためにシステムは発展したのですね。
要領よくコピペでレポートをまとめるという技をひとつも身につけていない私は、テキストを注意深く読むことでしか理解の淵にたどり着けません。
実務はとうてい無理ですが、なんとか理論の上だけでも核心にタッチできればと思います。
ところで、外国を理解するには、語学や文化というものが非常に大きな手掛かりになるものですが、法体系もそうなのですね。
法社会学のテキストを書店に見に行き、「法廷から見た人と社会」(ロシア・ポーランド・韓国・ベトナム)をつい購入してしまったのですが、国によって、よいとされていること・悪いとされていることが、微妙に違ったり、大きく違ったりするのですね。
自国のものさしで正義を振りかざしたり、付和雷同で批判することはあまり意味がないばかりか、物事を複雑にややこしく、混乱に陥れるものなのですね。
学ぶことに終わりはないとはいえ、たらたら課題に追われて、6年がかりでようやく卒業にこぎつけそうとはいえ、学び足りないものの多さに意気消沈するばかり…
それよか、英米法。判例法についてまとめなきゃ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする