こんな本ありました!

社労士みょうみょうが自分目線で好きな本を選んでみなさんにご紹介します。役に立ちそうな本があったら、ぜひ読んでみてください

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ウズベキスタンの少年は国語の他にロシア語と英語も勉強するんだよ!

2016-05-14 04:41:45 | 日記
ウズベキスタンって国を知っていますか?

名前ぐらいは聞いたことがあると思います。ロシアの左下のほう。中東近くにあります。カザフスタン、アフガニスタン、トゥルクメニスタン、キルギス、タジキスタンといった国々に囲まれています。

かつてはソビエト連邦の一員でした。

私は10代のころ、よくロシア料理の店に通っていたのですが、ウズベク風辛口ピラフというのがメニューにありました。カザフ風チキンというのもありました。なのでウズベキスタンというと、ロシアなイメージでした。

偕成社から出ている世界のともだちシリーズ「ウズベキスタン」(2016年、4月発行)をみてびっくりしました。

日本人みたいです。アジア系なんですね。

11歳の少年サブラトくんと、その家族の生活が紹介されています。

お父さんは電気会社のエンジニア。お母さんは英語とフランス語をはなしガイドの仕事をしています。中学生のお姉さんと2歳の弟との5人家族です。

学校は朝8時から昼1時まで(午前と午後の二部制)。国語であるウズベキスタン語の他、ロシア語、英語も勉強します。サブラトくんは放課後塾で日本語も習っています。

語学への取り組みは国よって大きく違うんですね。国の状況、地理的な理由その他いろんな事情で小さなころから母国語以外を学んでいる子たちは多いのです。

ウズベキスタンでは小・中・高が義務教育で無償です。小学校が4年、中学校が5年、高校が3年で、小中は一貫。高校は普通校と職業校があります。

スンニ派のイスラム教徒が8割近くを占める国です。

ウズベキスタンでは比較的裕福な家庭と思われるサブラトくん一家の食事風景や、市場での買い物、おばあさんの家での食事会、家を建てる様子、サブラトくんの学校での様子などが紹介されていて、この国を知る一助となります。

世界のともだちシリーズは同じような本が多い中で、一番いろんな国を取り上げていると思います。

日本も30年くらい前に紹介されています。外国人からみたら「ふ~ん、そうなんだ。そう見えるんだ」となんだか不思議な気がします。図書館にありますので、関心のある人はどうぞ
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戦争の解釈が変われば日本人は元気になるのだろうか?

2015-07-05 05:50:52 | 日記
戦争中は、ホームシックが伝染して決死の覚悟が鈍るという理由で、「お母さん」と口に出しただけで首をはねられることもあった。

日本兵は避難民を騙して食べ物を奪った。当時は自分たちにひどいことをした日本兵に怒り、くやしくてたまらなかったが、今となっては彼らも極限状態だっただけなのだと思う。山原(ヤンバル)の生活で、避難民は食べ物を分け合い、日本兵は食べ物をだまし取った。どうしてこの違いが生じたのか、何度も考えたがいまだにこたえは出ない。しかし、戦争が人を狂わせることは確かである。

蔵の米も、神様のように大事な馬も日本兵に盗まれてしまった。食べるものがないので、ソテツの葉を川の水に浸けて食べたが、日本兵はそれさえも盗んで食べた。そしてアクが抜けきっていないソテツで中毒を起こして、のたうち回り「助けてくれ」と叫びながら死んでいった。誰にもどうすることもできなかった。

蛸壺防空壕に同級生と二人で入っていたら、校長先生にみつかってひどく叱られた。「二人で入って撃たれたら、死ぬのが一人で済むところを二人いっぺんに死んでしまう。それでは国が損をする。」信頼する校長先生からそう言われてひどく傷ついた。実際女学生は単なる労働力として扱われていた


