使い捨てられることと学力の意外な関係

2014年06月24日 | 日記

『使い捨てられる若者たちは格差社会の象徴か~低賃金で働き続ける若者たちの学力と構造』

(ミネルバ書房)

教育学を専門とする研究者が書いた本である。

5年前に出版されており、いささか古いが内容は大変興味深い。

私は以前から漠然と、「使い捨てられる若者たち」にそれほど悲壮感がないなぁと感じていた。

ここでいう「使い捨てられる若者たち」とは、マクドナルドなどのファーストフードチェーン店に代表されるような、やりがいのない・低賃金の・どれだけやっても技能が身につかない・賃金アップがほとんどないような仕事に従事している若者のことをさす。

成育歴に同情すべき点がある場合や(貧困や養育の放棄など)、早い時期から不登校になり引きこもっている場合でも、あんまし暗い感じがしないな…という印象である。それに加え、まあそこそこ普通の家庭に育ち、中程度の学力がある場合でも(学力っていったって知りようもないので、とりあえず、高校や専門学校、大学あたりを出ているってことで)いわゆる「使い捨て」の仕事に従事していて、あんまし悲観的でもないのに、なんとなく違和感があったのである。

この本の著者が分析した、日本の「使い捨てられる若者たち」は、私の疑問・違和感に対して答えを示してくれたわけである。

日本の「使い捨てられる若者」には、欧米諸国にはないある特徴があるということだ。

それは、このような若者のなかに高学歴者が1割はいるということである。

欧米においては、「使い捨てられる若者」は、多くが移民など貧困家庭出身者である。

著者が分析した日本の特徴をもう少し詳しく見てみると

日本では、どの学力の階層であっても、その階層における成績下位者が低賃金の仕事に従事する傾向があるそうだ。3つのタイプに分けられる。

① 進学校に進みながら成績下位であったものは、比較的家庭環境にも恵まれており、あまり収入がなくても現状の生活を維持できることと、親からの「好きなことを仕事にしてほしい」という希望もあり、主体的に使い捨てられることを選択している。

② もっとも多いのが、中堅校で成績下位であったもので、正規雇用への意欲はあり、現在の仕事を腰かけとみなしており、経過的に使い捨てられている。

③ 非進学校での成績下位者で、自分の生活に満足はしていないが、生活を向上させたいとか、正規雇用につきたいといった意欲はなく、結果的に使い捨てられている。

世間一般では、③ばかりと思われているかもしれないです。

①②③の若者は、自分の現状を肯定的に捉えているものが多いとのことだ。

一生この賃金で働くことについて、どちらかといえば賛成も含めると、33%以上が肯定している。

なぜ今の仕事から抜け出そうとしないのかという問いには、

正規雇用は会社に縛られる、今は自分の時間が自由に使える

明確な夢や希望がない

生活できるので、あえて正規の仕事を目指す必要はない

とのこたえである。

公的援助の効果が期待できない、若年未就労者支援の難しさを示す回答であろう。

いずれのタイプも、入り口はどうであれ、一旦この「使い捨てられる」状態になると、そこから抜け出すことは非常に困難なようだ。

ところで、やりがいのない・技能の身に付かない・低賃金の…仕事の代表である、ファーストフードだが、それでも国によって、大きく違いがあるようだ。

その国の平均賃金を100とした場合、マクドナルドの従業員の賃金は

ノルウェーなど北欧は66~89

フランス・オランダ・イタリアなどは49~62

ドイツ・イギリス・フィンランドなどは44~49

アメリカは36だそうだ。日本のデータは載っていなかったのだが、気になるな

えーっと、つまりどういうことなんだろう?貧困家庭が多くなり、機会に恵まれないのはおおいに問題で、対策は当然講じなければならないが、それだけで解決できるような単純なことではないということか!(それはみんなわかってますね!)文科省がひと頃言ってた「生きる力」ってやつか?違うな…

何が問題なんだろ?

 

 

 

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労働者は泣き寝入りするしかないのか?社労士は役に立たないのか?