 安田未知子さんの『13歳の少女が見た沖縄戦』から抜粋しました。

安田さんは高等女学校1年のときに、校長の御側付きとして学徒出陣しています。親からも先生からも「お国のために死ぬようにと言われ、それを信じていました。校長先生に命令され、本土の師範学校に進学している先輩に手紙を書きます。「沖縄が闘っているときに、自分たちだけがよそにいるのは国賊だ。みんなを呼び戻せ」との校長の言葉に素直に応じます。先輩たちの名誉を守らなければとの思いでした。先輩たちは二人を除いてみな沖縄に戻り、ひめゆり学徒隊として戦死しました。

あんな手紙を書かなければお姉さんたちは今も生きていたのに…

安田さんは後悔と恥ずかしさで苦しみます。

当時は、親も子も徹底して国のため、天皇のために死ぬことを誇りに生きていた。教育というのはほんとうに恐ろしいものだと思う。

教育の恐ろしさを知り尽くしていた安田さんでしたが、女性の生きる道は多くなく、また母から言われた「亡くなったお姉さんたちが生きていれば、みんな先生になったはず」の言葉で、戦後初の女性英語教師となります。

今また戦争や当時の日本を美化する風潮が復活しています。

戦争に負けたから、負けて戦勝国から不当に裁かれたから、日本人は元気がなくなったのでしょうか?

戦争の解釈が変わったら元気になるのでしょうか?
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待機児童解消の陰で保育現場が崩壊している現実を直視してほしい

2015-06-28 05:24:02 | 日記
  「女性が輝く日本をつくる」と、政府は待機児童の解消について、2017年度末までに40万人分の保育の受け皿を確保すると掲げている。そこにビジネスチャンスを見る民間企業が続々と保育所の運営に乗り出し、都市部ほど保育所の建設ラッシュが起こっている。しかし、現実に目を向ければ、箱物は用意されても人材の確保や人材の教育が追い付かない。利益を出すことを目的とする株式会社の新規参入や事業拡大が目立つなか、「とにかく保育園に入れないことには仕事を失いかねない」という保護者の切迫した状況と裏腹に、とても安心して子供を預けられないような現実がある。

『ルポ 保育崩壊』小林美樹(岩波新書)第1章、「保育現場は、今」より抜粋しました。

待機児童解消のため、とにかく箱を作り、なんとか人を集めてはみたが…

子どもを前に、とにかく1日のスケジュールをこなすことに手いっぱいな状態…

かつて、乳幼児ばかりの児童養護施設に勤務していた私には、どの事例も他人事とは思えませんでした。本来子どもを育てる・養育するということは、発見に満ちた楽しい仕事であるはずなのですが、保育士時代にその楽しさを味わうことはありませんでした。

6歳の娘が通う公立の保育所は、前年度まで土曜日は昼の12時半まで、延長しても14時まででした。今年度より新保育制度に移行し、19時まで預かってもらえることになりました。

しかし、以前から土曜日は子どもが少ないため、どんなに良い天気であっても決して外に出ることはありませんでした。園庭にさえ出ないのです。異年齢の子どもをまとめてみるため、安全第一だからだと思います。そして、給食は「米飯がでない」きまりでした。パンや麺類の軽食と決まっています。

現在仕事のため、土曜日は月に2回ほど夕方まで預けていますが、後ろめたい気持ちでいっぱいです。夕方までみてくれるようになり、ありがたい気持ちはあります。当然のこととは思っていません。少ない子どものために当番に当たっている保育士さんには申し訳ない気持ちもあります。

それでもやはり、預かればそれでいいのか、という気持ちは消えません。

保育の問題は以前から多くありました。特に人件費の問題です。しかし、それら多くの問題は、「待機児童問題」に矮小化されてしまいました。

第3章、「経営が成り立つのか」で小林氏は、運営費に見積もられている人件費の安さは以前から問題視されていた。にもかかわらずなぜ株式会社が次々と参入してくるのか。人件費をどこまで削減できるかが鍵となっている、と指摘している。

待機児童解消の手柄の陰で保育が崩壊している現実を直視してほしい
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自衛隊員が海外に行くのは家族のためでも日本国民のためでもましてや国際社会のためでもない

2015-06-21 06:58:26 | 日記
なんかここ最近、海外派遣だなんだのと勇ましいことを言ってますね。国際貢献がどうとか麗しいことも。

戦争っていったら「勇ましさ」「麗しさ」とはほど遠い、「悲惨」なものだってことは、戦争を知らない人間も本能でわかるはずなんだけど。

お国のために戦った兵隊さんの美談を繰り返し聞くうちに、本能も衰退してしまったのかもしれない。そんなときは正しい知識で正常な感覚を取り戻すのが一番。

ロシアの作家:ミハイル・ショーロホフの『人の運命』は、戦争によっ人間の運命が変わってしまうことについて書かれた、勇ましくも麗しくもない、運命の前で立ち尽くすしかない人間の姿を描いた作品です。

はじめのうちは、おれの生活も人並みだったよ。で始まるある男の回顧録である。

ドイツの捕虜になったつらい経験を語るのである。

ドイツで味わってきた、人間わざを超えた苦労を思い出すと、おれは心臓が胸からとびだし、のどが詰まって息もつけなくなるほどだ。どこに行っても、同じように殴られたり銃殺されたりしたものさ。ロシア人だといっては殴り、まだ死なないといっては殴り、あいつらのために働くといっては殴るんだ。目つきが悪い、歩き方が悪い、振り向き方が悪いといって殴るんだ。

男はなんども殺されかけるが、偶然か幸運かいつも命拾いをするのだ。なんとか生きて故郷に帰るが、家族は戦争の巻き添えをくってとうの昔に死んでいるのです。

男は戦場で同僚の兵隊が妻子を恋しがって手紙を書くのを冷ややかに見ていました。

こいつらは不幸な妻子が銃後でちっともらくな暮らしをしちゃいないということを考えもしないのだ。だが、この大国をかついでいたのは他ならぬその女こどもなんだからな。

そうなのです。

家族を守るために戦争に行くなんてのはまるっきりの大嘘です。自衛隊員が海外にはるばる行くのは家族のため、日本国民のためなんかじゃないのです。

じゃあ、誰のため?
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私も飛び跳ねます。理由は…いろいろあるはずなんですが…

2015-06-14 05:25:52 | 日記
 自閉症の僕が飛び跳ねる理由』会話のできない中学生がつづる内なる心

著者の東田直樹さんは本を何冊も書いており(外国語に翻訳もされています)、オフィシャルサイトもお持ちで、自閉症の方のなかでは「成功した人」と思われているかもしれません。実際そうなのかどうかは知りませんが、東田さん自身はそういったもの(世間の評価など)とは別のところで生きているようです。

Q&A方式で、自閉症の方の不思議な不可解な行動について説明してくれている本です。

理解できないところ、ほほーっ、そうだったのか!!と思うところ、あたしもいっしょやわ~、うちの子とおんなじや!!と思うところ、知らんかった…知ろうともしなかた…と反省するところ、いろいろでした。

自分と人はいっしょのところもあれば違うところもある。

自分たちとは違う人たちがいる。

わかっちゃいるけど(わかってるつもりだけど)どうにもならない。

ひとつだけ東田さんの切ない切ない悲しい気持ちを紹介しておきます。

Q 少しの失敗でもいやですか?

A 何か失敗すると頭の中が真っ暗になります。泣いてわめいて大騒ぎ。何も考えられなくなってしまうのです。それがどんな些細な失敗でも、僕には天地が引っくり返るほどの重大な出来事なのです。自分でもたいした失敗ではないと知っています。でも感情が抑えられないのです。失敗すると津波のように失敗した事実が頭の中に押し寄せてきます。次に、津波で木や家が倒されるみたいに、僕自身がそのショックで崩れてしまいます。その状態から逃げ出すために、泣いて喚くだけじゃなく、物を投げたりあらゆる手段を取ります。しばらくしておちつきを取り戻したとき、ぼくは我に返ります。気が付けば津波など起っておらず、僕が暴れた後だけが残っているのです。それを知った時、いつも僕は自己嫌悪に陥ります。

ここに健常者と障がい者の差があるでしょうか?

少なくとも、私にはみにつまされるばかりです
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