2014年06月14日 | 日記

労働政策研究・研修機構の浜口桂一郎氏が労働局の斡旋(あっせん)について分析しています。

労働局内にある総合労働相談コーナーでは、主に労働基準法に規程のない事柄について相談に応じています。たとえば、解雇された(してはいけないという規程はないのです)、労働条件を引き下げられた(引き下げてはいけないという規程もないのです)、いじめや嫌がらせを受けたなどです。民事上の争いといえます。労働者からの相談を受けて、会社に対し助言や指導をしてくれます。

その他に、斡旋というものがあります。紛争調整委員が労働者と経営者の間に入り、双方の言い分を聴いて調整します。こうするのがいいんじゃな~い?ってかんじでしょうか。双方が納得すれば紛争は解決です。原則1回で終了です。なんべんも集まって話し合うもんではないのです。短い、というのが特徴です。メリットなのかデメリットなのか…

まずいところは、なんら強制力がないところです。経営者は呼ばれて行かなくても罰は下りません。斡旋案に対しても同様です。無視する経営者は多いようです。

今回浜口氏が対象としているのは、4つの労働局で2008年に扱われた1144件の斡旋です。

斡旋という制度は、小規模企業の労働者や非正規の労働者がよく利用しているようです。

分析結果を簡単にまとめると

*労働審判(平成18年に始まった、通常の裁判よりも短い時間で結果の出る司法制度)では、労働者の8割以上が弁護士に依頼しているが、斡旋では弁護士ばかりか社労士を頼む例もほとんどない。(斡旋では、特定社会保険労務士は事業主や労働者の代理人として交渉ができるんですーー知られざる世界かも…)なんでやろ?その理由は…

*斡旋申請から1か月くらいで、解決ないし未解決で終わっている。強制力ないですから…でも、未解決って…いくら迅速に1回で終わっても、解決できないんじゃ意味ないやろ…って思うのですが。

*事案の内容は、解雇・退職勧奨・雇い止めなど雇用終了に係るものが66%、いじめ・嫌がらせが22%。

*強制力がないので、4割強が不参加。残り6割弱は参加はするものの、合意に至るのはそのうちの3割。合意しない場合、通常の裁判に移行する労働審判との大きな違い。

*解決金額は、10万~20万が一番多く、次が5万~10万、20万、30万円台は13%。平均17万。

弁護士も社労士も入らないからこんな金額になってしまうのか、こんな金額だから弁護士も社労士も入らないのか…関与した場合の解決金額との差異はどの程度なのだろうか。

労働審判の場合、平均140万で、低すぎるというのが弁護士側の意見だそうだ。

労働問題を扱う弁護士は非常に少ないそうだが、そのなかでも経営者サイドの弁護士はごくごく少数である。ほとんどが労働者サイドである。一方、社会保険労務士は逆である。そもそも紛争解決が専門ではない。社会保険や労働関係の手続きの代行が主たる仕事である。それプラスというか、包括して労務管理などを請け負っている社労士が多いと思う。経営者から顧問料としてお金を受け取っている場合、労使間紛争においては、当然ながら会社側に立つ。ここで思うのが、社労士は弁護士ほど徹底して依頼者のために働くことができるのか、その義務があるのかということです。手続き業務がそもそもの仕事である以上、会社と契約することが多いのは当然だが、手続き業務や給与計算をしていれば、違法なこと、人道的に許されないこともみえるはずだが、その際社労士はどう対応しているのか、するべきなのか。労働者が明らかに不利益を被っているにもかかわらず、経営者が依頼主なら見過ごすのか。それとも是正を促すのか、それは社労士にできることなのか、場合によっては顧問契約解消もありうるが、仕事を失ってでも倫理を曲げずにいられるのか。

労働審判で特定社会保険労務士が代理人となることに対し、「とんでもない!」と反対する人もいるが、(社労士は法律なんてわかっていない、経営者のろくでもない言い分を正当化ばかりしているとかで、労働者側の弁護士が猛反対している)社労士自身はどうなのだろうか。代理人となった場合、弁護士のように徹底して依頼者側に立つことの厳しさをどのように思っているのだろうか。

 

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